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果てのない競争から僕たちは何を得たのか?

競争がもたらすもの

『競争』という言葉にどんなイメージがありますか?勝負事が好きな方にとっては、たまらないものかもしれません。

一方で行き過ぎた競争は、疲弊に終わってしまう可能性が孕んでいると主張したいです。

その理由は、私たちが幼いころから競争コミュニティの上で育ってきたからではないかと考えています。

部活動での激しいレギュラー争い、熾烈な大学受験、そして社会人1年目からも何百という同期と競い合うのです。

そんな競争レースのあとに何が残るでしょうか?生きがいは感じたでしょうか?競争の結果、幸福は得られたのでしょうか?

たかが競争(語弊があるのは承知です)で、命を絶った日本人が今日まで何人いたことでしょう。

人生を本末転倒にしてはならないのです。

日本を含むアジア圏における競争

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事実として、現代の日本は競争という概念から切っても切り離せない関係にある国家なのではないでしょうか。

その理由として資本主義という経済体制を取っている以上、仕方のないことだからなのかもしれません。自由な経済競争と余剰利益獲得を目的とし、国家・企業・個人は他を圧倒しようとします。

競争色が強いアジアの国の例として、お隣の韓国では日本以上に競争社会であるという事実があるようです。(https://note.com/ayako_kajii/n/n9559a74d8d3b)

その学歴偏向、競争主義、就職難から『ヘル朝鮮』という表現で揶揄されることがあり、若い人たちは韓国社会に絶望し、海外移住や外資系会社への就職を夢見るような風潮となっています。

次は具体的に日本人のライフシフトを時系列でみていきましょう。

【幼稚園~中学校】

この時期から既に競争が始まっているかもしれませんね (笑)。いわゆるお受験戦争です。筆者は小学校受験や中学受験は経験しませんでした。

実際当事者ではなかったので、幼少期に経験する受験というものに対する具体のイメージはないです。ただほとんどの場合、ご両親から一方的に与えられるタスクなのでは、と考えてしまいます。

お子さんの立場からすれば、多少はストレスを抱えてしまうでしょう。

【高校~大学】

ほとんどの方がこの時期に色んな競争を経験しますね。高校受験、大学受験、高校で熱心に取り組む部活動など。

この辺りから特に注目したいのが、ある能力や経験が社会的に価値があるのか?他者からみられる時に価値があるのか?という暗黙の評価尺度のことです。

つまり、外的な要因が大きく影響しているということです。なので親やから友達から認められたいから偏差値の高い高校・大学を選ぶ、といった行動になることが考えられます。

『世間的に正しいことをやらなければいけない!』とでもいうかのように、この多感な若い時期に人と競争をし、負かし続けるというような価値観が刷り込まれてしまいます。

実際、筆者はそのような経験をしました。大学受験が高校生活の目的となっていたので、大学入学後の視野は全くと言っていいほどおざなりなものでした。その後の大学での時間の使い方は本当にダメダメで、人生で最も後悔した時期です。

外的な要因ではなく、自分の内から溢れ出てくるような内発的な考えが不足していたことは言うまでもありません。

しかし高校生・大学生にとって、自らの主体性を発揮し続けられるような教育システムが今の日本に十分に整っていると言えるのでしょうか。

【社会人】

学業を修め社会の基盤を作る側となっても競争は続きます。

顕著な例が、大企業に新卒入社をした場合であると考えています。同期が何百人といる中で出世をするためには、本当に日々が競争の連続なのでしょう。

特に少し前の時代では人材評価にデータドリブンが基盤になっていたわけでなく、ほとんどが上司による定性評価に偏っていたことは想像に難くありません。

上司の主観的評価に選ばれなかった人材は、出世レースからどんどん脱落していきます。学業もそこそこ頑張って名前の知れた『良い』企業に就職して、そこにはまだまだ熾烈な競争が待ち受けていました。

