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『納戸のスナイパー』全作解説+目次

【ごあいさつ】

 シリーズ百字劇場『ありふれた金庫』に続いての『納戸のスナイパー』です。これは『ありふれた金庫』同様、【ほぼ百字小説】としてツイッター上にアップされたもののなかから、狸的リアリティで書かれたマイクロノベル(造語です。極端に短い小説、という程度の意味)200篇をまとめたものです。


 あ、狸的リアリティー、なんて言ってますけど、そんな言葉もありません。私が勝手に言ってるだけです。ようするに、狐や狸が人を化かす、というようなことがあり得る世界のリアリティです。なんのこっちゃ、ですね。でも、狐や狸が人を化かす、というのは、ほんのちょっと前までは、けっこうリアルなことだったのです。だからそういうリアリティで書かれている、と思ってください。私は子供の頃からそういう話が大好きで、そしてそれは私の中ではSFと同じ箱に入っていたように思います。同じ種類のおもしろさとして分類されていて、それをおもしろがっているのと異星人の地球侵略の話なんかをおもしろがっているのは、自分の中の同じ部分なのではないか、とか。だから私にとって、そういう不思議さはSFだったりする。それもかなり核の部分。そりゃ定義みたいなものから言えば明らかに「世間的に考えられているSF」とは違うわけですが、そんな分類の仕方はあんまり意味がないんじゃないかと思ってます。そもそもSFなんて定義できるわけないし。あ、そう言えば私のデビュー作『昔、火星のあった場所』は、狸SFなんですよ。応募したのはファンタジーの賞なんですが、まあSFだったらファンタジーだろ、とか思って。私の分類はそのくらいのいいかげんさです。だから「ありふれた金庫」全作解説で、SF、狸、猫、という分類を書いてますが、そこでのSFは、世間的なSFイメージに比較的近いもの、という程度の意味で、じつは私の中では狸も猫もかなりの部分がSFだったりします。言ってることがよくわかりませんね。私もそう思う。
 まあそんなことよりなにより、狐や狸が人を化かす世界って、けっこう居心地がいいんですよ。あれこれ説明するより読むほうがずっと早い。
 というわけで、そろそろ始めましょう。あ、もちろんネタバレはしてます。『納戸のスナイパー』をひと通り読んでからお楽しみください。

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P5 空が広いところを

 ということで、これを最初に置きました。化かされ話の典型みたいな感じ。つまり、これはこういう本です。こんなのが二百個並んでます。
 うちの近所はごちゃごちゃした狭い路地が多いんですが、空き地もけっこう多くて、急にぽかんと空が広くなるところがあったりします。それも含めてなんだか何かに化かされてるみたいで、そして狐狸的世界にはやっぱり太陽よりも月。真っ暗にはなってなくて、日はもう沈んでるんですが西の空は明るくて、まだ白い月がちょっと輝き始めたくらいの時刻かな。低い空のそういう月は、なんか舞台の書き割りみたいで、嘘の月っぽい。月がふたつ、というのは昔から化かされ話みたいなのには、けっこうありますね。それに絡めて、火星のフォボスとダイモスという二つの月。そう言えば、私のデビュー作は、『昔、火星のあった場所』という初めて書いた長編で、火星と狸をめぐるSFでした。今から考えると、自分の中にある狸的リアリティーの世界をSFとして書きたかったんでしょう。なんだ、デビュー作から自分はそうだったんだな、とか今さら気づく。

P6 自動販売機が煌々と

 そしてこれも定番ですね。狸と言えば、木の葉のお金。化けるときにも頭に木の葉を載せたりします。あれって、いったい何なんでしょうね。それはともかく、自動販売機の光はすごいです。田舎の夜道で、街灯もないようなところにすごく眩しい何かがある、と思ったら自動販売機、というのはあるあるでしょう。自動販売機とコンビニ、というのが田舎の二大光源ではなかろうか。そういうものがあると狐狸も化かしにくい。ということで、化かす対象を変えて、機械を化かしてる。

P7 狐や狸に化かされる

 これがそうですね、狸的リアリティ世界。実際に私が子供の頃、祖母から聞いた話。お地蔵さんのあるあのあたりで、とかそれがあった場所も具体的で、そういうリアリティが成立している世界が、ほんとにちょっと前まであったんですよ。

P8 運動会の大玉が

 大玉転がし、という競技はいったい誰が考えたんでしょう。外国の映像で見たことないけど、日本オリジナルなのかなあ。なんにしてもあれは競技としてもとてもおもしろくてよくできてる。スポーツ性と遊戯性みたいなのが運動会にぴったりですよね。見た目も派手でおもしろくて非日常感がある。娘の小学校の運動会で大玉転がしに出た日に書いたんだったかな。あれ、思った以上にコントロールが難しい。必死になってしまいました。そして、あの大玉というのはちょっと妖怪っぽい。狸は出てきませんが、わざわざこんなことを言ってる校長、かなり狸っぽいですね。

P9 納戸の奥には

 この百字が、この本のタイトルになってます。子供の頃からの謎で、子供の頃からずっとそこにいるんだから仕方がない。そういうもの。そして、事情が分かってる人はもういない。化かされてるっぽいですね。まあそれはそれとして、『ゴルゴ13』なんかに出てくるいろんな隙間とかが重なっていて、なんとその一点からだけターゲットを狙える、みたいな話は好きです。絶対見えないと思ってたのに、ここからだけ見える、とかも。ミステリのトリックでも使われてそうですね。これはそっちには行きませんが。

P10 年老いた遊園地が

 ミステリ、というか、横溝正史っぽいやつ。遺言状をめぐる親族の揉め事とか。遊園地って、なんか物理的なトリックっぽい、という連想もあったかも。『本陣殺人事件』とか。かたかたかたくるんくるんくるんがしゃんひゅるるるうんっずさっ、みたいな。そしていつもよりよけいに回しております。

P11 風船が飛んでくる

 風船には、なんとなく化かされてる感があります。そんなことないですか。赤とか青とか黄色とか、原色の丸いものがふわふわ浮かんでる。そして、風船といえば手紙がつきものですね。そういうイベントがよくありました。実際これ、娘の小学校で手紙と花の種をつけて風船を飛ばす、というイベントがあったときに風船の番をしながら書いた。そしてこの大家、かなり狸っぽい。そして、きっと返事を出してしまう、というのもお約束。

P12 鍋をつついていたら

 まあ茶釜に化ける狸がいるんだから、鍋に化ける狸もいるでしょう。なんでそんなものに? というのも狸っぽい。そして、狸と言えば尻尾。狸汁、というのもお約束。

P13 気がつくと墓地を

 墓地って、迷路に似てますよね。山腹にあったりすると、ちょっとした立体ダンジョンみたいになってたりして。墓地に迷い込んで出られない話、というのは『ゲゲゲの女房』にありました。私は夜に走ることが多くて、あんまり知らないところに入り込むと方向がわからなくなったりします。下寺町なんて、高低差はあるしお墓はあるし。だからお墓で迷ってもおかしくはない。

P14 これって何のスイッチ

 スイッチあるあるですよね。火災報知機とかもそうかもしれない。今はそうでもないのかな。私が子供の頃は、小学校の火災報知機のボタンを誰かが押して、それでしょっちゅう鳴ってましたよ。まあ今はカメラがあるからなあ。あと、照明のスイッチによって明るくなるんじゃなくて、それによってすべてが出現しているんじゃないか、とか。子供の頃、よくそういうことを思ってました。でも壁だけはあるんですね。壁がなくなるとスイッチもなくなってしまうから。

P15 やたらと地蔵が多いのは

 お地蔵様と狸はよく似合う。そしてうちの近所にはお地蔵様が多いです。地蔵盆とか、路地ごとに夜店みたいになってたりして、引っ越してきたばかりの頃はびっくりした。夜店というのも、化かされてるっぽいですね。コロナでここ何年か無くなったままですが、あれって復活するのかな。

