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「就活」とは何だったのか【備忘録】

就職活動。

私はこの言葉を、この概念を、大学2年生まで大して意識せずに生きていました。

そして、それを終えた今、この先、私は急速にこの言葉に対する関心を失くし、徐々にこの概念に関する感覚を忘れていくでしょう。

しかし、それはそれでもったいないようにも思いました。
今の私は過去の私をちゃんと未来の私に届けたい。なので、就活を通して私が感じたことをここに羅列しておきたいと思います。

正直、就活を終えた今、私が語るべきことなど何も無いと考えていました。
今もなお就活に取り組む人にとっては、特にそうだと思います。

繰り返しますが、これは未来の私に向けて書く文章です。まあ、これから就活をする人にはギリギリ有用なものかもしれませんが。
あとは、同じように既に終えた方には「わかる〜」とか共感して頂けたりするのかもしれませんが。

今まさにもがいている人には、あまり読んで欲しくないなと思います。
……とまあ、注意書きもとい言い訳はこの辺にして。
(こういうのはどう足掻いても嫌味っぽくなるよな、という言い訳です)

さて、それでは脈略なく話題を羅列する形式で書き連ねていきたいと思います。自分の興味ある部分だけでも読んでいただけると幸いです。


就活に取り組み始めた頃について

前も書きましたが、私が就活に取り組み始めたのは去年の6月。いや、正確には5月下旬。

無学なまま3年生になった私は、身近な人が就活とやらを始めたことを知り、焦っていました。
この5.6月軽く鬱になっていたのは、この未知の敵に心を蝕ばれていた影響でしょう。

受験と違い、就活がどういうものなのか。
どういうステップで進んで、いつまでに何をするべきなのか。正直何も想像できませんでした。

想像できないことは不安を呼び、不安は恐怖になります。未知とは得てして怖いものです。

そして、その恐怖は結局、就活を終えるまで続きました。
もちろん多少の知識は得ましたが、今も尚就活が何だったのか、私には説明できる自信がありません。

就活エージェントについて

そうした未知の恐怖が私を就活エージェントというものに駆り立てました。
未知の恐怖に打ち勝つには、とにかく情報が必要だったのです。
賛否両論あるこの就活エージェント(具体名は避けますが)ですが、結論から言えば、「私は上手く活用することが出来ませんでした。」

…という言い方だと角が立たなくていいですね。

22卒、つまり1つ上の先輩がメンターとしてESの添削をしてくれたり自己分析を手伝ってくれたりするのですが、私は夏くらいから返信を怠ってました。

それは、夏のインターン選考のためのES添削をしてもらった就活最序盤の時、就活に対して強く感じた違和感と嫌悪感によるものでした。

就活に対する違和感と嫌悪感について

不安に駆られて、色々な情報を探します。
今は便利な時代なのでスマホ一つで簡単に情報を得ることが出来ます。

しかし、そうして情報を得る度に、私は不安を払拭するどころか、ますます就活に対しての嫌悪を募らせました。
これはESを添削してもらった時、自己分析を手伝ってもらった時も同様です。

自分の考える「自分」を、「就活語」に勝手に翻訳される。

私の違和感を一言で言うなら、そんな感じでした。

例えば、最も定番の質問、「ガクチカ」。
それを400文字で書いてみる。すると、それをメンターやインターネットは「動機→課題→施策→学んだこと」のようなフォーマットに押し込もうとしてきます。
「具体的な数字、目標」などといったレトリックを要求してきます。

しかし、こうして就活の「模範」に、「規範」に、自分を押し込めていけばいくほど、出来上がった「自分」は、もはや自分から程遠いものになっていく。
そんな感覚がありました。

就活は「茶番」と言われることについて

だけど、そういった「規範」が全て悪で、それ故に就活なんてものは全て小手先のもので、嘘っぱちで、「茶番」か?
といわれたら、私はそうだとも思いません。

私自身、ESの添削は6月以来受けるのをやめましたし、そういった規範をある程度無視して書いていました。でも、それで良かったのはエンタメ業界という性質ゆえかもしれませんし、全ての「言説」を無価値と切り捨てていた訳でもありません。
(実際、インスタを開くと死ぬほど就活関係の投稿がサジェストされる。そこにあると不安になって見てしまうから、余計サジェストされる悪循環)(勿論その有象無象の中にも「けっ、んなわけねーだろ」と思うものもあれば、「ンー確かにそうかも?」みたいに思うものもあった)

例えば、面接では「結論ファーストで話せ」とよく見かけますね。
これも、鵜呑みにして全ての質問に「はい、それは○○です。なぜなら~」と返すとロボットっぽくて逆に悪印象かもしれませんが、かといって三文目になっても結論が来ないと「結局何が言いたいんだ?」とはなりますよね。

