見出し画像

【今でしょ!note#75】 新聞を読まなくなった3つの理由

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

皆さんは普段、新聞を読まれていますか?
私は仕事をし始めてから日経新聞を読み始めて、はじめはかなり熱心に読んでいました。
社会のことを知らないと!という気持ちがあり、毎朝新聞を読んで、気になるネタを3つ選んでノートにメモする、みたいなことを1〜2年続けていました。

2010年当時は、中国のレアアース輸出停滞問題が毎日のように取り上げられたのが記憶に残っています。また、日本で上場企業の連結決算におけるIFRS(国際会計基準)の任意適用が認められたタイミングでもありました。
揮発性の半導体記憶装置であるDRAMの記事も毎日のように掲載されていた記憶があります。

熱心に読んでいた時期がある一方で、まったく読まない時期もあり、日経アプリ版の契約と解約を何度か繰り返していました。最近ではほぼ読まなくなり、気になった記事があるときだけ、自分で検索して記事を読む程度になりました。

変わり種ではありますが、なぜ、新聞を読まなくなったのか、という理由を記事にしておきます。


1.新聞の情報が遅いと感じるようになった

第一の理由として、新聞に載っている情報が遅いと感じることが多くなったからです。

特に、自分が専門としている分野や業界の記事においては、新聞という形で世に広く知れ渡るまで情報が整理されるにはラグがあります。自分が取り組んでいる現場に常に一次情報がありますから、新聞を読んでも、まあそれは前から言われてるよね、と感じることが多くなりました。

自分の専門分野以外の情報は、自分で一次情報が転がっている現場を担当しているわけでないので、多少ディレイが生じても良いのですが、これらの情報も第一線を担当している人から見れば遅いと感じる情報なんだろうな、と考えると、少ししらけてしまった自分がいました。

以前は、今のように個の発信の時代ではなかったですから、個人が持っている情報は各現場に埋もれていました。そのため、各新聞社が独自の情報網を使って仕入れた情報に一定の優位性がありましたが、今や個の時代が進み、各現場を担当している人の一次情報がネットを経由してダイレクトに知れるようになりました。

そうなると、新聞社がまとめる情報がますます遅いと感じるようになってしまい、あえて新聞読んで仕入れる必要があまりないなと感じ始めました。

2.新聞の情報が信用できなくなった

自分が専門として担当している領域でニュースリリースが出ると、実際はそうじゃないんだけどな・・と感じることが多くなりました。

新聞は、その記事を書いた記者の名前は分かりますが、その情報がどのように入手された情報か分からないことが多いですよね。
そして、比較的中立な立場を保って掲載されているものだと思って新聞を読んでいましたが、当然その裏には、誰かがそのように報道したい思惑があり、思惑により曲げられた事実が発信されていると感じることが多くなりました。

フラットに社会のことを知るために新聞を読んでいたのに、実はそこには誰かの思惑が交錯しているということが分かりました。そうすると、全ての記事に対して、実際の事実や背景と異なることが多いんだろうと考えるようになり、信用が薄れてしまいました。

記者の方がどういう人か分かりませんし、記者に情報を提供した人がどういう人かわからないので、記事が言っていることがどの程度実態を写したものなのか分かりません。
また、一定の中立性を保つ立場にあるべき新聞社も企業なので、昨今のテレビ局のさまざまな問題のように、一定の「言える・言えない」の線引きがあるはずです。
言えない情報もゼロではないと考えると、誰かの思惑や新聞社事情により加工された情報を毎日取り入れる必要性は薄いと感じるようになりました。

一方で、「個の発信」の時代、自分が信用できる人の情報であれば、情報の裏にある思惑に一々惑わされずにすみます。
また、自ら行動し、個人で一次情報を発信している人の話に触れるためのプラットフォームも増えてますから、二次情報、三次情報・・・と媒体を介していく中で事実が曲げられてしまうこともありません。
個人の発信内容に信用できる情報が集まっていることも、新聞を遠ざける理由になっています。

3.必要な情報は、自分で取りに行くようになった

これまでは、社会に関する多くの情報が自分の外側にあり、散らばった情報をいかに自分に取り込んでいくか、ということに囚われていた気がします。
数年前は、GoogleやNewspicksのアラート機能・RSS機能を使って、気になる単語が含まれた記事があれば引っ掛けて見ていたのですが、へぇーという感想以上に自分にとって真に有意義な収穫は特になく、ただ最新の各社の取り組みを追っかけているだけ、のような感覚になりました。
アンテナを立てていた情報を受動的に受け取り続けて、果たしてそれが自分の人生にとって何かいいことに繋がったかと問われると、正直ハテナでした。

一方で最近は、自分の興味・関心が高い事案について勝手に発信を始めたからかもしれませんが、散らばった情報をとりあえず押さえておこう、と無闇に取り入れて行くことの重要性が下がりました。

そうではなく、自分でレポートを読み込んだり、気になった言葉について検索していくうちに他のレポートに出会い、それぞれの情報を自分の中で繋げたり再編集したりしながら理解を深めていくプロセスの方が、何十倍も自分にとって価値があることだと気付きました。
これって何でこうなっているんだろう?という疑問を持って、色々調べているうちに新聞記事に出会うことで、数値データを理解しトレンドを抑えていくプロセスの方が、圧倒的に自分の言葉で話せるようになるんですね。

多くの情報に振り回されるのでなく、自分を主語にして情報を選び取っていく
情報を「使う側」から「作る側」に回る

ここまで言うと大袈裟かもしれませんが、情報過多な時代だからこそ、取り入れるものとそうでないものを区分け、自分の取り組みや意見を発信する側に回ることが重要だと感じています。

情報収集にも時間がかかりますから、きちんと自分の人生にとって、時間投資対効果が高い行動を選びとっていきたいですね。

それでは、今週もお疲れさまでした。
励みになるので、ぜひスキ&フォローをお願いします!


もし面白いと感じていただけましたら、ぜひサポートをお願いします!いただいたサポートで僕も違う記事をサポートして勉強して、より面白いコンテンツを作ってまいります!