P16 狸が恩返しに

「狸賽」(たぬさい)という落語があって、狸がサイコロに化ける、というところを落語でやると、ほんとにそれが見えるんですよ。視線だけで、狸の大きさとか、サイコロの大きさがわかる。最初大きさがわからなくて大きなサイコロに化けて、それが小さくなっていく、なんてのも。視線だけなんですけどね、ちゃんとそれが見える。落語というのはよくできてます。二の裏が五、というのもそれに出てくる。しかしまあこのサゲは我ながら酷いですね。狸たち、人間に化かされないように気をつけろよ。

P17 狐の嫁入りと

 天気雨のことを「狐の嫁入り」と呼ぶのはいいですよね。すごくいい。その言葉だけで、いろんな光景が浮かびます。そんなイメージと言葉を転がして書いた。狐の嫁入りの行列は、黒澤明の『夢』の第一話にありますね。

P18 マフラーにされても

 これも狸じゃなくて狐。役割分担としては、狸はちょっと間が抜けてて愛嬌があって、狐は色っぽくて陰気だったりする。生きたマフラーはちょっと色っぽい。

P19 稲刈りだというのに

 稲刈りあるある、だと私は思うんですが、そんなこともないのか。田んぼがよく乾いてたらそんなことはないんですが、こんな感じのことのほうが多くて、稲刈りなのに田植え状態、とかよく思ったりしました。泥に沈んで出られない、というのは、ほんとに悪夢っぽい。そして最後の方は完全に悪夢になってしまってます。

P20 狸が投票所に

 これもいかにも狸ですね。狐はこんなことしない。私は大阪に住んでるんですが、これは住民投票のときに書いたやつ。

P21 近所の廃工場の前に

 路地に町工場がけっこうあって、最初のところは実際によく目にする光景。錆びた金属の中に水が溜まってたり、からからに渇いてたりする。それと、娘の小学校に行ったとき、池の水が緑色で、そこにふわあっ、と赤い影が見えたのが、なんだか幽霊みたいで、金魚の幽霊というのはなかなか風流でいいんじゃないか、とか思って書いたやつ。

P22 雨ではなく

 象型如雨露で植木に水をやってるときの妄想。ピンクの象といえば、ダンボに出てくる悪夢、そこから空飛ぶ象を連想したのかな。そして、如雨露が集団で飛行して雨を降らせる。まあ狸世界ならあってもおかしくはない。

P23 狸の世界にも選挙は

 ということで、狸的選挙の話。まあ選挙というものがそもそも狸的だから、親和性は高い。人間のシステムに乗りたがる狸、というのも「あるある」ですね、この世界では。

P24 明日から雨が続く

 これはほんとにあった話そのまんま。正確には、空き地の隅の廃屋の庭だったらしいところにあった。ちょっと小ぶりの固めの桃で、かなりたくさん生ってました。竹の先を二股にして、それで付け根のところをひっかけてくるくる回すと、ぷちっ、と簡単に取れた。楽しかったです。でも、空き地も桃の木も、今はもうない。今思い出すと、なんか夢の中の出来事みたいな気もする。

P25 嵐の夜には

 ということで、これは前の桃の木の話の続き。木に何か小さな精霊みたいなものが棲んでいる、というのは、言い伝えでよくありますよね。沖縄のキジムナー、とか。そのあたりからの妄想。

P26 買ったばかりの

 ご存知、江戸川乱歩の『人間椅子』です。ぴったりの暗い隙間、というのはすごく魅力的ですよね。そして、子供の頃に考えてたことにかなり近い。できるわけないんですが、できそうな気がしてくる。だから夢小説っぽい。そんなものできるわけない、なんてのは些細なことで、むしろできるわけない、という非現実性がかえっておもしろさを高める。いいなあ、人間椅子。

P27 雨が上がったので

 そしてまた桃を取りに。実際、まだ熟れてないのがたくさん残ってるので、頃合いを見て何度も取りに行ってました。そしてやっぱり月が出ている。公園というか広場の隅の空き地だったので、こういうこともあった。

P28 狐と狸が候補者に

 狸には選挙がよく似合う。化かし合い、ですからね。ということで、狐と狸の選挙戦。そろそろこういう民話が出てきていいと思う。

P29 誰かがスイッチを

 そしてまたスイッチの話。今度は、世界が消えるんじゃなくて出現。改変、かな。なんというか、これは昔テレビでやってた水曜スペシャル(だったかな?)の『川口浩の探検隊』もの。編集のせいなのか、いろんなものが現れたり消えたりする。もちろん番組的には仕方がないですが、でも、付き合ってばかりもいられない。テレビの撮影、なんかもかなり狸っぽいと私は思います。

P30 やたらとヘリコプターが

 やたら飛び回ってるときがある。大阪女子マラソンのときとか、そのちょっと前とか。あれは何かリハーサルでもやってるのかな。いったい何が起きたんだ、とか思ったあとで、なんだマラソンか、となったり。ヘリコプターの音といえば、『地獄の黙示録』の冒頭ですね。あの音の向こうからドアーズの曲のイントロが入りこんでくるのは最高にかっこよかった。『家族ゲーム』のヘリコプターの音の使い方とかも。不穏な音なんですね。それと、矢野顕子の曲「へこりぷたあ」からも来てるのかな、と今これを書きながら気がついた。

P31 狸が化けた鯉

 漢字からの連想があって、そして「**が違う」のフレーズを反復するのは、山口百恵の「イミテーション・ゴールド」かな。去年の狸とまた比べている。いや、わからなくてもいいです。歌ネタはわからなくて当たり前。そして最後はお約束として食ってしまう。鯉でも狸でも腹に入れば同じです。

P32 マンホールの蓋を

「マンホール言いたいだけやろ」というツッコミ待ち、みたいなやつですね。朗読するときは、直前にちょっと口を慣らさないといけない。ヒーローものですね。登場はなかなかかっこいいと思う。そのあとも延々登場シーンばっかり続く。まあ使いまわしの映像でいけますから。

P33 広くて大きな風呂に

 こういう夢を見るんです。巨大迷路みたいになっている風呂。ジャングル風呂というのが子供の頃からの憧れとしてあるからかも。『かめくん』にもジャングル風呂を出したのは、それで。そういう巨大風呂のあるレジャー施設が流行った頃があったんです。ヘルスセンターとか呼ばれてたやつ。いやしかし、ジャングル風呂ってネーミングがすごいですよね。異世界の言葉みたいです。SFだなあ。

P34 皆さん、この中に

 狸ミステリですね。いちばん盛り上がるお約束の場面。そして、探偵が犯人という禁じ手ですが、まあ狸ミステリですからね。それも含めて見てないふりで。あ、今回この本の宣伝のために書店さんへの色紙とか書いたんですが、そこに狸俳句も入れときました。けっこういい句だと思う。

P35 毛糸玉が転がって

 P8の大玉転がしの小型版、というか、こっちの大型版が大玉転がしか。夢の話ですね。何かがころころ転がってると追いかけたくなるものですね。BGMはイエローモンキーの『バラ色の日々』で。

P36 お前は自動販売機なのだ

 これはあるあるでしょう。小説に限らず、何かを表現する、というのはつまりこういうことなのではないかと思います。だいたい毎日、自分で自分に硬貨を入れてます。

P37 古いソファを捨てる

 P26の人間椅子の話の続き、というか、まああれと同じ世界でちょっと書いてみたくなって書いた。くたびれたソファ、というのは生き物感がありますよね。足も皮もあるし。

P38 捨てたはずのソファが

 そのまた続き。捨てても捨てても戻ってくる、というのはホラーのひとつの型だったりしますね。せっかく足があるんだから、それを使うシーンを書きたかった。あと、謎の妻、みたいな話でもあります。眉村卓の『奇妙な妻』の感じかな。

P39 この先に空港があって

 これは沖縄に行ったとき、海岸でぼけーっとしてるときに書いたんだったかな。近くに空港があって、戦闘機がけっこうな頻度で飛んできます、F15とか。次に来るのはどっちかな、とか自然に考える。そういうギャンブルも成立しそう。

P40 この先に空港があって

 続きと言うより、ちょっとそこからズレた世界ですね。このあたりに棲んでる狸なら、こういう化かしかたをしそう。空飛ぶ狸は、なかなか絵になるのでは。丸くてずんぐりしてる狸は、案外飛べそうな気がする。