ここまで日本人が歩みそうなライフシフトをモデル化してみましたが、いや、本当に競争ばかりですね (笑)。

何のために競争を強いられているのか気づかない方もいるかもしれませんし、例えそこへの認知があっても外的な因子が行動の動機となっているかもしれません。

自らの欲求や意思を出さずに、どこで人生の生きがいや楽しみを感じるのでしょうか?非常に困難を極めるでしょう。

北欧社会における競争とは

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前述のアジアの競争社会と対比させるために、ここでは北欧社会(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・アイスランド)を列挙します。

なぜ北欧なのか?ご存じの通り、北欧諸国は幸福度のランキングで世界でも上位にランクするからです。

以下は国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が発表した、2019年版の世界幸福度ランキングです(https://sustainablejapan.jp/2019/03/25/world-happiness-ranking-2019/38381)。

フィンランド
デンマーク
ノルウェー
アイスランド
⑤オランダ
⑥スイス
スウェーデン
⑧ニュージランド
⑨カナダ
⑩オーストリア

上位のほとんどの国が、北欧諸国で占められていますね。北欧では、人々にとって幸福や生きがいを感じやすいシステムが整っていると考えています。

なぜ北欧社会で幸福や生きがいを感じやすいのかというと、日本のような国とは異なり競争に対する捉え方が異なるからと考えています。人が競争によって疲弊しないということですね。

まず北欧諸国では、他者を負かし、圧倒するといったような競争のコンセプトは皆無と言ってよいでしょう。

むしろ個人の成長や発達スピードはそれぞれという前提で考え、競争から外れた者でも積極的に支援していこう!という経済体制や社会保障が整っています。

つまり北欧の国々は『大きな政府』の代表格であり、『福祉大国』として認知されているのです。これは積極的労働市場政策と呼ばれるものです。

例えば家族政策に関わる社会保障が手厚いことで有名です。保育や教育などに関わる手当は、非常に担保されているのです。大学までの教育が無償なんて驚きですよね!

また北欧諸国では、一人ひとりの意見が吸い上げられやすく、民主的な組織づくりが推進されてきたという事実があります(https://note.com/mido1022/n/nd304cf5bcc59)。

組織に民主主義が行き届いているということは、組織内での競争というよりもむしろ、ある組織の目的に向かって全員が力を合わせている状態が担保されていそうです。

そんな競争に対する捉え方、民主的な組織の仕組み化が上手な北欧では、自ずと個人の幸福度や生きがいは醸成される可能性が高いです。

資本主義と民主主義はトレードオフの関係にある?

一方民主的な組織づくりという観点では、日本の組織の現状はどうでしょうか?

昨年の参議院選挙の投票率が50%を割ったこと、女性の国会議員の少なさ、そして報道の自由においても日本は低い水準にあります。

資本主義の根本は利益獲得であり、そのために自由な競争が位置付けられます。しかしそもそも強者が勝つ仕組みになっているので、格差は広がり、幸福度に対しても大きく差が生じるのです。

競争がどんな目的に存在するのか、現場が疲弊しないような民主的な組織づくりはどうすればよいのか、そういった観点への問いかけが求められています。

そもそも東洋思想の歴史に立ち返ると、日本には八百万の神がいて、一つひとつのことを個別に解決していく自立分散型の構造が馴染んでいたのです。

それが近代になると西洋的な中央集権のコンセプトが取り入れられ、中途半端な民主主義国家が出来上がってしまったとも言われています。

本来内省性や内への精神性が高い東洋民族は、自らの内発的動機を喚起することで、自分らしいライフ設計に長けているはずなのです。

疲弊を生まない価値ある競争とは

今回はアジアと北欧を対比させることによって、競争に対する認識や目的に違いがあることについて考察してきました。

競争をするにしても、これからの日本を含めたアジアの先進国は、目的のある『正しい競争』を行っていかなければなりません。且つそれは、個人が疲弊しない競争であるべきです。

特に今回北欧社会から学べたこととしては、国家や企業などあらゆる組織おいて、一人ひとりの意見を吸い上げる民主的な仕組みづくりが重要ということです。

また東洋思想の特徴である、自らの内側に向かっていくような内省性が今求められていることも注目すべき点です。

なかなかタフな内容となりましたが、真の生きがいを創るためにはこういった事実には目を向けていかなければならないのです。














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