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挫折2

前回の「挫折」という記事で、部活の話をした。高校生の頃私は陸上部で、それなりに目標も立てていたのだけれど。

別になりたい自分像があってとか、憧れがあってとか、そんな理由で目標を立てたかといえば、そうじゃない。
僕はただ、「自分の居場所で刺激的に過ごすための、届きそうで届かなそうなほどよく挑戦的な数値」を設定していたにすぎない。

僕は前回そう書いた。それは嘘ではない。

でも書き終えてから思い出した。

私は当時、泣いていたではないか。自分の不甲斐なさ、弱さ、情けなさに、泣いて臥していたではないかと。

私が挫折をしたことがない、なんて嘘だ。
だから今回は、私が経験したふたつの挫折の話をしたい。


まずは、冒頭でも述べた部活の話。

私は1500m専門だった。いわゆる中距離走者だ。
(本当は3000m障害というのもやってたけど。)

そもそも陸上部に入ったのは、バスケのようなチームスポーツに懲りていたこと。長距離は昔から自信が少しあったこと。入りたい文化部がなかったこと、などの理由からだ。(軽音に入りたかったけど、なかったのだ。)

そんな訳で入った陸上部は、めちゃくちゃ陽キャっぽくもなく、めちゃくちゃ陰キャっぽくもなくて、中途半端な私は居心地がよかった。

だけれど、私は無為に日々の練習に取り組むのはつまらないと思ったのか、毎日の練習メニューを必ずメモに書いた。大会の記録もそこに書いていた。それは入部してから引退するまで、ほぼずっと続けていた。

そして高校2年の11月。
シーズン最後の大会で、私は思うように結果を伸ばせなかった。

これでは、引退までに掲げている目標タイムを超えられない。
そう思ったら、私はこのままシーズンオフに入れないと思った。次の大会は春。3月までない。
私はなんとしても、シーズン中に新記録を更新しておきたかったのである。

そうして、例年は出場しない12月の大会に、私は有志でエントリーすることに決めた。
それを目標に私は、皆とメニューを変えてまで、一人で黙々と練習していた。

もとより、陸上というのは孤独な競技だ。
向き合うのは、腕時計に表示されるタイム。ただそれだけ。

しかし、私は挫折した。
どうにも耐えられなくなって、練習を中断してしまった。

なぜかというと、ただただ寒かった。
風が痛かった。

もちろん、独りだった故に余計にメンタルがブレイクされたのかもしれないけれど、とにかく風が厳しかった。ウィンドブレーカーを着ても、ウィンドをブレイクしてくれないほどに厳しかった。

そんなことで?と思うかもしれないが、おそらく本気で目標を達成したいと思っていたんだろう。
私は、こんなことで心がくじける不甲斐なさで泣いた。

皆が基礎練をする中、私はひとりきりの部室でほんの少しだけ涙を流した。

その日を境に、おそらく糸が切れてしまったのだろう。
否、無意識に切ってしまったのだろう。
私は、部活というものの優先順位を下げ、目標なんて達成してもしなくてもいいことにして。まあできたらいいくらいの気持ちにして。

「諦念」に魂を売って。
そうやって、私は「挫折」を乗り越えてきたのだ。


          ×


Case2も手短に紹介しよう。
私はボカロPとして自分が創った曲を投稿している。

いつかの記事でも抱負について話したけれど、私が掲げた抱負の大半は、ボカロPとしての目標だった。
例えば、私は2021年の間に、「登録者何人!」と目標を掲げた。

「いやまあそんな数は読めないものだし、気にすることない」って思うかもしれない。だけど、そういう問題じゃないんだ。
私は昨年、6曲しか投稿していない。

単純に、努力が足りていないのである。

努力が出来ない理由は、もう知っている。私が怠惰だからだ。私が弱いからだ。
「できない」を「できる」に変えるしんどさ、「足りない」を補うしんどさ、それらに打ち勝つ強さが私にないからだ。

それを分かっていて、私は就活だのなんだのと言い訳をしながら、今年を迎えたのだ。

でも、そのもう私は、段々と目標を達成できなかった悔しさを忘れつつある。
「忘却」に手を出して。
そうやって、私は「挫折」を乗り越えているのだ。


どうだろう。
私が全く「挫折」のない人生を歩んでいる訳じゃないというのは分かってもらえただろうか。

でも、それを「挫折経験」として、就活の武器として、エントリーシートに書くことができないのも、当然分かってもらえたはずだ。

だって、私は「挫折」に打ち勝っていない。
「諦念」と「忘却」を以て、「挫折」にモザイクをかけてきただけだ。

そんな私に、何を語れるというのだろう。
所詮、自分の得意なことしかやってこなかっただけの私に。


でも、それの何が悪いんだ。
だから、得意なことを仕事にしようって決めたのに。

はあ、そんなことをいくら嘆いたって。
「就活」という大きな規範は、力は、こんな僕の「挫折」を認めてはくれない。



なあ、そうだろう?


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