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【今でしょ!note#70】 手段を目的化できると強い

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

5年ほど前から、日本で「DX=デジタルトランスフォーメーション」という言葉が流行り出して、デジタル化そのものを目的化するのではなく、デジタルを通じてどのように事業改革するか、という視点が大切という話を100回以上聞いてきました。

いわゆる「手段の目的化」の話です。
どうやってデジタル化するのか、ということに注意がいってしまい、デジタル化することで何を達成しようとしているのか、が抜け落ちているのは全く本末転倒である、という趣旨ですね。

これ自体は、確かにそうなのですが、全てのケースにおいて「手段の目的化=悪いこと」みたいに考えてしまうのは、違うと考えています。
特に個人レベルで取り組むことであれば、手段が目的になることほど幸せなことはないと感じることが人生においていくつかあったので、エピソードとともにご紹介します。


過程を楽しんで成果を出すというポリシー

自分が中学生くらいの時には意識していたことなのですが、私は「過程を思いきり楽しんで成果を出す」ということにこだわりがあります。

「甲子園優勝のために、毎日の辛い練習を乗り越える!」的な発想がどうにも苦手で、最終的な目的に向かうまでの過程がつらいもの・苦しいものは、最後までやり切れる自信が全くないのです。

そこまでしないと得ることができない成果であれば、そもそも要らない。

世の中には、自分の人生の中では味わい尽くせない多くのことがありますから、最終的に達成したい目的がどれだけ価値の大きなことであっても、それを達成するために多くの犠牲を払う必要があれば、他の楽しそうなことを選択します。

全ての物事に対して「過程の楽しさ × 日々の時間 + 目的達成時の嬉しさ」の総和を出して、比較して自分が取り組むことを選択しているように思います。

そのため、上述した辛い練習を乗り越えての甲子園優勝の例においては、

( − 3)× 365日 + 1000 =   − 95

みたいな感じで、甲子園優勝の経験から味わえる嬉しさが例え1000あったとしても、日々の辛い練習で毎日3ずつ削られているのであれば、総和としての達成度はプラスにすらならないという感覚です。

「過程の楽しさ × 日々の時間」の部分を手段、「目的達成時の嬉しさ」の部分を目的とした場合、仮に目的が達成できなくても、手段の部分で充実度を味わえているのであれば、そんなに幸せなことはないよね、という考え方です。

大学時代の全国優勝エピソード

大学生の時に、全国の大学から1,000人近くの学生が参加する英語の弁論大会で全国優勝したことがあります。
東日本、西日本単位で予選大会があり、それぞれから選出された3人ずつの代表者で最後に全国大会が開催され、優勝者を決めるというものでした。

当時、この活動にともに励んでいた親友がいまして、彼と自分は、そもそも取り組むスタンスが全く違っていました。

彼は、いわゆる目的達成型の考え方で、全国大会に出場するという目的が明確にあり、それを達成するための過程を楽しむという発想はなく、日々悩んで苦しんでいました。
ほぼ毎週他大学を含めた練習会があり、そこで結果を出し続けないといけないというプレッシャーに苛まれ、過程における取り組み自体が楽しいという言葉は、全く聞いたことがありませんでした。
「苦しむこと=目的達成に向かうこと」と考えているのではないかと感じるくらい、「やっていること自体は楽しくない」といつも話していました。

一方で私は、全国大会には出れたらいいなくらいの気持ちでした。それよりも、全国大会出場を目的にしている同年代の仲間たちは、どの大学でも熱い気持ちを持っていて、議論していて楽しいのでやっているという感じでした。

自分の考え方を議論の中で浸透させていくプロセスや、自分と相手の意見が相違するところに対して、その背景にある価値観の違いなどに触れることが楽しかったので、「やっていること自体が楽しい」と感じていました。

結果的に、私と友人は2人とも全国大会に出場することができました。
全国大会出場が決まった時、彼は涙を流して喜んでいたのに対し、私は「よかった」くらいの感想しかなかったのを覚えています。

「過程の楽しさ × 日々の時間 + 目的達成時の嬉しさ」の総和を算出すると、おそらく彼と私の喜びの総和は同じくらいなのだと思います。

だから、私と友人の考え方の優劣の話をしたいわけではなく、「手段が目的化しても、それで充実感があるなら万々歳!」という考え方もアリなのだ、ということを主張したいのです。

今の考え方に繋がっていること

私のそんな価値観は、仕事のスタイルにも出ているように感じます。

仕事なので、チームで何かを達成するという目的が当然あるわけですが、そこに向かう過程がつまらないものには、全く惹かれません。
あるいは、目的達成に向かう手段の部分を、いかに面白おかしくやれないか?ということに考えを集中しています。

私は、仕事においては、ポジティブな人間関係であることを重視しています。

ポジティブな人間関係・空間を構築するということは、自分がやりたいこと・得意なこと・組織から求められていることの重なる部分に位置していて、私ならではの価値貢献ができる分野だと感じている領域です。

私が入社した10数年前の職場では、「仕事とは我慢することである」という価値観・空気感を非常に多くの場面で感じましたが、時代も変わりつつあり、「いかに職場で、仮面を被らず、自分らしくあれるか」ということに価値観がシフトきているのを感じます。

だからこそ、目的達成に向かう過程こそ、あれこれ試してみて大いに楽しみ、色々実験してみて失敗を重ね、それぞれのメンバーが前向きに自分らしくあれる環境作りということを仕事として取り組んでいます。

「成果を出す」部分は譲れない

最後に一つ付け加えておくと、私は「仲良し集団」は嫌いです。

「全く緊張感なく、適当にやっていればいいや」と現状維持を保とうとする集団や、なあなあで事が済まされてしまう環境とは、できるだけ距離を置きたいと考えています。

目的達成に向かう過程・手段をいかに面白く楽しみながらできないか?と考えますが、必ず成果はあげることを意識しています。
楽しむことと成果を出すことは背反の関係では決してなく、過程を存分に楽しんで、真剣に取り組んだ結果として、大きな成果に繋がると信じています。

「手段自体が目的になって夢中になってやっているうちに、当初の目的を達成できる」ということが十分成り立つどころか、目的達成のための手段の部分を淡々と、あるいは苦しみながら取り組んでいるよりも、より大きな成果に繋がるのではないでしょうか。

手段を上手く目的に変えて、「成果を出すという目的に向かう手段・過程は苦しいもの」というバイアスを捨てていきましょう!

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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