行動制限の無いGW2

   日記より26-4「行動制限の無いGW」2       H夕闇
 要するに、無性に溌剌(はつらつ)とした子なのだ。幼い頃は皆そうかも知(し)れないが、特別そういう性分の子供のように思われる。自己の感性に忠実で、チッとやソッとでは妥協しない。見方を換えれば、(保護者の目から見れば、)頑固(がんこ)で、言うことを聞かず、手が掛(か)かる。我(わ)が侭(まま)のようにも見える。でも、横溢(おういつ)するエネルギーは才知の発現、瑞々(みずみず)しい率直な新鮮な感覚や自由闊達(かったつ)な好奇心を周囲が賢く見守って旨(うま)く育ててやれば、きっと優れた人格が仕上がるに違い無い。いや、いや、それは、ジージの欲目と云(い)う物。単に、未熟で、がさつな丈(だけ)ではないのか。。。
 様々(さまざま)思い巡(めぐ)らす。ランタンの下、とくと孫娘Mの寝顔を見守る待望が果たせた次第(しだい)である。
 この子が幾(いく)つの頃だったか、二人で旅をしようと約束したっけ。偶(たま)に一人旅に出る僕へ、Mちゃんが大きくなったらブップを運転して乗せてくれると言う。ピンク色の車が良いそうだが、これは買って与えねば成(な)るまいか。又ジージは甘いと(厳しく育てた子供らから)苦情が出そうだが、一緒(いっしょ)にキャンプの焚き火を見乍(なが)ら確かめたら、孫はスッカリ忘れていた。将来を心待ちにしていたのだけれども、胸の内に秘めた小さな灯(とも)し火(び)は大概が儚(はかな)いものらしい。
 いつしか僕も眠りに落ちたが、雨風の音に起こされた。北海道付近の低気圧から寒冷前線が伸び、それが夜半に通過する筈(はず)だ、と天気図を思い出した。大木からテントの屋根へ雨がボタボタ落ちる音は間も無く已(や)んだが、風は更に激しく吹き募(つの)った。山が吠え、木々は騒いだ。伜(せがれ)が又も起き出して、テントを綱で補強した。寒さも加わって、毛布を足した。
 原始の時代、こんな嵐の晩を人は時に過ごし、何者かに恐れを抱いて生きたのだろう。自然の猛威は人命をも左右する。それに対する畏敬が、神の概念や宗教の儀式を産んだのだろうか。
 シンシンと冷えるに関わらず、暑がりの孫は何やらムニャムニャ言っては(寝袋のチャックを開けて)腕を出す。直ぐに戻すと、目を覚まして抗(あらが)うから、やや待って眠りに落ちた頃合いを見計らう。それまで僕が睡魔に浚(さら)われぬよう、募る寒気が味方してくれた。

 自然の真っ只中の一夜が明けた。一番に目が覚めたのは(早起きを自任したMではなく、)僕だった。テントを這(は)い出すと、もう湖が明かるかった。
 夜の内に折り畳み椅子も片付けてあったから、桜の蕊(しべ)が散り敷いた土に座って、さざ波が小刻みに光る湖面を眺(なが)めるしか無かった。朝日は薄い雲に霞(かす)んで、やや上空に有る。それでも日の光りは水面(みなも)に届き、音も無くキラキラ輝き立てる。ダム湖の目映(まば)ゆい夜明け、ヒンヤリ澄んだ山の大気、人を拒(こば)むような厳しい森の気配が、未だ一帯に漂っている。
 僕が自宅裏の土手から毎朝はるかにN川を眺(なが)める習慣は、こんな風景を嘗(かつ)てキャンプの朝に迎えた名残(なご)りだろう。夜明けの醍醐(だいご)味(み)は何年が経(た)っても忘れられない様(よう)だ。
 山の湖畔のパノラマと一対一で向かい合い、コーヒーでも喫したい所(ところ)だが、むすこは寝坊で、起きる気配が無い。他のテントも未だ深く寝静まっている。
 一杯(いっぱい)の湯を得るにも火を起こす面倒(めんどう)が要(い)った太古の昔なら、それは大変な贅沢(ぜいたく)だったろう、と気が付く。インスタント・コーヒーの粉も、カップも、椅子も、悉(ことごと)く文明の産物である。こういう原初の環境に身を置いて初めて、僕らは人類の進化や産業の意味を問う。そして、人生とは、幸福とは、、、と考えて、行(ゆ)き詰(づ)まる。これ式の不便、ウクライナには及ぶまい。
 本も、僕は前日の内に読み終えてしまった。予備を用意して行こうか、と荷造りの際に迷ったが、何もしないのも(現代では)贅沢(ぜいたく)な時間かも知れない、と考え直したことを思い出す。だから何も出来ない、何もしない。只ジッと水の景色を眺め遣(や)って、心を静める。
 朝靄(あさもや)の漂う湖水から突き出した木々、その奥で鶯(うぐいす)が朝から盛んに鳴き交わす。
 やっと起き出した孫を、対岸の共同トイレまで連れて行く。三年前に山梨県のキャンプ場から忽然(こつぜん)と消えた少女の遺留品等が(遺骨?と共に)発見され、ニュースを賑わしている。
 橋を渡って戻ると、伜(せがれ)も起き、簡易なバーナーでコーヒーを温めて呉(く)れた。それから、妻が持たせたステーキを小さなフライパンで焼き、自家製たれを垂らして、朝食は中々(なかなか)に豪華だ。
 その上、帰路には入浴施設G湯へ寄った。思いっ切り頭を洗って、それをサウナぶろで乾かすのは、コロナ下で、何年ぶりだろう。ジェット噴流や露天ぶろも有り、極楽、極楽。
 でも、こんなに恵まれて良いのだろうか、と貧乏性の僕は(源泉かけ流しの豊富な湯の中)フと不安になる。明治の女の祖母に育てられた僕は、質素倹約が骨身に染み込んでいるらしい。
 Mがママに母の日のプレゼントを買うと言うので、もう一軒に立ち寄った。パパ(僕のむすこ)も姉妹と三人で送った物が有り、自宅へ届く筈だが、手違いで遅れるかも知れない、と僕へ(念の為(ため)に)知らせた。
帰宅後、孫娘はバーバに手伝って昼食の太巻き作り。遠出の運転とキャンプの大黒柱で疲れたろう伜は休ませて、僕が玄関脇の水道でMの泥靴を洗った。今春(何年ぶりかで)玄関先に咲いた亡母の白い水仙は、かなり永く目を楽しませてくれたが、もう枯れ掛かっていた。
(日記より、続く)
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灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか 斎藤茂吉(「赤光(しゃっこう)」より)
はるばると薬をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば 同
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳(ち)足(た)らひし母よ   同
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

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