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【掌編】忘れられない手紙

忘れられない手紙がある。

細かい内容は流石に覚えてはいないのだが。
ただそういう手紙をもらったことがあるという事実は、ゆうに20年以上経った今でも忘れられない。

確か緑色のペンで、ノートの切れ端のような紙にしたためられたもので、今だったら思わす目を細めてしまうほどの、小さな可愛らしい字でぎっしり埋められていた。

宛名は「○○さんのお友達さん」といった、いたく他人行儀なものだったようにおもう。

簡単な挨拶の後、おもむろにこうあった。

“私の嫌いなものを書きます“


まだLINE交換なんていう便利なものが存在しなかった時代(そんな時代がほんの20年ちょっと前にはあったんですよ)、高校生同士のコミュニケーション方法は、授業中、ノートの片隅やその下に置いた紙にコソコソと書く手紙だった。
休み時間にそれを渡して、次の授業の間に返事を書く。
友達の友達として知り合っても、まずはそうやってやり取りをして、それから実際に遊びにいくことが多かった。
そして最初にやりとりする内容は、たいてい自分の好きなものや趣味など、いわゆる自己紹介的な内容。
場合によっては、その手紙に質問紙のように空欄を設けた紙をつけ、それに返事を書いてもらうようなこともしていたと思う。

その忘れられない手紙が、私が出した手紙への返信だったのか、それとも往信だったのかは思い出せない。
その手紙に対して、自分がどのように返事を出したのかも覚えてはいない。

ただ「嫌いなもの」ばかりを羅列したというその手紙を開いた時の驚きは今でも感覚として忘れられない。
当時、その意図が読み取れず、「私のことが嫌いということか?」と勘繰りさえした。

でも、どうやら、そうではなかったらしい。
いや、確かに「嫌い」なわけではなかった。

そう確信を持っていえる。
それは、その手紙を書いた張本人が、今、私のそばでピアノを奏でているから。
少し唇を尖らせ、首を軽く振り、時折つまづく愛らしい音色。

あの時もらった手紙の中には、嫌いな音楽なんかも書いてあっただろうか。

もう君の嫌いなものは、多分ほとんど知っている。
あの頃嫌いだったけれど、今ではもう平気になったものも多いはず(野菜とかね)。

その手紙の話をすると、君は「そうだったけ?」と笑う。
どうしてそんなふうに書いたのかもわからないとも言う。

あの手紙は、君が嫌いなもの全てから、君を守る存在として私を任命するために、何かが遣わした文だったのかもしれない。

あの時、確かに受け取った。
そして今でも、心の奥底の文箱に大切に大切にしまっている。


ーーーーー了

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