P41 また同じテントが

 劇団「どくんご」のテント芝居を観に行って書いたんだったか。お馴染みのテントが立ってるのを見ると、それだけでわくわくする。ああいう形の生き物みたいにも見える。膜構造は生き物っぽいんですね。まあこの場合のテントは、テント芝居のあんなのと違ってもっと小さいテントですね。そういう生き物がいたら、という設定で書いてます。

P42 お前が落としたのは

 河という漢字の遊びですね。で、河の女神はやっぱりこれがいいだろう、というか、本物の女神のわけがないですから、狸ものに。ビーバーの漢字は、日本語だと河狸じゃなくて海狸なんですが、中国語表記だとこうなるので、そっちで。

P43 便器のように

 これも選挙のときに書いたのかな。あの投票箱って指を嚙まれそうな気がしませんか。ポストだとあそこまで指を入れない。ということで、あれに歯が生えたら、みたいな話に。そして、もっと生き物っぽく。狸が化けてるのかもしれないし。なぜここで便器が出てきたのかは、自分でもよくわからない。まあ投票って一種の排泄のような気がしなくもない。

P44 高枝切り鋏で

 前半はほんとにあったこと。なんか腕がガチっと入ってしまったんです。ちょっとしたコントみたいで、困りながらおもしろがってました。それでコントっぽく女神を登場させた。幸いすぐに抜けましたけど。

P45 こんなふうに急に

 突然あたりが真っ暗になる、というのは、化かされ話の定番です。そして真っ暗になった原因は、という話。全電源喪失はあり得ない、なんて化かされてたわけですが。まあ狸はあそこまで酷い化かし方はしない。

P46 暗闇で何かを落とした

 暗闇朗読、というのをやってます。真っ暗闇の中でヘッドランプをつけて朗読するのです。もともとツイッターで【ほぼ百字小説】を始めたのも、そこで読むのに便利、というのが大きい。それをやってるときにあれこれ考えたこと。なぜお客さんの前で朗読するのか、そしてなぜ暗闇にするのか、ということも含めて。まあここに書いた通り、答えはわからないんですけどね。この話は、暗闇朗読でよく使います。

P47 次の芝居の顔合わせ

 これはあったことほとんどそのまんまの日記みたいなもん。「超人予備校」という劇団の『木の葉オン・ザ・ヘッド』という芝居でした。私は狸の役、というか、出演者ほとんどが狸の役で、人間の役は二人ほどでした。考えたらこれに出たせいで【ほぼ百字小説】の狸率が上がって、そしてそれがまとまってこの本になったのだから、私にとってかなり重要な事件だし、だから重要な百字ですね。

P48 狸を演じる稽古に

 そういうことがありました。狸の芝居の稽古でこんなことがあるっておもしろいじゃないですか。実際、稽古場に行ってみたら誰もいないしその気配もまったくない、というのは、ちょっと狐か狸に化かされた感があって、これ、このまま書こう、と。化かされてもタダでは起きない。いや、私が間違えただけでしたが。

P49 つまりこういうことです

 バカミス、なんて言葉があって、ようするに「そんなバカな」ミステリということらしいですが、これはそのバカミスならぬアホミスですね。というか、これでいったいどういう犯罪が行われたのか。そんなこと書かなくてもいいのが百文字の便利なところ。

P50 牧場だと聞いていた

「あるある」のような気がします。これって、化かされてるんじゃないのかなあ、とか思いながらずるずるそれに従ってしまう。そうしているうちにそれが当たり前になって、そしてもう引き返せないことになってる、というか、もうそれが当たり前だからそんな発想すらできなくなってしまう。狸の化かし方とはちょっと色が違いますけどね。

P51 狸の役か

 これもあったことそのまんま。あったことそのまんまでいいのか、と思われるかもしれませんが、あったことそのまんま、というのはけっこうおもしろいんじゃないか、と私は思ってます。あったことそのまんまとSFとかホラーは両立するんじゃないか、とも。まあこうして日常を送ってる不思議って、SFそのもののような気がするし。そう考えると日常はSFですね。

P52 狸の芝居をやるので

 これまた、あったことそのまんま。今読み返して、ああそんなことあったなあ、なんて思いました。会場の入り口の受付のテーブルに置いた。サイズ的にもちょうどいい。そしてそんな時期でした。そうか、狸は雨の降る夜に酒を買いに来るんだったな、とか。

P53 娘がなかなか起きてこない

 これも日常のひとコマ、ですね。なにかそういう動物を待ち伏せてる気分になる。このとき娘はまだ小学生で、こういう感じもすぐに忘れてしまうので、書き留めといてよかった、とか今読み返して思います。そういうのも、このサイズの小説の便利なところ。ちょっとしたスケッチに使えるんですね。狸的リアリティ、ということを、始めに書きましたが、それは不思議なことが起きるんですけど、片足は現実のほうに置いている。そういう日常感覚みたいなもの。とか考えると、狸的リアリティというのは、マジックリアリズムというのに近いのかな、とも思います。狸ですからゆるいですけど。ゆるマジックリアリズム。

P54 狸の芝居をやるので

 これは嘘みたいな本当の話。道頓堀の劇場です。実際、本番の前日に皆でぞろぞろご挨拶に行った。地下のポンプ室みたいなところの隅にありました。道頓堀には芝右衛門狸という芝居好きの狸の伝承があって、それをお祀りしてる。淡路島に棲んでた狸で、道頓堀まで芝居を観に来てたらしい。船に乗って来てたんですね。それもなかなかおもしろい。

P55 いい気持ちで

 狸からのメッセージ。人間というのは、なんでもないものに勝手にサインを見出だしてしまうんですね。まあそれが化かされる、ということなのかも。化かされたい、というのが大きい。狸の出る芝居の稽古に出てると、なおさらそうなります。

P56 尻尾が出てます

 ということで、芝居の話が続きます。このあたりのやつは、芝居をやってる最中に書いたやつで、つまり一種の日記でもある。尻尾と耳をつけて舞台に出てました。芝居の稽古とか本番のときには、それを素材にした、というか、そういう世界に片足を置いてるみたいなものが書ける。そうしようと思ってできることじゃないので、こういう状態に自分を置けるのはとてもありがたい。で、それをそのまま小説として書く、というのも狸的リアリティかも。

P57 追いつめられ

 初夢って、一種のおみくじですよね。どうせなら大吉とかであってほしい。ということで、嫌な夢を見たときに夢の中でなかったことにしようとしていて、それでそういう夢を。夢を見ているときって、わりとそういう雑念が入ります。これって「あるある」だと思うんですが、自分以外のことはわからない。

P58 お前の小説には

 まあそういう決まり文句というか、罵倒フレーズがありますよね。チラシの裏。いや、でも実際、書くときのメモとか、試しにちょっと冒頭を書いてみるとか、そんなのに私はよくチラシの裏を使ってます。ちなみに、落語会のチラシは片面印刷が多くて使いやすいです。

P59 皆で狸を磨く

 狸の芝居の稽古をやってる、というのは、まあこんな感じでした。今、みんなで磨いているところだな、とか、たまに思ったりする。ブラッシュアップなんて言葉もありますし。そして、これはその狸の芝居の再演のときに書いたもの。そして、いちどやった芝居を半年後くらいにまた集まって再演する、という作業は、こんな感じだったなあ。

P60 あかずの踏切と

 あかずの踏切、というのはなかなかいい言葉ですよね。「いい」というのはおかしいか。日常の中にある不穏さみたいなものがあって好きです。私の好きな言葉です、ってこういうのに使うんじゃないのか。井上陽水の「開かずの踏切」も好きですね。これは、その踏切の前で電車を待ってるときの妄想。首を長くして待つ、という言葉とあかずの踏切の合成。サゲは我ながらひどい。

P61 どざうざうざう

 こういう日常の中に回収されてしまうような怪異が好きです。狸的です。石が降る、というのもこんな感じなんじゃないかと思います。音だけの怪異。雨音と勘違いしてあわてて物干しに、というのは日常的にわりとよくある。そして満月に狸はよく似合います。これを「狸の嫁入り」と呼ぶ、というのは嘘ですが、でもまあそんなふうに呼んでいる人たちがいてもいい。いるかもしれない。

