見出し画像

正解の無い路。

(初心に戻るため)昔の日記を転載しています📔

2009年04月06日10:27


ご無沙汰です。

現在就職活動真っ最中。
ほぼ毎日東京行きです。

とある駅で、ななななななななんと愛しの田中圭に会いました。
もうどうしてよいかわからないまま話しかけ(!)、
「ずっと前から好きでした。
ずっと応援してるので頑張ってください目がハート」
と想いを伝えてきました。

今考えたら告白している。。。。爆
超好青年でした(何様ー)
いいこともあるもんです。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

就職活動をしていると、
よく自分自身に問いかけをする機会が増えます。


この前NHKのロシア特集で、
ロシアとグルジアの紛争で、
国境閉鎖のために引き離された家族のドキュメンタリーを見ました。
正直、あたし何やってんだろ、って悲しくなりました。

今の大学に入ったのは、途上国の貧困を、教育開発で何とかしたい、
っていう思いでした。
9.11とイラク戦争が、当時高校生の頃の私には衝撃で。
「戦争って、歴史の教科書の中で終わったものじゃなかったんだ」って気づかせてくれました。

その後に行った中国で、
字を読めず書けずのおじいちゃんが、私たちを薄汚い家に招待してくれて、
家族を紹介してくれました。
そのときの満面の笑顔に心を打たれ、
「教育だけが全てじゃないのかも」
「幸せって、一体何なんだろう」
ってぐるぐるぐるぐる、になりました。

座学だけじゃなくて、現場も見ないと、と思ってフィリピンに行きました。
スモーキーマウンテンに行って、
社会のシステムそのものが周辺者(いわゆる貧困者)を生み出している、
と関根先生がおっしゃっていましたが、(そうだったよね!?)
まさにその「現実」を見て、夢から覚めました。

いったい、今のあたしに何ができるんだ、って。
ごみ山で暮らしている子供たちは、あたしに笑顔で話しかけてきてくれました。
「何でこんな環境で暮らしていて笑顔でいられるんだろう」って、
また頭がぐるぐるぐるになりました。

明日を生きるために暮らしている子供たち。
未来をどう生きるか考えにやってきた自分。

この大きなギャップを体感しました。

あたしはもう何がなんだかわからなくなって、
自分はスモーキーマウンテンの写真に貼り付けられた合成部分になっている気分でした。
涙が止まらなくなって、自分の非力さ・世界の大きさにも気づいてしまって、
価値観が瓦解しました。存在意義とかも考えました。


その後に友達といった広島旅行。
博物館の中で、外国人に原爆の様子を英語で伝えるおじいさんを見て、
自分が、日本人として生まれてきた意義を考えるようになりました。
何か、「日本人としてできることがあるんじゃないか」

じゃあまず日本を知らないと、と思って、
自分なりに調べて、やっぱり国の根幹は「教育」だな、と思って、
日本の教育にかかわろうと思いました。
学校の中の教育には限界を感じていたので、
「地域の教育力」っていうのに興味を持ちました。


だけれども皆も留学しちゃうし、それならあたしも!と思って(笑)休学し、
もう一度フィリピンに向かいました。
大学の日本語講座でアシスタントをやらせてもらい、
日本で働きたい、というフィリピン人にたくさん会いました。
そうか、これから日本は移民がどんどん増えてくるのかもしれない、
という気持ちが次第に強まりました。

皆、アニメが大好きで、私より詳しかった。
日本食料理屋さんもたくさんあったし、
もちろん日本車はそこらじゅうを走っていました。
イロイロの空港も、マニラを走っている電車も、日本のODAが入っていました。

それなら日本が元気になれば、波及的にフィリピンにも良い影響が出るかもしれない。
そんな稚拙な考えを得て、さらに「移民社会」というキーワードも得たので、
移民社会といえば、ロンドン、ドイツもついでに行ける!
ということでイギリスに向かいました。

イギリスの移民社会の中で、本当にいろいろな経験をしました。
デイケアセンターでおじいちゃんおばあちゃんと昔の民謡を歌ったり、ガーデニングをしたり、
子供たちと映画を作ったり、日本文化を教えるボランティアもしました。
シティーど真ん中にある、環境教育をしている農場で働いたり
若者向けウェブサイトを作っているNPOでも働かせてもらいました。
勉強会やらセミナーにも参加して、
ロンドンで活躍する日本人の方にもお会いする機会に恵まれていました。
チャンスはごろごろ転がっていて、
やる気さえあれば受け入れてくれるロンドン生活は、本当に充実していました。
毎日の生活を自分で作っていく感覚がやみつきになりました。
(資金はほぼ親の援助ですが・泣)

