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100万円が貯まったら、引っ越す

この文章は、Wantedly10周年プロジェクトの依頼を受けて、とある方の人生の「転機」にまつわる実話を基に、執筆した物語です。

「学生のうちにやっておくべきことは、旅に出ること。社会人になるとそんなことできなくなっちゃうからね」

社会人になったサークルの先輩がそんなことを居酒屋で話していた。周りのみんなが「やっぱそうなんすかぁ」とありがたそうに話を聞いているのを見て、私も一生懸命頷いたような気がする。

27歳。私がわかったのは、そんなのは嘘だということだ。

社会人5年目になった私の目の前に広がるのは、茜色に染まった宍道湖。学生の頃、アジアを中心に安旅を楽しんだことこそあったものの、国内旅行は片手で数えるほどしか行かなかった。

コーヒーを片手に宍道湖や大橋川などの水辺を眺めるのが好きだった。と言っても、松江に来たのは半年前のことなのだけれど。

太陽が静かに燃えるのを眺めながら、資産管理アプリを開き「みずほ銀行」の貯金額が85万円になっているのを確認した。唇をすぼませて缶の狭い穴に口をつけると、甘ったるいコーヒーの香りが舌から鼻にかけてゆっくり広がっていく。

「もうそろそろかぁ」

新卒で働いていた会社を適応障害で退職してから2年。私は「みずほ銀行が100万円」になると引っ越すようにしていた。長野、福井、札幌ときて4つめの街が松江だ。松江は、作家・志賀直哉が「人と人と人との交渉で疲れ切った都会の生活から来ると、大変心が安まった」場所として『濠端の住まい』で描いた地でもある。

志賀直哉ではないけれど、私も心の回復が必要だった。

***

「適応障害ですね」

2年前、医者からそう言われた時、「社会不適合者ですね」と言われたような気持ちになった。人材紹介会社の経理として働き始めてから3年、面談で「下半期の目標」を聞かれている最中、突然目の前が真っ暗になってしまったのだ。比喩ではなく、文字通りその場で意識を失った。

幸い命に別状はなかったものの、すぐに産業医面談をあてがわれ、3ヶ月の休職となった。「ブラックアウト事件」を機に、止めどなく携帯を震わせていたメールはぴたりと止んだ。私がいなくなっても何ひとつ変わらず会社は回る。

***

新卒で配属されたのは縁もゆかりもスキルもない経理部だった。

営業職の人たちは「自分たちがカネを稼いでいる」という自負があるのだろうか、仕事の手応えがあるのだろうか、生命力に満ち満ちている。私は、そういう彼らのサポートに徹している感じで、伝票の整理に明け暮れていた。

定時で上がれる日も多かったが、年次が上がるにつれて雑務が増えていった。月末は特にひどく、18時過ぎに処理仕事が舞い込む。「もっと早く対応してよ」と思いつつ、抗議などはできない。気がつけばあんなに嫌だった「なるほどですね」とかいう相づちまで染み付いていた。処世術という名の諦めがしっかり身についたんだと思う。

でも、私はしっかり聞いていた。会社の近くにあるベトナム料理屋で同僚の男たちが「経理の女ってマジでつまんなそうだよな」と笑い合う声を。

頑張っているのにどうして誰も認めてくれないんだろう。昨日だって22時過ぎまで経費精算に明け暮れていたのに。そう思ってからの「下半期の目標」面談だった。いろいろなストレスが雪だるまみたいに大きくなっていたんだろう。

休職が終わる頃、会社から「そろそろ復職ですが、面談の予定を調整したく……」と電話が来た瞬間、ベッドの上で食べたばかりのカップラーメンを吐いてしまった。気持ち良いぐらいにするっと逆流したので、ジャンクな匂いで口の中がいっぱいになった。

「あー……なるほど……」

つけっぱなしのテレビを眺めるとアニメの主人公が「俺は挫けない!」と叫びながら剣を振っていた。

生ぬるくなったシーツを撫でながら私は退職を決めた。

***

八王子にある実家に帰り、すぐにハローワークに向かった。とにかく金がない。何もしてないのに残高がすごい勢いで減っていたのだ。

家賃に光熱費、社会保険やら健康保険といったものが引かれ、生きてるだけで毎月15万ほどが預金から消えて行った。最初は見間違いかと思ったが現実は厳しい。「金は全てではない」とは思うものの、減り続ける残高は精神衛生を悪くする。家はすぐに引き払ったが、引っ越し費用や粗大ゴミの処分で50万円が吹っ飛んだ。

