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財産相続の正当性・根拠と社会的な意義について。

故人のお金、不動産、証券などの財産を世代を跨いで引き継いでいく制度を「相続(相続制度)」と言いますが、相続は、貧富の差や富の不平等を議論する上で、その正当性(根拠)を問われることも多いものになっています。

-なぜ、財産の相続は認められるのか。

この記事では、そんな「相続」という制度の正当性や、その必要性、社会的意義などを、その起源などから考察していきたいと思います。

なぜ、財産の相続は認められるのか。


親の財産の大小に関わらず、自分がそれを相続できることや、自身の財産を子供などの遺族に相続できることは、世間一般的には当たり前のことのように受け入れられているかもしれません。

事実として「相続」という制度は、世界の大半の国で「制度」として認められていると共に、相続についての法令がそこに定められています。

つまり、その法令に沿った形で行われる相続(故人の残した財産の合法的な所有権の引き継ぎ)は「合法的な財産の取得行為」として許容されているということです。

そんな「相続」という制度を「正当」とする根拠は『相続はこのような理由で正当とされるものである』という条文が明文化されているわけではないものの、一般的には以下のようなものが現代的な視点における「相続を正当とする理由」とされています。

・故人(被相続人)の財産権の尊重
・遺族(相続人)の生活保障
・遺産の所有権・所有者移転の円滑化

いずれも「公共の福祉(社会全体の共通利益)」が前提とされているものであり、端的に言えば『故人の財産(遺産)は、その遺族に所有権を移転することが故人、遺族、そして社会全体において善い』という考え方に基づいています。

日本を含め、大半の国では故人による一切の遺言などが無かったとしても、その財産(遺産)は、その遺族にその遺産を受け取る権利(相続の権利)が生じる法制度となっています。

これは予期せぬ不慮の事故による不幸などが現実にありえるため「遺言の無い故人の財産」についても『公共の福祉(社会の共通利益)』の観点において、その遺族に相続される法制度になっているということです。

相続制度は本当に「公共の利益」に適っているのか。


一般論として、自分の財産(遺産)を赤の他人や国に全て納めるよりは『遺族に残したい』と考えるのは、ごく一般的な価値観なのではないかと思います。

また、遺族としても「故人が残した財産を受け取れる」という『相続の権利』は、単純な損得勘定の上でも、当然の「権利」として主張したいものに違いありません。

ですが、自分自身やその家族の利益を追求する価値観や行為は、それ自体が否定されるものではないものの、その価値観に基づく行為が「公共の利益」に反する場合、それは時に「制限されなければならないもの」とされています。

日本の法制度においても「自由」や「財産の所有権(財産権)」などは、あくまでも「公共の利益(公共の福祉)」の前提の上で尊重されるため、それらは無制限に尊重されるわけではありません。

日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

日本国憲法第13条(自由及び幸福追求権)より

日本国憲法第29条
財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
私有財産は正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。

日本国憲法第29条(財産権)より

その上で、現在の憲法解釈に基づく日本の「相続」における法制度では、故人による遺言があれば、その内容が尊重される点からも、故人の財産は故人の意志を第一に尊重し、次いで、その遺族の権利と意志を尊重することを前提としています。

つまり、故人の財産の所在を故人の意志を第一に尊重し、次いで遺族の権利と意志を尊重することが、現時点では「公共の利益に適う」もしくは「少なくとも公共の利益を損なうものではない」という前提で「相続」という法制度が成り立っているということです。

「貧富の差」の最たる原因は相続制度?


ただ、一部の経済学者の中で時折、取り上げられるのは「相続制度」こそが、現代における「貧富の差(富の不平等)」を拡大させている、その最たる原因なのではないかという議論です。

出典:グローバルウェルス・レポート(2018)より作成
https://www.ubs.com/global/en/family-office-uhnw/reports/

上記のような世界的な「富の分布」にあたるデータは『何%の人が世界の富の何%を所有している』といったトピックなどによく持ち出されています。

上記で示した「世界の富の分布」は2018年の推計に基づくデータですが、この時点でも「超富裕層」に該当する0.8%の人が世界の富の44.8%に相当する約半分近くを所有している状況でした。

