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指導者としての夢

なぜ、指導者になりたいと思ったかを遡ってみる。

履正社でサッカーを学んでC級ライセンスを取得したが、卒業する頃は指導者をやりたいとは正直思っていなかった。

少し時が経ちやってみたいという気持ちは薄っすら湧いてはきたが、まだやってみたい程度だった。

その後、社会人サッカーで選手としてもう一度頑張ることに。

選手が凄く楽しかった。

そうこうしているうちに、ネットや本を漁り独学でサッカーを更に深く学んでいった。

そして、僕のターニングポイントである戸田和幸さんや小澤一郎さんの講演会。

仕事後、そのまま横浜に飛んだ。

なぜか。

サッカーをより深く学んで、自分のプレーに活かそう。

その思いだけしかなかった。

でも、実際に講演会を聞くと自分が今までサッカーをサッカーとして捉えていたことがあまりにも違いすぎていたこと、小さすぎていたこと、浅すぎていたことを痛感した。

もっと早くに、子供の頃に知っておきたかった。

その思いが湧き、自分がプレーするというより指導者になって今の子供たちに伝えたい。

学んだことを活かして選手としてプレーするといってもチームの戦術などは監督が決めるものなので僕がどうこうして解決する話ではない。

この時に指導者をやってみたい、ではなくなろう!と決めた。

そこが僕の指導者になりたいと思った原点。

今、自分の指導者としての活動を振り返ってみて、その原点に沿ってしっかり指導できているのか。

勢いよく首を縦に振ることはできない。

まずは監督になる必要がある。

今はコーチという立場。

まだ指導者3年目。

コーチ時代もしっかり経験しておかないといけない。

監督になるにはまだまだ力量不足でもある。

でも、ここの原点は常に頭に入れておかないといけない。


それで今に至るわけだが、僕は選手たちによく「夢や目標を持てよ」と言う。

そこがなければ頑張れないからだ。

と思っていたが違うことに気づいた。

それがどういうことかは後ほど。


指導者になろうと決めた時に、大きな目標を1つ持った。

「自分が生きている間に日本代表がW杯で優勝すること」

個人的な目標というより日本サッカー界を取り巻いた中での勝手な個人的な目標だ。

でもこれも原点の意味合いに近い。

しっかりサッカーを学んだこと、これから学んでいくことをまずはチームの子供たちに伝える。

そうすることで対戦相手の指導者にも何か伝わればそれが良い意味で伝染する。

そうするとその伝染した対戦相手と対戦する対戦相手の指導者にもまた良い意味で伝染する可能性もある。

そうやって自分のチームから西地区、神戸市、兵庫県と切磋琢磨しながらレベルを高めていけばW杯優勝にもほんの微力ながら貢献できる。

日本代表のW杯優勝は日本中の指導者みんなの勝利だ。

僕がトレセンスタッフになったのもそれが大きな理由だ。

より多くの選手に自分の思いを伝える機会が増える。


そして、最近になって目標が1つ増えた。

1つ目の目標に付随するものだが、

「W杯優勝したスタメンに自分の教え子がいること」。

教え子の定義が難しい。

例えば、トレセンの選考会で見た選手を教え子と言うのは違う。

でも、そういうのに近いパターンを教え子と言う指導者が多いとよく聞く。

そして、目標ではなく大きな夢もできた。



「監督として全国大会出場すること」だ。

僕は中学時代にクラブチームに所属していた。

夢のようだったが全国大会に出場した。

でも、僕はピッチに足を踏むことはなかった。

その忘れ物を指導者としていつか必ず取り返しにいきたい。

それは全国大会に出場できるようなクラブを率いてではなく、全国大会出場が夢のようなクラブで。


この夢も最近になってできた。

最近かよ、と思うかもしれないがそれでもいい。

夢中になって頑張っていれば知らないうちに更なる高みを目指して夢や目標がふっと湧き出てくることがある。

選手たちにも同じことが言える。

とにかく頑張ってみろと。

頑張った先に何かまた違ったものが見えてくることもあるのだと。





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