幸いにして失業手当がはいるらしいが、すぐに振り込まれる訳ではない。肩を落としながら帰っていると、近所にある美大の学生らしい集団が歩いているのが目についた。ショートカットにおおぶりのピアスを揺らす学生に、オールブラックで固めた学生……この子たちは、将来何になるんだろう。食っていけるんだろうか。

小さい頃は、絵画教室まで通わせてもらっていた。コンクールで賞をとり「自分にも才能があるかも」という期待が胸を膨らませた時期もあった。しかし、大人になるにつれて「その道で食べていけるの?」「ちゃんとしないと」という言葉が降ってくるようになり、私の中で何かが溶けて消えた。周りは広告代理店だとか、デザイン会社のようなクリエイティブな職種に内定をもらっていたけれど、私は見事に全滅した。

苦い過去を思い出して臓物の奥が傷んだ。学生たちはダラダラ歩いているのに、私よりもずっと社会に馴染んでいるように見えた。

***

「佐々木さんのところのみずきちゃんっていたじゃない?」

母が食事をしながら聞いてきた。みずきちゃんはひとつ年下で、小さい頃は私が手を引き、学校に連れて行っていた女の子だ。「久しぶりにみずきちゃんを見かけたら、お腹が大きくて! 8カ月なんだって」。母は嬉々として話していた。

そういえば、私が大学に合格した時も、就職した時もなぜか近所の人たちはそれを知っているようだった。人がいるところには必ず社会が生まれて、噂話が生き物みたいにうごめく。

リビングにでかでかと置かれたテレビでは、人気YouTuberの豪邸が紹介されていた。まだ24歳にも関わらず「筋トレチャンネル」が当たり、推定年収5億円らしい。広々とした家を紹介する様子を見て、母は「小学生の『なりたい職業』ってYouTuberなんでしょう。真面目に働いた方が良いに決まってるのにね」と汁椀片手に言った。

実家からでも通勤できるのに、就職してから家を出た理由をなんとなく思い出した。

***

前置きが長くなったが、こうして私は東京を離れた。失業手当も欲しかったけれど、どこか遠くに行きたい気持ちが勝った。

東京郊外出身で、大学も就職先も都内。コロナ禍なので海外に行くのは難しいだろうが、広い世界を見てみたかった。

転職サイトをぐるっと見ていると「リゾートバイト」という単語が目についた。リゾートバイトとは、繁忙期の観光地に住み込みで働く雇用形態を指す。短期契約で休日は観光もできるため、大学生から人気が高いらしい。

短期契約でいろいろな場所で働くのはどうだろうか。突飛なアイデアが浮かんだ。というのも、高校生の頃「100万円を貯めたら引っ越す」という映画を見たことがあったからだ。確か『百万円と苦虫女』というタイトルだった。

これだ。

こうしてスーツケースに必要最低限の荷物を詰め、私の100万円ライフが始まった。

100万円という金額があれば全国どこでも引越ができる。それに私は目標がないとモチベーションが上がらない性格だし、きちんと貯金していけば人間関係が面倒になる前に目標をクリアできそうな金額だ。

大切なものなんてスーツケースひとつでまとめられるものぐらいなのだ。それなのに街中やテレビやインターネットの中で「これがいい」「あれがいい」と情報のシャワーを浴びさせられるから、部屋が太っていくんだろう。人との繋がりは大事だというし、理解しているけれど、ストレスという名の副作用もある。私は全てを手放したかった。

***

最初に住んだのは長野のグランピング施設だった。「星がもっとも輝いて見える場所」とも言われている村で、最近はこういった宿泊施設が増えているらしい。新しい匂いに包まれた清潔感たっぷりの施設は妙な安心感があった。

「なにか不明点があったら何でも聞いてくださいね」と迎えてくれた社員の佐藤さんは、ボーダーのトップスと口ひげが似合う落ち着いた男性で「文化系」の匂いがした。彼はもともと東京で働いていたが、趣味が高じてIターンして昨年から今の仕事にありついたらしい。年収は下がったものの「毎日楽しい」と話していた。

久しぶりのシフト勤務は新鮮だった。日によって微妙に出勤時間は変わるものの、残業をすることはない。手のひらサイズのメモ帳に一生懸命筆を走らせて仕事を覚えた。ひとつひとつが手応えある形で自分の中にインストールされていく感じは、なんだか懐かしい。