P62 地下には狸

 P54の延長。ビルの屋上に鳥居がある、というのは「あるある」ですよね。『天気の子』なんかにもそういう風景が出てくる。観覧車なんかから見下ろすとビルの上に赤い鳥居が見えたりして、あんなところに、とか思ったりします。ということで、地下に狸、屋上にお稲荷さん、つまり狐。何かそういう力関係みたいなものがあるのでは、という妄想。そういうところの物理法則的な辻褄を合わせたくなる、というあたりがSFファンなのかも。

P63 地下には狸

 そしてさらにその妄想の延長。屋上の鳥居はよくありますが、地下の狸はひとつしか知らない(P54)ので、バランスをとっているというのにはちょっと無理があるかな、とか。こんなことをあれこれ考えているのが好きなんですね。

P64 真夜中、たかたたかた

 タップダンスを習ってました。だから、タップシューズを持ってます。全然できませんけどね。でも簡単なステップを踏むだけでもけっこう楽しかったり。自分がそんなことをするなんて、昔は思いもよらなかった。芝居の中でちょっとやることになったので、ちょっと習って、それがおもしろいから続けて習ってた。演劇というのはいろんなことにきっかけになります。それにしても、うまく鳴らしてもらえないシューズはさぞかし不満がたまってるだろう、と。

P65 雨が上がって

 雨が上がって日が射して、というのは、落語『貧乏花見』の最初のところ。雨で仕事に出そびれたところに思いがけず雨が上がったので、手持ち無沙汰の連中がぞろぞろと花見に行くことになるんですね。その描写というか、シチュエーションが生き物っぽくていい。そういう天気になるたびに思い出す。それをちょっとホラーっぽいタッチにして、なんだかわからない正体不明の連中が這い出して来るのを見ている側からの話にしました。

P66 真夜中、ぱぱぱら

 トランペットを習ってました。だから、トランペットを持ってます。全然吹けないんですが、変な音は出せるので、朗読の小道具とかには使ってます。これも演劇きっかけで始めたもの。ほんと、演劇はいろんなきっかけを作ってくれます。というわけで、こいつももっと鳴らされたいだろうなあ、おれのポテンシャルはこんなもんじゃないのに、とか。

P67 妻が炬燵に潜って

 これもそのまんまかな。妻と娘はやっぱりいろんなところがよく似ていて、そして仲はいい。母と娘との関係は、父と娘との関係とはかなり違う感じがする。アニメの『魔女の宅急便』のあの感じ。炬燵に限らず、父親にはちょっと入っていけないところがあるように思います。

P68 お金にするための

 これは狸の芝居の続きで、小道具として葉っぱが必要で、うちにある枇杷の木の葉っぱを本番の何日か前に取ったのでした。これがお金になるんなら苦労はないなあ、とか思いながら。しかしそれならなぜ狸が世界を支配していないのか。まあ世の中はそんなに甘くはないのでしょう。

P69 朝起きると

 夢日記をつけてた頃があって、枕元にノートを置いといて、忘れないうちにすぐに書き留める。夢というのはすぐに忘れてしまいますからね。これが不思議なもんで、書いたのにその内容も忘れてしまう。で、後で夢日記を見たら、書いた記憶もない文章が自分の字じゃないみたいなぐにゃぐにゃの字で書いてあって、それがまた意味不明だったりして。自分の中に知らない誰かがいるみたいな感じがする。まあめんどくさいし、すごく疲れるので、夢日記はやめてしまいました。あれ、なんであんなに疲れるのかな?

P70 ちゃきちゃきちゃき

 これもじつは演劇もの。紙の雪はいいですよね。いかにも芝居っぽい。すごい発明だと思う。誰が見たって雪じゃなくて紙なんだけど、でもちゃんとそれが雪の役をはたす。紙の雪で舞台を埋め尽くす芝居に出てて、大量を紙吹雪を作ったときに書いた。三角形の方が滞空時間が長い、という話があるんですが、本当なのかな。都市伝説みたいなものなのかも。その嘘か本当かわからないところも好きなんですけどね。こうやって頭から読んで解説してると、つくづく演劇の現場でいろんなネタを拾ってるなあ、と思います。

P71 よく言われるように

 ということで、狸が演劇的、というのは、こういうところですね。そして、そういう技術はあるんだけど、やっぱり狸は間が抜けている。

P72 目も開けていられないほどの

 その膨大な量の紙吹雪を見てて思いついた話。これなら紙吹雪でも遭難することがあるんじゃないか、とか。雪として紙吹雪が降る世界、というのもなかなかおもしろいと思う。劇場世界、とか劇場宇宙、みたいな感じですね。

P73 亀と狸が東海道で

 ちょうどその狸の芝居で大阪から東京へと向かっていた同じ頃にベビー・ピーという劇団が『かめくん』を人形劇化してくれてて、彼らは東京から大阪の方に向かってきてたんです。それを亀と狸のすれ違い、というシーンとして書いた。まあ私の頭の中ではこんなふうにすれ違ってました。

P74 いつもの喫茶店に

 行きつけの店がなくなってしまう、というのはなんだかものすご
く頼りない。ちょっとした非現実感もありますね。そして、中が空っぽになって工事が始まってたりすると、蝉の抜け殻みたいで、まあそこで現実感を失ってる自分も外から見たらそんな感じかも。

P75 爪切りで爪切りを

 これは、ほんとにそれだけのネタ。爪切りの繰り返しでリズムを作る、みたいなやつ。そういうのは朗読のときにはわりと使い勝手がいい。最後のフレーズを「またつまらないものを斬ってしまった」の口調で言うとわりと受けたりします。

P76 私、じつは狸

 化かされてるんじゃなくて、自分が化かしていた、ということにある日気がついてしまう話。まあそういう化かされかた、ということも充分考えられますが。「気づき」あるある、かもしれません。

P77 冬なのに生ぬるい風が

 幽霊が出るときに生温かい風が吹く、というのは昔は定番でした。ひゆうううううう、というあの効果音はそれを表現しているのかな。そして、南方で「台風ではなく大量の幽霊」が発生した場合の天気予報はこういうことになるのではないか、と。境界で発生と消滅を繰り返している、というのは量子的に見たブラックホールとか事象の地平線みたいな感じですね。幽霊のふるまいと量子論はわりと親和性が高いと思うので。

P78 基本的にはバケツリレーで

 まあ政府の打ち出す対策あるある、かな。そしてそれがどんどんエスカレートしていって、言うことだけは勇ましくなっていく、というあたりも。

P79 狸に化けているせいなのか

 狸に勧められて何かやってるんでしょうね。そしてたぶんちょっとずつ狸にされていく。もう後戻りはできない。最後には狸に乗っ取られてしまう、というのも定番。

P80 商店街の天井にいた

 公式のやつではなくて、勝手に作ったそういうのがあるんです。角材と紙粘土で作ったみたいなやつ。そしてキャラクターはたまに変わる。流行りのものに変わる。でも使えるところはそのまま使いまわしてたりしてて、それは見ればわかる。ああ、前はあれだったやつだなあ、とか。それをそのまんま。

P81 爪にするか鱗にするか

 どっちに向かって進化するかを尋ねてくれたら、みたいな話。次は何に生まれ変わりたいですか、みたいな感じですね。でも、何を選べばいいのかなんてわからないから、自分で選んでも他人が選んでも同じような気はします。

P82 雨がしょぼしょぼ降る午後に

 子供の頃、「雨がしょぼしょぼ降る晩に、狸がとっくり持って酒買いに」という歌をよく歌ってました。祖母がよく歌ってたのを真似て。雨の夜には今も思い出す。そして、動物園で狸の芝居をやりました。「おはなしえん」という企画で天王寺動物園で、子供向けの10分くらいのコントを。それをやってるときの合間の時間に書いたやつ。実際、雨が降ってたんですよ。それであの歌を思い出して、あのリズムで書いた。

P83 夜道をパンダの人形が

 夜歩いていて、ここで何が前を歩いていたら怖いか、みたいなことをよく考えます。小さなぬいぐるみが歩いている、というのはかなり怖いと思う。人が入れる大きさならわかりますが、小さいとね。それで、それを動かすにはどうしたらいいのか、を考えたり。

