あたまのなか1 困っているおばあちゃんを、助けなかった話。
このnoteは…
ふつーの女子大生、ゆずが日常でちょっと引っかかったことを書くというブログです。
女子大生の頭の中って、こんなことかんがえてるんやで。
優しさは一過性ではない。
その言葉がずっと頭の中をぐるぐる回る…。
今、私は自動車学校に通っている。最寄駅から送迎バスで5分。絶対三月中に免許を取得するんだ!と意気込み、きつきつのスケジュールを組んでいる。
その日も当たり前のように自動車学校の最寄駅から送迎バスに乗ろうとしていたところだった。
「もしもし。。!今歩けない人が…!」
そんな声が聞こえて、振り返るとおばあさんが2人いた。片方の方はおそらく転んだのだろう、肩に体重をかけて辛そうにしていた。
思わず、大丈夫ですか、と声をかけた。
「いえいえ、今救急車を呼んだので、もう来ると思うので大丈夫ですよ。」
そうですか、と言ったものの確実に二人じゃ大変そう。近くにベンチもないし、階段に座らせるのも酷だ。
何か、私にできることはーーーーー
そう思ったその時、自動車学校の送迎バスが到着した。
ど、どうしよう。
このバスを乗り過ごすと次のバスでは授業に間に合わない。予約不要の学科だから別日に行けば履修し直せるんだろうけど、わざわざ綺麗に埋めたスケジュールを改変するのは…でも、私はこの目の前にいる二人に声をかけた。自分から関わりに行ったのだ。それで断るなんて、なんで無責任なんだろう。
いろんな、いろんなことを考えて
ごめんなさい。
頭を下げて、送迎バスに乗り込んだ。どうしても、スケジュールが崩れることへの恐ろしさを選んでしまった。いえいえいいんですよ、気にしてくれてありがとうございます、と声をかけてくれたおばあさん達の顔を見ることができなかった。
別に、私がいようといなかろうとおばあさん達にできたことなんぞなかったんだろう。
所詮、声をかけてもかけなくてもあまり変わってなかった未来だ。
こんな小さなことで一喜一憂することそれ自身が偽善なのかもしれないと思いつつも、私はとてもとても落ち込んでしまった。
私はつい最近まで日本一周の旅をしていた。
大学生の無鉄砲さから、いろんな人に絡んでいったと思う。
なんでooしてるんですか!?
わたしもやっていいですか!
わたしも連れてってください!
だいぶ無理を言ったこともあった。
この世界は優しい大人が多いから、大半の大人がいいよいいよ、ってわたしを甘やかしてくれた。
でも同じくらい怒られることもあった。
礼儀がなってない、とか、私はその発言は悲しかった、とか。
正直一部は理不尽だなあと思うことはありつつも、後々振り返ればよく言ってくれたなと思うし、それがきっと「一過性じゃない優しさ」とやらなんだろう。
普通、日本一周で怒られることって、あんまりないらしい。私が「怒られてきました!」って先輩旅人にいうと、
え??な、なにしたの??
って引かれる。
そんなもんなんだろうか。分からないけど。でもとにかく私の周りには「指摘してくれる大人」がたくさんいた。
冒頭に述べた優しさは、一過性ではない。は、北海道のゲストハウスオーナー、
柴田涼平さん
が私に言ってくれた言葉。
私はこの旅をクラウドファンディングでお金を集めて行ったのだが、彼はそのサポートをしてくれていた。
ある時、何を思ったか私は「私を応援する」という旨の本来1000円で出していたリターン内容で、30,000円と50,000円の選択肢を作った。
友人の、
「柚巴を応援してくれる人はそのリターンじゃなくて柚巴自身に投資したいわけだから、内容云々より高価な選択肢を作ってみなよ!」
というアドバイスを鵜呑みにした判断だった。
その下書きをみた瞬間、柴田さんはわたしをきつく叱った。
「これ、支援してくれる人側にとって何が嬉しいの?お金のことしか考えてないよね?」
わたしはとてもとても恥ずかしくなった。
応援の価値を値段で決めてしまった。何か違うことに価値を見出してもらうならまだしも、同一内容の高価版なんて、大切な応援を金額で見てしまっている。
そんなの、そんなのわたしだったら悲しいよ…
すぐに謝って、該当リターンを作るのはやめた。真摯に、応援してくれる人を増やそう。30,000円必要ならば、1,000円で応援してくれる人を30人作ればいいんだから。
当時わたしは気まずくて恥ずかしくて、怒られたことで辛くて辛くてたまらなかった。でも彼はわたしと関わった、サポートという立場に立った以上適当なことは言わずに「叱って」くれたのだ。
人を叱ることって、褒めることの何百倍もエネルギーを使う。仲違いするリスクだってある。ほんとに相手のことを思いやってないとできないことだとその時気付き、私は彼のような人になりたいと思った。
だから、わたしにとって大切な人、わたしが選択して関わったひとには、できるだけ厳しいことも言うように頑張った。わたしの尊敬するなりたい私は、そういう人なんだからーーーーと。
でも、私はいま、わたしと関わったひとをわたしの都合で放置してしまった。
ましてや、私の都合で私の我儘で関わったひとを、だ。別にはなっから助ける時間なんてなかったんだから、素通りすれば良かったのではないだろうか。そうすれば何も新しいことは生まれないんだから。
人に関わると数ミリ程度は期待させてしまうことになる。それは私も今までの人生で身に染みてわかってる。無駄に裏切る結果になる期待を生み出させてしまった自分がどうしようもなく情けなくて、数日経った今でもずっと考えている。
優しさの一過性ってなんだろう。あのとき私がした決断はなんだったのだろう…。
ここまで本文を読んでくれたあなたは、もしかしたら私なりの見解を求めているかもしれない。
申し訳ない。そんなものはないのだ。いまだに私は悩んでいるし、どうすれば良かったのだろうか、と引っかかり続けている。
ただ無理やりまとめるのであれば、旅をして私は感受性が高くなったのではないか。
日常の一コマを気にして引きずってしまう私は、きっと旅の前だったらすぐに忘れるようなことだったような今日のような出来事を考え、こうして文章として今の思いを吐き出している。
それができるようになっただけでも成長、いつか答えが見つかればいいな。と、何も答えになってないまとめをしてしまおうと思う。
もしここまで読んでくれて、私と会う機会があるひとで、何か同じような迷いがあったひとは、どう思うかを教えて欲しいです。
いっしょに、いっぱい考えたいです。私が胸を張った私になるために、手伝ってくれたらとても幸せなのです。
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そうそう。今度の日曜日スナックの一日スタッフやることになりました。
おすすめの旅先を伝えたり、ふやふやな考えをシェアしたり、何かわたしにできることがあればって思っています。是非、お越しいただけると嬉しいです。
場所 松陰神社前 スナックニューショーイン
日時 3月7日(日) 16:00~20:00
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