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#247 選ばれる「お客様」になろう

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

労働人口の著しい減少スピードと比べて、日本人全体の人口減少は少し遅れてやってきます。それは、平均寿命の延伸により、定年退職した人がすぐに亡くなるわけではなく、そこから数十年間は次のライフステージに入り、モノやサービスの需給で言えば、需要側中心に入ることになります。

結果的に現在直面しているのが、人的労働制約なわけですが、この人的制約は、あらゆるサービスを維持し続けるのが難しい、と捉えられる反面、働き手側の売り手市場とも言えます。
ネットやAIが台頭し、より「個人の時代」というトレンドがやってくる中で、若い人には特にメリットも多く、これまでの様々な当たり前を破壊できるチャンスにもなります。

このトレンドの中で、私たち現役世代が中心となって、緩やかに破壊していきたいと考えているのが、「カスハラ問題」です。
カスハラまで行かなくても、何らかのサービスを提供してくれる人に対して、必要以上に横柄な態度を取る「お客様」。あるいは暴言を吐いたり、意味不明な要求を突きつけてくる「お客様」。

「24時間働けますか」が現代においては炎上対象の価値観となっているように、「お客様は神様です」という言葉も(既にそうなりつつあるのは感じますが)、「いやいや、それは違うよね」という雰囲気がもっと醸成できると良いと思ってます。せめて「いいお客様が、普通です。とてもいいお客様が、神様です」くらいになってほしい。

お客様を選びにくいB2Cのサービスや、これまでの取引関係があるB2Bのビジネスそれぞれで、これまでの関係性を見直し、取引先を整理することはあらゆる業界において決して容易なことではありません。しかし、私たち自身の貴重な人生の時間を、訳の分からないクレーマーのために無駄にしないために、また、会社や自治体などの組織の未来のために、例えば怒鳴って来る相手には、いくらお客様や取引先とはいえ、冷静に選択していくことが必要です。そして、人的供給制約の時代、それがやり易くなっている面があるので、今が「客質」を見直すチャンスだと思うのです。

このあたりで、以前より感じていることがあるので、深掘りしていきます。

意味不明な取引先は、未来を潰す

ここから、B2Cにおける個人のお客様、B2Bにおける取引先をまとめて「取引先」と呼んで話を進めていきます。

まず、怒鳴ったり意味不明な要求事項を突きつけてくる「ヤバい取引先」が、自社にとってもたらす最大の脅威は、労働者の十分な離職理由になることです。

いくらまとまった取引額のお支払いをしていただく顧客であっても、意味不明な要求事項に対して個別に対応していく稼働を考えると、大抵そういう類の仕事に対して対価は支払われないでしょうから、そこは単純に「コストだけかかっている状態」となり、これもトータルで考えた時の利益率がどうなのか?は冷静に判断する必要があります。

そして、より深刻なのは、「ヤバい取引先」は、そこで働く労働者のメンタルに不調を及ぼしてしまったり、その組織の未来を担う若い人の退出を促すことです。
つまり、「ヤバい取引先」は、自社の未来そのものを破壊する存在であり、その辺りも鑑みて、一緒にビジネスができる相手か、ということを冷静に見極める必要があります。
せっかく苦労して採用して、お金と時間をかけて育てた人材が、「ヤバい取引先」によっていなくなってしまう事実。採用・人材育成コストも盛り込んで、取引先との取引額がそれでも妥当なものかは冷静に計算して、見合わないのであれば価格を上げる。そして、固定の取引先依存のビジネスモデルから脱却を図るための議論を社内で起こしていくことが必要だと思います。

私の住んでいる地域の市長選挙の際に、「市役所職員が、いつでも住民の相談に乗る窓口を作る」みたいなことを言っていた候補者がいましたが、こんなのはあり得ないですね。住民の声を聞くことは大切ですが、こんな窓口作ってしまったら、誰も会話の相手をしてくれない、暇でヤバい住民が毎日やってきて、若い市役所職員の貴重な時間と活力を失っていくだけです。

全ての住民が等しくお客様というわけではないですから、貴重な市役所の若い人たちには、そんなクレーマー住民には、安野貴博さんの「AIあんの」のように、AIに相手をしてもらう仕組みを作る方が、より建設的で未来ある仕事です。

「お客様」側の美意識に対する議論

自身が「お客様」の立場の場合、何が必要か。
簡単です、美意識を磨いて「選ばれるお客様」になるための振る舞いと努力をすることです。

「大人の美意識」に対しては、何度か記事でも書いてきましたが、「美意識のない大人はダサい」という当たり前の価値観について、もっと議論される場があっていいと思うんですよね。

自分がお客様の立場で重要なのは、何か有事の際があった時に「自分のことを優先的に助けてくれる関係性が普段から築けているか」だと思います。

例えば大地震があった時、提供中のサービスを維持するためにわざわざ集まってくれる人がいるのか。
人の真価は非常時に問われると言いますが、この時に問われるのは、「選ばれるお客様」であるかどうか、です。

例えばB2Bビジネス上で、いくら発注者と受注者の関係性があったとしても「金銭の支払」だけの上で成り立っている関係性と言うのは、脆くてすぐに壊れてしまいます。

そもそも「カネ」というのは、「ヒト・モノ・カネ」の経営リソースの一つに過ぎず、「お金を払っているのだから、何しても許される」という考え方自体がおかしいです。

いくら破格のお金を払ってくれる取引先であっても、毎日罵声を浴び続け、理不尽な要求にも24時間応えないといけない、という条件であれば、その仕事を受ける人はあまりいないのではないでしょうか。

「このお客さんのためなら、多少無理してでも協力したい」。そう思ってくれる関係性を平時に築いておくことの重要性を頭でわかっている人は多いかもしれませんが、平時において「自分が顧客の立場であろうと、発注先やサービス提供者に対して、敬意を持って接しているか」と問われて、Yesと答えられる人は多くないと思います。

大人にもなって「2歳児のイヤイヤ期のように、イヤイヤと地面で大の字で転がっている人」がいたら、この人相当ヤバい、と感じるでしょう。

職場で怒鳴り散らしている大人に対して、これと同じような目線を向けられる社会こそが、成熟した社会ではないでしょうか。

かつて東南アジアで仕事をしていた時には、月に2回は海外出張で飛行機を利用してましたが、CAさんやグランドスタッフの方に対して、意味不明な要求を言ってたり、横柄な態度を取っていたりする「いい歳こいたオッサン」、結構いましたよ。

そういう人って、会社のお金で出張して、高いステータスのサービスユーザーになったと思いますが、あたかも自分の実力でそのステータスを得たかのように勘違いしているのでしょうね。

よく観察していると、そういう中途半端な人ほど、横柄な態度を取っているのが分かりました。
真に一流の方は、決してそんな態度は取らず、相手が誰であろうと腰が低いです。

横柄な態度、汚い言葉で怒鳴り散らす大人は、「美意識に乏しい幼稚な大人である」という議論をもっと起こしていくことで、社会の浄化作用が働いていくと考えています。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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