そこへ「富裕層」も加えると上位9.5%の人が、世界の富の84.1%を所有し、残りの15.9%の富を、世界の90.5%の中間層、貧困層が分け合っていることになります。

この客観的なデータから分かることは、2018年の時点で上位層10%ほどの富裕層が世界の9割近い富を所有し「残りのわずか1割の富を世界の90%の中間層、貧困層が分け合っている」ということです。

この「世界の富」の分布データを推計している『グローバルウェルス・レポート』における2018年以降の「富の偏在状況の推移」については、以下の記事で、そのデータと共に考察していますので、興味があれば併せてお読みください。
>世界の富の偏在状況、貧富の差の近年の推移について(準備中)

このような国際的な視点で「富の分布」を対比すると、どうしても先進国(豊かな国)と途上国(貧しい国)の格差がそこに現れてしまいますが、日本国内のみの富の分布データでも、社会全体の「富の格差」は十分に表れています。

出所:国税庁「国税庁統計年報告書」総務省「全国消費実態調査」厚生労働省「人口動態調査」(野村総合研究所による推計データより作成)

上記は現金や預金、株式や債券などの「純金融資産」のみを対象とした分布となっているため、土地や不動産などの非金融資産は含まれていません。

それでも金融資産のみの総資産額を3,000万円以上とした「中間層」「準富裕層」「富裕層」を合計した全世帯に対する割合が20%強で、この2割強の世帯が全体の6割近くを所有しています。

対して、資産総額を3,000万円未満に分類した、残りの80%弱の貧困層が、残り4割の金融資産を分け合っているという縮図です。

国際的な富の偏在と比較すれば遥かにましな状況と言えますが、それでも『ごく少数の富裕層が富の大部分を占有している』という状況に変わりはないということです。

日本の富の分布、富の偏在状況の推移については、以下の記事で、そのデータと共に考察していますので、興味があれば併せてお読みください。
>日本の富の偏在状況、貧富の差の近年の推移について(準備中)

資本主義社会というもの自体が、能力や成果に応じた対価を正当に受け取れる「能力主義」や「成果主義」を前提としている以上、このような『貧富の差』は、その必然的な産物に他ならないものです。

ですが、このような経済格差のほとんどが「相続」という制度によって生じているとする場合、それは「能力主義」および「成果主義」を前提とする資本主義社会において『公正』と言えるのかどうかが問題となるわけです。

「富の相続」は資本主義社会の「公正さ」に適っているか。


能力主義、成果主義に立脚する場合において「富の相続」を『正当(公正)』とする論理は、概ね「故人(被相続人)の財産権の尊重」に帰結すると思います。

-自分自身の手にしてきた財産、手にしている財産をどうするかの権利と自由は他でもない自分自身にある。

これはまさに「財産権の尊重」を主張するものであり、相続が故人の意志が第一に尊重される制度である点からも、相続制度は『財産を遺す側の権利(被相続人の権利)』を尊重するものになっています。

確かに「財産権」は上述した通り、憲法でも「不可侵であること」が明文化されていますが、同時にそこには『公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める』という記述もあります。

現時点の憲法解釈では「相続」の制度は事実上として『公共の福祉に適合している』と解釈されているものの、このような憲法解釈は決して不変不動なものではありません。

事実、日本ではわずかな判例しかありませんが、特定の法令が合憲かどうかの『違憲訴訟』というものがあり、このような違憲訴訟の違憲判決から、実際に法律が改正された例がないわけではありません。

厳密に言うと、日本の場合は特定の法令が合憲かどうかを直接的に審査する訴訟制度は採用されておらず、特定の事案や事件に対する訴訟において、その事案や事件に関係する法令が憲法に適合しているかを判断する「付随的違憲審査制」という制度を採用しています。

つまり法律(憲法)に立脚する視点においても、相続制度における「財産権」の法解釈が「公共の利益に反する」という世論や風潮が高まっていけば司法の方向からの制度改正の機運が高まることもありえるということです。

