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自分の死生観が見えてくる始まりの時期

理不尽なことばかりでした


一見、大怪我には見えない不幸

仕事中に負った怪我ですが「骨折」「脱臼」などが伴っていれば
簡単に判明できたのでしょうね。
幸か不幸か私は身体がとても丈夫でしたので
骨折は無く当初は「打撲」の診断でした。

ですが続く違和感と時間が立つにつれて痺れてくるような
左半身に異常を覚えて1週間後に再度病院へ行きます。
そこでも明確な異常が認められることもなかったのですが
力の入らない左半身では仕事もできずに仕事も休むことになりました。

この時はとても「しんどい」し「もどかしかった」ですね、、、
当たり前のように使えてた身体を思うように使えなくなり、
見た目でわかる異常も無かったので周囲からは仮病なのでは?と
思われていると「自分が勝手に感じていた」のです。
(当然疑ってくる社員はいましたがw)

ですが確実に当時の担当の
「医者」

「労働基準監督署の担当」
は私を疑っていました。
面談に行くたびに邪険に扱われた記憶は今でも残っています。

「本当の苦しさは本人しかわからない、、、」
自分がやられて一番嫌なことでした。
なので私は現在の起業した当初は「周囲の皆の事を一番」に
考え仕事をしてしまっておりました。
これが大きな間違いだったのですがまた別の機会に、、、

調子を崩すだけの治療でメンタルも壊す

当時は首の牽引治療が主だったのですが受けるたびに痛く感じ
治療後はなんとも言えない不快感から調子を崩しました。
それを訴えても同じことの繰り返し、、、
おそらく人生で唯一医者に逆らった出来事です。

私は労災の認定も治療も自ら切り捨てました。

この時に医者に関しては労働基準監督署に相談もしましたが
何も対処もしてくれずに終わります。
心の底から「時間の無駄」と当時の若い私は思ってしまいましたね。
先を考え仕事のことに気持ちをシフトしていきます。

仕事をしないとお金がなく生活が出来ない
なので働く
あたり前のことですね。

ですが当時はやはり左半身に力が入りにくいと言う後遺症に
悩まされていました。
でもやらないわけには行かなかったので自身の
趣味と特技
を活かす仕事をしようと思い立ちます。

物販の基礎との出会い

それがとある品物の販売だったのです。
こちらはとても利益も低く
扱っている物も大きくすべてが辛い作業でした。

でもとても身勝手に出来る事だったので
「何も出来ない」
「邪険にされない」
「自分がやっただけ利益に結びつく」
事に楽しみ覚え疲れ果てるまで毎日作業をしていました。

この事が現在手につけている「物販」の大元となります。
「大きい」「場所を取る」「利益率が低い」「仕入れに安定性がない」
と言う物でしたので現在は見向きもしていませんが
当時は新しいこと、発見の連続の刺激に夢中でした。
そして動きにくいながらも
動く事はやはり「リハビリ」にもなり徐々に
以前に近いくらいまでに動けるようになりました。

「出産」と「新生児仮死」

そしてこの時くらいに労災の時に大変お世話になった
現在の妻と結婚をします。
また子宝にも恵まれ妊娠もちょうどこの時くらいに発覚したのです。

新しい生活に自分の家族、やる気がでない訳もなく毎日が一生懸命でした。
そして時は流れてとうとう「出産」の時を迎えます。

妻の陣痛は微弱でとても長くなかなか出産も進みません。
陣痛が始まりましたが何時間たっても出産となりませんでした。
その後、陣痛促進剤を点滴されてようやく出産となったのですが
子供は産声を上げません、、、

産まれた子は男の子でした。
見えた子供の身体もとても血色が悪く当時の記憶では紫色に見えました。
その後にとても小さな声で泣いたのですが数値が思わしくなく
大きな病院へ救急搬送されます。

検査の結果として脳に浮腫みがあり各数値も悪く
「新生児仮死」と言う状態で産まれてきたのです。
半分死んだ状態だったのです。

子供の生命力は素晴らしい

このときのショックはとても大きかったですね。
久しぶりに人前で涙が流れたのを覚えています。
本当に長い一日でした。
幸いにも妻は経過も良く予定通りの退院となります。

ですが子供は「NICU(新生児集中治療室)」へ入院し
どうにか生きている状態で数日を過ごします。
ミルクも飲めず、小さな身体に管や配線だらけ、、、
妻と共にとても辛い数日でした。

この時はお医者様から
「必ず後遺症は残ります。
どのような事がどのように出来るようになるか分かりません。」と
言われました。

ですが子供の生命力は素晴らしくこの後はみるみる回復し
約1ヶ月後には退院できました。
現在この子は特に大きな後遺症も見られずに穏やかに健やかに
育っております。

若干ゆっくりとした感じの子なのですがこれも個性ですね!
この時に私は何よりも大切な物は「家族」であると実感しました。
そしてこの「家族」を守るために自分は人生を掛けると決意したのです。

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