「なんでこの規範が生まれたのか?」を考えると、面接官側の視点が見えてくる・・・とかいうと自分が就活ハックを押し付ける側になってるみたいで嫌ですね……。
(noteにもこの手の「就活生は○○すべき」みたいな言説がはびこっていて、例によって沢山サジェストされるので、時間をかけて淘汰させていきたい所存)

まあでも、多くの就活生はそういった世に蔓延る言説を完全に無視することができないと思います。「それを全て無価値」と切り捨てるのは、「それが全て絶対」と思い込むのと同じくらい盲信的です。
ならば、「なんでこんなん生まれたんやろなあ」と一考すると、何かしらの役に立つかもしれません。

先述した「具体的な数字」も、結局はエピソードの説得力、あとは差別化のためだと思うんですよね。なのに、「バイトで売上を10%上げました!」っていうありきたりすぎる文句だったら一周回って説得力なくない?という。(もちろんこのエピソードを実際持ってる人は、その結果までの過程で説得力を出すと思うんですけどね)

あと、「ESや面接なんかで俺の何がわかるんや」的な言説。
それも、半分そうで、半分うーんという感じですね今のところ。

結局、自分の全部を理解してもらえるなんて土台無理。
でもそれは、日常のコミュニケーションだってそうで。親友にも恋人にも親にも、「俺の何が分かってる?」という話ですよ。

だから、限られた文字数、限られた時間で、「自分のどこを見せるか、どう魅せるか」みたいなセルフプロデュースが求められてると思うんです。
なんか仰々しいカタカナを使いましたが、結局は友達にもやってるような「キャラ立て」をビジネスマン相手にもやる必要があるっていうだけ。

私は「ありのまま」で評価してほしい、「ありのまま」が評価されるべきという意見には反対です。
「ありのまま」というのは得てしておぞましくて、生々しくて、醜いものです。
だからこそそれは美しいものでもありますが、しかしそれはパブリックな場所で表出させるべきものではないと考えます。
それをしっかり人前に出せるような綺麗なものに加工し、調理して、初めてお偉いさんたちとお話ができる。みたいな。ちょっと上からすぎますね。

でも、「ありのまま」で評価してほしい/するべきという人は、よっぽど「生の自分」に自信がある人なんだとは思います。

とはいえ「茶番」な就活について

ちょっと長くなったので段落を変えます。

しかし、この「加工」や「調理」も、得意不得意があります。
しかも、これは「就活特化の加工法、調理法」が多分あって、それが得意な人ほど「就活」という競技が得意な人になるんだと思います。

そういった意味では、就活は茶番なのかもしれません。
「仕事」が優秀な人を選抜するための就活なのに、「就活」が得意な人しか選抜できない就活というシステム。

自分は「就活」が得意な人種ではなかったです。多分。
もちろん、「仕事」なら優秀にできると言いたい訳ではないですが。

それはもうやってみるまで分からないだろ。という感じもします。

極論的結論はこれです。
仕事の得手不得手なんて、自分の適性なんて、やってみるまで分からない。

そして就活に関しても、私は情報を沢山浴びるよりも、実際に選考を受けてみることによって、よりその理解を深めることができた気がします。

いや正確に言えば、有象無象の情報が「体験」と結びつくことで、ようやく自分の身になる「知識」になった。という感じでしょうか。

塾のインターン・選考について

私の志望企業の一つに、昔通っていた塾がありました。
単純に自分の恩師がいて、ああいう先生になりたいという憧れがあったからです。

塾はブラックなところも多いですし、お世辞にも高給とは言えません。
私が志望していたところはブラックではない方だと思いますが、それでも繁忙期は週1日しか休めませんからね。

なので、一応他の塾も比較検討のため見ていましたが、正直その塾にしか興味がありませんでした。生徒としてその塾のことをよく知っていたのが、大きな安心材料でした。

夏と秋のインターンに二度参加し、どちらも好印象で、普通に楽しかったです。さすが教育のプロ、こういう進行は本当にうまいなと思いました。

インターン、そして本選考でも「模擬授業」をする機会がありました。
実際に黒板の前に立ち、人前で授業をします。普段個別でしか教えていない私はどちらもとても緊張しましたが、「楽しかった」と心から言えました。
わさわざケース入りのマイチョークを持っていくくらいには楽しんでましたね。それも憧れの一つでした。(もちろん、志望度の高さをアピールできるという目的もありましたが。)

なので、もしこの企業に入ってもそれなりに仕事を楽しんでできたとは思っています。
とはいえ、給料のこととか、実家に住むこととか、「毎日スーツ着たくねえ~」とか、そういう憂いはあったんですけども(仕事なめてる?)

