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#248 地価高騰時代の日本のリアル

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

1987年(昭和62年)にNHKで3回にわたり特集された「土地は誰のものか」という番組をYoutubeで見たのですが、これがめちゃくちゃ面白いです。
NHKが時間と労力をかけて特集されているのが分かり、他にも面白い番組がないか探してみたいと思うようになりました。

自分が生まれた頃の日本は、バブル崩壊に向かう直前だったわけですが、当時の様子がリアルタイム、かつ映像で分かるので、かなりのリアリティがあるのが面白いです。

戦後日本の近現代史については、現代の産業構造や仕組みにつながるものが多いですから、過去に5年ごとのシリーズでまとめていました。

このNHK特集が放送された1987年の状況は、当時の経済白書から、以下のようなことが分かります。

東京の都市部の値上がりは著しく、郊外地域の住宅地化が一気に進みました。
東京圏でのマンション価格の年収倍率(購入者の年収と物件購入価格の比率をあらわした数値)をみると、85、86年ごろの5倍弱から87年には6倍、88年には7.6倍と急上昇しています。

通常、株価は企業の収益の割引現在価値で決定されます。金融緩和時には、割引率が低下することから株価上昇しやすい特徴があります。
しかし日本では、企業の正味資産(バランスシート上の資産−負債)で株価が決定されていました。そのため、一時点での地価上昇などで企業の保有資産価値が上昇すると正味資産も連られて増大し、株価が上昇する構造になっていました。

また、地価の上昇はそれ自体が担保価値の上昇となり、金融機関の融資を容易にさせます。その資金供給が、さらなる株式や土地の購入資金となり、株価・地価の上昇を引き起こします。

当時文章で整理しても「正味資産で株価決定なんてことがあったのか・・!地価上昇に伴う担保価値上昇でさらに融資を受けて土地を回して・・なんてやってたら、中身がないもので本業より稼げてしまうのでは」とか感じていたわけですが、当時の銀行マン、民間企業、海外の都市計画関係者など、その時代の渦中にいる人たちの声がリアルなものとして、立体感持って伝わってきました。

当時を知るにはとてもいい番組なので、ぜひ皆さんも見られてみて欲しいのですが、今日は、私がその中でも印象的だった点をいくつかご紹介します。


垣間見える当時の日本人の価値観

当時の地価高騰の背景には、番組内でマッキンゼー日本支社長時代の若き大前研一さんが指摘されている通り「戦後40年近くほとんど変わっていない日本の都市政策に関する法整備や規制の不十分さ」があり、そこに民間企業や個人が土地投機に走ってしまう構造的な欠陥があったと言えます。

1980年代前半には、都心から20Km以内であれば3,000万円のマンションが十分に購入できましたが、1980年代後半の数年で一気に都心から50Km範囲、電車で片道2時間程度かかるところでないと同じものが購入できなくなりました。

地価高騰に伴い、相続税も高騰します。
田園調布で100坪の土地を持つ四人家族の場合、1984年に1,000万円の相続税だったのが、1987年に5,000万円、地価がそのまま上がれば1990には3億円を超えることが予想される、というように番組内で紹介されています。
「老後の不安どころか死後の不安」を感じた人が、相続税対策として銀行から借り入れて無理やりマンション購入に走ったことも、更なる地下高騰の原因となりました。

都心住宅地の上昇率は1986年から1987年の1年でなんと79.1%で、小田急線沿線の地価は一年で2倍に跳ね上がったそうです。
今、5,000万円で購入しようとしていた物件が、同じスペックで来年は1億円になっているということですよね。これが今住んでいる東京で実際に起きていたと考えると、本当に恐ろしいです。

「家や土地を持てないなら働く意味がない」と語る人が出てきますが、「所有」をベースにしたマイホーム信仰って本当にあったんだな、と。たった30年余りで「シェア」の価値観に推移してきているわけですから、今リアルで発生していることも、30年後の人が見たら、驚かれるような価値観が沢山あるはずですよね。
「え、本当に満員電車ってあったんだ。誰トクなの・・」みたいな感じ。