P84 長い旅行に出ると

 あったことそのまんま。海岸で気に入った小石を探すのは、ほんとに楽しい。熱中し過ぎて、あれでもないこれでもないと何時間もやったあげく、自分がいったいどんな石をいいと思っているのかわからなくなってくる、というところまで含めてすごくおもしろい。ちょっと化かされてる感がある。重くなるしキリがないから、三個まで、と自分で決めてます。

P85 ひさしぶりに狸の役

 これは前に書いた狸芝居の再演のときに書いたものかな。敵を騙すにはまず味方から、そして誰かを化かすにはまず自分から、みたいな話。そして実際に自分で自分に化かされてします。これでいいか、と思ってるところも含めて化かされてるのかも。

P86 とくにすることも

 演劇あるある、かな。無事に幕が開いて、何回目かの舞台になると、こんな感じになったりします。本番中なのに、ぽかーんと時間が空いた変な時間。その「出番」と「出る」という言葉、それに劇場には付きものの「出る噂」を合成したやつ。ああいう人たち(?)も、あれを出番と考えてるんじゃないかな。

P87 魂が落ちていた

 まあ漢字だけのネタですね。それと、「魂が落ちる」という沖縄にある言い方がおもしろいなと思ったこともあるか。塊なら、いかにも落ちてそうですから。

P88 隣町の時計塔

 私は寺田町というところに住んでて、そこは上町台地の東側で、坂を上って下ったところに通天閣がある。台地のてっぺんにある四天王寺あたりから通天閣が見下ろせるんですが、うちの近所で一か所だけ、通天閣の頭の部分が見えるところがある。まあ上町台地って、大した高さはないので、そういうこともあるでしょうけど、そこを通るたびになんか化かされてるような妙な気持ちになる。それで書いたやつ。

P89 蜂蜜の瓶が並んでいる

 昔住んでいたアパートの近くに蜂蜜屋があって、道順を説明するときに、商店街の蜂蜜屋の角を曲がって、とかよく言ってた。わりと有名な蜂蜜屋で遠くから買いに来てる人もいるらしい、とか聞いて、それなら熊も買いに来るかもなあ、とかよく言ってたのを思い出して。

P90 とてんとん

 台所の前に小さなトタンの庇が張り出していて、それで雨だれのおとがいつも聞こえる、というのはもう何度も書いてますね。その音でどのくらい雨が降ってるかわかったりして、それがすっかり雨音になってます。そのせいか、その音を空耳したりする。狸囃子というくらいで、音で化かしたりするのはけっこうあるようだし。

P91 物干しから

 書き割りの月っていいですよね。たぶん一番最初にそう思ったのは、子供の頃に好きだったテレビの『赤影』。ものすごく大きな月の前に赤影白影青影が次々に現れる、という舞台みたいなオープニングのシーンで、どうみても偽物の月なんですが、そのありえない大きさがすごく綺麗でかっこよく思えた。あんな月はないんですが、あんなふうに見えることはある。だからそのほうが記憶の中の本物に近い、ということもあるでしょうね。

P92 お神輿のために

 これから老人ばかりになってくると、お祭りも大変でしょうね。お神輿に力が必要、でもその力の方向は、みたいな話。エヴァで、あれは装甲ではなく拘束具、というのがありましたね。まああんな感じ。担いだものだけがそのことを知っている。

P93 暗いうちに港に着き

 これは、別府に行ったとき。大阪の南港からフェリーで夜出発して、早朝に別府に着く。ちょっと神戸を思わせる坂の町で、坂の上に鉄輪(かんなわ)の温泉がある。坂の上から港に泊まっているフェリーが見える。今夜、大阪に帰っていくフェリー。だから、朝着いて、ここで温泉に入って、夜それに乗ったらそのまま大阪か、何かの上陸作戦とかみたい、とかそんなことを考えて。

P94 人間に成りすます

 侵略ものと呼ばれるジャンルでは、これまでいろんなものが人間に成りすましてきましたが、はたしてどうやってその技術を習得しているのか問題、ですね。実際、演技論もいろいろで、もうそれは古くなってると言われたり、また再評価されてたり、でも結局どうするか決めるのは自分、とまた目的がわからなくなってる。

P95 こんなところに牙が

 これは、実際に近所の公園にあるコンクリートの鯨を見ての妄想。たまに色が変わるんです。青だったり黒だったり、そして鯨じゃないものになったりもする、エビフライとか。あれは塗り替えられてるんじゃなくて、という話。生きている石像、とかそんな話。しかし、エビフライになったときはびっくりした。たしかに尻尾があるから形は似てるけど。

P96 洪水の夢を時々見る 

 夢もの。夢の中での行動。一時期、こういう夢をよく見てました。ケースが水に浮かぶ、というのは妙にリアルですね。サックスだと沈む。トランペットは割と軽いからケースに空気が入ってたら浮くと思う。とかそんなことを考えてるからか。

P97 セイキセイインコが

 迷い込んできたのは本当。物干しから入ってきた。人に慣れてて、肩とか手にとまったりする。家の前にそんな紙を貼って、交番に届けをして、しばらくいっしょに暮してました。あ、しばらくしてその紙を見た小学生が持ち主に知らせて連絡があり、無事持ち主のもとに還りました。

P98 すぽぱぺっぷぺてて

 オノマトペというのはおもしろい。オノマトペという言葉がすでにおもしろいですね。私が小説にオノマトペを多用するのは落語の影響。がらがっちゃどんがらがっちゃぷっぶーっ、とか、べりばりぼりばり、とか、そのまんま引用してたりもします。小説では、あんまりやってはいけないこと、みたいになってるみたいですが、(小説の書き方、みたいな本を読むとけっこう書いてあるんです。)落語のほうが先だった私には、それがとても不思議。宮沢賢治とかも多用してるしね。これは、そういうオノマトペで喋る生き物、みたいな感じかな。動物の鳴き声をどう記述するか、というのもおもしろいですよね。

P99 ザリガニが氷に

 大阪にはめったにないことですが、年にいちどくらいは氷が張る。これは物干しの盥でザリガニを飼ってたときのやつ。氷越しにザリガニが見える。そこからの妄想ですね。凍りついてるときに、主観的時間は止まってるでしょうから。ザリガニに意識があるかどうかは別の問題として。

P100 以前は何者かだった

 これもじつは(ということもないけど)演劇もの。狸の芝居をやった劇団での打ち上げで、次は何をやろう、みたいな話をしていて、それをそのまんま。とにかく千秋楽を終えて無事に舞台をバラして、ばたばたと解散して、ちょっと落ち着いてまた皆で集まるのは、何週間もたってからだったりするから、なんか遠い昔のことみたいに思えるんですよ。

P101 もう踏まれるのは

 狸もの。しかも、子狸。いわゆる豆狸(まめだ)です。まだ子供の狸だからいつも化かされている。まあそれは狸の世界だけに限ったことじゃない。ヒト世界での搾取「あるある」でもある。

P102 円形の翼を持った生き物だ

 架空の博物誌みたいなシリーズ。こういうのが好きなんですよ。そして、百字だとただこれだけで書けるんですね。ストーリーとかいらない。それが便利なところ。ショートショートだとそうもいかない。唐傘オバケというのは、子供の頃から好きでした。メカと生物の融合、みたいな感じで、ちょっとSFっぽい。いや、もろにSFか。

P103 雨の夜、傘の上に

 上方落語の『まめだ』の冒頭の部分にこういう場面があります。狸的リアリティの世界を舞台にしたお話です。もちろん、この世界ではビニール傘ではなく番傘。このいたずらに腹を立てた役者が、番傘をさしたままトンボを切る。絵になるシーンだなあ。売れない大部屋の役者、という設定もいいし、道頓堀からの帰り道の三津寺筋(みってらすじ)という場所設定もいい。狸的リアリティがある。『まめだ』と『狸賽(たぬさい)』は、大好きな狸落語です。

