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母を毒親と呼びたくない


親子の仲がいい人がうらやましい。
親と仲良くしたいけど、すぐにケンカになってしまう。
親と性格が合わない。

みなさんは、こういう経験はないですか。

この1ヶ月、コロナによるあれこれで実家で親と生活して、親(特に私の場合は母親)の発言や思考に辟易していた中学、高校生の頃を思い出した。

母は神経質なタイプで、家事が自分の思い通りにいかなかったら拗ねるとか、共感してくれなかったら癇癪を起こすとか日常茶飯事だった。とにかく、意見の押しつけ、大げさ・ヒステリックな態度、極端な言動の多いのだ。だから、親子でちゃんとした会話ができて、一緒に楽しく旅行に行けて、話すたびに喧嘩をしない親子に対してあこがれを抱いてきた。

また、芸能人やスポーツ選手たちはみな、親から教わった「素敵な価値観」や「正常なもののとらえ方や考え方」「コミュニケーション能力」をテレビで語っている。

そして、自分にはそれらがないのだと劣等感を感じてきた。

意見の押しつけ、大げさ・ヒステリックな態度、極端な言動などは、毒親に特徴的な言動らしい、と知ったのは最近のことだ。また、毒親に育てられてその後遺症を抱えて生きづらい人のことをアダルトチルドレンと言うらしい。お母さんは毒親で私はアダルトチルドレンと言われるのか。お母さんは加害者で、私は被害者なのか。

毒親と呼びたくない

とは言っても、私は親を批判したいのではない。むしろ逆で、親が毒親的言動をしていたとしても、自分を育ててくれた恩は返さなければならないと思っていた。そんな感謝すべき親に対して自分に対して危害を加えるという意味で「毒」なんて表現はふさわしくない。そう思ってしまう。
いじめにおいて「くさい」「汚い」などと言われていた人が本当に自分が不潔で周囲の人に迷惑をかけているのではないかと心配してしまうのと同じだ。実際は違ったとしてもそ言われ続けることで認知がゆがんでしまうのだ。

呼べない理由1

毒親に育てられた人は「お人好し」になるという。お母さんの顔色をうかがって、褒めて、機嫌を取る。そうしないと庇護を受け取れなくなり死んでしまうからだ。自分の本心を隠していい子を演じることで親からの愛情をもらおうという、子どもなりの生存戦略だ。だから、そもそも他人に対して「毒」という呼び名をつけることに抵抗がある。人の悪口を言うのも苦手な人が多いのではないか。しかし、自分に悪影響を与えてくる人にすがってしか生きていけない状況でなくなっても尚、生き方を変えるのは難しい。母親以外の人にもこの人のご機嫌をとらなければ、と脊髄反射的に行動してしまうことが未だにある。

呼べない理由2

また、自尊心が低くなるような環境で育てられることも、自分自身なんかの不幸レベルで毒親に育てられましたと名乗ることに抵抗がある要因になっている。
親に何か言うと「私の方が苦しかった」「私の時代はそんな甘えたこと言ってたら死んでたよ」と返答されてるような幼少期を過ごしてきたら、「世の中には親から殴られ、食事もろくに与えられず、亡くなる子どももいる。それに比べれば自分なんて、大したことない。その子どもたちよりも恵まれた環境にいるのだから、努力できない自分が悪い。」という考えに陥るのだ。

呼べない理由3

「毒親」と言われる人の行動は、自尊心の無さ、コミュニケーション能力の低さ、ストレス耐性の低さなどに起因するものが多い。また、残念なことにこれらの特性は遺伝する。
21歳になった今でも、親との遺伝的な類似点や、子どものころからの植え付けられた価値観を完全に断ち切るのは難しく、たとえ「いい人になりたい」と努力したとしても、無意識の部分を変えることは困難だし、私自身も、気づいたら嫌みっぽい表現をしてしまうことがあって、端々に出てくる親の「毒」要素を自分も引き継いでいるなと自覚して自分が嫌になってしまう。
毒親的行動をしてしまう特性を自分自身も持っていることから、母を否定することは。まるで自分を否定することの様につらいのだ。

みらいへ

ここまで、親を毒親だと呼びたくない理由をつらつらと書いてきたが、結局、親の特性と自身の受けてきた言動を素直に受け入れなければ、今の生きづらさを解決することができない。

やはり、子どもが毒親から逃れて生きていくには距離を置くしかない。それは他の毒親というワードの含まれている記事や書籍には関係性を改善する方法として「親との距離を置け」と書かれていることからも分かる。

自分によくしてくれていたという事実があったとしても「あくまでも他人である」と強い気持ちを持たなければ、一生親の顔色をうかがって生きていくことになってしまう。

一方で、親の特性を引き継いだ自分自身から距離をとって逃れることはできない。自分自身の特性を受け入れるためにも、まずは客観的に親と自分の現状を認知することで、自分の努力でどうにもならない特性をも受け入れる必要がある。陳腐な一般論だが、自分の特性をまず認めることからしか、正しいアプローチでの改善は見込めないものである。

難しいことかもしれないが、親はあくまでも他人であると認識しなければならない。それが親を「毒親だ」と呼ぶことにあたるのかもしれない。
同じような境遇の人たちには自分のために生きてほしい。自分を助けられるのは最終的には自分だけだ。やる気や集中力などの「頑張る力」というのは有限である。他人の親は、自分のことをやってまだまだ力があるというときに今までの恩を返そう。

自分の未来を犠牲にしてまで他人を救わなくてもいいのだ。自分自身のために努力をして、いい人生を歩もうね。

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