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10歳年上の女性と付き合って恋に落ちた実話①

古びた思い出の埃を払った。

三年前、恋に落ちたことがあった。

彼女は同僚、親切でよく可笑しい話しをする魅力的な人。長くて黒い髪と子供らしい歩き方、後ろから見れた背中の姿に惹かれた。仕事もしっかりできてて執着的に働く。その時は、私も仕事が生き甲斐だったので、熱心にやってた。彼女とわたくし、二人とも情熱で職業に潜む。今でも思い出す、一緒に働くことが楽しかったと。

このオフィスでは飲み会をよくやてったので、事務所の外で会えることもあった。彼女は私と同じ、海外育ちの子で、なんでも自然に相談できた。まるで、運命の出会いではないかと思った。優しくてキレイなひと。働き甲斐があるひと。そして、深い親和性のある相手。私は完全に惚れた。

いつの間にか、プライベートでもメッセージを交換するようになった。返事が来る際、ドキドキして、その一文を何回も繰り返して読む。二人だけ内緒で出会うこともコロコロあった。美味しそうなお店に誘ったり、仕事の手伝いとかを言い訳にして、こっそり会う。


目の前に愛が立っていた。その幸せ、その興奮感と緊張感、それまでの人生なかった気持ちが溢れる。圧倒的でもあったが、彼女と会うことはドラッグのような至福で、魔法にかけられたように追うことしかできなかった。

ただし、一つの問題があった。それは、年齢の問題。実は、彼女は十歳も年上。あと、バツイチで連れ子が二人いる。それを理由として、深刻な付き合いは断る。

私には齢の差に気にしない。今でも気にしない。相性は歳で決まられることもないし、年齢が違っても気持ちが伝ったら幸せは可能でしょうと。そして、女性が年下の男性に付き合ってはいけないと言うルールは誰が決めたのか?(逆に、年上の男性は若い女性と付き合うことは社会に許されてるのって、これは差別ではないか)可笑しいとしか思えない。

この意見を説明してみたげど、彼女の返事は悲しそうな含み笑いだけ。でも、私は諦めることはできない。

将来はどうなるかとか、そういう話しはしなかった。その時は、今ここの現実しか見れなかった。ずっと手を繋いでいたかった。ずっと彼女の笑い声を聞けるように側にいたかった。「I love you」の言葉を何度も繰り返して聞かせたかった。

そして一年たった。夢のような、有頂天な心持になる一年だった。平日には働いて、空いている週末は秘密のデート。その時、ドラマでも出てくるような付き合い方だと思ってた。

しかし次年は更迭で、違う職場にいくことを指揮された。でも、彼女とは連絡をつづける。二人とも暇だった日はなかなかだが、それでも会ってくれる。出会えない日は多くなる、その間の時間は仕事に集中することに決めたが、なんか寂しい。でも、そんなこと言うのはカッコ悪いから我慢してた。次、会える日まで。。


いつだったのか。彼女から連絡が来なくなった。突然消えたように、返事は無い、電話に出てくれない、住所は知らなかったので生きているか確認することもできない。一度は警察に連絡しようかと思った。でも、それはバカな行動だと気づいた。

何が起こったのかは、当たり前なことだ。もし危険に遭ってたら、家族もいるし、仕事関係の私は干渉しない方がいい。



今が考えてみたら、多分、私は彼女の目線からは純粋でナイーヴな坊ちゃんにしか見えなかったのだろう。一緒には将来なんかないと知ってたのだ。それで、思いっ切り断るのも可哀そうなので、連絡を切る選択肢を選んだのだ。

私としては、ハッキリ言われた方がずっと楽だったと思う。もちろん、付き合ってくれたかったが、YesかNoでも答えが聞くことは安心することだ。このサイレンスに囲まれるのはなにほど苦しいこと。心が暗闇に包まれて、絶望に陥る。

恋愛の失敗したときの傷、この世の中にそれ以上辛いものはあるのか。それにしても、失敗というより、無視されてる、存在さえ認めてくれない、裏切られた、と感じてた。悔しみの渦巻に吸い込まれた。


その時期、本気に自殺の計画をたてた。


何メートルの高さから落ちたら生存率が低いか、それは具体的に何階なのかと計算して、近所にその高さのビルはどこにあるか探し、場所を目で確認しにいき、何時と何時からが人の流れが一番少ないのか、いろいろ調べた。ネット怪しそうなサイトに辿り、実際にこうして死んだ人の動画―言い換えれば「スナッフムービー」というもの―を学習するように繰り返して視聴した。要するに、頭が可笑しくなっていたのだ。

「今夜にやろう…」と思ったとき、




彼女から連絡が来た。

何週間渡る地獄がそのメッセージを貰い、パッと消された。その一文のメッセージが届いたとたん、胸に刺さってた針が抜けられたように、もう一度息が吸える。一瞬間で自殺願望はふっ飛ぶ。

その時はもう怒りはぜんぜん感じてなかった。そして、私はやる返す人ではないので、普通に話せた。彼女の声を聞こえて私は蘇った。今でも相手はこのことを知っていない。連絡をしなければ私はたぶん死んでいた。一言だけで命を救ったのだ。



彼女は、なぜ姿を消した理由を教えてもらった。



実は、彼女は双極性障害を患っていたのだ。



それを聞き、私の世界も回転した。

だからなのか、と思った。彼女は酷い鬱状態に掛かり、普通の根本な日常生活はおろか、知り合いに連絡することは無理だったのだ。このことは私もよく知ってる。それは、私も双極性障害患者だからだ。