相続制度が生み出している社会的な「不利益」の考察。


その上で「相続制度」が公共の利益に反する形で『社会的な不利益になっている』と考えられるのは、以下の2点に集約されると思います。

・厳格な能力・成果主義における「公正さ」からの逸脱
・公正さから逸脱した世代を跨ぐ富の偏在・貧富の差の拡大

いずれも、故人(被相続人)の意志や権利を尊重すること以上に、その遺産を受け取る相続人側の利得が、社会的な「公正さ」に欠けるという視点が前提となっています。

更に、そのような公正とは言えない形で受け継がれていく富によって「貧富の差」が拡大していくような状況は、まさに『相続制度が公共の利益に反した富の不平等を生み出している』ということになります。

現実に幼少期からの「格差意識」や「貧富の差」が、重犯罪の動機や遠因の1つになっているケースは、決して少なくはありません。

出所:法務総合研究所「無差別殺傷事件に関する研究」より

また、日本における「自殺者の動機」においても、経済的な問題を動機としている自殺は、自殺者の割合の4分の1ほどを占めています。

出所:警視庁・厚生省の統計より

「経済生活問題(15.3)」「勤務問題(9.1%)」は、いずれもダイレクトに経済的な問題に該当するものであり、14.7%を占める「家庭問題」も、実質的には経済的な問題に該当するものが多く含まれると考えられます。

-もしも、このような「自殺の動機」や「重犯罪の動機」となりえる『貧富の差』の大部分が『富の相続』という「制度」を要因とする形で生まれているとしたら。

-重犯罪者や自殺者の「動機」の中にある『(自身の)境遇への不満』にあたるものが、生まれながらの富の不平等や経済格差に対するものであるなら。

現代における「相続制度」は、少なくとも「公共の利益」という視点において、明らかに社会に悪影響を与えている「悪しき制度」ということになると思います。

では、この「相続制度」によって、どれくらいの「富」が故人から遺族へと引き継がれているのでしょうか。

-故人の財産のうち、どれくらいが「税(相続税)」の対象となり、どれほどの資産が実際の「相続」の対象になっているのか。

-そして、それは社会全体を占める「富」のうち、どれくらいの割合に相当するものであり、どれくらいの割合が「税(相続税)」として国に治められているのか。

以下の記事では、そのような具体的な金額や割合を交えて、より深く「相続制度」の社会的意義や位置付けを考察していますので、是非、こちらの記事も併せてお読み頂ければ幸いです。

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相続財産を持つ人々は、財産からの不労所得収入の一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やすことができる。こうした条件下では相続財産が生産の労働で得た富より圧倒的に大きなものになり、資本の集積は極めて高い水準に達する。これは現代の民主社会の基本となる能力主義的な価値観や社会正義の原理を覆す水準に達しかねない。
---(中略)---
自分の労働力以外の何も持たず生まれ、慎ましい状態で日々、労働に明け暮れて暮らす人々にとって、その一部、大部分を相続で得ただけの資産家達が、自分たちの労働で作られた富のうちの大量の部分を獲得しているという現実は受け入れ難い事実だろう。

トマ・ピゲティ「21世紀の資本」より

現代民主主義社会がいつまでも相続財産の存在を許すはずはなく、最終的にそのような財産所有権が消えてなくなるはずだ。

エミール・デュルケーム「デュルケームと相続:家族財産の社会的機能」より

相続制度については、仮にこれを無くした場合、もしくは相続税(および贈与税)を100%にする事で、実質的な「富の継承」を遮断した場合における社会的な不利益の方が議論に上がることもあります。

上述したような「社会的な不利益がある」と仮定した上でも『相続制度は無くすべきではない』という見解に付随する、相続制度を無くす事による社会的な不利益については、以下の記事で考察しています。

>相続税および贈与税を100%にすることの社会的不利益の考察(準備中)

なお、故人の財産(遺産)をその子孫が世襲していく「相続」の制度は、世界各国の中世、古代の各時代のあらゆる社会において、常に行われてきた歴史があります。

それこそ、ほんの数百年ほど前までのヨーロッパおよび日本では、一国を治める「権力」さえも、親から子への世襲によって引き継がれていました。

そして、現代では実質的な「権力」は法律の下で制限されているものの、それでも英国や日本は「王室」や「皇室」の権威(地位)や財産を世襲によって引き継いでいます。

そんな「世襲」および「相続」という制度の起源、その歴史などについては、以下のような記事もございますので、こちらも興味があれば、是非お読みになってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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