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#259 日本の外に目を向けて、「寛容性と心の豊かさ」を考える

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、穏やかな気持ちになりつつ、色々と考えるきっかけを与えてくれる本のご紹介です。

私は海外旅行が好きで、これまでも何度か人生で一度くらいは海外で生活したいと考えながら、実際には一度も住むまでは至らず過ごしてきました。
2010年代前半から東南アジアで仕事をしており、月に半分くらいは現地にいるような生活ではあったものの、あくまで出張ベースでした。
また、結婚当初は、妻がバンコクに駐在していたので、よく週末など遊びに行くことはありましたが、私自身は海外に住むことはしてきませんでした。

まぁ、この海外に数年間住んでみたい、という気持ちは、今も捨てることなく、虎視眈々と心の準備はしておこう・・という感じで思っているのですが、そんな海外暮らしをイメージしつつ、色々と考えさせてくれる良書のご紹介です。

こちら、「ベルリンうわの空」。

作者の香山哲さんのドイツ移住記なのですが、海外生活に興味がある方もない方も、日常の暮らしにおける小さなところから考えさせられるエッセンスが多く詰まっています。
私たちは、過去の後悔とか、将来への漠然とした不安に意識が向きがちですが、もっと今をぐっと高い解像度で見て、今に集中することが大切という気付きも与えてくれます。

私の場合、この本を読むたびに、海外で暮らして見たい熱が毎回湧き上がってきますし、日本における日々の生活のこともゆっくり考え直す機会になります。

全部で3シリーズなのですが、今日は私がいくつか考えさせられたポイントをかいつまんでご紹介していきます。


平凡に暮らしの中に隠れていること

私たちは日々の暮らしの中で、「毎日特別なことをしている!」と感じる人は少ないのではないでしょうか。
ある程度一定のリズムの中で、寝て、起きて、家事をして、スーパーで野菜や肉を買って、仕事をして・・・みたいなことを繰り返して生活しています。

そんな中で作者の香山さんの気付きを中心に構成されているのですが、生活の中で本当に色んな視点に気付いて、論点を提示してくれます。
私も何かと生き急ぎがちというか、毎日セカセカと生きてる感じがしますが、とにかくのんびり生きたくなる、毎日を大切にして、もっとゆっくりと生きていこう、という気持ちになります。

「街をよく見て、自分の気持ちによく耳をすませると、普通に過ごしているだけでも、意識していなかった自分の「好き」や「嫌い」が新しく見えてきて、そのたびに生きやすくなっている」という表現が出てくるのですが、あぁ、自分の気持ちに耳を澄ませる時間を持つことって大切だなぁと。

日常的に少しでもいいから落ち着いて自分の気持ちと向き合う時間を意識的に取らないと、毎日ただ流されるだけで終わってしまいますよね。
そして、日本にいても、定期的に違う街に行ったりすることで、自分が住んでいる場所との共通点や違いが見えてきて、それがきっかけで改めて「好き」や「嫌い」に気付くのでしょうね。

ベルリンでは、車椅子やベビーカー、犬、自転車が交通公共機関を使いやすく、専用スペースも多く存在しているとのことで、街の中に色んな存在が混ざっているそうです。
公共のスペースは、「その社会がこういう感じでありたい」があらわれている、という表現がそもそも共感なのですが、日本でありがちな「大多数の普通と、その他」という感じが弱いのを感じるとのこと。

今年の3月に公表された「世界幸福度ランキング」によると、日本は「一人当たりGDP」や「健康寿命」は世界トップクラスでありながら、「寛容性」はワースト3位という結果が出ています。

この寛容性の低さを端的に言い表しているのが「大多数の普通と、その他」という感覚だと思っていて、「公共的なもの」の設計思想を立ち止まって考えてみると、確かに色々見えてきます。

例えば、個人的に感じるのは、いまだに子どものオムツを取り替えるベビーベッドが併設されているのは女性用トイレが多いということ。私の周囲を見ていると、子どものオムツ替えやミルク作りなど、普通に父親もやります。なのに、外食時に食事を終えて次のところに行く前にオムツ替えておくか、といったときに、ベビーベッドが女性用トイレにしか併設されておらず困る、みたいなシーンが今だに結構あるところに、寛容性の低い社会の考え方が出ているなぁと。

他にも、ベビーカーではかなり動きにくい都内の駅の動線設計ですね。
渋谷とか最悪です。改札入ってからホームに行くのに階段しかないのが分かったりとか、普通にあります。
「入る前のところに、注意書きがありますから」みたいな話は違っていて、そもそも数的マジョリティ側を中心にした考え方でしか物事を見れないところが残念です。注意書きも日本語でしか書いてなくて、海外から来られた方は分からない、みたいな話もザラにありますね。

マイノリティ視点で設計されたものが、マジョリティにとっても同様に使いやすい、ということはよくありますから、何事も初めからマイノリティになりがちな人の意見を入れて設計していくことが肝要です。

口では多様性を謳いながら、まだまだ寛容性の低い仕組みが見直されていない企業活動や自治体の発信などを見ていると、やはり大事なのは「言行一致」のスタンスですね。口よりも、とにかく行動で示すこと。
行動を伴っていない綺麗事の発信は、逆に余計な不信感を煽るだけですね。

カフェに感じる真の成熟度

先日オーストラリアで子連れ2週間の旅をしていたときにも感じましたが、カフェに対する考え方が日本のそれとは大きく違っています。

例えば日本でスタバに行ったら、勉強している学生や、仕事をしている社会人を多く見かける印象ですが、シドニーでは朝にコーヒーとクロワッサンだけサッと食べて、そこから職場に向かう人も多く、勉強や仕事をする場というよりも、人と話す場所、一人で何もせずにゆっくりする場所、という雰囲気を感じました。

昨年行ったイタリアでもそうで、朝早くから多くの人で賑わっており、こういうところからもそこに住んでいる人の心のゆとりを感じたものです。

「ベルリンうわの空」で描かれているカフェもそんな雰囲気で、常連さん同士の交流の場になっているようです。カフェに限らず、街にたくさんの広場や公園があるので、色んなところで人がおしゃべりをしているとのこと。

通りに机や椅子を出してチェスをしたり、顔馴染みが合流したり、窓辺やバルコニーでお茶を飲みつつ、知り合いが通りかかると喋ったりするそうで、何となく心の余裕を感じさせられますよね。

カフェも日本のように大手チェーンばかりではなく、個人経営のものが多く近所の出来事や雰囲気を把握しているため、「こんな感じのものがこの地域に求められている」というのが、うまく反映されているようです。

やはり「画一的でないもの」に、真の成熟度を感じます。

大きな時間の流れにおける振り子の揺り戻しのようなものかもしれませんが、高度成長期前の日本も、画一的な仕組みの象徴である「会社員」よりも、個人で農業や個人商店をしている人の方が多数だったわけです。

全員が同じように努力して「大量生産」「効率的」「とにかく大きいもの」を目指すのはもはや前時代的で、前半に話した「大多数の普通と、その他」の話にも通じるものがあります。

以上、「ベルリンうわの空」から考えさせてくれることのうち、ほんの一部について、紹介してみました。
他にも、差別、ホームレスのようなテーマや、「誰もが自分の人材としての市場価値を競争させ、高い稼ぎを目指す」ことに対する違和感など、ふと立ち止まって考えさせられるものに溢れています。このあたりから感じることは、また別の機会にご紹介しますね。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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