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住みやすい「自分らしくいられる街」に出会うまでの経緯

自分が住みやすい街に住んでいますか?自分が住みやすい街ってなんだろう、一年間、アドレスホッパーとして移動を続け、定住先を決めた私は考えてみました。

私は埼玉県生まれ。悲しいかな、故郷愛がまるで無く、故郷から離れることに躊躇せず、今まで色々な街に住んでいきました。

帰りたい故郷がある人のことを、学生時代から羨ましがってきました(『翔んで埼玉』のおかげでプライドは少し回復しましたw)

埼玉県、茨城県、イロイロ(フィリピン)、ロンドン、ドイツ、鳥取県、高知県、京都府、セブ、マニラ、東京、大阪…

その過程で、住みやすい街とは「自分らしくいられる街である」という結論にたどり着きました。その過程をお話したいと思います。

自分らしさとは何か ーカルチャーショックが大きいほど、自己理解が進む

自分らしさを知るには、自分とは違うカルチャーに触れることが有効でした。

初めて長期で異国暮らしをしたのは、2007年のロンドン。あまりの価値観の違いに愕然としました。そして、カルチャーショックの衝撃が大きければ大きいほど、自分が日本人であることを強く意識することをきっかけに、自己を振り返る機会が増えました。自分はどうしてこんなことにイライラを感じるのか、またはワクワクを感じるのか…問いかければ問いかけるほど、自分というものが、形作られていく経験をしました。

海外の友人と出かけるために、あなたはどう思うの?日本ではどうなの?と聞かれる辛さ…自分の主張をするという経験を多くしました。

自分らしくいることへの許し ーそれでも地球は回り続ける

と同時に、自己主張が激しく、人々が好きなように暮らすロンドンで、こんなにも違う考え方があるのか、こんなにも違う暮らし方があるのか…「それでも地球は回り続けているのか…!!!」と愕然とすることもありました。

異邦人である、という感覚の心地よさに気づく

そんな中で、私に芽生えてきた、私は外国人、「異邦人」であるという感覚。自分はこの文化は受け入れられるけど、ここは難しい。そう取捨選択していく過程が、「自分自身」を形作っていっている感覚を持ちました。

異邦人ではいられない関東。だって私は関東人なのだから

その恩恵を十分に浴びて帰ってきて、関東で暮らしてみると、今まで閉じていた「自分」というものを発信する際、それを抑え込むような「同調圧力」を「勝手に」感じる自分がいました。

私は幼稚園に通い始めたとき、母親に「なんで皆と同じことをしないといけないのか」そう文句を言っていたそうです。

もちろん、同調圧力、ポジティブに言えば(ものごとは二面性があるもの)皆がルールを守るからこそ、日本は素晴らしい秩序が保たれていることも事実です。これは心底、凄いことだと思います。

関東人ならば、関西に住まおう

そこでやってきたは関西。

私は、元々、人とのコミュニケーションが好きで、歩いている人にも声をかけたくなるタイプ(迷惑)。そこで言うと、関西圏のコミュニケーションの距離の近さは心地よく、空の広さや、歩く度に歴史的建造物に出会える奥深さ、そして関東人である、ことを言い訳に、自分を保てる感覚。

自分らしくいられる要素が揃っているから、住みやすいんだろうなぁと感じます。

自分らしさを追究するための、次のステップ ールーツを知る

自分を知るには、大きな違いに触れる経験を多くすること。そこから自我をつくっていくこと。そしてそれを選択できるよう、自分を前進させていきたい。

さらに、自分らしさを発見するために、自分のルーツを探る、ということをしていますが、曽祖父と縁があったは神戸。ここに来るたびに、物凄く心地よいvibesを感じてしまうのです。そして、神戸に惹かれる日々が始まり、移住してしまったのでした。自分のルーツと地域については、また書いていこうと思います。

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