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「ライター」と名乗るのがこわい

大手出版社が運営するメディアで、連載が始まった。ライター業を始めた約1年前からは考えられない状況にいる。

いつもSNSで「こわい!」「ふるえる!!!」とワーワー騒いでいるように、怖い。今、怖くてたまらない。こんなことを書いたら仕事がなくなるかもしれないけれど、自分のこんがらがった思考をほぐすべく、書きたいと思う。しかも長い。

このnoteをひとしきり書いたあとに拝見した、燃え殻さんのインタビュー。私よりはるかに怖がっていて、少し気持ちが軽くなった。


最初はよくてもすぐスランプに

自慢に聞こえてしまうかもしれないけれど、昔から割と何でもコツをつかむのが早かった。しかし、途中で不安になり、スランプにはまって、手放す。この繰り返しだった。

努力できる脳、できない脳がある。ドラゴン桜2公式さんのツイートを見かけて、やっぱり自分は努力できない脳の方だなとつくづく思う。うまくつきあっていかなければ…。

例えば高校生の頃、吹奏楽部に初心者で入った。楽器の音が最初から出せて、割とすぐに吹きこなせるようになった。コーチの方から音楽表現がパートの中でも抜きん出ていて、一緒にどう教えようか困った、と言われたり、コンクールのメンバーになったり。とはいえ、コツコツ努力をすることが苦手なタイプだ。あるときから伸び悩みを感じ、イマイチ部活や音楽を楽しめなくなった。

大学のときはアカペラサークルに入った。1年生のときに東京の離島「式根島」の小学校へ行き歌を披露するイベントがあった。学内のバンドに加え、セミプロの方がいる外部グループが参加していて、臨時で助っ人メンバーを探していた。勇気を出して手をあげ、事前に楽譜をもらい、一人で練習し、本番前日に初めて合わせることに。

「うわーーー!!すごい、歌いやすい。何かやってたの?」歌い終わると、メンバーの皆さんに一斉に声をかけられた。吹奏楽部の経験が生きたのか、とても気持ちよく歌えたのだ。こんな形でサークル活動をはじめ、1,2年生の頃はどんどん活動の場を広げ、ライブハウスや外部イベントで歌うなどアカペラにのめりこんでいた。

しかし、学生アカペラの日本最大のイベントが関東と関西であり、私はどちらも憧れがあったものの出場どころか応募もしなかった。「挑戦したい」と言葉にあまりしていなかったのと、何よりどこかで「自分の実力では、あの舞台には上れない」と思っていたのだと思う。

また、何よりこういうイベントに参加するにはグループの個性や一体感が欠かせない。入部した頃はそこまで器用に歌えていなかった人たちが、どんどん力をつけていき、グループとしての完成度があがり、これらのイベントへの出演を果たしていた。私も卒業までアカペラそのものは楽しく取り組んでいたし、メンバーには不満はなかった。ただ、どうして自分で自分をセーブしてしまうんだろう?と感じていた。

評価面談での自己評価がくるしい

就職して2年目。社内公募に応募して広報になった。1年目はガムシャラで必死。

当時の上司はクールというか、直接褒めることをあまりしない方だった。私は初心者だし、進め方が正しいのか不安を抱えながら仕事をしていて、初めての評価面談のとき。自分で自分を評価するのが苦手で、就活でも「◯◯が得意です」「できます」と言うのを、恐ろしいなと考えていたくらいなので、とにかく困った。

アメリカ帰りの先輩から「◯◯の数字が△△へ上がった」など具体的な数字を挙げながら、強気で自己評価する姿を見せてもらい、なんとか評価を作った。いざ評価面談に臨むと、自分が思っていたよりも、かなり高い評価をいただいた。こんな風に思ってもらえていたのかと、驚きつつ、すごく嬉しかったのをよく覚えている。

これだけ評価してもらったのにも関わらず、2年目になり、任される仕事がどれも自分の能力よりも高い気がしてきた。また、東京から地方へ就職し、プライベートで親しい人もあまりいなく、どことなくしんどい気持ちを抱えていた。仕事へのしんどい気持ちが結局なくならず「環境を変えたい」の気持ちが勝り、異動を選んだ。異動先の仕事は、あまり自分に合っていなく、評価は最低基準まで落ちてしまった。そして子育てと介護のために、離職した。

