社会人2年目の終わり。どんなに世界が変わっても、やっぱり私はね、
日々目まぐるしく変わるこの世界の中で。
どんなに世界が変わっても変わらないものがある。
それに気づかせてもらったのが社会人2年目だったように思う。
どんなに世界が変わっても
やっぱり私はみんなで何かを作り上げていくことが好きだし、
オンラインよりも、その場でしか味わえない一体感や連帯感や熱気に魅了され続けているし、
毎日文化祭前の夏休みみたいな感じで、
もう無理〜とか言いながら、うわ〜ってやって、よっしゃ!!ってなる感じがもう最高に好き。
やっているその時は忙しすぎて後悔するし、
なんでこんな選択をしたんだと思うこともたくさんあるけれど、
それでも、やらないよりやったほうが良いし、
少しでも自分の心に惹かれるものがあればチャレンジしたいと思ってる。
気づけばもう25歳になるけれど、心は5歳くらいから全然変わらない笑。
それは言い過ぎだとしても、
少なくとも高校生の頃からは、自分という存在は変わってない。笑
そんな気がする。
どんなときに楽しい!って思って、
どんな時に怒りが湧いて、どんな時にやる気が出るのか。
どんなに世界が変わっても、変わらない自分はすぐそばにいるなあって。
変わらない自分
その変わらない自分が、ずっと自分を追いかけてくる感じがある。
あ、今の自分、高校生の自分に誇れるかなとか、
小学生の自分はどうだったかなとか、
30歳になった自分は今の自分をどう思うかなとか。
どれもこれも、私の中にいる「変わらない自分」。
そのもうひとりの自分と何度も会話してる。
その「変わらない自分」がいるからこそ、
数年経ってもやっぱりいいなって思うことや、
年月を経てもこれは挑戦したいなと思うことは、
自分にとって「ほんとうの夢」なんだと思う。
環境に適応して楽になっていく自分
でも一方で、今いる環境で享受している恩恵って、
その環境にいればいるほど大きくなっていくし、
その環境で学んできた暗黙知があるからこそ、
どんどん「楽」になっていく。
「変わらない自分」は、
あっちに行こうよって指差して教えてくれているけれど、
楽になった自分は、いやこのままでいいじゃんって言ってる。
だって、あっちいくには、また服買って着替えて準備して満員電車のって行かなきゃ行けないでしょ?
疲れるし大変なんだよって。
今いるところもだいぶ慣れたし、まだやれることもたくさんあるし、
もう少しここにいようよって。
そうなんだよね、ぶっちゃけ、日々の怒涛の生活の中で、
こんなにも情報が溢れかえっている世の中で、
自分の感性!とか、ほんとうの夢!とか、
そんなお花畑の先にある別の惑星のような話、向き合ってらんないよって。
そんなことより、この提案書を早く作らないととか、
さっきの電話、折り返さなきゃとか、
そんなことに必死な毎日を送っているんだもの。
でも、必死な毎日もそれはそれで充実しているし、
その中でチャレンジできることもたくさんあるし、楽しいと言えば楽しい。
自分の人生を演奏する
でも、2年間経て確信した。
変わらない自分はずっとそばにいるけれど、
定期的に変わらない自分の存在を思い返さないと、
私はその自分の存在すら忘れてしまうっていうこと。
目の前の忙しさを理由にしてしまうと、
自分の意思とは関係ないところで
自分の人生が演奏されてしまうような気がする。
楽になっているようでいて、
それは誰かに操られてるとかいいように使われてるとか、
自分の時間もお金も労力も精神も、
意図していないところで浪費しているとか。
変わらない自分は、無垢な子どものように、
こっちが良い、こっちに行きたいの、こうしたいの!って、
きっと人生を通してずっと、私に主張し続けてくれると思う。
そうだよね、私もそう思う。いつも何度も、教えてくれてありがとう。
毎日その主張を聞いていたら疲れちゃうけど、
週1とか月1とかでもいいから軌道修正して微調整して、
「どんなに世界が変わっても、やっぱり私はね」
この言葉の先に、何が続くのかを考えて、
それを言葉にして、言葉にして、
何度でも言葉にし続けること、忘れないこと、
そしてほんとうにそうあること。
それがつよく正直に生きていくことなんだと思う。
私は、この、どうしようもないくらいにわがままでお子ちゃまな自分に、
ずっと向き合わなきゃなって思った。
それはきっと、どんなに世界が変わっても、自分を大切に、
つよく正直に生きていく秘訣なんじゃないかなと思うから。
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