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過酷すぎる韓国社会から、世界の行く末を考える

「ヘル朝鮮」の実態

ふた月ほど前に〈右派の私が「リベラル派による韓国分析本」を読んでみた〉と題して3冊の書籍を取り上げました(マガジンをご参照ください)。その流れから、韓国を知るための本を引き続きご紹介したいと思います。

金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義―「無限競争社会」の苦悩』です。

タイトル、帯からして「韓国社会の苛烈さ」が伝わりますね。「ヘル朝鮮」などと自国社会を自嘲する若者たちの指摘も知ってはいたのですが、韓国国民の生の声をふんだんに盛り込んだ本書では、データや論よりもより実感として「この社会で生きるのはキツ過ぎる!」と感じられるエピソードや実態が報告されています。

韓国社会は「正直しんどい」

入試日の模様を象徴とする、韓国社会の受験戦争の激しさは日本でも報じられているところですが、名門学校に入るための塾に通うために引っ越したり、子供の留学のために父親だけが単身韓国に残りせっせと資金を母子に供給する。そうまでして学歴を手にしても就職できない。

なんとか就職しても50代でリストラ、子供の教育費と親の面倒を見るために家計は破綻、仕事と言えばチキンを売るしかない。高齢になっても非正規で働き続け(世界一長く働き続けるのが韓国の老人らしい)、貧困に陥る人が5割に迫る勢い……などなど。1冊を通じで語られる韓国社会における韓国人の生涯を想像すると、人生のすべてのステージで苛烈な競争が行われていて、生まれてから死ぬまで息つく暇もない、といった印象です。

自殺も多く、精神に変調をきたす人も多いとか。

『週刊ポスト』が「怒りを抑制できない 韓国人という病理」との記事タイトルで顰蹙を買いましたが、「これじゃ怒り(や感情)を抑制できなくても無理はないよな……」と思わざるを得ないほどのストレスフル社会といった感。のらりくらり生きている日本の私から見ると、「正直しんどい」。

「30年で、西欧の300年を圧縮して経験した」

なぜ事ここに至ってしまったのか。「はじめに」で指摘されています。

この65年で470倍もの成長を遂げた韓国経済は、西欧が数百年かかった経済発展の過程を、わずか数十年に圧縮して経験した。だがこの異常な「圧縮成長」は、大きな副作用ももたらした。

さらに、韓国の代表的な知識人であるというキム・ジンギョン氏の〈韓国は60年代以降、30年で西欧の300年を圧縮して経験した〉〈恐ろしい速度で、自分自身を振り返るということは不可能であり、必要なことともみなされなかった〉という言も引いています。

いわば、「過剰適応」ということではないか。「過剰適応」とは「周りに合わせようとするあまり、周りを気にしすぎ、自らを押し殺してしまうこと」「にもかかわらずうまくいかないことが起きると、ジレンマに陥り、精神や身体のバランスを崩す」。嫌韓的な文脈でいえば、前半部分は「韓国人が周りを気にしない? んなこたぁないだろう」と思うかもしれませんが、後半部分まで読めば「あのワケの分からない反日や、過去を消し去ろうとする『積弊清算』行為には、そういう部分があるのかも…?」と思えてくるかもしれません。

全人類的問題に広げて考えてみたら…

ちょっと視点を広げてみましょう。これは別記事でもまとめてきちんと書こうと思うのですが、「地球上の人類が皆、人権や自由を手にし、テクノロジーや医学の進歩で死ななくなり、自由な経済のもとで豊かになる」ことは、基本的には「良いこと」とされています。納得するか否かにかかわらず、我々の多くはその恩恵を受けてはいる。韓国もその恩恵は十分に受けている。北朝鮮人民よりは豊かで「幸せ」なのは、言うまでもない。

とはいえ、そうした普遍的と思われる価値やルールに乗ることが、イコール幸せを得ることに必ずつながるのか、というと、実はそうではないかもしれない。現に、韓国は「急激にやりすぎて」現在のような苦悩を抱えることになってしまいました。北朝鮮には別の苦しみはあるけれど、韓国のような苦悩はない(かもしれない)。

「貧しくても楽しい我が家」だけを守っていては人類としての進歩も経済成長もないかもしれず、そもそも「楽しい我が家」で楽しいと思えなかった人々(例えば家族への献身を強いられる母親など)も存在し、西欧化はそれを解き放っていくのだという神話は今も信じられている、と思いますし、実際そうだった。女性として生まれた私が好き勝手政治的発言ができるのも、そうした進歩のおかげではあるでしょう。

しかしそれは、きちんと国家の発達段階を経て時間をかけて、世代を経て、一方に出現する課題に手当てしながらであれば真であっても、一人の人間が生きている間に大転換してしまえばひずみを生むのは必至ではないか、と「西欧300年の歩みを30年でやってしまった韓国」を見て気が付かされる面もあるはず。

しかも仮に韓国が「北朝鮮よりも人々の幸福度が低い国」になってしまったらどうなるのか? もちろん北朝鮮の「幸福度調査」など公にやれば100%近いに決まっているわけですが、韓国人自身が「自由は制限されても構わない。どうせ今だって、保革の戦いの中である種の自由はないのだから。それよりも、とびぬけた金持ちにはなれなくても、家が持てて、家族が築ける社会のほうが、幸せなのではないか?」などと思うようになったらどうなるか? 「でも政治犯で射殺されないだけマシだ」という底辺の争いでは人を説得できないのではないか?

この点、日本でもそうそう他人ごとではないようにも思います。というか、自由民主主義や資本主義、リベラリズムをこれからも掲げ、世界に広げていくというのであれば、「その国の人民は絶対に中国や北朝鮮よりも豊かで、幸せでなければならない」わけです。こぼれた人を打ち捨てていく社会なら、その人たちが「あっちの方がマシだ」と言い出した時に説得できません。もしくは、「これまでの価値の限界を知り、調整する」ことが求められる。

本書の筆者も〈(韓国の現状は)新自由主義に向かってひた走る、日本の近未来の姿かもしれないのだ〉として本書を締めくくっています。

本書は、「韓国社会の実態」というだけでなく、全世界的な「西洋的価値+資本主義のひずみや、限界に直面したらどうすればいいのか」を考えるのにも役に立つはず。歴史認識問題や、旭日旗の問題などでは私も韓国に対して否定的な思いを持つことの方が(圧倒的に)多いですが、少なくとも今は「同じ側」に属している国の国民として、こうした課題についてはともに考えることも可能だし、そうすべきではないか? とも思わされました。

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