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親からの「負の遺産」を継承しきらないで手放したい

「いい加減、自分が主役の人生を生きよう」

本気でそう思ったのは80歳になる父が、私の母である妻の法事に出すお膳の値段に見栄を張っているのを知ったからだ。
なんでも自分の親の法事で、親類の一人から「何も食べるものがない」と告げられたことがショックでトラウマになっているという。
で、今回もお膳に文句を言われるのが怖いから通常より高いものを用意したと。

私からしてみたら、田舎の悪習にまみれた人たちに怯えてどうすんのよという気持ちだ。きつい言い方かもしれないけれど、その悪習によって私も大きなトラウマを抱えてしまったし、生きづらさの原因は「他人に迷惑をかけないで生きなさい」という自分軸を捨てさせる教えだったように思う。

私「法事ってお母さんと残された家族の悔やみを癒すためにやるんでしょ」
父「(薄く笑って)表向きはそうかもしれんが、現実はそういうこと(他人の粗探し)だ」

と。なんと3次元的な、なんと、土の時代的な考え方なのか?
神聖な魂の儀式が形骸化して、皆が嫌味を吐き散らし、見栄を張ってマウントを取り合う場になってるなんて……故人を偲んでいる人はいるのか?

(なるほど、このように親戚に最大限に気を遣って、親戚に文句を言われるのを何より恐れていた人に私は育てられたんだな)

(だから私は未だに親戚とどう付き合えばいいかわからないのか。謎の嫌味を言われるから、会うのを想像しただけで具合が悪くなるし)

納得した。
アダルトチルドレンで愛着障害で発達障害を抱えていたらしい両親が、私と弟を育てた。常識という檻の中で。
私も当然、現在アダルトチルドレンで、愛着障害で、発達障害を抱えている。
たくさんの情報がある時代に生きられているおかげで、客観的に自分を判断することは可能だった。その部分は実の親よりは恵まれているのかもしれない。

一人息子にこのやばい毒親成分を継承したくなく、彼が幼少の頃か一人で子育てをすることをやめ、多数の他人の手を借りた。
市役所の子育て支援課の方々にたくさん相談に乗ってもらった。
保育園の一時保育を利用させてもらった。
市役所には精神面が弱いことも伝えて小学校に入るまでを色々手伝ってもらった。(自分がどうみられるか、どう思われるかは二の次だった)
小学校に入ってからは、PTAという恐ろしさしかない世界に夫を引きずり込んで二人でいろんな役職を乗り切った。
さらに最近の数年では、あの手この手で自分のインナーチャイルドをヒーリングし、自分の内側を癒すことで本来可能であったはずの「安心で安全な世界」を感じようと取り組んでいる最中だ。

この取り組みの経験値が溜まっていて、どう表現していこうかと迷っている間に時間だけが経ってしまった。

まだ現実は思うようにいってないけれど、少なくとも来年くらいには望む未来にしっかりシフトしていようと決意している。

願うのは「心身の健康」「負の遺産の完全なる手放し」「深い呼吸の中、幸せを感じる日常を送る」「頑張っても辛くない適職についている」である。

とりあえずとっかかりの一つを、こうして文章にできたからよかった。
思った通りに文章を書けたのはいつぶりだろう。
誰かに見られることを意識しすぎず、自分が心の底から書きたいと思ったことをこれからアウトプットしていきたい。

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