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もみあげ=存在証明 24/04/09

・「おっさん」と言う言葉、おじさんを指す言葉だとは思うが、おばさんも「おっさん」に含んで欲しいと思う。お“じ”さんの“じ”を“っ”に変えるだけなのだから、おばさんの“ば”を変えたって同じだろ。だから「おっさん」は全ての中年を指す言葉であるべき。

・記憶を保った状態で好きな地点まで過去に遡って、そこから人生をリスタートしたら、完璧な人生が送れるのだろうか。いや送れないだろう。辛かったことや最悪なことが今から起こると考えながら生きるのは、針山を登る列で待っているのと同じだ。

・女性の耳に髪をかける動作、がキュンとくる動作として有名だがそんなことあるだろうか。僕は生え際とか毛穴とかみるのが少し苦手なので、耳にかける動作はキュンとはこない。なぜキュンとする行動として「耳に髪をかける」は挙げられるのだろうか。ここで“〇〇効果が作用しておりー”とか言えたら凄いかっこいいし、博学だなぁと思われるんだろうけど、知識が僕にはない。何なら知らないことばかり、この世は。だから何となくで僕なりに予想する。先ほども言ったが、毛とか毛穴が苦手だ。人間味がありすぎてあまり見たくない。それに際して、もみあげなんかもできれば視界に入れたくない。だが、もし髪を耳にかけた時、いつも隠されていた“もみあげ”が露呈されたら…。そりゃ見ちゃうわな。どんなに美人な人でも、もみあげはジョルジョルッてなっているものなので見ちゃう。いやこれいいのかもな、人間味というか、その人の存在に現実味が出る。いな。もみあげ=その人が存在していると言う事実、なのかもしれない。こうなってくると話は別だな。ならば「耳に髪をかける」と言う行為をする人は、“もみあげを見せることで、自分の今世における存在証明ができる”と言うことを理解しているのか。すげー。今度から髪を耳にかけている人を見つけたら「あ、存在証明」と思おう。

・髪を切った。ビヨビヨに伸ばしていたのでざっくり切ってもらった。写真にゃ載せないが、髪を切ったと言うことを念頭に置いて、これからの日記を読んで欲しい。そして半年後くらいの日記で「髪を切った」とまた言うと思うから、「あー、伸びたんだねぇ」と読解して欲しい。読解?この場合、読解というのだろうか?文章に込められた思惑やら作為は一つもないし、何なら思ったことは全て文章にするのだから。あー。きめー。意味わかんねー。国語をちゃんと勉強していればとかそういう問題じゃなくて、地頭が欲しい。うむむ。まあこの日記は、深い文章ではないし、ライブ感あふれる駄文なので軽〜く読んでね。

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