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民主主義は栃木県小山市で死ぬのか

政治について"あえて"語る

基本的に私と同じ30代の子育て世代は「政治についてなんてネットで公に語りたくない、リスクしかない。」と思っている"良くも悪くもネットリテラシーの高い人間"が多いのではないだろうか。

御多分にもれず、私もそんな無自覚な小市民の一人である。「政治を語る」と損をすると思っている。

基本的に私は政治家に期待しすぎている。それは青年期に麻疹にかかったかのように読み進めた政治本の影響と、先輩の国会議員の方々の存在が大きい。

国政にうってでて「ビジョン」を語る先輩の背中はとても大きく見えた。
実際、ずいぶん先だがその先輩は文部科学省大臣という要職につくことになった。

おかげで私は政治というものを日常の延長線上に捉えられていた。
それゆえに、身近な友人や知人には「政治を語る」ことを避けていたのだ。

私の政治的スタンス

政治を語るのだから、まず私の政治的スタンスを表明すべきであろう。
基本的に私は自民党を支持していると言って過言でないほど、これまで経験した選挙では9割がた自民系の候補に投票してきている。

理由としては、宮沢喜一という一人の大物政治家の影響が強いように思う。母校の大先輩であったこともあり、高校生の多感な時期に「保守本流」なんて古臭く妙に魅力的な言葉をインプットしてしまったせいかもしれない。

同時に、学内で"特別授業"と銘打って行われていた「法と人権」という、何故か物理の先生が伊藤真『憲法入門』をテキストに基本的人権や国家権力に対する憲法の要請について熱く語っていた講義に薫陶を受けたせいもある。

宮沢喜一は総理大臣としての最後は政治不信から自民党政権の下野を招いたが、戦後日本をシステマティックに組み立てた確かな実績と、その割に傍流と異なり「憲法9条は変えなくて良い」と晩年まで言い続けたリベラル的な立場は、まだ選挙権も持たないのに民主主義だとか三権分立による権力の抑制という思想にかぶれていた十代の僕の心にすっと入ってきたのだ。

かくして僕は、保守という概念を学び、法と人権のバランスの重要性を語り、大江健三郎を熟読しながら自民党に投票するという、よく分からない政治スタンスを確立した。

そして誰に語るでもなく、ただばくぜんと違和感を感じながら、選びきれない候補に一票を投じる以外は「沈黙」を続けていた。

それでも"あえて"語りたい衝動

それでもここで政治について"あえて"語りたくなってしまう自分がいる。
理由はシンプルに「危機感」「違和感」「不快感」でしかない。

民主主義が終わるとすれば、どこから死んでゆくのか。
きっと国という大樹の枝葉の部分、地方自治体からであろう。

栃木県小山市では、現在まさに現職と新人の一騎打ちの形で首長選挙が行われている。連日報道される地方版のニュース、JC主催の公開討論会、それぞれの陣営による発信、ネットに投稿される匿名の怪文書、追っているだけでとんでもなく絶望的な気分になる。

それは何故なのだろうかと考えると、自民系の立候補者の発言を拾ううちに、自分が政治に「失望」していることに気付いてしまった。

私には2人の子供がいる。
だから今も未来も大切だし、どちらも捨てたくない。

それなのに、駅前ロータリーで行われていた自民系の市長候補の応援演説では「今か未来かどちらか選べ」「発展か停滞かどちらか選べ」と叫ばれていた。

そして、その街宣車の前には議会の過半数をこえた自民系の市議がずらりと並び手をふったり拍手して、最後に片手を天につきあげる。

ある意味でこれは歴史的な瞬間なのかもしれない。
憲法の要請である二元代表制を無視しつつ、民衆には二元論の選択を迫る。
そんな吐き気を催す邪悪が、民主主義を標榜する我が国で行われている。

「発展か停滞か」と問われれば私でも発展を選ぶ。しかしその判断において、必要不可欠な情報が与えられないというのは狂っている。

「小山市を中核都市に」
「小山駅前にコンベンションセンターを作る」
「企業を誘致して人口を増やす」

候補者の政策には、昭和の大物政治家かのような大言壮語が並ぶ。
しかしどんなに検索しても、その具体的な詳細について、政策ビラ以上のものは語られていない。

発信される動画も内容の希薄な人柄を伝えるショート動画ばかりだ。
Xでは「今日も走り続けます!」と本当に走っている動画が投稿される。
走る前に座って具体的な政策について発信して欲しい。

選挙結果はわからない

しかし腐っても自民党、こんな候補でもかなり得票するのだろう。
歯止めが利かない権力が多数派の支持を受けた先に未来はない。
特にそれが地方自治体においてならことさらだ。

選挙結果はわからない。
ただ僕はこれ以上政治に失望したくない。
そのために"あえて"ここで政治について語った。


追記すると

上の記事を見た時の「違和感」について、ズラリと市議が並んで行われた候補者の記者会見、そしてその後の街中に張り出された二連ポスターの異様さは現職がしっかりとYouTubeで批判してくれていたので溜飲が下がる思いであった。


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