【.*五輪と医療*.】

コロナ関係の医業に従事する者として最近世間を賑わせたニュースを切り口に現状報告とお願いをさせて頂きたく本記事を投稿致します。

『現状』を把握し『自身の今を通して未来を考える』
その機会になればいいなあと思います。

本記事は医療者ではなく市民に当てたものなので
不十分感感じるかと思いますがお察しください。
4月末時点での、現場で情報収集した事実とそれに対する個人の解釈と想い、微力ながら個人で範囲での論文検索により得た表現になります。
その後の影響に責任は負いかねますのでご了承の元一読いただけると幸いです。
※専門家の方、さらに良い情報あればご一報頂けると幸いです。

【.*五輪ボランティア医師200人募集*.】

https://www.asahi.com/articles/ASP536CQ4P53UTQP00S.html

誰もが難しいと感じていると思います。
では現状は?本当に無理なの?
独自に考察していきたいと思います。
地区により状況は違う前提で、ほんの一例ですが自身の担当地区の状況をお話します。

【.*コロナの変遷と現状*.】

臨床で診ていて、変異ウイルスは当初のウイルスに比べ感染力・症状ともに強いと感じます。
「風邪でしょ」と言っていた頃とは明らかに顔つきが違い、「コロナウイルス」と一つの括りにしていいのか?という印象です。

統計をしっかりとったわけではないので構成割合について述べることは控えますが、1年前〜夏頃までは無症状〜軽傷が主で、宿泊療養から入院適応となるケースがどちらかというとイレギュラーな業務でした。
中でも状態が悪い方が入院するという形で、それでも二つ返事で入院調整が毎度つくわけでもありませんでした。

第三波から変異ウイルス出現(11月頃から現在)にかけてはしっかりと症状が出現するようになってきた印象です。
(それでも個人差がとてもとても大きいです)

つらいであろう主な症状ですが、
・長く続く高熱
・強い咳
・酸素が取り込めない(SPO2という数字が下がります)

酸素投与や飲食できない状況だと点滴、その他状態により医的対処が必要な場合入院検討となるのですが、ここで医療者とそうでない人の解釈の違い、ご本人の「こんなに悪いのに」と、医学的な「状態悪化」の概念の差が、混乱をきたしていると感じています。

インフルエンザであれば、治療薬はある。
なので抗ウイルス薬+解熱剤で根治+対症という治療ができます。

コロナウイルスは、有効な治療薬がまだない
※4月末私がもつ情報によりなので、最新についてはご自身で精査お願いします
なので、解熱剤や咳止めなど症状を軽減するしかできない。
簡単にしかも極論を言うと自分の免疫でウイルスをやっつけるまでは熱は出続けるというイメージです。
(最新研究がどうなっているかはご自身の責任で確認お願いします)
なので、できることは解熱剤などをお渡しし、その不安や不満を受け止める程度なのです。完全寛解の願いは叶えてあげられない。
「こんなに辛いのに何もしてくれない」それも本人にとっては事実。
そこを切り取られ医療を批判するような報道も多かったです。
事実何もしなかったわけではない。視点の違いです。
感染者も正しい、医療者も間違っていない。視点の違い。
どちらでも結構ですが、どうにもならない事があるというのが、事実。
なので、ただただどうかみなさん感染しないでと願っています。

以前だと入院できていた症状が、今は当たり前になっています。ただでさえ感染者も爆増しており、当たり前が全員入院すると病床が足りなくなるのも当たり前です。簡単な話ですよね。

そして、自身の免疫がウイルスに打ち勝つまで症状は続くので、いつ治るかなんて今はわからない。
なので、一度ベッドが埋まったらいつ空くのかわからない事も逼迫の原因の一つだと思います。
(入院先確保困難、たらい回しに関しては昔から続く社会問題ですので、いつか別記事で掘り下げたいと思います)

それが次から次と溢れていく。
そのような場合はどうしても「優先順位」という視点が必要になってきます。今は残念ながら既にそのような状況だと思います。
詳しくはもっともっとたくさん基準などがあるけれど、簡単に言うと下記のような話です。



入院していても治療困難
・治療法がない対症療法の限界
・環境要因(集中治療・人工呼吸が必要でもベッド・機械・スタッフが足りないなど)
↑ ↓
入院・治療が必要 →軽快で退院Orホテル自宅療養で経過観察

宿泊療養・自宅療養
・酸素投与不要 
・飲食可能(=点滴不要ということ)

実際に一番下の、本来なら病院ですべき酸素投与や点滴の医療行為も、宿泊療養の現場で行なっている地区があります。
そうなると感染区域にスタッフが常駐する事になります。
即ち非感染区域のスタッフがいなくなるので人手が新しく必要です。

