自己紹介。2/2
自己紹介の続き
こんにちは(こんばんは)初投稿で途中で精魂尽き果てた私の自己紹介。後半を書いてまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
前回はこのあたりまで↓
そうです。前回は勢いでミュージシャンを目指して上京するものの、色々苦労して挫折して解散してその後311の被災地支援をしてボランティア団体を立ち上げて、その理念を基に新しいバンドをスタートしたところまでお話しました。
7か月でライブハウス埋まらなかったら解散する!
新バンドの活動を始めるにあたって最初に目標を立てました。それは7か月でライブハウスいっぱいの主催イベントを成功させて黒字にならなかったら解散するという目標でした。前のバンドは戦略のなさや金欠が主たる解散理由だったので、同じ思いを新しい仲間にさせたくないと思い、最初に7か月後にライブハウスを予約して条件と期限を決めて活動をスタートしました。
今思えばこうしてアウトラインを決めて活動を始めたのが一番良いおこないだった気がします。撤退の基準が明確な努力は沼(悪循環)に陥らないため、いい努力になりやすいです。
新型ライブイベント「ノックアップストリーム!」を立ち上げて色々成功!
まったくの無名から7か月でライブハウスを満杯にして黒字にするのはなかなか無理があります。そこでWing Swingsというバンドでは様々な戦略を立てました。
●インフルエンサーにDMで被災地支援のインタビューを依頼して認知拡大したり、
●使うライブハウスを固定して最速で常連バンド認知してもらって出演費を安くしてもらったり、
●ライブ頻度は月一の土曜日とパターンを決めて出費を抑えつつお客さんにとっては通いやすくしたり、
●隔週の無料メールマガジンを発刊してファンの方への定期的なエンタメ提供とライブ告知を行ったり、
…兎にも角にも合理的な活動を心がけました。
そして、そんな合理的な活動の結晶として新型ライブイベント「ノックアップストリーム!」を立ち上げました。
新型ライブイベント「ノックアップストリーム!」の仕組み。
このイベントの新型たる主要素は3つ。
①20時半でライブを終了し、その後に会場で出演者とお客さんみんなで打ち上げをする。
②アコースティック用のサブステージを増設し、メインステージの機材転換中はサブステージでアコースティック枠のライブをする。
③出演バンドにお客さんを呼べば呼ぶほど出演費が割安になるキャッシュバック制度が設けられている。
この3つの仕組みにより、
●最後の打ち上げに参加したいお客さんが会場に残り続けてトリまで観ていってくれないかな?
●サブステージ枠があるため出演バンドが倍になるからお客さんも増えないかな?
●動員5人~のキャッシュバック制度があるからみんなお客さんとりあえず5人呼んでくれれば動員100人くらいいくな?
●トリの出演も20時~にすればお客さんも行きやすい時間帯だし客席満杯のライブにならないかな?
●打ち上げの参加費も収益化できないかな?
などなど狙って繋げて考えて実際にやってみたら・・・
ちゃんと7か月でお客さんいっぱい!イベントも黒字!になりました。
※なんでもこの仕組みは当時(10年前)このイベントでしかやってなかったのですが、その後、都内のライブイベントでは当たり前になった仕組みだそうな(?)わたし何も参考にせず考案したのでこの仕組みの発案者の可能性があります( `ー´)ノ(?)
だが2年で解散!
