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【今でしょ!note#19】 1991-95年 バブル崩壊後の低迷(経済白書から現代史を学ぶ その10)

おはようございます。林でございます。

「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズその10です。

前回ご紹介した1980年代後半は、力強い民間消費・民間設備投資といった国内需要に主導された経済成長で、先進諸国きっての労働生産性の高さを誇る弱点のないものと思われました。

しかし実態は、たった2年で対ドルでの円の価値が2倍になるといった異常な円高の進行による大幅な実質所得の増加に伴い、単に高いものが選好されるだけの消費や民間住宅投資ブームが広がっただけ。

地価上昇に伴う企業の担保価値増大を受けて、更に受けやすくなった金融機関融資を株式や土地の購入資金の再投資に回し、更なる地価・株価上昇を引き起こしていただけという、不健全なカラクリにより支えられた見かけの成長に過ぎませんでした。

今回は、90年代前半のバブル崩壊後の低迷について触れていきます。


長期的な低迷状態の入口

90年代に入ると、日本経済は長期的な低迷状態に陥ります。

きっかけは、資産価値の大幅な下落です。80年代後半に高騰した地価・株価は、90年代に入ると一転します。
株価は89年度末をピークに下落し、地価も全国では91年から下落を始めます。その影響が様々な形で現れ、日本経済はバブルを伴った好況の後始末に追われるようになりました。

91年度の四半期ごとのGDP成長率で見ると、1〜3月:6.9%、4〜6月:4.0%、7〜9月:1.7%、10〜12月:0.1%減と、非常に速いペースで成長鈍化傾向に入ることが分かります。

高い伸びを続けてきた設備投資・住宅投資などもストック調整局面に入ります。
91年度の実質民間設備投資は3.0%増に留まり、86年度以降の低い伸びを示します。

資産価値の下落も続き、株価は89年末をピークに続落。
92年3月末の日経平均株価は、ピークから50%下落しています。
90年後半より、地価下落は全国に波及し、92年1月の公示地価は前年比4.1%の下落となり、75年1月以来17年ぶりのマイナスを記録しました。

日本経済新聞 2021年2月15日 より引用
バブル崩壊後の日本企業株価の
長期低迷がよく分かる

東京証券取引所の平均株価は、1985年9月の1万2589円から89年末の最高値3万8915円へと3.1倍となりましたが、その後急激に下落し、92年8月末には1万430円と約3分の1強になります。
東京圏の地価は、ピークの90年には85年末と比べ約4倍まで上昇しますが、96年にはピーク時の4割程度まで下落しました。

90年代前半の低迷

92年度に入ると低迷状態は広がり、実質GDP増加率は0.8%となりますが、内需寄与度(民需と公需のGDPへの寄与度)はマイナス0.1%、民需寄与度はマイナス1.3%と、国内経済のマイナス成長が明らかになっています。

製造業を中心に設備投資のストック調整が本格化し、地価下落による銀行の不良債権増加、株価下落による株式含み益の減少により、生産の停滞が長期化します。
企業収益の減少に対応し、ボーナスは抑えられ、雇用者の数も減らしたことから、雇用者所得の伸びは急激に低下、個人消費の伸びを低下させました。

91年半ばから調整局面に入り、93年秋、景気指標は回復に入ったことを示しますが、回復力は弱く、93年度の経済成長率はゼロ成長となります。
これは、円高の急激な進行による将来需要への不安により、民間設備投資が伸びず生産を伸ばせなかったこと、雇用調整によるボーナス減・雇用削減で個人消費が低迷したことによります。

その後の2年間も調整局面が続き、回復が始まったのは95年秋以降となります(95年の経済成長率は2.3%に)。
個人消費が伸びを高め、設備投資が増加に転じたことが要因です。

90年代前半全体で見ると、次の3つの観点で低迷の渦中にいたと言えます。

第一に、経済成長率が大きく低下していること。
実質GDP増加率は、5年間平均で1.3%に過ぎず、80年代(前半3.4%、後半4.8%)に比べても大きく下がりました。

第二に、この低成長は民需の伸びが低く、財政・金融政策に支えられたものであったこと。
民間投資はマイナスで、政策的な公共投資により、辛うじてプラス成長を維持していました。外需も成長に寄与しませんでした。

第三に、人手不足から人手過剰に転じ、厳しい雇用情勢となったこと。
完全失業者は90年度の134万人から、95年度の216万人への6割増加しています(失業者率で見ると、2.1%→3.2%)。

低迷の三要因

低迷の要因は、主に次の3つとなります。

  1. 企業の過剰な資本ストック調整

  2. 資産価値の大幅下落

  3. 繰り返し進んだ円高

1. 企業の過剰な資本ストック調整

第一として、80年代後半の好景気で生まれた企業の過剰な資本ストック(企業設備の総量)の調整が挙げられます。

過大な需要見込みに基づく無茶なリゾート開発、豪華な独身寮、福利厚生施設などのダブついた設備が経営課題となり、一気に調整局面に入りました。
家計においても、高級自動車や輸入家具など、贅沢な消費から良質安価な消費に移りました。

なお、現在においては、2000年からの20年間で資本ストックは1割程度しか増えず、投資を控えることで低成長に陥り、それがまた投資抑制に繋がるという負の循環に陥っています。

2. 資産価値の大幅下落

第二として、資産価格の大幅下落という、バブル崩壊の影響が挙げられます。
金融の借り手となる企業や個人にとっての地価下落は、投資物件の価値下落という被害、借入金の担保不足というダブルパンチをもらたしました。

80年代後半以降、有利子負債が増加し、利払負担が収益を圧迫します。
生み出した収益は借入返済にあてられ、企業活動の前向きな投資に回せない。また、貸し手の金融機関は不良債権を抱えることになり、融資に慎重になり、成長の原資となる投資行動が抑制されました。

3. 繰り返し進んだ円高

第三として、繰り返し進んだ円高の影響が挙げられます。
91年度の1ドル133円から、95年度の1ドル96円、一時的には1ドル80円を割るという、超円高となります。

これを受けて企業の生産活動は、輸出を対象とした国内生産体制から、輸入を視野に入れた海外生産との分業体制へと動き始めます。
これは国内企業活動を抑えることになります。
国内中小企業にとっても、大きな先行き不安要素となりました。

安定した持続的成長を目指して

長引く低迷に対し、政府、日銀は、次から次へと財政面から需要追加策を講じました。

日銀は超低金利、超金融緩和策を取ります。
公定歩合は91年7月以来、7回にわたり引き下げられ、93年9月には1.75%となりました。
また、95年9月には、0.5%という当時の史上最低の超低金利が設定されます。

こうした政策の効果もあり、95年秋には設備投資増加に転じ、雇用過剰感もバブル期前に戻りました。
しかし次の課題として、安定した持続的成長を維持ことが指摘されています。

次回は、長く続いた「経済白書で読む戦後日本経済の歩み」シリーズの最終回です。
依然として、緊張と不安の中にあった90年代後半について取り上げます。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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