P104 自転車を連ねて

 これはこのまんまです。こういうことがありました。赤ん坊だったものが自分の自転車に乗れるようになる、というのはなかなかすごいことだと思います。自転車自体がなんだか生き物っぽく思えたり。

P105 最近、物干しの上を

 国際宇宙ステーションが通過していくのを見る、というのはなんともSFですよね。宇宙ステーションですからね。ネットにその日時を上げてくれる人がいたりして、一時期よく公園とか空き地に見に行きました。そして、だいたい空のどのあたりを通るかわかってくると物干しからでも見つけることができる。しかし物干しから宇宙ステーションを見ているというのもなかなかいいSFじゃないですか。ブラッドベリとかにありそうだ。それ+狸風味。

P106 戸を開けると

 これは、大阪都構想の二回目の住民投票のときに書いたやつ。まあこんなことがこれからも続くんでしょう。

P107 長屋の並ぶ路地の奥に

 路地の中を散歩するのが好きで、わざわざ細い道を選んで入って行ったりします。すると、けっこう井戸があるんですね。蓋はしてあって、もう使ってないっぽいけど、路地ができた頃からそこにあったんでしょう。いろんなものが沈んでいるかも、とか。井戸は儀式に使われやすいだろうし。そして丼という字は、井戸の中に何かが落ちているみたいに見える。

P108 鬼が餅を撒く

 節分に近所の神社で餅撒きがあった。これがもうけっこう激しい。ラグビーみたいに投げられた餅のまわりに群がって突進する。油断していると吹っ飛ばされかねない。なんでそこまで、もしかしてこれは、という妄想。

P109 そこを抜ければ

 これも節分。柊の葉と鰯の頭という取り合わせは見た目がなかなかおもしろい。そしてなかなか呪術っぽい。なんにも知らずにそんなものを見たら、ちょっと怖いのでは、とか思う。それを怖いと感じる理由は、みたいな話。

P110 ビニール袋にカラスが

 ビニール袋が風に舞ってふわふわ漂っていたり道路を滑るみたいに横切ったりするのを見ると、そういう生き物みたいだとよく思う。そして、カラスがゴミの袋を破いたりしているところも。そこから、二つの生き物の争いみたいな光景を。なぜビニール袋が肉の味を覚えることになったのかは、ご想像におまかせします。

P111 投票場に来た

 ということで、またまた狸と選挙の取り合わせ。実際に投票に行ったとき、その帰り道に書いたんだったかな。いつも何かに化かされている気がします。まあ狸の仕業ではない。狸はそんな化かし方はしない。

P112 工事中の穴に落ちた

 まあこれに近いことがあった。近所に工事中のでかい穴があった。そして、騒いでいるのはうちの物干しからも見えた。しばらくして救急車が来て運ばれて行きましたが。狼少年の話から怪談だかなんだかわからないヘンテコ話に着地。まあ虚構が独り立ち、という点では両方同じ話か。

P113 子供の頃、商店街の隅に

 こういう自販機、というか、おみくじの機械を子供の頃に見た記憶があるんですが、どこで見たのか本当にあったのか、どういう仕掛けだったのか、よくわからない。記憶の中ではものすごくリアルな小さな狐が生き物みたいに動いてて、それも含めてよくわからない記憶。それをそのまんま書いた。

P114 道端に大きな亀が

 娘が昔描いた絵が出てきて、そして亀の絵がたくさんある。まあ子供なりに親が喜ぶものを知っていたんですね。そしてその亀の甲羅がものすごく細かい碁盤の目になってる、というのがおもしろくて。そして、狸が化けるときにいろいろ間違えてちょっと変になる、というのは昔からいろんなお話にありますね。ああいうのはおもしろい。狸的です。

P115 腹に袋のある動物が

 有袋類の話なんですが、有袋類をディスってるみたいなことになってしまってるのかも。すまん、有袋類。まあ哺乳類の中に放り込まれると滅びてしまう、という話からの発想。もちろんそんなこととは関係なく、有袋類はいい。絶滅せずに残っていてくれてよかったと心から思います。あと、役に立たないドラえもん、みたいなイメージも入ってるか。

P116 浴室で銀河を発見

 子供の頃、私はよく風呂でのぼせてひっくり返っていました。風呂の中でいろいろ妄想して遊ぶのが好きだったんですね。泡の銀河は今も見ます。渦状ですからね。いちど銀河に見えると、もうそれにしか見えない。でも、お風呂で長時間遊ばないように。

P117 骨を手に入れるたけに

 ケンタッキーフライドチキンの骨で恐竜の骨格模型を作る、みたい企画だったか、本だったかがあったと思います。その辺からの発想かな。骨を組み立てるゲーム。そして、脚が多い、というのは、ケンタッキーフライドチキンに関するそんな都市伝説がありました。遺伝子操作で脚の多い鶏を作ってる、とかなんとか。いやいや、そんなことができるんなら、その技術を使ってフライドチキンを売るより儲けられるんじゃかいか、とは思いますが、都市伝説としてはけっこう好き。それと「肉付け」という言葉ですね。ここでは実際に肉を付けるわけですが。

P118 重そうな何かを三人で

 コントなんかではけっこうあるシチュエーションですね。限界に近いくらいの重さのものを運ぶ、というのはなかなか状況としておもしろい。よたよたして、あっちに行ったりこっちに行ったり、コントロールできない。そのあたりが、こっくりさんと似ている。こっくりさんって、硬貨を使うのじゃなくて、三脚みたいなのにお盆を載せる方法とかもあって、そこから連想して、運ぶのは三人にしました。三体問題、とかもあるしね。三になると途端に力関係が複雑化する。

P119 またしても重そうな何かを

 その続きですね。何人かで重いものを運ぶ、というのは、葬儀を連想させます。最後に遺族の何人かが棺を運ぶ、というのはクライマックスですよね。あれはいかにも儀式っぽくてなかなかいいな、といつも思います。でも三人だとけっこうよたよたするかも。

P120 尻尾と耳を持っている

 狸芝居の続き、というか、これも本当にあったことそのまんま。なぜ何度も狸の役があるんだ、と言われそうですが、そういう劇団なんですよ。実際にあったことなんだから仕方がない。そして、尻尾と耳は持ってるから、なんてことを衣装担当に言うのはなかなかヘンテコで、そして狸小説っぽい。

P121 雨がふると

 こういう音が樋から聞こえて、なんかヒヨコでもいるみたいだな、と思って覗き込んだり周りを見回したりしたのは本当。水の流れか、それに伴う空気の流れが、笛みたいな音を出してるんでしょうね。そういう音を出すちょっと風流な樋があってもおかしくない。水琴窟とか鹿威しみたいな。で、このヒヨコの音がもっと大きくなったら、というのがサゲ。

P122 おや、珍しいことも

 ずっと人間以外の役、なんてこともあるのです。ちょっと輪廻転生みたいですね。なかなか人間に生まれ変われない。そしてそんな劇団の劇団員たちの正体は、みたいな、みたいなサゲ。

P123 雨がしょぼしょぼ降る午後に

 雨がしょぼしょぼ、というのは、狸の歌の歌い出し。雨がしょぼしょぼ降る晩に、狸がとっくり持って酒買いに。あれ、なんという歌なのかな。祖母がよく歌ってました。そういうフレーズは今も頭の底にあって、小説にそのまま使ったりしてます。そしてこれは田辺青蛙さんが主宰していた「大阪てのひら怪談」の受賞式イベント。800字怪談の賞で、私も出してました。台地は、上町台地。会場が日本橋だから、うちからはこの上町台地を越えていく。雨の午後は、交霊会とか怪談会にはよく似合いますね。狸が酒を買いに来るのは、雨の晩ですが。

P124 芝居で狸の役を

 尻尾と耳は各自が管理するので、こういうことも起こり得ます。そして、狸演劇論、みたいな話。この狸式メソッド、けっこう使えるような気がする。

P125 今からやっても

 肉体的に(たぶん精神的にも)もうここからはいくらやってもこんなもんだな、というところはもうだいぶ前に通過しました。この先は速くなったり強くなったりはしない。ここから肉体は衰えていくだけなので、それは仕方がない。それは実感してます。で、この感じでもっと進むと、という話。そして、USJで踊るゾンビを見た。その合成かな。

