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再会のさくら

東京ではソメイヨシノの見頃はピークを越え、新緑の季節を迎えている。

そして今、地元の北海道では桜が満開だと母から連絡があった。

例年ではゴールデンウィークの時期に見頃を迎える桜だが、今年は全国的に早まっているようですね。

母は、“父と6年ぶりに桜の咲く川沿いを散歩した”という内容のLINEを絵文字をふんだんに使って家族のグループで報告していた。

そのLINEを見て、思い出したお話。

昨年地元の桜が見たくなり、ゴールデンウィークに急遽帰省することに決めた。

昨年も例年より開花が早かったため、桜は見頃のピークを迎えているところもあったが、
地元から車で2時間くらいのところにある公園まで行き、母と甥っ子たちとお花見をした。

そこは9年前にも訪れた場所である。

その年は自分の中で大きな出来事があり、予想外の心にぽっかりと穴が空いたような気持ちが続く日々に、このままじゃいけないと思い、地元の桜を見に帰ろうと思ったのだ。

そしてその公園で“白雪”という桜に出会った。

その年の春、あるアーティストの発売されたアルバムに入っていた同名の曲をひたすらに聴きまくっていたので、
白雪を見つけた時、その桜の美しさといろんな感情が入り混じり、いつのまにか涙が溢れていた。

思い返せばその当時は、風に吹かれるだけで涙を流していたように思う。

大きな喪失感のようなもの。

体の半分がなくなったような感覚に自分でも驚き、焦りと戸惑いを感じていた時期であった。

でもそれとは別に、いつのまにかそれほど特別なものが自分にあったんだなということに気付き、温かみを覚えるような嬉しさも感じていた。

そうして昨年、8年ぶりにまた同じ公園を訪れたのであった。

数百種類とある桜の中から白雪に再会できた時、胸がギュッとなった。

それはあの頃感じた喪失感や寂しさや悲しみではなく、懐かしさとまた出会うことが出来たことへの喜びからであった。

いつかまた見に行くだろうなと今は何となく予感している。

最後にもうひとつ、9年前に母と父と3人でその公園に行った時のエピソードを思い出したので書き残しておこう。

お花見を終えた私たちは、出入り口付近に売っていた桜のソフトクリームを買って仲良く食べながら駐車場に向かっていた。

歩いていると雨がぱらぱらと降り出したので、足早に歩き、あともう少しで駐車場というところで、

ソフトクリームを食べ終わった母が、

「とっても美味しかった♪もう1回食べたい!」

と言い始めたのだ。

私と父は

「いやいやもうここまで来たし、雨も降り始めたし、なんなら1個で十分でしょ。」

と説得したが、

母は悲しそうな顔をしてどうしてもソフトクリームが食べたいと言う。

そんな母を見ていたら何だか可哀想になって、私のまだ半分残っていた食べかけのソフトクリームを母にあげた。

途端に顔を綻ばせ嬉しそうな表情になる母。

もう私も年齢的に大人ではあったが、子供から食べ物をもらって(奪って)嬉しそうな母って、、

と一瞬呆れそうになったが、母は本当に嬉しそうだったので私は満足であった。

というお話。

どんな時も母は最後に話題を持っていくのである。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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