更に、今までの関係を振り返ると全てが鮮明。初めから気付いていた「深い親和性」は二人とも同じ感情障害だったからなのか。情熱的の働き方もこの障害の影響がある。話している時にはどんな相談にも乗ってくれることも、二人は双極性の脳を持っているからだったのか。

お互いに相手の双極性障害のことを知り、我らの関係は複雑化した。精神科医は基本的に同じ障害を持つ人とは縁を切ることがお勧められてる。その理由は、相手の症状が出ていると、その症状がうつる可能性があるからだ。確かに。。


それにしても、私の気持ちは変わらない。私は彼女に愛してることをもう一度伝えた。それに、彼女はいつも通りに無言になる。


その電話で、近い時期にどこかで会うことを予定立てた。彼女の駅に近いバーで話し合うことにした。彼女と出会った。喧嘩した。同じ夜に仲直りした。たぶん、人生で一番感情起伏が激しい会話だった。Intenseでした。

でもいろいろ分かった。

彼女が沈黙でいた間は、かなり大変だったと吐き出した。私がメッセージを期待していた頃の彼女は、躁の症状のせいか、母親と大喧嘩して警察が呼ばれたそうだった。その時に、自分は仕事と私とのデートに行く時間が多すぎて、その割合い子供と一緒にいる時間が減ったことに気づいて、母として反省中だったのだ。

私が悲しみに包まれていた同じ時期、彼女も別の理由で悲しがっていたのだ。


あと、私の付き合いの願いにハッキリ答えをくれた。


その答えは、私が望んでいた答えではなかったが、はっきりな答えを聞けて心はスッキリした。

「ありがとう」って言った記憶があるけど、虚偽記憶な感じもする。正直、その夜何を言ったかよく覚えてない。

なんか、そう言うカッコ良い発言したかったな。

でも、彼女は私の気持ちを認めてくれた。
「分かってるよ。君の気持ち未熟な恋愛感情じゃないって。本気に愛してるって、分かってる。普通の人とは、ありのままの姿を見せるの苦手だけど、君は本性を受け取ってくれた。その恩返しなんかできないわ。でも、もう40代で性的の欲に応えられないし。年齢の差もだけど、精神的も混雑だし、やりたくても付き合い続けることなんて無理だよ。だから、他の人を見つけて幸せになって。そうしたら、私も幸せになれるから」

ジントニック二杯飲んで、それでこのお話しと私たちの関係はおしまい。

二人は駅の近くで別れた。彼女は背を向けてお家の方向に去った。歩き方と長い髪の震えがキレイだった。その去っていく姿が瞳に映って、そのイメージは今でも夢に見る。

それが、このエピソードの終わりと言えるでしょうか。20代の時に、十歳以上年上の気分屋の女性を追ったときのお話し。その時期、欲と感情に振舞わされて、もうすぐ命を図るところまでいき、不思議に生存して、火災の山を一つ乗り越えた。


現在の私は31歳で無職で独身。

ハッピーエンドを書きたかったけど、現実はそんな甘くない。でも、この失恋の傷は癒えたとは今さえ言えるようになった。この経験を文書で書けることが証拠でしょう。


現在は、双極性障害の治療中で、最近は元気が出てきたので、薬の量を先生から減らしてもらった。その結果に、もう一つの楽しみが帰ってきた。ミュージックが。


薬が多めだった時は、脳を落ち着かせるためなのか、喜びの物質を抑制してたのか、なぜか音楽を楽しめることができなかった。昔好きだった曲を流しても、ただの騒音にしか聞こえなくて、この趣味を失った。代わりに痺れた無音な日々をどうかして過ごしていた。自分でも毎日なにをしていたか覚えてなくて、想像するだに悲しい。

でも、ちゃんと休んだお陰に薬を減らせて、大好きだった音楽も人生に戻ってきた。と言うか、薬を減らした末に、躁状態になって、走り回りながら音楽を聴くことだけが安心を与える。これは先月の話し。落ち着けなくて、眠れない夜も多く、ケースワーカーさんも心配で、姉が電話する私は2時間も息せず喋る。大変だった。でも、音楽に支えてもらった。

昔ハマってた歌手、Pink Floyd、Nick Caveなど。昔は好みではなかったJ-pop、特に盛り上がるような音楽をいろいろ検索した。BTS、Momoland、日向46、Yoasobiとかいろんな。その中で心に響いた曲が米津玄師『Lemon』だった。失恋を描くこの歌を聴いて、全てを思い出した。

特に、この歌詞:

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ 
そのすべてを愛してた あなたとともに
...
切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたはわたしの光


そうだ。


彼女を思い出すと、いろんな苦しみも襲ってくるが、なぜか希望も輝く。
精神疾患で失業して、無力で海底の生き物みたいに生きていた二年半。今ごろ回復の兆しがみえてきて、これから社会復帰するために頑張らなければいけない。

恋に落ちることって、何か心理的な問題を解決してないから、そうなる。だから、メンタルに弱点がある、あるいはコンプレックスがある人が恋に落ちる。そんなこと、昔どこかで聞いたことある。私もそうだったのかな。自分のマインドになにか欠陥があって、こういう目にあったのか。恋愛はそういうものなのか。分からないけど、なにせ、この経験・彼女との出会ったことは後悔してない。忘れたいと思わない。



昔し、体調崩す前、健康でいたときを思い出すと、本当に幸せだった時は一度だけ。それは、あの彼女を追っていた時。