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vol.132「「本を読むことは『時間を操(あやつ)る』ことである。」


林裕也さんの昨日の投稿が、非常に共感するところの多い内容で、何度か読み返しました。
特に「本を読むとはどういうことか」の部分は、ほぼ同じことを考えていると思えてニンマリしてしまいました。

林さんは毎日3,000字のnote更新、木下斉さんのVoicyライブアワー登壇から「ジブン株式会社RADIO」(リスナーどうしの対談企画)を提案、皆さんにスポットが当たるような仕掛けづくり、と「発信者」としても「他者への貢献」としても尊敬できる、"参照モデル"のおひとりです。

以下、前に書き出したメモをベースに再整理してみます。


◆本を読むことは「時間を操る」こと

本を読む行為は、「自分の寿命以上の時間を、仮想的に生きること」だと言えます。著者の体験、長ければ半生に、短時間・安価で触れられるからです。

挑戦し、行動した記録。成功や失敗にもとづいた学び。そのなかで、当人が書き出した一押しエピソード。そこから、プロの編集者が一緒になって取捨した情報。
いわば、その人の「いちばん濃い時間」を"いいとこどりで"煮詰めて、プロが仕上げて、カプセルにした「高栄養価錠剤」です。

2時間で、名物経営者の半生記を擬似体験する。1,500円で数十年を買っている。歴史物なら百年、千年。勉強にかぎらず、ほかの様々な購買と比べても、本(読書)は安い買い物です。

他人の生きた時間を疑似体験できるということは、時間のコントロールをすることです。疑似体験した時間の総和が、一人の人生の持ち時間よりずっと大きくなるからです。
かつ、疑似体験する人生の種類は選ぶことができる。A社長の半生+アーティストB氏の半生+作家C氏の一生+戦国武将Dの生涯、のように、お好みでブレンドすることができます。

疑似体験の例)アイデアを見つける 会社を起こす 失敗する 成功する 会社を起こす 会社を解散する 孤独と闘う 家族が離散する 極貧を味わう 独学で絵を描く 連載記事を書く 軍師との出会い 他国と和睦する

自分の、一人ぶんの、リアル側の人生だけでは味わえないこと。または実体験まではしたくないことを、疑似体験できる。「ちがう人生を仮想的に生きてみる」ことができる。

本を読むことの本質は「時間を操る」ことだと考えています。

◆「本に触れる環境で育つ」という"特権"

「どうしたら本を読むようになるのか」の、万全の解決策はまだ見つかっていません。また「本を読んだらかならず幸せになれるか」は、いまだ最終結論が出ていないと思います。

ただ、子を持つ親で、自身が本を読む習慣のある場合、「うちの子も本を読んでくれるといいのけど...」と思う人は多いでしょう。

①価値を見出せるか
「仮想的に生きる2時間」に価値を感じなければ、本を読むこともありません。
ちがうことをしていたほうが楽しい/有意義だと思ってる。音声や映像のほうが頭に入りやすい/文字が苦手だ。
こういうとき、人は本を読まないのだと思います。

②環境があるかどうか
子どもの頃、つまり自分で意思決定できる前の時期に、身の回りに本があるかどうかは大きいと感じます。「環境」と「コミュニティ」です。
自身のケースで振り返ってみます。

(環境)
・与えられるおもちゃが本。「図鑑」と「世界の名作文学」だった
・本棚から、大人向けの書籍を手に取って読む環境にあった
→小学校~高校まで、図書館のヘビーユーザだった。好きな教科は「国語」「漢文」だった

(コミュニティ)
・本を読む家族、友人、先輩、後輩がいる
・読んだ本の情報発信をする知人がいる
→有料研修に申し込む最初の一歩はほぼすべて本だった。自分でも発信するようになった。

身近で本に触れられるから、「本を読むか読まないか」の選択が生まれる。本がなければそもそも選べません。
自由意思で選べたことは、かなり恵まれた環境でした。

習慣は、環境で作られる。わずかな範囲の環境がすべて。「自分にとっての常識」になるのです。

余談:
本を読むことが全面的に素晴らしいかというとそんなことはありません。
「図書館で1日1冊ペースで借りて読む小学生」だと、昼休み、クラスみんなが運動場で遊ぶに参加しない。理屈っぽくなったり知識をひけらかしたりする。友達が少なかったりいじめられるかもしれない。眼が悪くなる(メガネやコンタクトレンズのコスト)―。デメリットも大いにありえます。

