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富の不平等、貧困はなぜ生まれるのか。不平等と貧困の原因について。

いわゆる「富の不平等」について論じる場合は『何をもって不平等を捉えるか』が問題となります。

俗に言う「共産主義者」が資本主義社会における「富の不平等」を批判すると共に懇願したのは、いわゆる『結果の平等』であり、結果として所有している富の量が均等ではないことに対して、彼等は「不平等」を突き付けていました。

ですが「資本主義社会」を『正当』と捉える多くの人は、能力や成果に応じた形で現れる「富の不均衡」は、むしろ『社会が公正であることの結果である』と考えます。

-秀でた能力や、多くの仕事量に伴う成果や社会への貢献度に「違い」があるなら、その違いに応じた「対価」を得られることが、むしろ平等である。

これが現代の資本主義社会に生きる人達の大多数が抱く、ごく一般的な「価値観」なのではないかと思います。

「不平等」の価値観と解釈。


よって、現代の資本主義社会を生きる人の多くが抱く「価値観」においては、共産主義者が主張するような『結果の平等』は、むしろ「不平等」という解釈になります。

-秀でた能力、多くの仕事量に伴う成果がどのようなものでも、結果として受け取れる「対価」が同じであるなら、それは公正ではない。

このように『結果の平等』というもの自体が、そもそも「公正ではない」という解釈になるからです。

何より、そのような社会では能力を発揮することや努力することが資本主義者の言うところの「対価」には結びつかない事になるため、人々の「勤勉さ」が失われ、社会そのものが衰退していくという見方になります。

歴史上、共産主義思想に基づく形で建国されたソビエト連邦が、早々に「崩壊」へと至った要因の1つは、まさにこれだったと解釈している人も少なくはないはずです。

ソ連初代指導者ウラジーミル・レーニン像の撤去

ただ「旧ソ連の崩壊」は、厳密には「共産主義国家の失敗例」には該当しないため「旧ソ連の崩壊」という事実を『共産主義に対する資本主義の優位が証明された歴史的事例』と捉えるのは、決して正しい解釈とは言えません。旧ソ連が崩壊した要因、理由については以下のような考察記事がありますので、興味があれば、こちらも併せて参考にしてください。
>社会主義国家「旧ソ連」が崩壊した理由と原因の考察(準備中)

では、資本主義社会に生きる人の多くが抱く価値観において『国際的な富の不均衡』や、各国におけるその国ごとの『富の偏在(不均衡)』は、いわゆる「能力主義」や「成果主義」によって『公正に富が分配された結果』と言えるのでしょうか。

この「問い」に対して『貧しい国が貧しい状況にあり、貧しい人が貧しい状況にあるのは、富の分配が公正に行われた結果である』という「答え」を正当に導き出せるなら、その価値観において「今の世の中には富の不平等は存在しない」ということになります。

ですが、その「富の分配」に公正とは言えない部分や、明らかに不公正と言える部分があるなら、それこそがまさに『富の不平等の原因』に他ならないと思います。

「富の分配」の正当性。


一般的に「富の不平等」というトピックに対して持ち出される事が多いのは、以下のような各国のGDP(および一人あたりのGDP)の対比や、世界的な「富の分布(富の偏在)」についてのデータなどではないかと思います。

2023年度名目GDP世界ランキング【IMF(国際通貨基金)統計データより集計】
引用元:https://sekai-hub.com/statistics/imf-gdp-ranking-2023
2023年度一人当たり名目GDP【IMF(国際通貨基金)統計データより集計】
引用元:https://sekai-hub.com/statistics/imf-gdp-per-capita-ranking-2023

GDP(国内総生産)は、各国の「富」の指標として示されることが多いものですが、ただ漠然と「GDPの大きさが富の指標らしい」という程度の認識で目にしている人も少なくないと思います。何故、GDPが「富の指標」とされるのかという点も含め、GDPについては以下のような記事も併せて参考にしてください。

出典:グローバルウェルス・レポート(2018)より作成
https://www.ubs.com/global/en/family-office-uhnw/reports/

