灯台2

     日記より27-17「灯台」2         H夕闇
            二月七日(水曜日)晴れ後に曇り
 ミニかまくらの灯(とも)し火(び)にも、同様の思い入れが有った。例えば、人が傷心の旅に出たとしよう。眠れず所在ない夜汽車の窓には、遠く底の知れない闇(やみ)が続く。或(ある)いは、氷った月が雪の原を照らして、ボンヤリ青く雪明りがしているかも知(し)れない。暫(しば)らく眺(なが)めていると、かなたに小さな灯火が目に留まる。いなかの一軒家に明かりが灯るのだろう。きっと窓辺に家族が集(つど)い、夕餉(ゆうげ)が始まるのかも知れない、と旅人は思い描く。そのホノボノした情景が古里の思い出を呼ぶ。若かった苦労人の父と母、今は亡き祖父母、喧嘩(けんか)もしたが雪まみれで戯(たわむ)れ合った兄弟姉妹、、、かまくらの幻(まぼろし)のような団欒(だんらん)が旅の心に沁(し)みて、船を導く灯台のように大らかな気分へ誘(いざな)う。来(こ)し方(かた)行く末を思うと、時の流れの遥(はる)けさが、目の前の些事(さじ)身の回りの事々に執着(しゅうちゃく)鬱屈(うっくつ)する雑念を、清く洗い流してくれる。旅情や郷愁には、拘泥(こうでい)を浄化(カタルシス)する余慶(よけい)が伴(ともな)うようだ。
 そんな物思いに耽(ふけ)り乍(なが)ら、土手の雪で童心を弄(もてあそ)んだ後、凍(こご)えた手を擦(す)り合わせて居間(いま)へ戻ると、電話が有ったと妻が言う。むすこが仕事帰りに内(うち)へ立ち寄るとのこと。この週末に珍しく音沙汰(おとさた)が無く、「何か有ったか。」と心配したが、その埋め合わせか。
 ウイスキーを酌(く)み交(か)わす話題に「蝋燭(ろうそく)は消した方が良い。」と伜(せがれ)が進言。火事でも起こったら、、、と気を回すのである。グルリは全て雪、失火の危惧(きぐ)は無かろう。だが、もしも誰か第三者が蝋燭を持ち出して悪事を働けば当方へも類が及ぶ、と伜は言い募(つの)る。随分(ずいぶん)と用心が深い。それだけ浮き世で思わぬ苦汁を舐(な)めた証拠(しょうこ)だろう。気の毒に。「お前を見送ったら消そう。」と承知したが、それまで台所の窓から時々裏の土手の様子を見守った。
 世知(せち)の辛い世の中、嘗(かつ)て治安の良さで賞賛された日本も今や地に落ちた。「義理と人情」なんて古い道徳観念は戴(いただ)けないが、この国は近代化の過程で大切な物まで捨ててしまったのではないか。僕だって因襲と戦い、散々(さんざん)に破って来た。然(しか)し、旧弊を打破し合理性を追求する内に、家の制度が解体して核家族化。更に家庭内でも個人が孤立して、陰(いん)に籠(こも)る。地域社会(コミュニティー)が崩れ倫理観が薄れた遠因が、そこに有ったのではないか。
 浪花節(なにわぶし)的な束縛や同調の圧力を良しとするのではないが、人の善意が(猜疑(さいぎ)心(しん)に汚されずに)その侭(まま)の善意として伝わって互いに受け入れ合うような社会、幼い子が無邪気な心の侭で健(すこ)やかな人間に育つような世界であって欲(ほ)しい。正直(しょうじ)き者が馬鹿(ばか)を見ない美風、のん気に(自分の損得を勘定(かんじょう)に入れずに)ノホホンと働いて自(おの)ずと暮らしが成り立つようなユートピアを、孫たちの世代に手渡したい。
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 但し、ここで絶対に注意しなくては成(な)らない事柄だが、視点に依(よ)って世界は違って見え、人それぞれに思い描く理想郷の像(ビジョン)は異なるのだ。自己の観点と目標を他者に押し付ける時、分断と対立が始まる。そして闘争へ繋(つな)がる。僕らの学生時代、若者たちは政治に抱(いだ)いた教条(イデオロギー)を求めて暴力(ゲバルト)に走り、学生たちの党派(セクト)の間にも分断対立が起こって、内ゲバが常態化した。大菩薩峠で軍事訓練中の「赤軍派」が、仲間割れの果て、残酷なリンチ殺人。更に浅間(あさま)山荘やJALよど号の事件を契機(けいき)として国民から見放されて孤立、学生運動は増(ま)す増(ま)す先鋭化した。ハイ・ジャックに応じる超法規的措置(そち)で釈放された過激派が世界各地でテロ事件を起こし、その実況中継で日本中が屡々(しばしば)手に汗を握った。僕らは若い頃リアル・タイムに目の前で(歴史の現場で)かれらの独善的な行動を見せ付けられ、憤(いきどお)って来た。
 その一派「東アジア反日武装戦線」のメンバーKSが先月(半世紀の潜伏の後に)死の床で本名を名乗った。警察の追っ手から最期(さいご)まで逃げ終(お)おせた勝利宣言とも取れる。僕らの世代には衝撃的なニュースだった。かれらに言わせれば、アジアへ経済進出する日本のゼネ・コンが侵略し搾取(さくしゅ)するのを、時限爆弾で粉砕(ふんさい)し阻止(そし)する積もりだったのだろう。だが、企業ビル前の無関係な通行人まで含めて、多くの死傷者が犠牲になったのだ。指名手配中の瀕死の犯人は「後悔している。」と捜査員に語ったそうだが、遺族に取(と)っては後悔程度では済まない凶悪犯罪だったに違い無い。
 又、去年の発覚にも関わらず、早くも忘れ去られつつ有(あ)る事件に、旧統一教会の問題が有る。KSが連続企業爆破事件に暗躍した時代、当時のKN首相(AS元首相の祖父)は、統一教会と癒着(ゆちゃく)を始めたらしい。家族政策などで協調する代償に、選挙運動に無料で協力を受けたと言う。前世紀に(強制連行や従軍慰安婦の問題など)朝鮮半島を植民地化した償(つぐな)いを日本人に強(し)いる外国勢力の教義は、与党の理念と全く相(あい)容(い)れない筈(はず)なのに。
 その信者たちは自(みずか)ら教えに従って(教団に洗脳されてか、)家族の生活をも顧(かえり)みずに多額の献金へ走った。誠実な人程、日本人としての罪の意識に付け込まれたのだろう。過激派と同様、皆それぞれの理想をのみ見詰(みつ)めて(回りを巻き込んで)信条を貫(つらぬ)いたのだ。
 信念を持たなければ邁進(まいしん)は出来まいが、どんな思想を信じるかは大変に難しい問題だ、と僕はツクヅク思う。ウクライナに侵攻したロシヤP大統領も、イスラム組織ハマスに急襲されてガザ地区へ過剰に反撃するイスラエルN首相も、それなりの信じる所(ところ)が有るのだろうから。だが、アジアでの侵略や戦争が(世紀を越えて)今日まで深い怨恨と禍根を残す国際関係の歴史に(一国の指導者なら、)是非とも学んで欲(ほ)しい。 (日記より、続く)

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