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富、財産の世襲・相続制度の起源と歴史について。

財産の「世襲」「相続」といった制度の起源は、実際に相続や世襲の対象となっている「富の起源」と密接に関係してきます。

この記事では、そんな「相続」や「世襲」といったものの起源について論究していきたいと思います。

いわゆる「文明社会」の前段階にある、未開社会から古代社会までの富(財産)にあたるものは、牛などの家畜、穀物などの農作物、そして、それらを生み出す土地などだったと考えられています。

いわゆる「お金」というものが富の象徴となるのは、現代的な「国家」の原型となるような社会性を有する共同体が生まれた後の話であり、それに先立つ段階では、その時代において実用性のある物資が「財産」とみなされていました。

その上で、最も「原始的な社会」とされる段階は、人々が狩猟などによって生計を立てていた「狩猟採集社会」であり、農耕の開始と共に広まったとされる「農耕社会」の前段階では、人々は野生の動植物を狩猟・採集して生計を立てていました。

このような「狩猟採集社会」で『財産』と言えるものは、実際に捕獲した野生動物の食肉や毛皮などであり、このような時代(社会)においては、中世のヨーロッパや日本に見られるような、顕著な「富の不平等」や「社会的な階層」のようなものはなかったとされています。

現代においても、アフリカなどの辺境に存在する伝統的な狩猟採集民の部族などでは、獲得した食糧などを公平に分配して消費する習俗が見られるという記録があり、そのような民族の中には部族内における「不平等」や「階層」を作り出さない配慮が見られる部族も確認されているようです。

狩猟採集民族サン人の集落(wikipediaより)

南部アフリカの狩猟採集民族であるサン族は、蓄積、権威の誇示を控える風習が強く、大量の捕獲に成功した優秀なハンターは、その後、狩りには出ないようにして分配される側にまわる。彼等には所有に対する欲望がなく、食料や物資の共有を通じて経済的平等を奨励する社会慣習を持っている。

キャッシュダン、エリザベスA「狩猟採集民の平等主義」より

狩猟採集社会における共有・共存社会の合理性。


農耕社会以前の狩猟採集社会においては、そのような生活をしている全ての人々が、長期的な食糧の確保を必ずしも保証されるわけではありません。

そのような状況下で、近隣で生計を立てているような同じ部族内の人々が、限られた動植物を互いに競合して奪い合っていくような行為はどう考えても合理的ではないと思います。

ゆえに、同じ集落で生計を立てているような狩猟採集民の場合、それぞれが狩猟、採集によって手にした食糧を互いに共有して分け合っていくことには「生存上の合理性があった」ということになります。

ゆえに、農耕社会以前の狩猟採集社会では、自然的、必然的な物資の共有を前提とするような平等性の高い共存社会が実現できていたということです。

とは言え、そんな共存生活の中でも、家族単位では特定の土地の上に家屋を構えることもあり、そこでは家族単位で共有しているような「衣服」や「狩猟道具」などが実質的に『所有』されていることになります。

そのようなものが、この時代における『財産』にあたるものであり、それらは親から子へ、また、その子供へと世代を跨いで、自然的な事の成り行きとして『相続』されていました。

ですが、ここで言う『所有』『相続』という概念は、現代的な私達の解釈であって、狩猟採集社会で生活している人達には、そのような意識や概念は存在しませんでした。

彼等にとってみれば「土地」のような自然を「所有する」という意識や概念がそもそも皆無だったからです。

「土地所有」の概念そのものを持っていなかったアメリカ先住民。


この大地をどうやって金で買うというのか。それがどういうことなのか、私には分からない。地上にあるものはすべて神聖なもので、私はこの大地の一部で、大地は私自身である。大地は わたしたちに属しているのではない。わたしたちが 大地に属しているのだ。白い人よ。この大地と空気をどうか神聖なままにしておいてくれまいか。わたしにはあなたがたの望むものがわからない。

インディアン酋長シアトル「米国大統領フランクリン・ピアスへの手紙」より

ヨーロッパの探検家や入植者がアメリカ大陸の先住民と接触した際、先住民達は「土地の私的所有」という概念そのものを持っていなかったことが分かっています。

このような「土地所有」の概念におけるヨーロッパ人との根本的な違いが、武力による略奪のみならず、米国においては、現代においても有効性を残している「法的な略奪」をも許す要因になってしまったということです。