各国のGDP(国内総生産)および「一人あたりのGDP」は、世界各国の「裕福さ(豊かさ)」や「貧困(貧しさ)」の対比として持ち出される傾向にあり、世界的な「富の分布」にあたるデータは『何%の人が世界の富の何%を所有している』といったトピックなどによく持ち出されています。

上記で示した「世界の富の分布」は2018年の推計に基づくデータですが、この時点でも「超富裕層」に該当する0.8%の人が世界の富の44.8%に相当する約半分近くを所有している状況でした。

そこへ「富裕層」も加えると上位9.5%の人が、世界の富の84.1%を所有し、残りの15.9%の富を、世界の90.5%の中間層、貧困層が分け合っていることになります。

この客観的なデータから分かることは、2018年の時点で上位層10%ほどの富裕層が世界の9割近い富を所有し「残りのわずか1割の富を世界の90%の中間層、貧困層が分け合っている」ということです。

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この「世界の富」の分布データを推計している『グローバルウェルス・レポート』における2018年以降の「富の偏在状況の推移」については、以下の記事で、そのデータと共に考察していますので、興味があれば併せてお読みください。

>世界の富の偏在状況、貧富の差の近年の推移について(準備中)

ただ、これらのデータはいずれも「富が分配されていった上での結果」であり、これが『公正に富が分配された上で生じている不均衡』であるなら、上述した価値観の上では、全くもって「不平等を表すものではない」ということになります。

-能力がある人、努力をした人がその成果に応じた正当な対価を手にする。そして、能力不足、努力不足で成果が伴わないような人への対価もそれに応じたものになる。

-そのような「正当な対価」の積み重ねが、結果として、現代社会における上記のような「富の偏在(不均衡)」を作り出している。

実際に国際的および各国における「富の分配」が本当に「公正な形」で行われているのであれば、このような世界的な「富の偏在(不均衡)」は、あくまでも『公正に富が分配された上での正当な結果である』という事になるわけです。

公正に分配された「富の不均衡」は正当である。


ただ、現代社会における、現状のような富の偏在(不均衡)が『本当に公正な形で富が分配された結果であるかどうか』は、異論の余地があると思います。

もちろん、これは人それぞれの考え方や価値観の差異による部分もあると思いますが、例えば以下のような「富の分配における幾つか前提条件(格差)」は、誰もが一切の疑いの余地もなく『公正なもの』とは捉えないはずです。

・生まれ持った容姿、能力、知能などの優劣(能力格差による不平等)
・教育水準の格差によって生じる能力差
(教育格差による不平等)
・財産相続によって受け継がれている富
(相続格差による不平等)
・出自や家柄に左右される世襲の権力
(世襲権力による不平等)
・貧困層の負担が重くなる富裕層に有利な逆進的な税制
(税による不平等)

例えば筆頭に挙げた「生まれ持った能力や知能などの優劣(能力格差による不平等)」などは、資本主義社会であれば、必然的にそれが「成果主義」における「対価」を大きく左右するものになると思います。

その点において「こればかりは仕方が無いもの」と受け入れる考え方もあれば『生まれ持った能力に差がある分は何らかの形で埋め合わせなければ公正ではない』という考え方もあると思います。

また、仮に「生まれ持った能力や知能などの優劣」は受け入れるとしても、その後の幼少期からの「教育水準による格差」によって生じる能力差(教育格差による不平等)は『そのような格差が生じてしまう社会に責任がある』という見方もできると思います。

生まれ持った能力差は、言うなれば『自然的な(宗教的な言い方をするなら神の手による)不平等』にあたるものですが、その後の教育格差などによって生じる能力差は、形成された「社会」による『人為的に形成された不平等』と言える側面があります。

少なくとも、このような「教育格差」などは、社会における「教育制度」などを改めることで、その格差自体を無くすことも決して不可能なことではありません。

むしろ「より公正な形に是正できる余地がある」というような要因は、ほぼ例外なく、社会的、人為的なものであるため、そのような要因はまさに『公正な富の分配を妨げているもの』と言える側面があると思います。

