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【農と食に関わりたい一大学生のつぶやき】私と牛と酪農と

こんにちは!農と食に関わりたい一大学生です(笑)

今回は酪農や牛への思いを書きたいと思います。


北海道に来て初めて触れた酪農

 自分は大学で北海道に来て初めて酪農の世界に触れました。それまでは、牛を見たことすらほとんどなく、牛乳や乳製品がどうやって作られているのか全然わからなかったのです。北海道大学には札幌キャンパスの構内に牧場があるのですが、はじめて間近で見る牛がすごく新鮮だったのを記憶しています。サークルの活動の一環として北海道大学の牧場に入らせていただいたときは、牛がちょっと怖かったので、牛の様子を伺いつつ恐る恐る近づいていく…という感じでした。

酪農家さんのもとへ

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 サークルの合宿で初めて酪農家さんのところにお邪魔させていただきました。これが大学1年生の冬でした。2泊3日の合宿で、釧路のほうに伺いました。つなぎ牛舎にずらーーっと並ぶ牛たちは圧巻で、牛舎の中には特有のにおいと熱気とが立ち込めており、「ああ酪農をしに来たんだな」と感じさせるそんな空間でした。

 酪農家さんの朝は早く、早朝5時には起きて搾乳やえさやりをやっていました。眠い目をこすりながら、牛の巨体にビビりつつ搾乳作業をやっていたのを思い出します。人の手で牛の乳房に搾乳用の機械を取り付けるのですが、牛が少し動いただけでビビッてへっぴり腰になってしまうので、なかなかうまく機械も取り付けられませんでした。酪農家さんが平然と牛の下で(搾乳をするために)かがんでいるのを見て、「ひえーこわー」という感じでした。

 その時は本当に牛は自分にとって「乳をだすやつ」「体のでかい怖いやつ」という印象が強かったです。作業に慣れたり牛に慣れたりするのに一杯一杯で、牛についてよく考えるということはなかったなと。牛は牛という感じで。牛についてもう少し考えるようになったのはそこから2年半の月日がたった大学4年生の7月でした。

牛に名前を付ける

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 2021年の7月、十勝のとある牧場にお邪魔しました。その牧場で仔牛の管理をしているしょーたさんと出会いました。少しばかり話したあと、しょーたさんは「生まれたての仔牛がいるんだけど、名前を付けてほしいんだ」と言いました。

「牛に名前?」

 当時の自分は牛に名前を付けるということをしたこともなかったし、そもそも名前を付けるものだとも思っていませんでした。「なんで名前なんて付けるんだろう?」という気持ちでした。

 そう思いつつも、しょーたさんに紹介してもらった仔牛に触れたとき、ガクガクぶるぶると震えながら頑張って立とうとしている!そんな仔牛に触れた瞬間、なんだかとってもこの仔牛が愛おしく思えてきました。生後1日の赤ちゃん牛だけど、この子は全身で生きようとしている!そんな感覚を覚えました。

 「明日までに名前考えてきてねー」。その晩に考えた名前は「サッチー」という名前でした。「この子がこれから幸多き人生(牛生?)を歩んでほしい」という願いを込めました。

とのちゃんとの出会い

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 その牧場では、牛一頭一頭に名前があるそうです(もともと牛には名前が一応あるそうなのですが、この牧場では来訪者やしょーたさん自身が牛に名前を付けています)。そうした牛たちの中に「とのちゃん」という牛がいました(たしか殿様のようだという理由でそういう名前が付いていました)。とのちゃんは一見するとなんの変哲もない牛です。ほかの牛と変わらず、牛舎でのっそのっそと餌を食べています。

 しょーたさんが聴診器を渡して「とのちゃんの心臓の音とほかの牛の心臓の音を比べてごらん」と言いました。聴診器を当てて心臓の音を聞いてみるとほかの牛は「どくんどくん」という比較的ゆっくりなペース。とのちゃんの心臓の音は「どくどくどく」と大きく早く聞こえました。なんで?

「とのちゃんはね、心臓が悪いんだ。心臓に穴があいているんだ」

 とのちゃんは心臓が悪く、また体内に細菌が繁殖しているかもしれないとのことでした。そのため、(妊娠させることが難しいため)乳を出すことも難しく、かといって肉牛として出すのも厳しいということでした。体温もほかの牛より高いため、ほかの牛ではありえないくらいたくさんのハエが寄ってきていました。生きている牛に無数のハエがたかっている。とのちゃんの生の現実を突きつけられたようでした

「とのちゃんの命にいったいどんな意味があるのだろう」

 これはしょーたさんの問いかけであると同時に、しょーたさん自身の悩みでもありました。(ここからは自分が感じたことですが)酪農は道楽ではないので、牛にお金を稼いでもらう必要があります。しかし、とのちゃんは乳牛にも肉牛にもなれない、言ってみれば経済動物としては「無価値」な存在です。しかし一方で、そこには一つの生き物の命がある。経済動物として無価値だから、牛の命そのものが人にとって無価値なのかというと必ずしもそうではない。しかし、少なからず経営を圧迫はします。しょーたさんは牛一頭一頭を大切にされているからこそ、そこの間で悩まれているのだと思いました。

 「そもそも牛の命の意味を人間が決定しようと考えている時点で人間のエゴなのでは」。そう考える人もいるかもしれません。最初は自分もそう思っていました。しかし、どうしたって牛はしゃべらないし、牛が経営の根本を握っている以上、人間が決定(あるいは決定に準じたことを)せざるを得ない。牛に対する価値判断を人間がしなければならない。牛の主張がわかったら少しは楽になるのかもしれないですね(笑)。

 とのちゃんの命の意味は簡単に答えが出せるものではありませんでした。たしかに、経済動物としては無価値だ。しかし、とのちゃんがいることで牛の命に対して真剣に考えている自分たちがいる。それこそが価値ではないか。。。命について考える教育的価値があるのではないか。。。その教育的価値をお金に換えるためにはどうしたらよいか。。。結局お金?。。。そんなようなことをごちゃごちゃと考えていましたが。

 結局、「触れているとのちゃんがとてもあったかい」ということが自分の中での一番の印象でした。そうして生きているとのちゃんを前にすると、不本意ながら少しだけ目が潤んでしましました。「可哀そう」という気持ちも結構あったと思います。(牛にしてみたら「何が可哀そうなんじゃい!」と思っているのかもしれませんね。)それと、生きているという事実を突きつけられたから、というところでしょうか。(言語化が難しい。。。)

奥深いぜ、酪農

 この経験でひとつわかったのは、自分が安易にとらえていた酪農は思ったよりはるかに奥行きがあったなということです。まだほんの入り口なのかもしれない。まだまだ見えてないことがきっとたくさんあります。

 結局、人によって牛に対する価値判断は様々であると思うし、だからこそいろいろな酪農経営の仕方があるのだと思います。「酪農」は一枚岩ではなく、本当に人によって様々な考えのもとで行われているのだと思います。

 牛と酪農について紐解いていくために、これからも牛と酪農について書こうと思っています(to be continued)。

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