Yuzan

江古田の男臭い愛すべき中高一貫校から飯田橋のバタ臭い愛すべき大学を卒業。 世界一可愛い…

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江古田の男臭い愛すべき中高一貫校から飯田橋のバタ臭い愛すべき大学を卒業。 世界一可愛い娘と世界一可愛い息子が同時にこの世に存在する矛盾に悩みがち。 中野と虎ノ門と小山を移動してぐるぐるまわる子育て繁忙期の会社員尺八奏者。

最近の記事

民主主義は栃木県小山市で死ぬのか

政治について"あえて"語る 基本的に私と同じ30代の子育て世代は「政治についてなんてネットで公に語りたくない、リスクしかない。」と思っている"良くも悪くもネットリテラシーの高い人間"が多いのではないだろうか。 御多分にもれず、私もそんな無自覚な小市民の一人である。「政治を語る」と損をすると思っている。 基本的に私は政治家に期待しすぎている。それは青年期に麻疹にかかったかのように読み進めた政治本の影響と、先輩の国会議員の方々の存在が大きい。 国政にうってでて「ビジョン」

    • 「希望を持つ」という贅沢

      希望とは何か? きっと誰しも「希望を持ちたい」と思っている。 そう小さく祈りながら、日々の生活をこなしている。 ではその「希望を持つ」とは何か? 現代においてそれは「失望しないこと」ではないだろうか。 "明るい未来に向かっていざゆかん"的なイデオロギーの時代はとうに終わり我々はゆるやかな諦観と、けだるい厭世観の中で日常にしがみついている。 僕はうっかりすると、そんな毎日の小さな地獄に「失望」してしまう。 そしてそんな「失望」は、水底に沈む落ち葉のようにじわじわと心の奥

      • 命を「運ぶ」ということ

        「運命」という言葉がある。 命を運ぶんだからそりゃ大切に違いない。 どこからどこへ運ぶのか 自分のちっぽけな人生を思い返してみると 「あまり命を運んではいなかったな?」 そう思わざるを得ない。 そもそも、命はどこからきてどこへゆくのか? (そんな形而上や精神世界のキナ臭い話ではないので引かないで欲しい) はるか太古から先祖から引き継ぎ、父母に生を受けた命。 そう考えると割とスタート時点で重荷の命を、どこへ運ぶべきなのか? そう考え始めたのは、3年前に第一子である娘が生

        • 心に移りゆくよしなし事が瞬間風速8mで通り抜ける

          「日々の生活」という呪縛が快感に 気付けば自分も30代の中盤に差し掛かってしまった。 先日、つい昨日のことのように語らった思い出話が「10年前」の出来事であることに衝撃を受けた。それどころか、気付けばノストラダムスの大予言を面白がって(ついでにちょっと不安になってみたりもした)可愛い小学生の頃から四半世紀が過ぎている。 僕は平成元年生まれ、どのコミュニティに新参者として足を踏み入れても 「うそ、平成うまれなの!」 「すごい若いね~新世代だ!」 などとちやほやされがち

        民主主義は栃木県小山市で死ぬのか