つまり「富の不平等」に寄与する社会的要因や人為的要因こそが「富の分配」を不当なものにする『不平等の原因』に他ならないということです。

不平等における自然的要因と社会的要因。


では3つ目に挙げた「相続によって世代を跨いで受け継がれている富(相続格差による不平等)」はどうでしょうか。

これは一見は「自然的な要因」のようにも見えますが、そもそもの『相続』という制度そのものが「社会」によって作り出されているものに他なりません。

根本として『相続』という制度そのものを「正当なもの」と捉えるかどうかという議論にもなってしまいますが、仮にこれを『富の分配において不当なもの』と捉えるなら、このような『相続』という制度そのものを無くすことも不可能なことではありません。

つまり、これも社会によって形成されている「人為的な要因」に他ならないということです。

よって、4つ目に挙げた「出自や家柄に左右される世襲の権力(世襲権力による不平等)」にあたるものも「富の相続」と、ほぼそのまま同一視できるものだと思います。

このような要因自体を否定する意見もあると思いますが、少なくとも日本の政治家(権力者)に「世襲議員」が多いのは、紛れもない事実です。

「世襲王国ニッポン」・・・ 世襲議員が日本を滅ぼす
https://kfujiken2.exblog.jp/27706486

古来より「権力者の世襲」は『悪しき風習である』と否定され続けている歴史があります。

ですが、表面的な「世襲権力」は無くなったように見えても、現実にはまだ、このような「悪しき風習」がそのまま残ってしまっているということです。

富の相続、権力の世襲は「正当」なのか。


そんな「世襲の為政者達」が定める「税制」が、いつの時代も実情としては「富裕層に有利なもの」であり続けていることも忘れてはいけません。

表面的には「累進課税(所得が多い人ほど多くの税金を納める)」を謳っていますが、それは「所得税」のような「労働者・被雇用者層の所得に対する累進税」であって、本当の富裕層は、そもそも「労働者」や「被雇用者」の立場にはありません。

株式や債券などの金融資産や土地やマンションなどの不動産など、それらからの「不労所得」によって生活しているのが、本当の上層部にいる「富裕層」だからです。

その上で、実際に調べてみれば分かりますが、日本を始めとする多くの国が、そのような「富裕層」に圧倒的に有利な税制が定められています。

そもそも「租税」は「富の再分配」が目的の1つという議論もあり、本来は高所得者からの税収を社会を通して貧困層に分配するものという考え方があります。

ですが、実際に徴収されている税金は、本当に社会に還元され、それが貧困層への実質的な分配(還元)に至っているでしょうか。

-実際に税金がどのように使われているか、それによって。どのような人が本当に得をしているのか。

これも『富の分配』および『富の不平等』という議論の上で、極めて重要なポイントの1つになるということです。

富の不平等、貧困は、なぜ生まれるのか。


上述したように、現代の資本主義社会における「成果主義」「能力主義」の価値観に基づいて『富の不平等』を議論する場合、そもそもの『富の分配が公正であるかどうか』が重要となります。

現実として「富の不均衡」は存在し、それはどんどん大きくなっていますが、それが「公正な分配」の上で生じているものなら、その不均衡こそが実質的な「平等」を意味するものになります。

その場合における「富の不平等」や「貧困」の原因は『貧しい者の怠惰』でしかなく、全ての原因と責任は「貧しい者」にあり、言わば『自業自得の結果でしかない』ということになるからです。

ですが、先立つ「富の分配」において、そこに公正さに欠ける要因があるなら、現状の「富の不均衡」は決して正当と言えるものではなく、別の「貧困の原因」が存在することになります。

その上で、先ほど挙げた「富の不平等」に寄与している可能性が高い社会的要因・人為的要因については、その1つ1つをより深堀りしたコンテンツがございます。

世襲権力の正当性、不当性の考察(準備中)
租税における富の再分配についての考察(準備中)

もし、ご興味があれば、上記のようなコンテンツも併せてお読みいただければ幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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