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医療従事者が患者として病院にお世話になる話②


勝手にシリーズ化しといて1ヶ月ぶりに次のステップを書く私をお許しあれ……

ということで早速書いていく。

ちなみに、第1弾はこちら

https://note.com/yuuuuuki71/n/n11b9fa596cac




そんな感じで入院し、まずは膵炎の治療から始まった。


①絶飲食
これは膵臓の分泌液である膵液を抑えるためには必ずやらなければならない。
そもそも膵炎は何らかの原因で膵液が膵臓を攻撃して溶かしてしまおうとする病気だ。

重症化すると膵臓だけでなくその他の臓器まで攻撃し始めるとても危険なものである。

だから膵液の分泌を止める必要があるため
絶飲食をしなければならない。


②点滴治療
絶飲食に伴い生きていくために必要最低限の栄養や水分量を確保するため


③排尿管理
これは膵炎の状態が悪化し
全身へ炎症が起きた場合には血管内を循環する水分の減少が起こり
臓器障害となってしまう恐れがあり
尿量を把握しながらの大量点滴が必要となるため


④定期的な血液検査
血液から膵液に含まれるアミラーゼやリパーゼなどの
消化酵素の値を検査することにより
膵炎の程度がどのように改善してきているかを調べるため


主にこの4つだったろうか。
とりあえずこれらが辛いと感じたことは無かった。

絶食に関しても、お腹の痛みがあるため
食べる気にはならなかったし
何なら「あ〜これって結構痩せるんじゃない?!」
と能天気にも程がある発想をしていた。


だいたい4日〜5日程度の絶食をしただろうか。


膵炎の原因はアルコールや胆石などが主であるが
初診の問診時に、わたしはそのいずれもに当てはまらなかった。

確かにお酒は時々飲むが、それはみんなそうである。
胆石も問題はなかった。


そのため、膵炎が落ち着いてからは
発症した原因探しの日々が始まった。

造影剤を使ったCTやMRI
自己免疫疾患による膵炎を疑っての特殊な血液検査


そんな感じで検査漬けの日々だったが
少し経ってから主治医にこう言われた。


「検査結果の説明をしたいんだけど、ちょっと時間いいかな?」


特に何も疑うことなく検査結果を聞きに行った気がする。
むしろ早く原因分からんかな〜くらいのテンションで。


👨🏻‍⚕️「CTやMRIの画像見てたらね、ここに腫瘍っぽいものが見つかってね。」


「……はい??」


いや、びっくりはしたけど
不思議と悲しかったりしんどかったり
そういうことはなかった。

ただ、現実を突きつけられて
そうなんだ、としか思えなかった。


👨🏻‍⚕️「腫瘍の種類(性質や良性か悪性かなど)は画像ではなんとも言えない。だから生検に出すための検査をしようね。
今度、医大から先生が来るからその時にやろう。」


何だか大事になってきたなあ……
まだこの時は自分のことなのにどこか他人事のようにしか考えてなかった。


説明後に同席していた看護師さんに大丈夫かと聞かれたが
びっくりしたけど大丈夫です〜!って
めちゃくちゃ笑いながら答えた気がする。
(いま思えば半分頭おかしいヤツかもしれない)


後日、家族同席のもと同じ説明を主治医にはしてもらった。


ただ、今考えると泣けてくる。
それは別に自分自身が辛いとか悲しいとか
そういう訳じゃなくて

そう告げられた両親のことを考えると。



それから数日後
医大の先生に膵臓の腫瘍の一部を採取する
超音波内視鏡検査(EUS)をした。

鎮静をかけられていたし記憶はない。
覚えているのは前処置と
医大の先生に自己紹介してもらったこと。
めちゃんこ優しそうな人だな〜と思いながら検査を受けた。
(この先生が後に、今の主治医となる人である)

気づけば病室のベッドだった。


検査結果には2週間〜3週ほどかかるそう。

その頃にはもう完全に膵炎は落ち着いていたし
特に病院で治療することもなかったため
一旦退院した。
(なお、食事管理、脂質制限という制限付きの生活を強いられることになる)

入院して17日ぶりの外だった。




ひとまず今回はここまで。

もう2年も前の話と思うと感慨深いけれど
でも今もこれで苦しんでるなんて
その時は考えてもいなかった。


まあ乗り越えるしか方法はないからね。

辛くてもしんどくても怖くても
やらなきゃならないことがある。

わたしの場合はそれがこの病気で。


だけどやっぱり
医療者目線の考えや正論なんて
患者にとっては苦しいことの方が多くて。

良くなりたいし、
自分もそうしなきゃっていう気持ちは
痛いくらいに持っているし分かるんだけど

それを踏み出す1歩が
こんなにも難しくて苦しいことなのかと
最近になって思うようになった。


きっと患者は関わってくれるどの人よりも
良くなりたい気持ちは強い。

だけど良くなりたい気持ちと
怖さや苦しさへの拒絶
そういう相反する気持ちはいつも隣り合わせ。


だから迷う。
その迷いが苦しさを助長する。


だけど迷わずに治療をしていくなんて不可能。


そんなときに正論ばかり振りかざされて
「これがあなたが良くなるために最善の治療です!受けてください!」
なんて言われても
まっっったく心には響かない。
だから腹もくくれない。


そんな人より
「そうだよね、苦しいよね、辛いよね、痛いのも怖いのも嫌だよね。」
って共感してくれたり

「どうしたらこの不安を取り除けるのか?」
と悩んで考えてくれたり

「そういう風に思ってたこと、教えてくれてありがとう。あなたの思いは受け取ったよ。」
って包み込んでくれたり

そういう人に頼りたいと思うのです。


解決策が全てではない。
正論がその人にとっての解決策とは限らない。

どれだけその人に寄り添って
一緒に悩んで想いを共有出来るのか

それが医療従事者として大切なことなんだと
深く考えさせられることが出来たのは

この病気になったおかげなのかもしれない。


目に見える傷や腫瘍
治療すれば治るもの

患者はこれだけと闘っている訳ではなくて
病気になると同時に
少なからず心にも見えない傷や
治療が大変な感情を抱える。


そういう部分と真剣に関わって向き合ってくれる人に
わたしは救われているんだな、と思う日々です、
それは医療従事者だけでなく友だちや家族も。



長々としかも真面目に書いてしまいましたのでこのへんで。


第3弾目も読んでくださると嬉しいです。



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