見出し画像

長い夏休み

フランスに行った時のことで、文章に出来なかったことがある。エルバシャさんと夢の邂逅を果たし、さようならと駅で別れた後、ひとりピアノの前に残された私は、ちょうど手に持っていた楽譜をなんとなく開いて、家で弾くのと同じように気楽に弾いた。ショパンのAminorのワルツの、エルバシャさんによるマズルカ風編曲である。

曲が半分くらい進んだ頃、しっかりとした目線、というか「耳線」を感じた。その時はじめて編曲者本人にガン聴きされていることに気が付いたが、まだ夢の中にいるみたいにぼんやりしていたので「ま、いっか」と弾き続けた。

戻って来て恫喝したいような演奏だったかも知れないが、幸い時間がなかったようだ。自作曲を思ってもいないように弾かれる可能性は、作曲家でもある以上、受け入れていただくほかない。

その「耳線」の中に含まれていると感じたものの中に、私がフランスまで行った価値の全てが凝縮されていたように思う。目が合うように感じたその気配には、直前に交わした会話とは比べ物にならないほどの情報量が含まれていた。

改めて、村々で歌われた聖歌からバッハ、ベートーヴェン、ショパンといったクラシック音楽の流れが現代まで流れ込んで、当時は存在しなかった国の作曲家が編曲を加え、極東のアマチュアピアニストがそれを弾いているという不思議を思った。レバノンの作曲家が、日本のアマチュアが何気なく弾く自作曲を聴く確率は、ショパンが現代人が弾く自作を聴く確率よりは必ず大きいが、相当に小さな確率である。

暗闇でうっかり巨大な塊に触ってしまったようなその感覚は到底言葉に出来ず、総体のまま持ち帰り、日本に帰ってからもそのままにしておいた。

その理解しきれなかった塊を分解し、扉を一つ一つ開けるように順に見せてくれたのが、帰国直後に始まった特級公式レポーターの経験だった。

未来の日本のトップクラスの演奏家たちの演奏を間近に聴き、短い期間で葛藤しながら成長する姿を間近で見せてもらった。彼らがピアノだけでなくオーケストラを含めた大きな世界があるということに、はじめて触れた瞬間にも立ち会った。それらのプロセスを一通り経験してきた世界のマエストロ、コンマス、オケの目線。表彰式の舞台裏。そういった一連が、あのフランスで触れたものの中にすべて詰め込まれており、今の私が経験できる形で提示されるようだった。

フランスでの経験と、特級公式レポーターの経験が、私の中で問いと答えのように円環した。どちらかが欠けても、このような経験にはならなった。

出来すぎていて、全部私が生み出した幻なのかもしれない、と心のどこかで思う。それもある意味では正しいのだろう。

特級公式レポーターの応募文章は、フランス行きの飛行機の中でスマホ片手に寝たり起きたりしながら書いた。採用してくださり、惜しみないアドバイスと色んな経験をさせてくださったピティナのみなさんと音楽ファシリテーターの飯田有抄さんに、心から御礼をお伝えしたい。

小学生の夏休みのように、時間が長く感じられ、思い出がいっぱい詰まった夏となりました。