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なぜ、高知に住みたいと思えないのか

東京でしか消耗できないからです。

「イケハヤ書店」が「まだ東京で消耗してるの?」に変わってから早1年。高知の魅力をたくさん知りました。

食べ物は本当に安くて美味しい。大自然に囲まれた、東京にはない豊かな暮らしがそこにはあるのでしょう。高知の素晴らしさを知るたびに、「まだ東京で消耗してるの? 移住しなよ」と声が聞こえてきます。

でも、私は一瞬も「地方に移住したい」と思ったことがありません。というか、1ミクロンも共感できない

なぜか?

それはイケダさんが所帯持ちであり、私が寂しがり屋な独身だからです。氏の豊かなライフスタイルは、ご本人が相当な人格者で、かつ仲間(家族)がいないと厳しいでしょう。人とうまく関係性が築けない私からしてみれば、若いうちに所帯を持つ人って異次元なんです。もうその時点で思考の次元が違う。

独身女性は、東京でしか生きられない。そう唱えたのは、「負け犬の遠吠え」の酒井順子さんでした。

東京は人間関係が流動的で希薄なため、多様性が許容されます。1人で楽しめる場所も数多ある。美術館、カフェ、バル、ミニシアター…楽しくお一人様を謳歌できます。

仕事の後に友だちとお酒を飲んで、会社の愚痴を言ったり、友達以上恋人未満(笑)の人との話をする。心がカスカスになったら、ワンピースを見に表参道へ行けばいい。辛かったら深夜にタクシーを走らせて、友だちの家に行くことだってできます。新鮮な魚介は羨ましいけど、24時間好きな時にありつけるコンビニご飯で満足できてしまう。

そんなの孤独を紛らわせてるだけじゃないか、というのもわかります。でも、寂しさを誤魔化せなかったら孤独死するだけなんですね。だからこそ、独身女性を描く物語の舞台は都市なのでしょう。もちろん、地方はダメ。そんなことを言いたいのではありません。東京は独り身という弱者に優しい場所なのです。

未婚で移住された方もいます。それは、きっとコミュニケーション能力が高く、柔軟性に優れており、孤独にも強いから可能なのだと思います。

地方は地縁ベースのコミュニティーが強いです。そこにニューカマーとして入っていくには上記のような徳人でないと、まず無理でしょう。知らない人と話した瞬間、体温が2℃上がってしまう私にとって、そんな挑戦は裸足でエベレストを登るようなものです。

仮に打ち解けたとして、「ちゃんとご飯食べてる?」「結婚は? 紹介するわよ」なんて言われた日には、多分ちゃぶ台吹っ飛ばします。寂しがり屋ではあるのですが、放っておいて欲しい

さらに、「地方は狭いので車でぐるっと一周できる」という素敵な一面も「あっはい」止まりです。免許なし、クルマなし、一緒に乗ってくれる人はもちろんいない。維持費も高いし。なんていうか、想像すらできない。

イケダさんは、若いうちに結婚されて、しっかり稼いで、実績も残して、上質に暮らしてる。氏の考えに触れるたびに、自分との人間力の差を思い知ります。そうだよなぁ、すごいなぁと。

氏の「移住を勧める理由」に全く共感できないのは、単に私がダメだからに他なりません。

比較するのも野暮ですが、毎日家で体育座りしてはiPhoneと対話する私にとって、雲の上の話なのです。

ネオンに囲まれ、ジャンクなものを食べ、カラスが飛び交う朝の渋谷をトボトボと歩く。これを消耗と呼ぶのなら、私はそれでいい。コミュ障・寂しがり屋・独り身。三拍子そろった私が地方に行った先にあるのは、消耗ではなく消滅だろうから。

Top Image by Joi Ito/ flickr

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