周りに振り回されずに芯を持ちたい

振り返ると、人の意見に一喜一憂していたと思う。「人に褒められたい」という気持ちが私の頑張る動機で、あまり長続きしなかった。加えて人に相談せず、自分の中で結論を出してから伝えることが多かったのではないか。夫は長く一緒にいるため、夫にしか全てを安心して話していなかった。夫以外との人たちと関係性を築くのを私は怠ってきたのかもしれない、と感じている。

そんなジェットコースターのような感情の動きをしている私をよそに、会社の同期だった夫は、淡々と目の前の仕事に向き合いコツコツと評価を上げていった。まるでうさぎと亀のよう。

そして私は「自分は何がしたいんだ????」と。「周りからの評価に振り回されているな????」と、深く実感した。

何がしているときが楽しいのだろう。

本を読んだり、ゴスペルサークルに参加したり、ピアノを習ったり、英会話に行ったこともあった。動いても考えても、「これだ‥!!」とまではならず。収入がない負い目もあったのかもしれない。

絵本やおもちゃ、子育てにまつわる資格に興味があったものの、お金のかかるチャレンジは家庭を持つと慎重になってしまう。加えて飽き性なので「お金かけても勉強するのか私よ‥」と、自分をなかなか信用できなかった。

ライターに出会う

「色々」動いていたときに出会ったのが「ライター」だった。ここでも、これまでの経験と似たことが、今、起きている。自分の文章をこれまで特別褒められたこともなかったのが、評価してもらえる。学ぶのも楽しく、部活にのめりこんでいたときの感覚がある。はじめは夢中で楽しく、書きながら、学びながら、営業をしていたら連載が決まった。

もともと、記事を寄稿するのは本業のある方(料理研究家など)や研究者だと思っていた。ライターではない寄稿者も文章がうまい。となると「ライター」っていう肩書きだと、もっと上手に(というと乱暴ですが)書けないといけないんじゃないの???そんな気持ちがおそってくる。

「基礎学習をしていたわけでもないのに、出版社で働いていたわけでもないのに、プロと思われるのが怖い。私なんてとんでもない」

たくさん失敗して経験を積むしかないと理解はしている。しかし、書けば書くほど、自分の文章が誰かから評価されているように思えてきて、怖くなってくる。1つずつ乗り越えるとなくなるかな、と思っていたが、恐怖心が日に日に強くなってしまっている。

私はおそらく、「〇〇が得意です」「〇〇ができます」というレベルをとてつもなく高く設定しているんだと思う。

でも、私のことを応援してくれている方へも、今お仕事を一緒にしている方へも失礼だよな…と思う。ただ、自分へ嘘はつけないなとも、思う。

マルチポテンシャライトとインポスター症候群

ライターを始める少し前に、「マルチポテンシャライト」という人たちを知り、自分はこれだったんだ!!と思った。

マルチポテンシャライトとは「多くのことに興味を持ち創造を追求する人」のこと。興味のあることを見つけたらそれに取り組む。しばらくすると別の面白そうなことを見つけるので(見つけちゃうので)、そっちに移って取り組む。そんな生き方を繰り返すのがマルチポテンシャライトです。
あなたはスペシャリストですか?それともマルチポテンシャライトですか?より)

今までは、飽きて頑張れなくなる自分へダメ出しをしていた。しかし、それも一つの形としてありなんだ。短期間で結果を出せたら、やる気がでなくなったら、今興味を持てることに取り組む。それで良いのかもしれない。

ライターを始めた頃から、「ライター」と名乗ると自分が固定化されるような気がして、どうしたものかと思っていた。なんでも、楽しそうなことをやってみたいといつも考えている。

もうひとつ。インポスター症候群という人たちのことを知った。

自分の実績や仕事ぶりを褒められても、「自分の実力ではない」「周りのおかげで、運が良かっただけ」「次回うまくいくとは限らない」などと、自分を肯定できない人が増えています。また、優秀な部下にプロジェクトリーダーへの昇進を打診したところ、「私には難しいと思います」と固辞されたという話もよく耳にします。このような心理傾向は「インポスター症候群」と呼ばれ、放置すれば「仕事を急に辞めてしまう」「うつ的傾向が強くなってしまう」という事態につながることもあります。
自己肯定できない「インポスター症候群」が日本で急増している理由