ただ、ヨーロッパ諸国の入植者達がアメリカ大陸を侵略し始めた15~16世紀頃において、ヨーロッパ大陸では土地の私的所有が当然のように行われている中で、なぜ、海を隔てたアメリカ大陸では、そのような風習が全く形成されていなかったのか。

その要因として、一般的にはヨーロッパ諸国における封建社会、およびキリスト教の普及に伴う形で形成された価値観と社会構造の違いが大きいと言われています。

確かに上層階級による土地の領有とその主従関係を前提とした「封建社会」が、土地の「私的所有」や「相続」の制度を密接に関係していることは明らかだと思います。

また、キリスト教の影響としては聖書(旧約聖書)において、土地の私的所有や相続を伝承するような記述が見られることに起因しています。

-イスラエルの子らはそれぞれその父祖の相続地を所有する
-イスラエルの子らの部族は、それぞれ自ら相続地を守らなければならない

旧約聖書「民数記」第36章8~9節

もし人が死んで、息子がいないなら、その相続地を娘に与え、その娘がそれを所有する。
もし彼に娘がいないならば、彼の相続地を彼の兄弟たちに与え、その兄弟たちがそれを所有する。
もし彼に兄弟がいなければ、彼の相続地を父の兄弟に与え、その兄弟たちがそれを所有する。

旧約聖書「民数記」第27章8節

ですが、同時期(15~16世紀)の日本は、室町幕府の衰退から織田信長、豊臣秀吉の時代に移る「武家政権」による封建社会の過渡期にあたる時代でしたが、この時代の日本にキリスト教は全くもって「普及」はしていません。

それでも、ヨーロッパと同様にすでに土地の私的所有や相続(世襲)が、少なくとも封建領主(守護・大名)や貴族階級(公家)の間では、当然のように行われていたことが分かっています。

よって、キリスト教のような宗教的な要因や、聖書の解釈に基づく価値観の形成などは、少なくとも、土地などの財産における私的所有や相続制度に対して、そこまで明らかな因果関係を有するものではない可能性が高いということです。

「封建社会」を形成した要因。


では、古代から中世にかけてのヨーロッパや日本、また中国に存在したような、一部の上層階級による土地の領有とその主従関係を前提とした「封建社会」は何を原因として形成されていたのか。

また、同時期のアメリカ大陸においては、なぜ、そのような封建社会が形成されていなかったのか。

現代のように土地などの財産を私的に所有し、それを相続していくような社会体系は、古代から中世にかけてのヨーロッパ、日本、中国などにも見られる「封建社会」がそれに先立つものであったことは間違いありません。

対して、アメリカ大陸の先住民などは、そのような社会体系を形成せずに封建社会に比べれば、遥かに平等な社会体系を確立していました。

ですが、アメリカ先住民の間でも、部族(共同体)単位による土地所有もしくは土地の占有という概念を有する部族もあったようで、そのような部族同士の戦争や侵略なども、少なからず行われていたことがわかっています。

そんな共同体単位で土地の占有などを争っていたような部族に共通していたとされるのが「狩猟採集」に対して「農業(農耕・家畜)」の方にも、ある程度の比重を置いていたという点です。

そしてこれは、古代から中世にかけてのヨーロッパ、日本、そして中国において、より顕著に同じ事が言える要因に他ならないものでした。

社会全体において狩猟採集よりも農業(農耕・家畜)に比重を置き、その依存度が高くなるほど「土地」に関わる所有の意識、それに伴う争いや不平等などが生じていたということです。

生産性の高い土地とそこへの定住という社会習慣が生まれ、やがて穀物などの蓄積が可能な作物の生産が行われるようになった頃には「食糧の蓄積」が行われるようになります。

そのような中でアメリカ先住民は、どの部族にも、ほぼ共通して「狩猟採集の習慣」がそのまま高い比重を置く形で残っていたことからも、農業への依存度が極度に高い部族は、生まれていなかったことになります。

ゆえにアメリカ先住民による部族社会は、ヨーロッパ、日本や中国で見られたような、一部の土地所有者達が社会的な階層を形成していく封建社会には至らなかった「歴史的な事実」があるわけです。