いやでも、本当に私服勤務は自分にとって結構でかい。
スーツとかいう仕事の効率を下げるだけの奴隷ユニフォーム、本当に合理的じゃないと思います、まる。(いや意味も意義もわかるけどさ)
自分、首を絞めつけるものが特に苦手なので、スーツは地獄でしたね。毎回頭痛になってた。働くの向いてないな。

……大幅に話が逸れました。
先日、私はこの塾の内定を辞退しました。電話めっちゃ緊張したなあ。
自分の罪悪感とは裏腹に人事の方がとても淡々としてたのが印象的だった。
ありがたいような、さみしいような。なんて身勝手ですね。

でも、自分にとって、仕事が「飽きない」というのは大事なポイントで。
そういう意味で教育は、生徒の数だけ正解があって、もう3年バイトで講師をしていますけど、飽きたと思うことは一度もないです。
大変だなぁとかやめたいなぁとかはあるけど。上司うぜぇとかもそらあるけど。

もし教育業界がもっとホワイトで、もっと高給だったら、迷わず入社したのかもしれませんね。
お金に執着ないって前言ったけど、親に楽させたいという気持ちはやっぱりあるので。うん。

まあとはいえ、それは出版から一つも内定を貰えなかったときの反実仮想ですね。
出版も負けず劣らずブラックですけど、それでも私はこっちの方がやりたい。
今の段階では、そう思っています。

というか、これからはもう、
それを「正解」にするしかありません。

出版業界の就活について

よく、出版業界のESや面接は楽しいと言う人がいます。個性的な質問、個性的な試験、好きなことを語れる面接……。

とはいえ私は、全然辛かったです。
ESも全部、締切ギリギリに徹夜して書いてました。

いや、そりゃそうでしょう。語れるって言ったって、それは「評価されている」っていう前提の上での話です。
例えば私は、1番好きな漫画はなんですか?と聞かれても、馬鹿正直に1番好きな漫画を答えたりはしませんでした。
だって面接官が知りたいのは私の嗜好じゃないでしょう、と思ったから。知りたい人もいるのかもだけど。

でもきっと「なんで好きなの?」という、言語化の能力が問われていると私は思った。だから、「1番好きを言語化しやすい漫画」を答えるようにしていた。

他にも、「どんな作品が作りたいか」という企画系の質問も「即採用できるようないい企画を持っているかを問う」のが目的ではないと思っていて。
「どういう視点で作品やヒット、流行を分析しているか」っていう部分を見られていると考えていた。学生にそんなプロを唸らせる企画力期待してる訳なくなーい?というか。(もちろん唸らせる人もいるんでしょうけど)

実際、編集者が言語化能力とか分析力が必須だと、私は今のところ理解している。まあこれも働いてみなきゃ分からんけど。

そう、情報が全然出回らない出版業界の就活において。
私は大きな後悔がひとつある。
それは、OB・OG訪問をしなかったことだ。

もちろん選考に関する情報もそうだが、結局仕事について知ることが、面接での説得力に繋がると私は面接を通して感じた。

まあ、そういう意味ではOB・OGとのコネが見つけやすい東京の大学生は正直羨ましい。まあ、探す努力も大してしてない私が言えたことではないのだけれど。
でも、ひと月に4回も東京に行くのって結構大変よ。移動ってしんどいんだなって学べた就活でもありましたね。

まあとはいえ、まさか受かると思ってない私は「会社の金で東京観光や〜!ついでに面接するでー!」って気分だったんですけどね。あは。

追記2(5/4 16:25)

とはいえ、だ。
これはこの後に追記にも書く努力の話にも繋がるが、私はこの就活において、殆ど他人の手を借りなかった
OB訪問に限らず、本選考のESを添削してもらうことも結局なく、友達と情報交換をすることすらなかった。
一見、これは「自分一人でできてすごい!」と思いがちだが、私はそうではないと思う。むしろこれは、私の弱みだとすら思う。

それは、他人を頼れないという弱み。他人と関わらないという弱みだ。

結局、「自分一人で」「なんとかなるやろ精神で」なんとかなってしまった私の成功体験には、再現性がない。
どっちも私は決断したのではなく、「その方が楽だから」という怠惰に流れて上のような手段を取ったにすぎないのである。
他人と関わりまくる社会、会社の中に入っても、私はそんな風に働くのだろうか? 今はそれがいいとは思わない。これも入ってみてのお楽しみだが。