すごくわかる。病気ではなく、心理傾向のことで、インポスター症候群に陥りがちな人の根本には、2つのクセがあるという。「周りの空気を読める、豊かな感受性」と「完璧主義」。どちらも悪いものではないというが、インポスター症候群から自分自身を守るために今すぐできるコツが挙げられていた。

(1)ネットのネガティブな意見に触れない
(2)「自分だけでやりすぎない」
(3)自分だけの逃げ道を見つけておく

どうありたいか

人と意見を戦わせるのも、批判的な声をあびるのも、とにかく苦手だ。小さななコミュニティで仕事をしていたい、と感じることもある。それこそInstagramやBASEなど、小さなコミュニティでファンを作って、楽しみながら仕事をしている人へ憧れることも。

何をしているときが一番楽しいだろうか。

やはり、「子ども達が何か作品を完成させたとき」「子ども達が私も予想もしなかった行動をしたとき」つまり、子ども関連だ。やっぱり私にとっては、家族ありきなんだと実感する。

Twitterの肩書も「お母さんときどき書く人」とかにしようかなあとよぎる。

そんなとき、Twitterで流れてきた自己分析診断をしてみたところ、「冒険家」との結果が出た。

あるがままでいられるのが幸せ
冒険家型の人達は、人々やアイデアとの繋がりに刺激を受けながら、色鮮やかで官能的な世界に住んでいて、こうした繋がりを再解釈しながら、自分自身や新しい視点を再発明したり実験したりして楽しみます。このような方法で探求したり試みたりする性格タイプは、他にありません。これにより、自発性が養われ、親しい友人や家族からさえも何をするかわからないと思われています。

こうした気質にもかかわらず、冒険家型の人達は間違いなく内向型で、人前から姿を消し、一人になってリフレッシュすることもあり、さらに友人たちを驚かせます。
しかし、一人になったからといって、何もしないでいるわけではありません。こうした一人の時間に、自らを振り返り、自分の本質を評価しているのです。過去や未来にこだわるよりも、自分のありのままの姿について考えます。

おお‥‥??今つらつらとここに書いていることは、まさにこの「自らを振り返り、自分の本質を評価している」のでは‥‥。冒険したいのに内向的。なんてわかりにくくてめんどくさいタイプなんだ…!ただ、冒険者なのかと思うと、なんだか少し嬉しくなった。

また、マレーシア在住の文筆家、野本響子さんのnoteを見て、「目標」についても考えた。

「好きな人と好きなことをして楽しく過ごしたい」

これだなと感じた。そして、この好きな人、好きなこと、楽しいことが、今、わからないのです。ナンテコッタ。

内面に惹かれている?

私は今、沖縄の離島で暮らしている。ここでの暮らしがとても珍しいからか、連載の形で書かせてもらえることになった。と、思っていた。

自信と実力をつけるために、編集ライター講座を受けたり、会社に所属したり、キャリアカウンセリングを受けた方が良いのかな?と、キャリアへの悩みをフェイスブックでつらつらと綴った。すると、前職で憧れていた方からコメントをいただいた。

「講座よりも、よい文章をたくさん読む方が良いと思います。片岡さんの内面にみなさん惹かれているので」

「内面に惹かれている…???」

これを見て、今受けているお仕事について改めて振り返った。営業は自分からしたものの、私のnoteを読んだうえで、「私の目で見て感じたことを書いてほしい」と編集の方から言っていただいたお仕事が多いのだ。

ライターを始めた頃、子育てグッズの紹介記事を書いたとき「あなたがどう思っているかはいりません」と言われた。そこから思えば、こんなふうに言ってくれる編集者の方と出会えたのはとても恵まれていると思う。

今は、繋がったご縁を大切にしていきたい。それでも、不安感やプロと呼ばれたくない感、お金をもらうことへのプレッシャー感はなかなか根深い。自分の気持ちに嘘がつけない、我ながらめんどくさい性格だと思うけれど、時にこうして整理しながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思う。

今ライターで身につけているスキルと、何かを掛け合わせられたら良いのだろうか。1年後には、今と全く違うことをしているのかもしれない。


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