◆「人生の持ち時間を何に割り当てるか」問題

本というものを、あえて分類すると、
・読んでいる最中に、メリットを受け取るもの
・読んだ後の行動で、メリットを手にするもの
の二つに分けられます。

前者は、小説やマンガ。エッセイ。いわゆる娯楽物。
後者は、ビジネス書やハウツー物。いわゆる実用書。
消費(読む行為)と生産(得られる恩恵)が同時進行か、時間差で発生するかの違いです。

もちろん実際には、エッセイや文学から生き方のヒントを得ることもある。ビジネス書を読んで純粋に面白く、楽しむこともあるでしょう。また後者には、「検証のために(味気なく)読む」も含まれます。

このうち、特に実用書を分類すると、
①お金をどう作るか ②時間をどう作るか ③作ったお金・時間を何に使うか
のどれかで、突き詰めればほぼ「時間を何に使うか」です。

③が多いのは、「時間を何に使うか」次第で、大きな価値を生むからです。大きな価値を生むということは、振れ幅が大きいということです。だから、大ハズレの確率も高くなります。

大ハズレの可能性を承知したうえで「選ぶコツ」があるとしたら、
(1)いちど身につけたら賞味期限が長いもの
(2)やればやるほど人との差異が広がるもの
(3)無理なく身につく割に効果が大きいもの
でしょうか。
同時に成立しない要素を含むから、「ブレンド比率」が決め手になります。

「ひとつずつを文章で読むと正しくて、かつ互いに矛盾する事項」をどうブレンドするかが「意思決定」です。矛盾もせず、判断材料が十分に揃うのなら誰でも意思決定できる。そうではないからリーダーという役割が必要なのです。

・不確かさの大きなものを混ぜておくと、のちのち効くことがある
・実績ある、異なる分野の複数の人が同じことを言っていたら、即買う
・読んですべて理解できるものは、「将来価値」があまり高くない

このあたりは経験則上、まちがいなさそうに思っています。
「不確実性の大きな本を、どう選び、どの程度まぜるか」は、まだ答えが見つかっていません。継続して追いかけており、読書家の人に会うと聞くようにしています。

◆本の情報量は、多いか少ないか。

父に何度も聞かされたのが、「テレビは情報をたくさん与える。受動的で、考えない。本は情報がすくない。頭の中で自分で想像する力がつく」説
そうなんだろうなと思いながら、実験するのはなかなか難しい。子どもが二人いたとして、「読書派」と「テレビ派」で分けて育ててみる、なんてそうそうできない。

本は、文字情報だけだから、読み手の想像力=脳内で映像を結ぶ力、音声を再生する力を借りる。「想像する力があれば楽しい媒体である」が正しいのかもしれない。つまり、原因と結果が逆かもしれない。
テレビは、情報量が多い(=映像、音声をそれぞれハードディスク保存することを考えるとわかる)。一瞬で伝える力があるから、「提供側が力を持つ」媒体。「自分を律する力があれば楽しい媒体」といえるのかもしれない。
私自身は、父の説(=情報量が少ないから想像し、想像させられるうちにその力が伸びる)に一定の納得感があります。

※たとえば ちきりんさんはテレビ番組の持つ情報量の多さと吸収の効率の良さ(投じられている取材のパワー、リソース)を再三指摘しており、それも説得力のある話だと思う。


どちらが正しいかいまわかりませんが、それこそ専門の「本」を何冊か読めば、蓋然性の高い説が書かれてあるはずです。

それでも子どもに対する家庭での教育方法の、ファイナルアンサーが見つかってないのは、対象(子どもたち)個々人を構成する要素が複雑すぎて、再現性を見出すところまで進んでないからだろうと想像しています。


「本を読むことの意味(楽しみ)」の話は、これも終わりのないテーマであり、尽きない話題です。発散もするし、いくつかの自分の仮説をちょっとずつ更新して、何度も書き直しては再整理したりしています。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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