見出し画像

憎き、愛しき兄のこと。

私には、6歳離れた兄がいる。

久々に実家に帰ると、「ゆうきちゃん!ゆうきちゃん!」とキラッキラの満面の笑みで迎えてくれる。私は「兄ちゃんただいま〜」とだけ言って、あとは相手にしない。

それでも兄は私の後ろを金魚のフンのようについてきて「ゆうきちゃん!ゆうきちゃん!」としつこく愛想を振り撒く。

無視を決め込むと、人差し指で強めにツン!とされた。「痛い!」と言って怒ると、兄はゲラゲラ笑いだす。そして私の手をとり、指の関節をポキンと鳴らしやがった。「痛いってば!!」私が怒れば怒るほど兄は大爆笑だ。そしてどさくさに紛れてそっと私の左手にある紙袋に手が伸びた。

「これはだめ!友達のやつ!」と言うとワーーーーーーーーー!と叫びながら、次は私が背負っているリュックに手を伸ばす。

「ここには入ってないよ!」と言っても、自分の目で確認しないと気が済まない。私は中身を全部ひっくり返し、ドヤ顔で「ほら!」と言ってみせた。

リュックに何もないことを確認した兄は、またワーーーーーーーーー!と叫びながら、今度は私のスーツケースに手を伸ばす。


「だめ!!そこは見んといて!!!」


私の声に、兄の目の色が変わる。ここに“ソレ”があると確信したのだろう。満面の笑みから一変、今にも暴れ出しそうな表情で私を威嚇しながらスーツケースの中を物色する。私は“ソレ”が見つからないように必死に抵抗する。

「うぅ〜〜!!!」と唸り声を上げる兄。バシバシ叩く私。どんなに叩いてもでっかい兄はビクともしない。そしてついに“ソレ”が見つかってしまった。



お菓子だ。



兄はお菓子に目が無い、重度の自閉症だ。

実家に帰省するたびに兄と毎回この戦いが繰り広げられる。私が帰ってきたことが嬉しいんじゃない。私が持って帰ってきたお土産のお菓子が嬉しいのだ。

別に、家族に買ってきたお菓子だから見つかってもいいんだけど、なぜかいつも必死に隠してしまう。お菓子に負けるのが無性に悔しい。玄関を開けて「ゆうきちゃん!ゆうきちゃん!」と嬉しそうに迎えてくれるあの笑顔は誰に向けたもの?そう、紛れもなくお菓子。兄が楽しみに待っているのは私ではなくお菓子なのだ。

私がたまにお菓子を買わずに帰って来た時、「この裏切り者め。」と言わんばかりの冷たい目で見てくる。

だから私は、それでも、お菓子を買って帰る。




家族の誰かが誕生日のとき、ハッピーバースデートゥーユーを歌うのは兄の役目だ。夜ご飯も食べ終わり、ホールケーキを冷蔵庫から出し始めると、兄は早くしろよと言わんばかりにハッピバースデートゥーユーを歌いはじめる。

「まだ早い!!」家族全員が突っ込む。小皿とフォークを4人分配って、コーヒーを準備する。

「ハッピーバースデートゥーユー」兄がキレ気味で歌う。

「もうちょっと待って!」慌ててホールケーキを出し、ろうそくを立て、火を灯す。

「ハッピーバースデートゥーユー!」

「待って!」テレビと電気を消して、よし、行け!!

「ハッピバスデトュユ!ハピバ…(早口)」

「待って!!ムービー撮ってない!!!」

母のストップが入る。これには兄もついに限界がきたようだ。自分の顔を叩き、腕を噛み始めた。イライラはピークに達している。一刻も早くこの歌を歌い終わってケーキを食べたいのだから。

ごめんごめんと笑いながら、録画ボタンを押して、準備完了だ。

「はいどうぞ!」




「ハッピバスデトゥユ!ハッピバスデトゥユ!ハッピバスデディアゆうきちゃーんハッピバスデトゥユ!」




ハッピーバースデートゥーユーを高速で歌う日本選手権があれば間違いなく優勝だろう。誰の誕生日であろうとロウソクを吹き消すのも、ケーキの上のチョコのメッセージプレートを食べるのも兄の役目。

ちなみに今日は母の誕生日だ。




そんな兄がいるので、我が家には鍵付きの部屋が一つある。

別名「お菓子の部屋」だ。

兄もここにお菓子があることは知っている。お菓子の部屋に行くには、まず私の部屋を通過して、さらに鍵を開けないと行き着くことができない。

私がまだ中学生くらいの頃、兄は私の部屋に侵入し、お菓子の部屋の鍵を壊されてしまった。気づいた頃には時すでに遅し。口の周りにチョコをつけて、何かを成し遂げたような清々しい兄の表情が憎くて妙に面白かったのが未だに忘れられない。


そこからお菓子の部屋の鍵が直るまで、日々睨み合いが続いた。


そして休日に父と母が買い物に行く時、私たちの戦いは幕を開ける。私が部屋にいると、案の定そーっと扉を開けて侵入して来た。私は咄嗟に「あっち行って!」と追い払う。鬼の形相で睨む私に怯んだ兄は、そそくさと自分の部屋に戻った。かと思えば、なんと階段をものすごいスピードで駆け下りてキッチンに向かったのだ。

兄の狙いは冷蔵庫である。お菓子じゃなくても、お菓子っぽければOK。冷凍のあんこやココアペーストはアイスのようなもの。天かすだって兄からしたらスナック菓子だ。

私は必死に追いかける。追いついた時は運よく、お菓子っぽいものをまだ見つけ出すことができていなかった。

兄をリビングに座らせ、一緒にテレビを見ようと和解を求めた。それに応じてくれた兄は大人しくお絵かきを始め、私はやっと友達にメールを返した。しばらくは平穏な時間が流れていた。

すると兄はおもむろに立ち上がりキッチンに向かって走り出す。

「ダメよ!」と大声をあげると、兄は「馬鹿が。」と嘲笑うかのような目で私を見たまま、コップに水を入れ、それを飲み干した。憎い!憎すぎる!これは冷蔵庫に行くと見せかけて、水を飲みに行くという兄のフェイントだ。

水なら仕方ない。そう思いまた携帯で友達にメールを打っていると、兄は大きな足音を立てながらリビングを出た。


(2階に行く…!!!)


今、お菓子の部屋は無法地帯だ。メールをやめて慌ててリビングを飛び出すと、兄はトイレの扉を全開にして用を足していた。ツンとした表情で。

悔しいから、私だって別に兄を追いかけたわけじゃないし!と、そのままトイレをスルーして階段を上がり自分の部屋に戻った。するとトイレから飛び出し、キッチンに向かう音がした。

慌てて階段を下り私もキッチンに向かうと、そこには天かすを食べている兄がいた。



私は負けたのだ。



私は一生兄の妹で、兄は一生私の兄。

憎き、愛しき、私の兄。

それだけのことだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?