増員が必要ですが、指導の余裕があるわけでもない。
少しずつスタッフの頭数は増えても、それ以上に仕事が増えるペースが上回っている。
そんな状況です。

【.*本当に五輪スタッフ確保は無理なの?*.】


無理か無理じゃないか?
と言うと、無理ではないと思います。
極論言うと、やろうと思えば200人でも1000人でも確保の仕組みを作れば無理ではないと思います。

その心は、
「無理」と言い切る必要があるのか?
なぜ言い切れるのか?というところです。

事実と思いを混同して考える人が多すぎる、「難しい」を「無理」と言う。
難しいのは誰だってわかる至って簡単な問題ですが、可能性を断ち切る根拠が不十分。可能も不可能も考えればどっちも創れる可能性がある。不可能という方が簡単。だって不可能に根拠づけるネタの方が多いんだもん。
そうだから何も解決しなかったのでしょうここまで。
コロナの1年も、そして医療現場の問題の本質も30年変わっていない。
それは患者として、医療者として体感してきた私の存在が証明している。
本質はなにも変わっていない。コロナとしての切り口で記事を書きましたが、結局はそこに帰属する問題です。
ウイルスなんて表面上の問題で、いつだって向き合うべきは人の本質。

自分だけの価値観で物をいい、五輪出場に人生を懸けてきた選手達の可能性を断ち切るのは私たちが判断すべき事じゃない。

全くの無関係の私たちが憶測で無理とか無理じゃないとか言うことではない。それが世論となって彼らの思いを消してしまうから。

当事者じゃない私たちが
何も背負ってない
何も犠牲にしていない他人が
自分のちっぽけな価値観で
悪意なき言葉で
選手の努力を水の泡にする権利はない。

【.*自身に向き合い「静観する事」が最大の貢献*.】

選手や医療者の事を思っての意見を散見し
ありがたいと思う反面、
それが火種となり更なる批判もありました。

コロナに関することだけではない。
いじめや事件事故もそう。
無関係な者の言葉が場をかき乱す事もしばしば。
「事実」と「憶測」の混同。
憶測の話も、「憶測の発言を聞いてそれを信じた」と適切に自覚しない限り憶測が末端に行けば事実とされて当事者の名誉が傷つくことが多い。
それがその人の人生を狂わせて心を殺す。
『情報は命より重い』本気で私はそう思っています。

「事実」はその場にいた人だけのもの。
でもそれをどう解釈するかによって
それを受ける者によっては嘘になったりする。
どう伝えるかによっても変わってくる。

だから「科学」や「統計」が必要になった。
動かぬ嘘をつかない事実が必要になった。
言葉・証言はそれの根拠づけにしかならなくなった。

それは人が間違うのが当たり前の生き物だから。
それは人は嘘をつける生き物だから。
いい悪いではなく、そういう生き物だから。

嘘が発見された時点で
正しい事を伝えたいと思う人の気持ちも疑わなくては行けなくなった。守りたくてもストレートに信じられなくなった現代を残念に思います。

情報を適切に扱えないなら
言葉を適切に扱えないなら
そんな概念なかった縄文時代位に戻って欲しい

自分と他の少しの生きものと
種類の少ない物質の時代から
向き合う事を練習してほしい
そう何度も思いました。

選択が自由な今だからこそ、
本当に大切なわずかなものがきっと必要。
餅は餅屋、自分は自分。
それが今大切なのかなと思っています。

【.*最終的に何が言いたいか*.】

話の主旨がブレたように感じた場合は申し訳ありませんでした。
結局伝えたかったのは
「自分自身を大切にしてね」
ということでした笑

現状は救いたくても既に優先順位を考えいわゆる「命の選別」と思われるような選択が必要になっている地区もある。
お気持ちもわかるがそれが事実。
「人の心はあるのか!」と何度も叱責されます。
1日に何件、何時間のクレームもありました。
それでも今はもう平時ではなく有事・災害医療のフェーズにあります。
叱責されても事実は変わりません。

なので、ご自身が後悔しないように
自分に今必要なことは何か
自分が今できることは何か
それを考えて欲しいと思います。

人や周りの事を考えているとそれが見えなかったりします。
実際に自分の身に降りかかったら困る事も多いです。
なので、まずは自分の事を整えて、それから周りのお手伝いをする。それが自分の心も命も守ることになると、私は思っています。

たくさんの人の医療者を擁護する声、ありがたく受け取っています。
そして、それに対する批判も目につきました。
心を痛めた方に対しては申し訳なく思っています。
この先の未来、ご自身の事を大切にしてくれたら嬉しいです。

【.*最後に*.】

このニュースを見てどう思いますか。
私は「自分にできない事、手の届かない事」を自覚しました。
当たり前の事常識的におかしい事を批判することは簡単にできる。
でも、それは「自分が無力であること」から目を逸らしているに過ぎないと思いました。
当たり前の事を当たり前に指摘することはすごくもなんともない当たり前のことで、そんなことで満たす自尊心なんて簡単に崩れ去ってしまう。指摘するネタがないと自覚できない自分の価値なんてないものと同じだと思いました。

他人の不幸や失敗は自分の自尊心を満たす道具ではない

自分と自分の未来を考えるきっかけになりますように。

「五輪反対」で池江璃花子を批判する人の理不尽 「奇跡の復活」彼女を悩ませる心なき声の正体 | スポーツ - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/423363