説明したとおり…とっても合理的なビジネスライクなバンド活動をしていたら、お金とかサービスのことばかり考えていて疲れてしまいました。人生で初めてビジネス思考をした時期でもあり、脳みそがいつも音楽以外のことでいっぱい。あれ?わたし音楽家だよな?と自問自答する日々が続きました。
最初の目標達成後は今度は毎月イベントを打って黒字化しなかったら解散!などと言ってこれも成功はしたのですが、このまま音楽を仕事にしたら辛くなると思い、仕事は仕事。音楽は趣味にしようと思い、解散を決意しました。(あのままやっていたらトムさんキャパオーバーでした…)
結婚もしていた。
バンド始動と同じタイミングで結婚もしていました。前からとても仲良かった親友に恋愛はめんどくさいからしたくないんだけど、うちら相性いいから結婚してみない?とTwitterで絡んだらOKが出て本当に結婚しました。
まぁ…仲良くやってたんですが…
バンド解散後、妻の実家の家族経営の跡取りに参入するも徐々にしっかり深刻に沼化…。
8年半頑張って、仕事のコツも掴み、ずいぶんいい結果が出るようになってきて、社員もみんなついてくる体制になって、役員になって取締役になって、さぁ跡継ぎだ!って頃にね、やっぱり家族経営を余所者が継ぐのは無理だな…と痛感する出来事が次々に降って湧いてきて、諦めました。
そして逃げました。
家族経営の承継が拗れると妻の家族とソリが合わなくなりました。そしたら妻とのソリも合わなくなって妻は子供を連れて(2人います)家出。仕事もフランチャイズ企業で私は婿の立場だから言いやすいのか?扱いやすいのか?本社の担当からずっとパワハラされていました。実家は会社も家もちゃんとやれ!の一本頼みで、せめて「子供に会わせてください」と言っても断られて子供にも会わせてもらえなくなりました。コリャ死んじまう…と思い逃げました。(でも現場は救いで癒しでした。色んな方々の成長や理解に救われました。本当にありがとうございました。)
けっきょく…長らく堪えすぎたのが良くなかったとおもっています。(このブログ冒頭で”アウトラインを決めて取り組んだことが一番良いおこないだった”と、しみじみ綴ったのはそういう意味です。撤退のラインを決めて取り組むべきでした。)
父親に救われました。
「子どもにも会わせてもらえないんだ。」・・・母親に相談の電話をしていたら、父親が出てきて「友也はもう十分がんばった。逃げてきなさい。」と言われ、その日の夜に実家に逃げました。(車で11時間ノンストップで帰省。※家出息子同然なので実家も疎遠にしていて父親との真面目な会話も生まれて初めてのことでした。)
離婚を突き付けられる。
そりゃそうだ。でも子供がいるし、私は妻のこと好きだし、離婚してももう結婚する気もないし、どの道お金は幸せになってもらいたいから家族に払い続けるし…安易に離婚はすべきじゃないよなぁ…と思う今日この頃。
よく平気で生きてる?
いや、さすがに人生初の精神科に通いました。イキナリってよりは長年かけて捻り切れたような精神状態だったので治療が必要でしたね…。でも!確かに!もう元気!なのは!病院より何より本当に・・
家族と親戚と親友が神!過ぎるお陰!!!!
実家に帰って4日後、都内の親友にこの状況を電話で相談しました…夜9時に。すると、なんと2時間後には親友は車で私の実家に駆けつけて励ましに来てくれました。
その後ドライブして「よかった。トム、眼が死んでないから大丈夫だよ」…彼はそう言って翌日も仕事の東京へ夜中に帰っていきました…(なん…の?ドラマ撮影…?かな…?)。
同じ親友から「今度仕事で大阪行くから一緒に大阪に行こうよ」と言われ、本当に大阪に同伴もさせてもらいました。職場で面倒を見てもらいながら隙間は兵庫県へ小旅行に連れて行ってもらいました。(わたしこの方の…甥っ…子?か?なにか…?だった?っけ?…あれ?※やっぱりどう考えても他人です)
大阪にいるタイミングで大阪の他の親友にも再会させていただきました。こっちはこっちで旅行に行こう!という話になり、大阪の親友とは長野県へ旅行に行きました。
実家に帰れば家族が励ましてくれて、疎遠だった弟にも励まされ(兄らしいことした記憶ないのに…)、親戚も励ましに来てくれて、挙句は散歩してたら昔お世話になったご近所さんが涙まで流しながら励ましてくれて…少し前までの世界とずいぶんちがう世界だな…その優しさが怖いくらいですが、最近では音楽仲間が東京から私の実家に泊まりに来て遊んでくれたり、そんなわけで音楽活動を再開してバンドも組んでスタジオ入って・・・
ま、いっか。
と思えるようになりました。
本当に本当に本当に本当に…こんな私に親切にしてくださる方々に本当に本当に本当に頭があがりません。そう言うと「そういうの良くないよ」と言ってくる神様みたいな友人たちなんですが、本当に感謝しています。ありがとうございますくらい、言わせてください。
本当に感謝しかありません。
金子友也はこんな感じのひと。
とりあえず私という人間の半生?って言うんですかね?自己紹介をnoteの初投稿で2回に渡って書いたワケですが、今後私の具体的なエピソードを書く予定はありません。
金子友也という人間がだいたいこんな人…というのを前提に、基本的に好きなことを好きなだけ好きにしてる人生なので、ひとつひとつ、好きなものに好きだー!と告白していくような気持ちでnoteを書いていけたらと思っています。
そんなわけでここまで読んでくれた方は神様!!よっ神!!一つでも趣味があったり、共感があったら、ぜひフォローしてくださいね〜♪
ありがとうございましたぁ~!