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ともに生きるとは、とても面倒で、かけがえのないこと


僕が住んでいる街は、所属している株式会社はぐくむが運営しているはぐくむタウンだ。

シェアハウスを3つ運営していて、
去年から駅前にはぐくむ湖畔というオーガニックフードやドリンクを提供するコミュニティレストランもオープンした。

はぐくむタウンのコンセプトは、
"ともに生きられるよろこびを感じ合える街"。


ただ同じ場所に住んでいるシェアハウスではなく、
お互いの人生で起きていることにその都度関わっていくし、
分かち合っていく。

言ってしまえば、とても面倒だ。


大人になれば、人付き合いにおいて、相手に何か思うことがあっても、
伝えることで生まれるであろう衝突や、相手からの自分の心象に支障をきたすリスクを鑑みて、伝えず、自分で折り合いをつけたりする。


その積み重ねが諦めや割り切りにつながると思うけど、そうやってうまく人と付き合っていく。


でもはぐくむタウンでは、
感じたことは対話して伝えていくことを推奨しているし、そうやって分かち合っていく中ではぐくまれていく豊かさを大切にしている。


だからシェアハウスでもドラマ(事件?)が尽きない。

きっと一般的には、スルーしたり割り切って生活しているところを、しっかり相手に思っていることを伝え、対話していく。

その過程においては、もちろんすれ違いや衝突もある。


どんなに関係性が深く、分かち合ってきたものが多くても、
仕事の環境や生活リズムが変わり、コミュニケーションが少なくなっていくと、相手のふとした行動や言動が気になってしまう。

「なんでそんなことする(言う)んだろう?」

と、最初は違和感を抱いていたものが、段々と不信感へ変わっていく。


更になかなかコミュニケーションが取れないと、
その不信感は諦めになっていく。

「あいつはそういうやつだから」

と自分の中で望んでいるものを手放すのと引き換えに、自分の状態を保っていく。


そこに自分でストップをかけて、相手と対話をしていくことは、とってもエネルギーと覚悟が必要で、とっても煩わしい。


「なんで自分が」って憤りもあるし、

「言ったところで」って不安もある。


仕事やそれ以外のことで考えなきゃいけないことや、取り組まなければいけないことがある中で、

わざわざそんなエネルギーを使って話す必要ないんじゃない?

と自問して、しない選択を取ることは何も変じゃない。


そうやって折り合いをつけて生きていくことはある種の知恵だから。


だから、そうではなく、相手への願いを手放さず、
対話をしていくことは、己の気持ちが問われるし、かつとても時間がかかる。


つい最近起きたこと


最近も以前は仲良かった2人がある一件を機にすれ違い、沈黙期間を経て対話をしていた。

その1人から少し話を聴いていたけど、彼は話すか話さないかとても葛藤してた。

話さない方が楽だし、話そうと試みようと思って行動したものの、相手から期待したものが返ってこなかったから、と。


そりゃあそうだよね、って思う。

諦めたくなることは何も悪いことじゃない。
時にそれは自分を大切にすることでもあるから。


でも彼の選択は、向き合うことだった。
思っていることをしっかり相手に伝えた。

結果、相手も真摯に返してくれ、関係性はより良くなったという。


僕が味わっている、面倒でかけがえのない毎日の物語


こんな物語がはぐくむタウンには日々起きている。

もちろん全てがハッピーエンドではないけど、それも含めて毎日ドラマが起きている。


面倒で、煩わしいけど、でもだからこその豊かさがここにはあって、
かけがえのないものをもらっていると思う。


対話をしていく中で見えてくるのは、
知らなかった相手の背景や事情。

人ってどうしても目に見えるものが全てだと捉えてしまう傾向にあるから、頭ではそうではないとわかっていても、ついつい見えているものだけで判断してしまう。


対話とは、自分の見えていた相手の姿が、あくまで一側面だけでしかなかったことに気付かせてくれる。

もちろん相手も同様に。


事情はそれぞれにあって全てはお互い様なんだけど、なかなかそれが腹落ちするのは難しい。

でも向き合ってそれが心からわかった時のよろこび、その先に訪れる相手と築かれた関係性が自分の人生に彩りを加える。


僕の生活は、そんな物語が繰り返される毎日にあって、とっても煩わしいんだけど、とってもかけがえのない豊かさだなぁと思う。


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