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良い休日だった

とにかく静かな所で作業がしたい。


そう思い立ち、私は最寄り駅に向かって歩を進めた。

住宅街ということもあり、近所には学生に優しいファミレスやファストフード店の類がたくさんある。しかし、今日は土曜日。マックやミスドは自分より年下の学生で溢れかえっていることだろう。そこには静謐さの欠片も残されてはいまい。

ファミレスも考えたが、そこのファミレスはファミレスにしては値段が高く、メニューもあまり好みではない。という訳で、少し遠出してお気に入りのコメダ珈琲に出向くことにしたのだ。遠出、と言ってもたかが2駅だが。

コメダ珈琲は良い。愛知出身だから余計に思い入れがあるのかもしれないけれど、なぜだか無性に行きたくなる。あの、入りづらくはないけれど、決して安っぽくはない雰囲気が好きなのかもしれない。

そんなるんるん気分で地下鉄に乗り、目的の駅に降り立ち、都会の人混みに早速憂鬱になりながらも、なんとかコメダに到着した。

…のだが、どう見ても混んでいた。店の前に何人かが立って待っていたほどだ。

私はそこで、一瞬も逡巡することなくもう一度地下鉄の駅に向かった。

「やはり都会なんぞに来るものではなかった」

そもそも土曜のお昼時、都会のコメダが混んでいない訳がなかった。都会特有の、生臭い匂いと歩きたばこの臭いに殺意を覚えながら、私は何もすることなく、逃げるように帰路に着いた。

「もう諦めて近所のマックに行くか……それかいっそ行ったことないけれど、もっと郊外の方へ足を伸ばすか……」

そんな風に考えていた時、「近所に良い喫茶店はないか、いつか探してみよう」なんて前に思っていたことをふと思い出した。小心者の学生、略して小生が、チェーン店でない喫茶店に恐れ慄いてずっと先延ばしにしていたその小さな野望。今日はそれを果たす絶好の機会ではないか、と。

という訳で、もし気に入ったらこれからも通うつもりで、最寄り駅付近の喫茶店で、Google先生にご教示を願う。色々ヒットした中で、一番内装が気に入って、かつ鉄板のスパゲティに惹かれた店に決めた。

本当に最寄りから歩いて1分ほどのそこは、「The・古き良き純喫茶」といった風で、入るのはかなり勇気が必要だった。中の様子は窓から全くと言っていいほど窺えず、余計に不安になる。そうして何往復か入口の前を右往左往していると、サラリーマンと老夫婦がちょうど店に入っていったので、便乗して中に入った。小生らしい小心ぶりである。

かなり奥に細長いその店に思い切って入ると、女給(という言い方でいいのかは分からないが)の方に「お連れ様ですか?」と言われた。完全に便乗した自分が悪いのだが、お陰で私は軽く混乱し、「い、いえ一人です」としどろもどろに答えることになった。それだけならまだしも、たばこの臭いは嫌いだというのに、なぜか空いているからという理由だけで喫煙席に座ってしまった。しかも、喫煙席の目の前は厨房になっており、店主と向かい合わせである。

とはいえ、座ってから「やっぱり別の席で」と言う勇気もないので、大人しく腰を下ろす。そこでようやく、内装に目をやる余裕ができた。照明もソファも壁面も、アンティーク調で揃えられており、BGMにはジャズっぽい洒落た洋楽がかかっている。雰囲気は完璧だった。

注文はどんな場所でも死ぬほど迷うので、予め調べて決めておいたイタリアンスパゲティとアイスコーヒーを頼んだ。時刻はもう2時過ぎ。昼ご飯がまだだったので、かなり空腹だった。

そして、せっかく訪れた純喫茶。私は長居する気満々なので、何かドリンクの一つでも頼まねば、筋が通らない。しかし、純喫茶に来てまで割高のソフトドリンクを頼むのは個人的に論するに値しない。要は論外だ。しかもソフトドリンクだと、ゴクゴク飲みすぎて時間稼ぎにならない可能性もある。ジュースをちびちび飲むような、育ちの良さは生憎持ち合わせていないのだ(育ちの問題ではない)。

という訳で、純喫茶に来たのだから珈琲を頼むのは必然的な流れ。ある種のさだめ。そんな信念を掲げ。いざ未知の中へ。

と、無駄な押韻はともかく、料理は15分ほど経ってやって来た。もちろん二人で経営しているような小さな店なのだから、ファストフードのような早さは期待していなかったが、普段それに慣れていただけに、むしろファストフード店の異常さ、それを当たり前と思っていた自分の異常さをしばし省みた。

とはいえ待つ間、机に紙をおっ広げて作業を始めると、いざ料理が来た時に女給さんが「作業中断させて申し訳ない」と多分思わないだろうが、思わせてしまうかもしれないと私が思うので、それはしなかった。かといって店内で圧倒的に若い自分がずっとスマホを触っているのも、「最近の若者はずっとアレねえ」と思われそうで憚られた。こうした過剰すぎる自意識過剰が、様々な場面で私を縛っているのだろう。