勤務終わりの20時過ぎ、スタッフルームで佐藤さんが渋そうな顔をしていたので「どうしたんですか」と声をかけた。たくさんの伝票がとっちらかっている。「いやー……計算が合わないんだよね」と気まずそうに笑っている。なんとなく察しが付く状況に「ちょっといいですか」と声を掛けていた。10分しないうちに記入ミスに気が付き「ここの計算式が違うと思います」と関数を書き換えてエンターキーを押すと、きれいなエクセルシートができあがった。佐藤さんはオーバーなぐらいお礼を言いながら、クラフトビールを1本くれた。

プシュ。缶をあけて歩きながら飲むと、アルコールが細胞ひとつひとつに染み込んだ。空を見上げるとスワロフスキーが降り注ぐかのような星が綺麗だ。

仕事に没頭していると嫌なことは頭から消えていく。体を動かし、日光を浴び、緑の空気を肺にいっぱい入れる。目の前にいる人から「ありがとう」と言われて自分が人間だったことを思い出した。

次の日は虫刺されで大変なことになったのは言うまでもない。紛れもなく「血の通った時間」なのだと思う。

***

こうしてリゾートバイトで各地を転々として2年が経った。現在は松江駅から山陰本線で10分ほどの距離にある玉造温泉で働いている。

グランピング施設でのちょっとした成功体験から「経理で働いてまして」と言うようになった。クラウドの会計ソフトを導入してみたり、経費を見直して売り上げが上がったり、あれほど無味乾燥していた仕事が彩りを与えてくれてたような気もする。新卒同期がSNSでアピールするような派手な成果ではないけれど。

休日に松江市街の大橋川沿いを散歩するのが好きだ。缶コーヒーを飲みながら風にあたっているとなんとなく懐かしい気持ちになった。広い川のむこうにビルがまばらに立っている。私が一人暮らしをしていた隅田川沿いに少し似ているのだ。気がつけば、週に1回はこのエリアを散歩するようになっていた。

大橋川沿いに、お気に入りのバーがある。今までの滞在地では「馴染みの店」など作る気力もなく突っ伏していたけれど、余裕が生まれてきたのかもしれない。この日は、早いシフトだったので夕方から大橋川沿いを歩き、いつものバーに立ち寄った。

雑居ビルの2階の扉を開けると窓際に並んだアルコールの瓶がアンティークみたいに光って私を迎えてくれる。カウンターに座ると、マスターが「こんばんは」と言いながら季節のフルーツを盛り付けたお通しを出してくれた。

いつもと同じくマッカランを飲んでいると、マスターが珍しくキャッキャと声を上げながら笑っているのに気がついた。古い知り合いだろうと思い、2人を眺めていると「あ、芳賀くんは古くからの知り合いなんです」とマスターが教えてくれた。芳賀という男は、どこにでもいそうな中肉中背の体型だが、コットンジャケットを羽織っていてどこか都会的だ。

「芳賀くんは、実は作家なんだよね」とマスターがいじわるそうに言う。すかさず「いやいやいや……作家と言ってもしがないというか……会社員やりながらなんで」と謙遜するが、どうやらベストセラーの著作があるらしい。

「今も働かれてるんですか?」

初対面で突然こういった質問をするのもどうかと思うが、理性よりも先に口が動いた。「そうですね……大変ですから」と言われた。なんとなく「この人なら答えを持っているのでは?」という気持ちが湧いた。

「僕は30過ぎまでプータローだったんですよ」

聞き慣れない「プータロー」という言葉にきょとんとしていると、マスターが「今の子には通じないんじゃない?」とつっこんでいた。どうやらフリーターのことらしい。境遇が似ているような気がして、気がつけば芳賀さんに質問を投げかけていた。

どうして小説家になろうと思ったのか、フリーターからどうやって今に至ったのか、働き続ける理由は? 泉のように湧いてくる質問は、次から次へと口から溢れた。芳賀さんは少したじろぎながらも、ひとつひとつ丁寧に話してくれた。

「僕は30過ぎまでずっとバイトをしてまして。いつか作家になるぞとは思っていたんですけど、肝心の小説は一向に完成しなかった。30歳になった時に親から『小説家になるなんて将来どうするつもりなんだ』と勘当されて、しかたなしにハローワークに行ったんです」