ただ、もしもアメリカ先住民の幾つかの部族、もしくは1つの部族でも、ヨーロッパや日本のように、完全に農業に依存するような部族が生まれていたなら、そのような部族から中世のヨーロッパや日本のような封建社会が形成されていたかもしれません。
彼等はそのような社会を形成しなかったからこそ、ヨーロッパ諸国の探検者達が接触するまでの間は、中世の日本やヨーロッパに比べれば、遥かに平和で平穏な日々を謳歌することができていました。
ただ、その後の彼等の悲劇は歴史が知るところだと思います。
それこそ、日本やヨーロッパが辿ったような封建社会を形成していれば、その後、平穏な日々を過ごすことはできなかったかもしませんが、ヨーロッパ諸国の入国者達の一方的な侵略は、防ぐことができたかもしれません。
アメリカ先住民達がそんな歴史を辿ることが出来ていれば、今のアメリカ合衆国は、アメリカ先住民達による完全に別物の国家になっていた可能性もあるということです。

農耕社会によってもたらされた「土地所有」という価値観。


牛、馬などの「家畜」が重宝されるようになったのも、これらの家畜が農業の生産性を高めるからであり、これらを「財産」と見なす原始的な風習も、やはり「農耕社会」の発展から生じています。

そういう意味で言えば人類において最初に「富(財産)」として、多くの人がそれを意識するようになったものは、貴金属でもなければお金でもなく、生存に不可欠な食糧を生み出す「土地」に他なりません。

日本においては穀物(米)がお金の代わりを担うような時代もあったくらいですから、それ自体を生み出す「土地」というものが、何にも代え難い「富(財産)」であったことは想像に難しくないと思います。

よって「富」の起源、そして、それを「相続」「世襲」するという社会的な制度は、他でもない「土地の相続(土地所有の相続)」に、その起源があるということになります。

歴史上の「土地所有」の概念が形成されたのは、狩猟採集社会が農耕社会へと移り変わっていく過程においてであり、その中で土地所有における「秩序」が慣習化されていきました。

近隣の土地を開拓した者同士が、互いが開拓した土地を侵害することを避け、また、互いの土地を尊重し合うことで一定範囲の集団間で「土地所有」における暗黙の合意が成り立つようになっていきます。

そして、そのように土地所有者となっていった者達は、時に外部の侵略者との争いにおいて、強力し合うようになり、その中で、とくに力のある土地所有者は必然的に、その一帯の「領主」となっていきます。

そのような「領主」としての「地位」や「権威」が強まっていくと共に『土地(領地)』と、その『権力』を維持していく「必要性」が生じてくるようになるわけです。

土地と権力の世襲・相続は、その「必要性」から。


現代や近代のような中央集権的な「国家」や、いわゆる「地方政権」などが全く存在しないような時代において、自らが開拓し、定住を決めた土地などは、開拓者自身が自分でその土地を守るしかありませんでした。

そこで近隣の土地開拓者(土地所有者)は互いに協力し合うようになり、互いの所有地を護り合う仲間(同士)が多くなるほど、その一帯の「領主」を中心とした「領地」は、より盤石なものになっていきます。

つまり、この時代における一定範囲の封建的な「領地」は、土地所有者達の互いの利害の上で形成されたものであり、そのような領地を「維持」することにも、必然的な「利害の一致」がありました。

ゆえに、そのような「土地所有における相互的な合意」は、家族単位の家長の立場にある者だけに及ぶものではなく、その所有地がその家族に世襲、相続される自然の流れも含めての「慣習」となっていったと考えられます。

また、そのような集団社会の間で慣行されていくようになったものが「慣習法」と呼ばれるものの原型であり、古代から中世にかけては、このような「慣習法」こそが、実際に法定拘束力を持つ「法源」の中心でした。

アテネの慣習法に基づく裁判よって死罪となったソクラテス

現代的な「文章」による法(成文法)を定めずとも、集団社会の中で自然的に慣習化されていった慣行が、歴史的には紛れもない「法」として、十分に機能していたということです。

世襲・相続の制度はやがて長子相続制へ。


世襲、相続の制度的な歴史においては、家族単位の所有物は土地なども含めて、家族単位においては「共有の財産」とみなしていた傾向にあり、その場合における財産の相続は、常に生存している家族間による「共有」が必然となっていました。

ただ、社会全体に「封建社会」が根付いていくと共に、複数の土地所有者から成る領地内の「領主」の地位を維持することが、領地内における「地位」と「権威」の維持において不可欠となってきます。

そこで必然的に慣習化されていったのが「長子相続」の制度であり、所有地を分割させずに一人の家長に土地を含めた財産の全て相続していくことで、その家の地位と権威を保とうとする慣習が根付いていくようになります。