という訳で私は、都会に出てきた田舎っぺよろしく、店内をぐるぐると見回していた。特に行きたくもないけれど、お手洗いに立ったりもした。お手洗いの中の雰囲気も素晴らしく、壁面や鏡の装飾がよく凝られていた。

そうしているうちに、料理が運ばれてきた。スパゲティは熱々の鉄板に乗せられ、その鉄板は木の板に乗せられていたが、女給さんが机に置くとき、ずるりと鉄板が数センチほど私の方にずれた。

もし木の板から転がり落ちていたら私は大やけどだが、女給さんは「セーフセーフ」と笑っていた。大阪の方らしいチャーミングさで素敵だが、今後滑らないよう気を付けてほしい。普通に怖い。

肝心の味は、空腹というスパイスもあったろうし、場所の演出もあったろうが、とても美味しく感じられた。やはり鉄板はいい。どう味が変わるかは全く説明できないが、鉄板でしか味わえない味わいがある。

夢中で食べていたら、途中でタバスコとパルメザンチーズ(俗に言う粉チーズ)が運ばれていたことに今更気付いた。私は半分ほどになったスパゲティにパルメザンチーズをなぜか見栄を張って控えめにかけ、今少し後悔している。チーズは何にでも合う。特に粉チーズは、かける段階が既に美味しい。それは嘘だ。

そうしてすぐ食べ終えた私は、紙とペンだけ取り出し、作業に取り掛かった。作業とは、小説のプロット作りである。これには相当な集中力が必要で、誘惑の多い家や雑音の多い場所だと、どうも捗らない。しかし、遂に最終章を迎えようとする本作は、一か月も更新が滞っている。まだ大まかにしか決まっていないその最終章のプロットを、そろそろ煮詰めなければいけない。

という訳で、私は最終章の細かい流れを、執筆する時の自分に恨まれないように丁重に考え記していく。これを雑にやると、執筆時に「ここどういう流れで繋がんねん!」と過去の自分にツッコむことになるのだ。

そんな大事な作業の相棒、アイスコーヒー。彼の出番がようやく回ってきた。私はガムシロップとコーヒーフレッシュをひとつずつ入れる。一口飲む。


超苦かった。

実は私、珈琲が全く飲めない。大の甘党なのだ。しかも、珈琲を飲むと必ずお腹を壊す。

ではなぜ珈琲を頼んだのか。しかし先述した通り、他のドリンクという選択肢はなかったのだ。純喫茶に来たのだから、珈琲を飲むのは必然。しかし、私は珈琲ではなく純喫茶の空間を目的に来た。だが来たからには珈琲を飲まなければならない(そんな事もない)。

また、純喫茶の珈琲ならもしかしたら飲めるのではないかという、一縷の淡い望みを抱いていなかったといえば嘘になる。

しかし、何度飲んでも苦かった。その苦みを緩和する為だけにお腹もすいていないのにケーキを頼むのも違う。ダメ元で机に置いてあったグラニュー糖らしきものを入れてみた。それは予想通り、全く溶解せずに沈殿した。それは、ジャリという確かな感覚を主張しながら喉を通っていった。

「すみません、ガムシロップをもう一つ頂けますか」

女給さんにそんなことを聞く勇気が私にないことは、ここまで読んだ方ならもうお分かりだろう。そもそも、ガムシロップもう一つだけで緩和されるかどうかも怪しい。これを書いていて思い出したが、コメダでも同様に珈琲を頼み、シュガーを三袋くらい入れてなんとか飲んだことがあった。なぜ学習しないのか。

せめてガムシロップが机に置いてあれば、私は自分が飲みやすいように調整することもできた。しかし、そうではなかった。

時間稼ぎでもあった珈琲は、むしろ閉店までに飲み切れるか怪しいほどだった。土曜の閉店時刻は6時らしい。一口が微々たるものすぎて、全く減らないそれを見て、私は愚かすぎる不安に駆られていた。


一方、プロット作りはかなり順調だった。様々なアイデアを取捨選択しながら、書きたいシーンとその為に必要なシーンを、流れが不自然にならぬように並び替える作業はさながらパズルのようで。久しぶりに、小説と向き合っていて楽しいと思える時間だった。もちろん、プロットを作った先には執筆という苦行が待っている訳だが。

プロット作りは、小説を作る中で一番楽しい過程だ。

しかし、それは自分で自分の作品を「面白い」と思えて初めて、楽しくなるのである。最終章、つまりこの作品の結末を考えるということは、その作品を「決定づける」ということでもある。なぜなら完結した以上、作品に挽回の余地はないのだから。

私は純喫茶の中で、この物語にふさわしい「結末」を、この作品にふさわしく決定づけられた、という確信を得られた。

帰り道はスキップしそうなほどだった。いつも歩く最寄りから家までの道程が、街灯が、店の灯りが、星も見えぬ夜空が、こうも煌いて見えるとは。


「今日は良い休日だった」


私はそんなありふれた感想で、今日を綴ろうと思う。

ただ今日あった出来事をそのままに書いただけの文章だが、それでも別にいいと思える。なぜなら今日は、良い休日だからだ。

今もお腹が痛むことを除いては。











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