P126 雲の厚い夜に

 これは実際にこういうものを見たのです。すぐに見えなくなってしまいましたが、地上があって雲があってその向こうに宇宙空間があって、みたいなのが立体的に感じられた。すぐに雲が穴を塞いでしまいましたが。まあそれ一回だけですけどね。

P127 花見というか

 これ、天王寺公園の芝生、いわゆる「てんしば」での花見。知っている人は知ってると思うんですが、あのすぐ横がラブホテル街で、いろんな形のそういう建物が並んでて、そこにお城の形のもあるんです。そしてとても狸っぽい。あ、入ったことはないです。中がどうなっているのか、いちど入りたいんですけどね。

P128 不法投棄の山と山の間に

 そういうところが近所にあって、前を通るたびに見てしまう。そして落ちているテレビの画面を見ると、そこに何かが映るんじゃないか、とか思う。ブラウン管って、もうわからない人も多いんでしょうね。わりと好きな言葉。響きとか。昔の箱型のテレビ、ってほんとに舞台のミニチュアみたいに見える。子供の頃、あの画面を割ったら小さな人が出てくるかも、とか思ってたことはかすかに憶えてます。いちばん身近にある魔法みたいはもんだったんでしょうね。

P129 大きな赤い月が

 坂とか高低差のある風景が好きなんですが、大阪にはあまり坂がない。平野ですからね。でも幸い、うちの近くには上町台地があって、それを自転車で登っているときに、ちょうどその坂のてっぺんに満月が見えて、それがほんとに道路に置いてある玉みたいに見えて、そこから。

P130 ひとり旅に出た妻に

 妻は旅行が好きで、よくひとりでふらふらとどっかに行って二週間くらい帰ってこない、なんてことがあります。そういうときにはいつも蛙のフィギュアを持って行ってもらってるんですが、あるときこれが二匹になっていた、というのは本当にあったこと。たぶん前の旅行のときにリュックに入れっぱなしになってて、それに今回持って行ったのが加わった、ということだろうと思うんですが、そうじゃなかったら、ということで。妻が二人に分裂する話は、前に書いた。『100文字SF』に入ってます。

P131 朝になると

 台所の床に日が射すのは本当。かなり細い隙間を通って射してくる。ある一点からだけターゲットを狙える、という話はこの本の表題作もそうですね。そういうちょっと虚構っぽいもっともらしさが好きで、これもちょっとそれっぽい。で、そこにさらに不可解な要素を加えてサゲにしました。

P132 交差点などない一本道

 たしかベトナムだったかでこういう風景を見た。そこに由来みたいなものをくっつけた。風景もの、とでも言うようなやつかな。風景から書くのはわりとよくやります。だから旅行に出ると普段とは違うものがけっこう書けたりする。風景(とその印象)だけで書ける、というのもマイクロノベルのいいところ。

P133 路地を歩いていると

 うちの近所には狭い路地がたくさんあって、だから毎日のように路地を歩きます。狭いんだけどまっすぐな細い道の両側に溝があったりすると、ボウリングのレーンみたいだ、とか思ったり。狸が化かすとしたらこういう化かしかたをするのではないか。でも、化かされるのも手ぶらでは難しい。ボウリングですからね。マイボールを持ってる人ってなんかすごいな、と思います。

P134 すぐに暗くなるが

 これも風景もの。南熊本に行ったときかな。宿で自転車を借りてうろうろしてて思ったこと。そして、片側がそうだとすればもう反対側は? というサゲ。南熊本はなかなかおもしろい風景が多くて、楽しかった。湧水とか水路が多いのもいいですね。自転車で水源を巡ったりもした。そのへんのことでもうちょっと長めの連作『水から水まで』というのを書いたりもしました。電子書籍で読めます、と宣伝。ここ https://p-and-w.sakura.ne.jp/wkb にあります。0007番。


P135 道路の端にバトンが

 バトンを受け取る、という言い回しがありますが、まあそこからかな。それと道路にそういうものが落ちているのを見た。なんでも受け取ればいい、というものではないし、うかつに受け取るとえらいことになりますよ。なんのバトンかわからないから。あ、それから「象が踏んでも壊れない」というのは、昔そういう筆箱のCMがあったのです。

P136 道路脇の木にタスキが

 まあバトンがあるならタスキも、という合わせネタ。そして、タスキというのはタヌキに似ている。うかつに受け取るとえらいことになる、というのは同じ。バトンより距離がだいぶ長そうだし。

P137 たまにラッパと

 これは本当で、そしてちょっとおもしろいなと思ってそのまんま書いた。いっしょにお風呂に入れるのがトランペットのいいところです。楽器というのはなんだか生き物っぽくて、そして自分の一部みたいでもある、とくに管楽器は。呼吸器の延長ですからね。

P138 アルマイト洗面器を

 アルマイトという言葉の音がけっこう好き。そこからのマイトガイ。小林旭です。ダイナマイトが150屯、ってすごい歌詞だな。いやただマイトガイって書きたかっただけ、というか、なんだそりゃ、という話ですが、なんだそりゃ、とつぶやいて見逃してください。こんなのを書くのが好きなんです。

P139 たまにいっしょに風呂に

 で、これはP137の視点を変えたもの。掃除される側の気持ちってどんなだろう、とか。耳掃除みたいで、けっこう気持ちいいんじゃなかろうか。


P140 今夜も小学校で

 学校の七不思議、というものにはすごく惹かれます。私の小学校には二つくらいあったかな。二宮金次郎の像が動く、というのと、階段の段の数が違うことがある、というわりと定番のやつ。娘にも聞いてみましたが、娘の小学校にそんなものはないらしい。あと、PTAとかの集まりで、夜の学校へ会議しに行くことが多かった、というのもあるかな。考えたら夜の学校の教室に集まるというのは、ちょっとヘンテコな体験でした。

P141 また狸が来たよ

 これはそのまんま、「あつまれどうぶつの森」です。妻と娘が一時期、ずっとやってました。私はゲームってめんどくさいから全然やらなくて、二人の会話を聞いてるだけでしたが、それがもうひとつの現実みたいで、すごくおもしろかった。まさに狸的リアリティ世界ですね。

P142 薄い歯車のような

 娘と歩いてるとき、実際にオモチャの手裏剣が道に落ちてた。私が子供の頃も忍者ブームはありました。『サスケ』の作中での忍術の種明かしみたいなのは、ミステリの謎解きっぽくてわくわくしたなあ。あいかわらず忍者は現役ですね。そこからの妄想。

P143 長くて急な坂の

 上町台地のふもとにある町に住んでて、そして上町台地の上に劇団の稽古場があった。こっちから見ると坂のてっぺんなわけで、それをひとつの舞台みたいにして押し込めると、こんな感じになるんじゃないかと。バラエティなんかでよくある身体を使ったゲームみたいなやつですね。あるいは、SASUKEとか。

P144 狸の店に行ったらさ

 P141の続き、というか、同じゲームが続いてる。狸のシステムキッチンって、なんかいいですよね。狸システム、とかSFで使いたい。

P145 こんな冷たい雨の夜は

 ベトナムに行ったときの思い出。国道沿いの小さな町で夜で雨が降ってて、食べ物屋を求めてうろうろしてたら、すごく行列ができている店があって、それがお粥屋さんでした。バイクで買いに来てたりしてた。まわりにはその店以外なんにもなくて、道は真っ暗で、あれはなんか不思議な光景だったなあ。化かされてるっぽい。

P146 ベランダに干してあった

 いろんな連中がベランダのものを盗っていく。ベランダは空に近いから空を飛ぶものに狙われやすい。でも盗っていくんだけど、それなりの気遣いとかマナーがあったりする、みたいな話かな。利口な鳥なら、服を畳むくらいのことはやりそう。

P147 台本を受け取りに

 ループもの、ですね。台本を受け取りに稽古場に行ったときに書いた。台本というのはつくづく変なものだなあといつも思います。自分がやることが書いてあって、そして実際にそこに書いてある通りのことをする。絶対に当たる予言みたいなもんです。そういうヘンテコ感を。これ、暗闇朗読のライブでやるときは、実際に後半をループさせて、読みを加速させながらそこにサックスの音を被せて声をかき消してもらったりしてます。

