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命を「運ぶ」ということ

「運命」という言葉がある。
命を運ぶんだからそりゃ大切に違いない。

どこからどこへ運ぶのか

自分のちっぽけな人生を思い返してみると
「あまり命を運んではいなかったな?」
そう思わざるを得ない。

そもそも、命はどこからきてどこへゆくのか?
(そんな形而上や精神世界のキナ臭い話ではないので引かないで欲しい)

はるか太古から先祖から引き継ぎ、父母に生を受けた命。
そう考えると割とスタート時点で重荷の命を、どこへ運ぶべきなのか?
そう考え始めたのは、3年前に第一子である娘が生まれた時だ。

運ぶというより転がった

それまでの30年程の人生は、いい感じに「転がった」結果でしかない。

子供の頃は水泳を習わせてもらったり、やたら仏像を見る旅行に連れて行ってもらったり、何不自由なく健康で文化的な最高の生活を送らせて貰った。

中高は変人奇人の梁山泊のような男子校に通い、気心知れたる趣味人の心強さと、アジール(聖域)を一歩出た瞬間の文化的乖離の楽しみを知った。

ぽんと受かって入った大学では、今も大切な自分の一部になっている和楽器と出会うついでに、ちゃっかり今の嫁さんとも出会い人生の基礎を得た。

就職せずにふらふらしていたら今の会社に拾ってもらい、修行という名目で社会の厳しさに程よく揉んで頂き、人の為に行う仕事の尊さを知った。

こんな感じで、完全に「転がった」だけで「運んで」はいない。

その後も順調に転がってゆく

大学で同じサークルに居た女の子とはもうずいぶんと長くなっていた。

それも転がるように、ただ「毎日一緒に居て楽しいから」居るだけ、という状態……かと思いきや、気付けばその関係性は「楽しく生きる為には毎日一緒に居なければいけない」に変化していた。

そして結婚する為に自分で運命を…!

と、思いきやそんなことはなかった。「付き合いも長いから実家に挨拶に」の話から、とんとん拍子に「それなら入籍しては?」「入籍するなら結婚式をしては?」と、またもや人生は転がってしまったのだ。

その後も転がるように住まいも動かし、必要に迫られてではあったものの、特に流れに抗うでもなく、忙しくも穏やかで(ちょっとだけ焦燥感のある)時間が転がり続けていた。

そして気付く瞬間が来る

そうして僕らは、ありがたくも子宝に恵まれることになる。
わけのわからないふにゃふにゃの生物を、毎日おっかなびっくり世話する。

まず、母乳の出ない自分が対して役に立たない
「あやす・だく・おむつをかえる・めでる」
だけの機能しかない育児用ポンコツロボットでしかないことに気付く。

そうやって泣く子をおろおろと抱いて、嫁さんの実家の廊下を動物園の白熊のようにうろうろしている時分であった。

天啓を受けたかのように、脳内に衝撃が走った。

僕は今、「命を運んで」いる!!

気付きの瞬間というものはいつも突然だ。
ここまで読んだ時間返せと言われそうな程、私は物理的に命を運んでいた

不思議と人間は、ある一つの視点を手に入れると、その経験を援用して過去の事象についても理解を深めることができるようになる。

私はもうずっと「運び続けていた」らしい

自分では「転がってきた」と思っていたこの人生であるが、
思えば無意識なりとも大なり小なり毎日が選択の連続であった。

私が子供の命を抱いてうろうろしたように、
きっと父も私を抱いてうろうろしたのであろう。

父は私が二十歳の時に夭逝したため、近ごろは思い出すことも無かったが、きっとあのちょっと猫背がちな姿勢で私の命を抱いて運んでくれたのだろうと、不思議とまぶたの奥に光景が浮かぶような気がした。

そうやって運ばれ始めた命は、何となく転がってきたかのように今に繋がっている。

3歳までは何もかもがよく分からずその記憶がほとんど残らない。
だから、30歳まで人としてよく分からないことが有っても仕方がない。

これからも運んでゆくし運ばれてゆく

思ったよりシンプルなことだったのだ。

はじめ誰かの手で運ばれた命は、勢いを付けて転がりはじめる。
そしていつしか、別の命を運び始めるようになる。

もちろん、必ずしも僕のように物理的に命を運ぶ人だけではない、その生き様によって別の命を勢いよく運ぶ(動かす)人もいる。これはたまたま僕にとっての小さな運命がこうであったという物語だ。

こんな単純なことに30歳まで気付かなかったのだから、60歳まで気付かないこともあるだろう。90歳まで分からないこともあるかもしれないし、無いかもしれない。

わからないということは怖い。だからせめて後悔のないようにしよう。

なんて、朝5時半の宇都宮線でしたためた下書きの最後をまとめられなかった僕は、こうやって虎ノ門のオフィスから吐き出すように投稿する。

早く家に帰れるように、今日も仕事を頑張ろう。
早く3歳と1歳の小さな「運命」と向き合わなければならない。


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