【今でしょ!note#23】 「グローバル人財」という言葉の違和感
おはようございます。林でございます。
社内のグローバル系のセミナーに参加したり、色んな本を手に取ってみると「グローバル人財」という言葉をよく目にします。
私自身も東南アジアでの仕事を約10年取り組んできており、世間的にいういわゆるグローバルキャリアも歩んできたのですが、そもそも「グローバル」や「グローバル人財」という言葉が持つ言葉に対して違和感を感じることも少なくなく、私なりに考えていることをまとめておきます。
そもそも「グローバル」とは何か
「グローバル」という言葉を口から発する時に、あたかも海外のことを指して話す人も少なくないですが、「グローバル」=「地球全体、包括的、世界中」などと定義されるように、大前提として日本を含んでいます。
「グローブ」なので、日本も海外も関係なく全体を包み込んでいるイメージでしょうか。
「インターナショナル人財」とは言わずに「グローバル人財」なので、「グローバル人財」というのは、日本でも海外でも関係なく活躍できる能力を持っている人、ということになるでしょう。
じゃあ、日本で活躍できる人と海外で活躍できる人の違いは何か?ということになるのですが、そもそも日本と海外を分けること自体にあまり意味を見出せないのです。
東南アジアを中心に仕事をしていた時は「グローバルビジネスは難しいですよね」とか「グローバル業務に特化した人」みたいなことを言われることもあったのですが、海外で仕事をすればするほど、日本か海外か、みたいな基準で物事を見なくなってくる。
世界中どこでも「結局は同じような人間模様」があり、それぞれの人がそれぞれの人生やプライドを持って生きている、という至極当たり前のことが見えてきます。
日本人でも海外でも、ズルい人はズルイし、保守的で自分のことしか考えてない人もいるし、一貫性があり、人として尊敬できる人もたくさんいる。
そこには、もはや日本かそうでないか、というかなり乱暴な分類など存在せず、あくまでそれぞれの個人、環境、文化があるだけです。
自分が海外の仕事をしたいと思った理由
新卒で入社した時には、「できるだけ国内の仕事がいい、海外ビジネスなど全く興味ない」と言っていた私は、入社して数年経って海外ビジネスに携わりたくなり異動を経験します。
では、どんな心情の変化があったかというと、単に自身のポジショニング戦略に従った、というのが大きいです。
今でこそ普通に英語が話せて、何らか日本以外の人と仕事や日常生活で関係を持つ人は周囲にもたくさんいますが、たった10年前の当時は、自分の周囲にはそれほどいなかったのです。
新卒で入社して、「この領域は自分が一番知っていて、一番頼られる仕事の分野」というのを持ちたいと思い奮闘していたのですが、先輩には自分より詳しい人が沢山いて、トラブルが起きても当時の課長は自分ではなく、まず先輩たちに聞きにいきました。
「数年あれこれやってみたが、ここでは自分が一番になれる分野を持つことは難しいぞ」ということで、「どの分野なら自分が輝けるのか」を考えてたどり着いた答えが、周囲で相対的に得意な人が少なそうな「海外で新しいものを作る仕事」でした。
チャンスを掴むのに必要なことは、常に「プレパレーション & アピールだ!」と考えていましたから、まずはその部署に異動できるように、オンライン英会話を始めます。
私はTOEIC自体は意味がないというスタンスですが、それでも点数があったほうが会社への説明は楽なので、英語を勉強して300点くらい上げました。
そして職場の偉い人が来る飲み会に参加しては、「海外の仕事がしたいので英語勉強してます!TOEICの点数もこれだけ上がりました!」とアピールしていました。
そのようなことを地味に続け、1年ほどで東南アジアでの仕事を担当する部署に異動となり、そこで踏ん張って、「この分野では自分が第一人者」と自負できる仕事の分野を持つことになりました。
私の場合のキャリア選択のポイントは、「海外の仕事がしたい」が先にあったのでなく、自身の生存戦略として、自分が社内で希少性が上がる分野を選んだ結果、それが海外の仕事だった、ということです。
「グローバル人財」に関するよくある質問
話は戻って「グローバル人財」系のセミナーなどに参加すると必ずといって良いほど頻発する質問が次の2つです。私なりにそれらに答えてみます。
「英語力はどれだけ必要ですか?」
「グローバル人財に求められる能力は何ですか?」
1. 「英語力はどれだけ必要ですか?」
少し冷たく聞こえるかもしれませんが、「何のためにそれ聞くの?」て思ってしまいます。
仮に「TOEIC 990点必要です」と答えたところで、TOEICの点数が高い人が英語を使って活躍できるかは別ですし、TOEICの点が高くなくても国を問わず活躍している人も多く知っているため、その質問自体に意味を見出せないからです。
何となくそれを質問する人の頭の前提には、「TOEIC 850点以上であればOK」のような正解のようなものがあって、それに達していれば安心、達してなければ目標にする、みたいな気持ちが透けて見えます。
日本にせよ海外にせよ、仕事や人間関係構築において、最も重要なのは信頼関係です。
英単語を一つでも多く覚えて、自分の言葉でコミュニケーションを取ろうと奮闘する人のほうが、相手の信頼感を得やすいというのは人間心理的に納得できるので、身も蓋もない答えとなってしまいますが、「英語力はあればある方がいいに決まってる」が私の答えです。
なお、「GhatGPTや翻訳ツールの登場により、英語を勉強しなくても良い」みたいな議論もありますが、そんなことは決してないです。
上述の通り、最も大事なのは信頼感で、普段の会話において機械を通じてしかコミュニケーションしてこようとしない人と、一言でも多く現地の言葉を覚えたり、自分の言葉・身振り手振りでコミュニケーションを取ってこようとする人のどちらを好きになるか?を考えれば、明らかに後者ですよね。
王道は、常に地味なものです。飛び道具に惑わされないで、勉強しましょう。
2. 「グローバル人財に求められる能力は何ですか?」
ここまで話してきたように、「グローバル=国内も海外も全部」ですから、「グローバル人財(=多くの文脈で、海外ビジネスを担当する人財)」に求められる能力で、グローバルでない人財(=多くの文脈で、国内ビジネスを担当する人財)には求められない能力なんてないです。
分かりやすいところの差として、「英語力」みたいな話が出てくるかもしれませんが、国内ビジネスを担当する人であれど、日本語のみでリーチできる情報には限りがありますから(日本語で出てくる情報は、オリジナルが日本語で書かれた情報か、誰かが海外の情報を日本語に訳してくれたものに過ぎない)、より上質な情報を得るために英語力は必要な能力でしょう。
「グローバル人財」を「国内でも海外でも活躍できる人」と定義して、「専門性を発揮し、周囲を巻き込んで成果を出せる人」というのが、私なりの答えです。
人として、どの国・地域で仕事をしようが、本質的に求められる能力です。
「グローバル」は、もはや当たり前の概念
私が東南アジアの仕事に携わった10年前と比較しても、時代は大きく変わりました。
7〜8年前に、社内のグローバル研修に講師として呼ばれて最後の挨拶をした時に、"Global business is next to you"と締めくくりましたが、もはや"You are already in a global business"ですね。
身近に当たり前にあるものに対して、「みかんか、それ以外か」なんてあえて区別をして考えないように、グローバルという言葉自体に違和感を感じるのは、それ自身が当たり前の世界だからなのだと改めて頭が整理できました。
面白そうな仕事や環境がそこにあるなら、日本か海外かなんてことに拘らずに、気の向くままにチャレンジしてみましょう!
それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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