「志望動機を考えてみても『やりたいことってなんだろう?』って思って、フリーズして。『小説書きたいんじゃないのか?』って感じなんですけど。じゃあなぜそれをしたいのかと自問しても答えられない」

さっきまでちゃちゃをいれていたマスターは、気がつけば他の客の接客にあたっていた。

「でも会社員になって働いていても、残った時間で小説を書いていたんです。なんでかわからないけど……。フリーターの時はそんなことなかったんですけどね」
「なんでですか?」
「うーん……僕は怠け者なので時間が無限にあると思うと、手につかないんでしょうね。限られた時間だからこそ大切に使おうと思うし、案外ヒントってたくさんあるんですよ。それに大人になってからいろいろ変わったって、いいじゃないですか」

会社員になった時、なんとなく人生の終わりが見えた。「大人になってから宇宙飛行士を目指すのは難しい」という話にも似ていて、経理に配属された時「お前はつまらない人間だ」と言われたような気がしたのだ。

「社会不適合者」になった瞬間、ほんの少しだけ自分に期待した。だから2年もの間「100万円貯めては引っ越す」などという計画に踏み出したのだ。つまらない人間ではないと言い張りたかった。

「そういえば、大山は登りましたか?」
「大山?」
全く違う話を突然振られて、一瞬聞き間違いをしたのかと思った。

「鳥取にある山なんですけどね。そこから見える日の出は、この世のものとは思えないほど美しいので時間があれば登ってみてください。中海のむこうから海へ突き出した連山の頂が朝日でゆっくり色づいていく様は、全てのことを許してやろうという気持ちすらわきますよ」
「許す……?」
「そうそう、いろんなわだかまりってあるじゃないですか。どうして自分だけ満たされないんだろうとか。そういうのがどうでもよくなってくる」
「なるほど」
「僕は人生ですごい経験をしてきたわけではないし、得意な作風だってドラマチックなものじゃない。でもそれでいいんだって最近自分で納得するようになりました。凡庸な人間だから作れる物語があるんじゃないかって」

次の休みの日、大山に出かけた。私もその光景を見てみたくなったのだ。

一合目から丸太の階段を登っていると、ひたすら地面を眺めていることに気が付いた。「これではいけない」と思い、上に目をやるとブナの森がトンネルのようにあたりを緑一色にしていた。6合目に着くと視界が一気に開け、稜線の美しさに圧倒された。

標高が高くなるにつれ、生えている植物の背が低くなり、花が増えた。ひとつの山でもいろいろな環境があり、そこに適応した生き物が暮らしている。

標高1600メートルを超えると、雲の上にいることに気がつく。さっきまでは空を見上げていたのに、一歩一歩が私をここまで連れてきた。

山頂からは松江を一望できた。弓のように曲がった海岸線が美しい。吸い込まれそうな空の青に、眼下に広がる人の街。私が普段暮らしている街は実に小さく、それでいてしっかりとその地形を彩っていた。

私は、自分の人生に納得していなかったんじゃないか。

経理の仕事だって「つまらない」ものじゃない。だってこの2年で、私は確かに自分の経験で「ありがとう」と言われてきたのだから。つまらないのは、「身の丈」「堅実」という言い訳をして、私が世界を、仕事をしっかり見てこなかっただけだからなのかもしれない。

視界いっぱいに広がる緑に、切なく焼ける夕日、規則的な生活で心は確かに癒やされた。働きながら精神安定ができるとは思ってもいなかったけど、私にはこのやり方が合っていた。もう十分、時が経った。

戻ろう。

下山して家に着いたのは陽が落ちた頃だった。8畳ほどの一室の隅に液タブだけがポツンと、未練がましく置かれている寮の部屋。ここで貯めた100万円は大事に使いたい。

畳に寝転がり、ひさびさにプロフィールを手入れして求人を探す。ふとある文言が目についた。「創作活動を楽しくする」。どうして今までこの言葉を見落としてきてしまったのだろう。本当は隅田川沿いの1Kにいながらでも見つけられたはずなのに。でも大丈夫。私はなんだってできる。初めて自分で一歩を踏み出す感覚を味わった。

Image: photoAC / Hiroshi Y


Wantedly10周年プロジェクト『シゴトの#転機文庫』 は、Wantedlyを通して生まれたエピソードを基にしたエッセイ集です。

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◆岡田悠「8人の面接官と432円のステーキ

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