画像1

※子どもたちと映画をつくるプロジェクト@ロンドン(写真掲載許諾済)


そんな中で、いかに移民がボランティアセクターに助けられているのかがわかりました。
またある種の階層社会も、いいのか悪いのかわかりませんが、
上手く作動していることも理解できました。
何より衝撃だったのは、
小学校に日本文化を教えに行ったとき。
実にさまざまなバックグラウンドを持った子供たちが、
ひとつの教室の中で一緒に学んでいました。
毎月国を決めて、その国について学んでいる学校も多いらしい。
その月はちょうど日本の月で、
皆が「こんにちは」と挨拶してくれました。

そのとき、G4sで授業をしに行ったときに起きたできごとが思い浮かびました。
私が担当した班に、ポルトガル語しか話せない女の子がいたこと。
困って教師に相談したら「あの子はゲストだからほうっておけばよい」って言われ
私も言葉を失いました。
そして下を向き続けた女の子は数分後、
どこかへ消えてしまいました。
あのとき何もできなかた自分がとても恥ずかしいです。

ただ、今後日本がどのような体制で移民を受け入れていくのか、
すごく不安になった瞬間でした。


それと同時に、イギリスでの、日本の技術力や、日本文化の人気ぶり、
日本人の思いやりだったりを、すごく誇りに思う瞬間が何度もありました。
おばあちゃんに「日本人は皆親切なのね」って言ってもらえたとき、
今までロンドンで生活してきた先輩方に感謝の気持ちと、
日本人を代表して来ているんだ、という(勝手な)使命感と、
日本人としての誇りを感じました。

日本を元気にしたい、
ってフィリピンに行った頃から感じていた思いが日に日に強くなっていきました。

その後に行った、ドイツのワークキャンプでも、
結構バラバラだったキャンパーの潤滑油的な存在になったりして、
何か、こういう日本人の和の力って何かに生かせないのかな、って思うときがありました。

そんな思いをめぐらしながら、それなら自分は何がしたいのだろう、
とずっと考えていたけれど、どうしても頭からはなれないのは「教育」

それと、日本に住んでいる外国人の子供たちの問題も興味が出てきたから、
カテゴライズするなら「多文化共生教育」


でも、教育関係でずっと仕事を考えてきましたが、
教育に携わるには、自分はまだ何も語れないな、とも思いました。
しかも、「多文化」とか言うなら、もっといろいろな国のことを知らなくちゃ。

沢山ボランティアを経験して、そのセクターの限界を感じたり、
社会起業家とかソーシャルベンチャーとかCSRとかいろいろ勉強したけれど、
やっぱり何でもお金にぶちあたる。
それなら一度はビジネスに触れておきたい。

そう思って、まず就職しよう、という気持ちになっています。

だったら、私が感じた日本の技術や文化を世界に広げていく仕事がいいんじゃないだろうか。

特に、ドイツの子供たちと、まったく言語を使わずに思いっきり遊んだ経験が大きい。
何せ、ゆうぎおうやらポケモンやらワンピースが共通言語だったから。
そうしてやっと、
もっとこの子達のことを知りたい、ドイツ語勉強したい、っていう気持ちになりました。
文化から交流が進んだら、話したいことやら、話したい相手があって、
言語の勉強が自然としたくなるんじゃないのかなーと思ってるんです。
特に文化を広める仕事ができたら、
私が経験したような、
異文化理解の場が世界中に生まれるんじゃないのかなあーと淡い希望を持ちながら。

ただ・・・
今ESを見てみても、しっくり来ない。


ほんとにほんとにほんとにやりたいことは何だろか。
最初に持った夢は、途上国の教育開発。
今の自分は、企業に合わせて夢を語り始めていないだろうか。


そんな最中に見た、家族と引き離されながらも生きるグルジア人。

ちっぽけな自分。
甘っちょろい自分。

入学時から比べて世界は少しでもよい方向に向かっているのだろうか。


世界平和を語る前に、自分の周りを幸せにしなさい。


おっさるとおりです。。。。
ただ、そんな状況で生きている人間を前に、
ESを書いている自分が情けなくなったんです。

単なる逃げなのかな。

人生に正解なんて無いし、
どこに就職しても、120%頑張って自分なりの「個別解」を追究するのみ。

うーん、生きるって奥深い。


超長文な独り言、失礼しました。。。
自分の考えを整理するために書いてみました笑


写真は留学時代(ソーシャルワーカー留学と言われた笑)のものです♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?