この「長子相続」の制度は中世のヨーロッパ、日本、どちらにも共通して見られた兆候であり、どちらも共通して成熟化した封建社会においては長子相続の制度が維持されていました。

そして、ヨーロッパ、日本、いずれもヨーロッパであればフランス革命、日本であれば明治維新による封建制度の終焉と共に、長子相続制度も徐々に変遷されていくようになります。

そして現代の「相続」制度へ。


現代においても故人の財産(富)を、その遺族が相続していく「相続」の制度が、日本のみならず、世界各国において存在します。

いわゆる「富」の対象となるものや、その在り方は時代と共に変化していますが、その起源と言えるものは現代においても、人間の生存には欠かせない「土地」にあることは、多くの歴史が証明している紛れもない事実です。

そして、近代的な「国家」が形成されるようになって以降、その構成員における土地を含めた財産の「所有」や「相続」という制度は、他でもなく国家の後ろ盾のもとで成り立っています。

警察権力などの国家権力が在るからこそ、土地を含めた、その国の構成員の財産の所有権が保護され、また、それらの相続が、そのような国家権力の保護のもとで行えるようになっているということです。

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例えば日本の場合、実質的にほぼ全ての国土(土地)が誰かの所有地であり、いわゆる「私有地」にあたる土地に無断で侵入すれば、その所有者や近隣住民などの通報によって、すぐに警察官が飛んできます。

土地の「所有」は、その土地を独占的に自由にできる権限と、第3者による利用や侵入を排他する権限を有することを意味し、実際に国家権力を用いてそれを実力行使することができるということです。

古代から中世にかけては、そのような「実力行使」を自らの手で行う必要があったはずであり、中世の領主(貴族・大名)なども、基本的には、自身の領地は自分で護る必要がありました。

そんな時代に比べると、現代の土地所有者は、自らが所有する土地の保護や実力行使は全て国家権力が担ってくれています。

更に、その国家権力の維持費用は全て全国民の「税金」で賄われています。

ゆえに、先進国において、多くの土地を所有している「地主階級」にあたるような人達は、土地を全く持たないような人達に比べて、明らかに「国家権力による恩恵」を多く受けていることになります。

そのような視点から『国家における国家権力の維持費用となる財源(税金)は、その国の土地を所有している地主階級が、その土地から得た収益によって、その多くを賄うべきである』ということを主張したヘンリー・ジョージという政治経済学者がいました。

ヘンリー・ジョージ(米政治経済学者:1839 - 1897)

経済学の分野において知名度が高く、多くの人が目を通したであろう古典論文としては、アダム・スミスの「国富論」やカール・マルクスの「資本論」などがありますが、個人的にはヘンリー・ジョージの古典論文の方が、遥かに一読する価値があると思います。

そんな視点も含めて、日本における地主階級がどれくらいの経済的な恩恵を受けているのかを、日本における居住地以外の土地を所有している地主階級を対象に推計した記事がありますので、もし興味があれば、こちらも併せてお読みください。

ある土地に囲いをして「これは私のものだ」といおうなどと思いついた最初の人こそ、政治社会の真の創始者であった。
(中略)
その囲いのための杭を引き抜き、あるいは堀を埋めながら「このペテン師の言う事を聞いてはいけない。土地や果実は誰のものでもない」と仲間たちに叫んだ人がいたなら、人類はどれほどの犯罪、戦争、殺戮を、どれほどの悲惨と恐怖を免れることができたことか。

ジャン=ジャック・ルソー「人間不平等起源論」

所有権のないところに不正義はない。

ジョン・ロック「人間知性論」

上述したジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソーなどのように「不平等」や「不正義」の起源を「土地の所有権」に遡る歴史上の哲学者、社会学者は決して少なくありません。

ただ、ここで上述したプロセスはあくまでも「世襲・相続制度の起源」にあたるものであり、それ自体が「不平等そのものの原因」や「貧困の原因」というわけではありません。

では、未開社会、古代社会から形成されるに至った「富(私有財産およびその所有権)」が、どのような経緯を辿り、その不平等を拡大させると共に「貧困」というものを作り出すに至ったのか。

もし、そんな富の不平等、および貧困の「原因」にご興味があれば、以下のようなコンテンツも併せて、是非、お読みいただければと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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