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#242 アウトプットは「量」重視、インプットは「質」重視

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

先日、山下拓也さんの記事を拝見してコメントしたやり取りから、「この考え方は一度ちゃんと言語化しておこう」と感じたことがあるので、今日はその話をします。

私がこちらの記事で最も共感したのは、次のフレーズです。

読んですべて理解できるものは、「将来価値」があまり高くない

これって、例えば筋トレに例えるならば、全く筋肉に負荷がかからない範囲で手足をただ動かしているだけのような感覚です。
筋肉を鍛えるときには、一定の負荷をかける必要がありますよね。自分のストレッチゾーンから少しだけオーバーエクステンションしてチャレンジしてみることで、トレーニングされていく。

筋肉に限らず、人間は「いつもと同じ」生活をただ繰り返していても、なかなか新たな視点は生まれにくく、また世の中の変化に応じて自らを進化させていかないと、成長は停滞してしまいます。

私は、普段の管理職業務において、常に自分のチーム力向上に不可欠な、各メンバーのスキルアップのことを考えています。
特に知的生産における仕事の能力とは、「同じインプット(情報)に対して、インサイトのあるアウトプットを出せるか」ということかと考えていますから、自分なりにアウトプットの質を高めるためのカラクリを理解し、そのカラクリに沿った後進育成を日々実験的に試し続けています。

話を戻すと、山下さんの記事にある「読んで全て理解できるもの」とは、自分の成長に必要な適度な「負荷」がないもの、とも言えますから、リラックスや気分転換目的で取り入れる時間であれば全く問題ないのですが、成長のために読んでいる本などでインプットが全く負荷でないのであれば、極論読むのは時間の無駄とも割り切れると考えています。

もちろん、「頭の中にぼんやりとあったことがクリアに言語化された!」という場合は、改めて言語化されたことにより、次の行動に繋がる可能性がありますから、良いと思います。しかし、読んだ結果が「うん、それはそうだよね」くらいで終わってしまうものであれば、人生の限られた時間を割いてわざわざ読まなくてもいいのではないかと。

以下の記事でも触れていますが、「自己啓発本やビジネス本は、世の中に大量に生まれ続けていますが、その分仕事ができる人も増えているかというと必ずしもそうではない」ですよね。

それには複数の要因があると考えますが、とにかく片っ端から自己啓発本をたくさん読み漁ってみても、それが高い成果を生み出すための成長には必ずしも繋がらない、ということが言えると思うのです。

前置きが長くなりましたが、そんなわけで「インプットは質が大事、アウトプットは量が大事」というテーマで深掘りしていきます。

インプットに明け暮れた経験

そんな私も、数年前まで、インプットの「量」にこだわって、せっせと取り組んでいたことがありました。
読書も「月に何冊読んだか?」にこだわっていましたし、Newspicksや日経新聞、Google Alert機能を使って、自分の気になるキーワードや、本業に関連するキーワードを含む情報が何らかのメディアにアップロードされたら、スマホに通知が来るような仕組みを作って、関連情報をひたすらチェックするようにしていました。

(本を何冊読むか?の目標を決めて、読書習慣を作ること自体はとても素晴らしいです。私の場合、読む目的が曖昧で、アウトプットに繋がらないのに、ただ何冊読んだか、だけを基準にしていました)

例えば、「地方銀行」というキーワードで予め「キーワード」を登録しておくと、だいたいNewspicksとGoogle Alertにそれぞれ1日10件ずつくらいは関連記事が引っかかり、それを欠かさずチェックするようにしていました。

当時、海外の仕事をしていたので、英語でもいくつかキーワードを登録していましたから、Google Alertの方だと世界中の英語の情報が引っかかりました。
海外メディアの英文記事もだいたい欠かさず目を通すようにしていましたから、細切れの時間を繋ぎ合わせると、それだけで1日1時間弱くらいは使っていた気がします。

そんな生活を半年ほど続けたときに、「自分は世界の情報を追い続けているけれど、それによって、目の前のアウトプットにどれだけ繋がっているのか?」と疑問を持つようになりました。
確かに、世界の様々な国で起こっている自分の本業テーマのトレンドなどは掴めるのですが、じゃあそれをそのまま自分の仕事に応用するとか、そこまでの動きが取れてなかったんですね。

こうなってくると、だんだん何のためのインプットか分からなくなってきます。
そう、当時の私は、たくさんインプットする段階で「自己満足」してしまっていて、それを自分の頭で編集して洞察あるアウトプットに変えることを全くしていなかったのでした。

インプットは「質」の確保を重視する

自分の人生のリソース配分を決める上で、何を選んで何を選ばないか、のインプット戦略を立てることが非常に重要です。
「自分にとって本当に必要な情報・知識は何か」に狙いを定めた上で、そうでないインプットは極力排除していくことです。

例えば、以前スタエフで「テレビ付きのサウナはしんどい」という話をしています。

普段、仕事や子育ての中で常に何かの音を聞き続け、何かを考え続けているので、私はサウナにいるときくらい、汗を流して頭を空っぽにしたい派です。

なのに、サウナのテレビで「10分間同じテーマに対して専門家でも何でもないコメンテーターがネガティブなコメントを続け、水風呂に入り、外で整ってから2周目でサウナ室に帰ってきても、まだ同じ話をしていてゲンナリした」というエピソードです。

これなんかは、質が低いインプットにより脳のリソースが占有されてしまう代表例です。テレビ自体を否定しているのではなく、当事者でも何でもない人が「あるテーマで延々誰かを批判するだけの情報番組」に知らないうちに人生の時間が奪われる可能性があるので注意が必要と思っています。

それよりも、まずは少なくてもいいから、お金を払ってでも、専門家の意見に触れる方が重要です。当事者でない人があーだこーだ話しているだけの2時間が無料で手に入ったとしても、有料の専門家による10分のコメントの方が数百倍価値があるし、人生の時間リソース配分の面でも合理的です。

また、インプットの種類ですが、ビジネス本ばかり読んでてもつまらないですから、小説や歴史書を含め、興味があるものがいいですね。
本だけでなく、映画を見たり、ライブに行ったり、どこかに出掛けるという「体験」のインプットも人間性の幅を広げてくれ、とても有意義だと思います。

アウトプットは「量」重視

一方で、アウトプットは「量」重視で良いと考えています。
なぜなら「量」なくして、いきなり「質」の高いアウトプットを出すのは、できないからです。

山口周さんの記事で、カリフォルニア大学デイビス校のディーン・サイモントンの作品の「質」と「量」に関する研究が次のように紹介されています。

傑作というのは、本人の意図とは別に、とにかく大量の仕事をこなしているときに、確率にしたがって生み出されるものだ

まとめると、闇雲に「質」の伴わないインプットだけしていても何にもならないですが、「質」を伴うアウトプットを出すには「量」を追求する必要があるということです。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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