というワケで、これも未来への箱舟に載せておくことにします。

就活が「運」だと言われることについて

就活は運だとよく言われる。
出版業界は特にそうかもしれない。
だって大手数社以外は5人も取ってくれない。大手ですら20人前後。倍率は何百倍の世界。

もちろん、エンタメ業界って見た目は華々しいから、ただのファンみたいな人だったり、逆にクリエイターになりたいだけの人だったり。
そういう人もいて、見た目ほどの倍率ではないかもしれないけど。 

正直、四次面接とかまで来ると「こんなに優秀な人しか残っていない(はずの)集団を、どう篩に掛けるん?」という気持ちになってた。
(というか、「ここで落とすくらいならいっそもっと前で落としてくれ〜」と思っていた。)

たとえ努力でそこまで行っても、会社との相性とか事情とか、それこそ売り上げによる新卒採用人数の変動とかで、合否が分かれたりする訳で。

とはいえ、私は物事を「運」で終わらせるのは嫌いです。殊更にそれを強調する人も嫌いです。
だって、それを聞いたって、就活に臨む人は努力するほかないじゃないですか。

それでも「運」で受かってしまった私について

でも、私はもっと努力できたなと自分の就活を振り返って思ってしまいます。
まぐれで受かってしまったと思ってしまいます。

実際、内定を貰った会社以外は全て一次面接までで落ちてます。(出版業界に限った話ですが)
というか、大手のうち2つくらいESの締切間に合ってないです。最悪です。

そんな人間が、たまたま1社だけするすると何故か階段を上り続け、そして奇跡的にも内定者に名を連ねてしまった。
そういった感覚が拭えず、なんだか今でも(悪い意味で)ふわふわした思いが胸中にあります。

自分で嫌味っぽいなあ、と思うので気分を悪くされる方はどうか見ないでください。自分でも気分が悪いです。
何千人が入りたがっている会社の、中には何年も挑み続けている人がいるような会社の、数少ない椅子を奪っておきながら、こんなことを言うなんて。
しかも、自分が心から入りたいと思っているにも拘らず、です。

もちろん、努力を全くしてなかった訳ではありません。
それなりに差別化できるような作戦も立てたし、面接の立ち回りも考えたし、何より3月は雑誌を死ぬほど読みました。

面接の直前とか、結果を待つ間は、「私ほど編集者に向いている人もいない」とかほざいていたにも拘わらず。
いざ合格をもらうと、なぜこうなってしまうのか。

これは単純に努力量の問題ではなくて、他社の結果による影響なんでしょうか。もし他の出版社からも複数内定をもらっていたら、ふんぞり返って「我こそがふさわしい!がっはっは!」と思えたのでしょうか。

追記(5/4 15:17)

でも、どこか就活に真剣に向き合わず「なんとかなるやろ」で、なんとかなってしまった
これは事実だと思います。
これは経験しなくていいタイプの経験だったなってなんとなく確信しています。
単純に、「努力」というものを盲信している方がまだ人間的に、精神的にも良さそうじゃないか?と。
この成功体験のせいで、努力を信じられなくなった私はこれから何に対しても、「なんとかなるやろ」精神でのらりくらりやっていくのでしょうか。なんだか、それはカッコ悪いな、嫌だな、と自分は思います。
就活はもう仕方ないとして、これからぶつかる何かには、ちゃんと苦悩して、思考を止めないでいきたいと思っている旨、ここに追記しておきます。

うーん。HSPっぽい思考が出まくってますね。今でも出版就活をしている人達のツイートを追ってしまうのは、どういう気持ちからなんでしょうね。分かりません。

結果発表前、神社に通い詰めて「運」を無理矢理引き寄せた罰が、そろそろ私に降りかかるんじゃないかってそんな無意味な被害妄想をするくらいにはナーバスです。

もしかしたら一種のマリッジブルーならぬ内定ブルーなのかもしれません。知らんけど。

しばらくしたら、「俺は選ばれるべくして選ばれたのだ!」と思えるんですかね。
いや、そんなのは会社に入って、自分の納得いく仕事ができてから、でいいか。その時初めて「俺はこの仕事、やっぱり向いてるな」って思えたらそれでいいのかもしれませんね。

今は無駄な心配はやめましょう。
むしろ最近頻発する地震の心配でもしていましょう。

非常食とか、懐中電灯とか、買っておこう。
そうしよう。

まだ、私は死ぬわけにはいかなくなりましたから。



脈略のない話に付き合って頂き、ありがとうございました。
これにて、就活関連のnoteは一応終わりにしたいと思います。

もっと、どうでもいいような、どうでもよくないような。
壮大で、矮小な、そんなことをこれからは書いていきたいですね。



草々






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