土地転がしに必死な企業たち

もともと都内に広大な土地を持っていたセメント会社が、「事業の多角化」という調子のいい掛け声で不動産事業に進出する、という話も紹介されています。
帳簿価格667億円で購入した土地が、なんと時価5兆4256億円にも膨れ上がり、含み益は、5兆3589億円・・!
担保価値が大幅に増大し、バランスシートも100倍近く大きくなり、株価も合わせて上がる構造では、企業側は「おかしい」とどこかで分かっていても、麻薬のような土地転がしに夢中になってしまっていたのでしょう。

資本金500万円の有限会社の社長も、「毎年の営業収支は赤字だが、土地の値上がりにより自社が『急成長』してる」なんてドヤ顔で言っちゃってます。
元々何の会社なのか全く分からず、誰も彼もが土地転がしに必死になっています。

「本来は、購入した土地の上で、作ったモノやサービスの魅力で資産が決まるのに、土地を持ってるだけで資産が決まるというおかしなことが起きている。国内で使いきれないお金が、海外への投機のインセンティブとなり、海外の地価高騰を引き起こして現地の人が住めなくなり、世界中から袋叩きにあうことも予想される」と指摘している大前研一さんの言葉の通り、その後のプラザ合意、バブル崩壊へと向かう日本の姿を答え合わせ的に知っている現代の私たちとしては、何とも恐ろしい映像です。

未熟な日本の都市政策

当時、地価は上がっているものの、家はますます小さくなり、生活の質は悪化している「かわいそうな金持ち小国・日本」というように海外から見られていました。

「日本をお手本にしてきた韓国も、都市政策だけは反面教師にしている」と言われていたように、確かに状況は違うので単純比較はできませんが、日本の都市政策は未熟だったと思わされます。

例えば、西ドイツのケルンでは、利用計画に応じて地価が決まるとのこと。「事務所用地は1平方メートルあたり4万円、住宅用地は2万円、公園は400円」と設定されていたのに対して、当時の汐留開発計画では、中長期の都市計画はなく、一番高い値段がつく人に売ってしまうという乱暴さがありました。

以下の記事でご紹介したバカンス大国のフランスでも、政府が庶民のために作ったバカンス用のリゾート地では、海岸の洒落たマンションに家族4人が1ヶ月過ごしても費用はなんと10万円。

これは、政府が25年前に地価凍結地域に指定したからです。高度成長期の1960年代、土地投機が開発の最大の障害とみた政府による対策でした。はじめは、地価凍結地域の導入はかなり思い切った政策と見られていたようですが、1987年時点で、東京都の3倍の面積で地価凍結されていたようです。

その他、ミラノ、ミュンヘン、ソウル、ロンドン、スイスなどの事例が紹介されていますが、いたずらに土地投機が起こらないよう、政府や行政がかなり厳密に規制していたことが分かります。

日本でも、例えばロンドンを倣って、1956年に「首都圏整備法」のもと、多摩地域におけるグリーンベルト導入を試みた経緯があるらしいですが、地元住民にとっては開発規制がかかるため、調布市・府中市を中心とした強い抵抗に遭い、あえなく断念したとのこと。
グリーンベルトとは、都心から30分近い場所を緑地化して、際限ない土地増長を防ぐ対策です。グリーンベルトから車で30分付近にニュータウンを作り、一定の分散型居住空間を作り「職住融合」を図りました。

結果、多摩地域にも都心化の波が容赦なく押し寄せ、当時の東京の写真を見たロンドンの都市計画関係者の方が言葉を失っていた表情が強烈に印象に残っています。

番組の終わりに「日本は欧米から学ぶことはこれ以上ないが、都市政策に関しては、日本はまだ未熟」という言葉で締め括られていますが、本当にこんな時代があったことに驚きです。

現代は、日本が反対の立場で、海外からの投機を受ける側になっています。政府や行政がやれることはまだまだ大きく、また現代を生きる私たちも将来世代のための選択をする立場にあるため、後世に胸を張れる選択をしていくことが大切ですね。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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