P148 夜道を歩いていると

 もうすっかりそっちが普通になって忘れられてしまってるかもしれませんが、最初にあの薄っぺらなやつを見たときは、これ狸が化けた信号なんじゃないか、と思った。ぺらぺらでニセモノっぽい。そこから書いたものですが、もうすでにこの感覚はわからないかも。そして、それもまた化かされてるっぽい。

P149 火事があってから

 近所で火事があって、こんな焼け跡がかなり長いことそのまんまになっていたことがあって、そのときに書いたもの。外側は残ってて、洞穴みたいな中で何かが行われているみたいで。もし何かが行われてるとしたら、それを明確にするには、電気が使われてる、というのがいいかな、と。

P150 妻と娘が探し物を

 沖縄に行ったときに書いた。私はあんまり海には入らない。べつに嫌じゃないけど、めんどくさいんですね。砂浜でだらだらしてたり本を読んだりしているほうがいい。で、妻と娘が遠くで何かやってるのを眺めてると、そんなふうに見えた。それをそのまんま。まあ、謎の妻と娘のシリーズでもあります。

P151 傘を広げた途端

 突風の吹く日、ってありますよね。道にいろんなものが倒れてて、そして壊れた傘がけっこうある。ということで、前に出てきた唐傘お化けの続きでもある。そういう突発事態というか、想定以上に天候が荒れたせいで、擬態してたものが正体を見せることになる。

P152 空飛ぶ座布団だ

 落語のこと。落語を観るたびに思うんですが、落語というのは正座あってのものだと思っています。立ったままでもやれなくはないんですが、座った状態で歩いたり走ったりすることで、下半身が消える。バストショットの映像みたいなものとして、観客にそれをすんなり受け入れさせることができる。すごい発明です。そして、なんでもできる場合、なにがいちばん難しいか、みたいな話。

P153 起きろ顔を洗え

 こういうことがありました。なんだこれ? と思ったことをそのまんま。ちょっとユングの箱庭療法っぽい配置だったりして。まあでも実際、心の中の何らかの反映ではあるでしょうね。それにしてもいったいいつのまに。

P154 数年ぶりに行く稽古場

 これも実際にあったこと。妻が留守だったりしたとき、ひとりでは置いていけないので、たまに芝居の稽古に連れて行ってました。これは大阪の都島区民センターかな。京橋の駅で降りてラブホテル街を抜けていくのが近道なのです。そしてこれまでと違うと、ちょっと感覚がおかしくなったりする。

P160 ロボットが近所を

 娘が保育園の頃に作ったダンボールのロボットがあって、これが倒れそうなんですが立たせるとちゃんと立って、ちょっと前に踏み出しそうな姿勢になってるのが絶妙のバランスで、今にも歩き出しそうだったんですね。歩くというのは、倒れるの連続なんだなあ、とかあらためて思ったり。で、作ったものが動き出す、というのは、民話とか怪談とかではよくある話で、そして、 画竜点睛を欠く理由。

P161 歩く辞書がやってきた

 これはウォーキング・ディクショナリー、という言葉からのそのまんまの連想。歩くのだけじゃない、いろんな特技を持った辞書たち。そして、辞書と言えばこれ、というのをサゲにしました。

P162 あそこでもカナヘビが

 一時期、娘が捕まえてきたのをプラスチックのケースで飼ってました。お墓詣りにいったときに捕まえてきたから、こういうちょっと怪談タッチの話になったのかな。

P163 カナヘビだとばかり

 本当にあったことそのまんま。私もずっと勘違いしていた。カナヘビはもっとざらざらしていて、身体がすべすべしてるやつはニホントカゲでした。そのほうが蛇っぽいから、そう思っていた。子供の頃からずっとそう思っていたのに、今さら、と思ったのは私のほう。

p164 ということは

 で、そうなるとその前に書いた話にも影響が出てきてしまうなあ、とそれをそのまんま。小説を書いてからあることが判明して、その辻褄をなんとかするためにもうひとつ書く、というのはけっこう「あるある」のように思います。まあそのおかげでまた別の広がりを持った話が出来上がったりする。『リングワールド』に続編の『リングワールドふたたび』とか。

P165 旅から帰った妻の

 冒頭はあったことそのまんま、というか、いつもそう。毎回、リュックをぱんぱんにして帰って来る。いったい何が入ってるんだ、というくらい。まあ主に食べ物、です。うまかったものを帰りに目一杯買ってくるんです。で、いつもぱんぱんになって帰って来るリュック。そこからの妄想。

P166 いろんなお面が

 お面と言うのはおもしろい。演劇的ですね。べつのものになる、というのは演劇そのもので、そういえばこのあいだやった芝居でもお面をつけるシーンがありました。虫のお面です。蜘蛛っぽいやつ。お面をつけると、お面だけじゃ済まなくて、身体もそういう動きをすることになる。虫はけっこう大変で、肩甲骨のストレッチみたいになってました。変なところが痛くなる。まあ自分じゃないものになるんだから仕方がないですね。あと、面といえば、人面犬とか人面魚とか、そんな都市伝説があったなあ、とか。そして、『人面町四丁目』という小説も書きました。

P167 いろんなあれこれを

 これは劇団の稽古場に使ってた建物が取り壊しになったときのこと。けっこういろんなものを溜め込んでたなあ。で、夢にも出てきました。まあ長いこと使ってましたからね。

P168 毎年この時期になると

 そういうのがあったんですよ、「消防署の方から来ました」と言って、消化器とか警報機とか売る、というのが。「から来た」んじゃなくて、「の方から来た」。それで何かあったときに言い逃れになるとは思えませんが、でもお話の中の手口としてはちょっとおもしろい。そして、自分の娘の担任の先生の家庭訪問、というのを初めて体験して、それを合成。先生も大変だなあ。

P169 夕日が綺麗だから

 【ほぼ百字小説】にはたびたび出てくる上町台地には「夕陽丘」という地名があって、四天王寺の前の交差点のあたりがそう。西門のすぐ前のあたり。四天王寺ができた頃はどうだったんだろう、とかよく思います。その頃の古地図とか残ってるからですね。四天王寺はその頃からあって、坂もだいたい同じ坂が残ってるから、それに重ねてイメージしやすい。通天閣のあたりは海だったはずで、でもそんなに大昔、というわけでもないんですね。二千年も経ってない。四天王寺も一心寺も安井神社も上方落語のいろんなネタの舞台になってて、あのあたりはたくさんのレイヤーが重なってて、そこに立ってそんなあれこれを考えるのは楽しい。


P170 どうやらこれは泥舟

 狸と言えば泥舟ですね。あれはひどい。なんということをするのか。まあしかし、狸も相当なことをやってるから仕方ないか。爺に婆を食わせる、ってもう今のホラーでもちょっとない凄まじさだ。リアルかちかち山をやったらかなりおもしろいのではなかろうか。シメは沈没つながりで『日本沈没』ですが、今の日本を見ていると、あれに出てくる政治家は立派過ぎてリアリティがないですね。

P171 英霊でなく幽霊

 ということで、そういう話です。英霊と呼ぶのは当然ながら生き残ったほう。だから訂正もしたくなるでしょうね。で、政府の対策としてこういうことになる、というのもあるある。

P172 雨の夜に出現する

 これは、劇団『どくんご』のテント芝居を観て。べつにそんな設定じゃないんですが、こんなふうに見えるシーンがあって、そこから書いたもの。雨が降っていた。テント芝居での雨はやるほうはかなり大変だと思うんですが、すごく綺麗でした。

P173 京都に来たのだが

 大阪に住んでるので京都はわりと近いんですが、用事がないとなかなか行かない。そして京都での用事なんてめったにない。ということで、ひさしぶりに行ってみると、なるほど京都っぽいなあ、とか思う。なんか絵に描いたような京都。ちょっと京都っぽ過ぎるのでは、とか。

P174 思い切って強力な

 手品というのは、タネを知っててそういう道具さえを持っていればやれる、というわけじゃなくて、実際には相当な練習とか才能とかセンスが必要で、そう簡単にはいかない。魔法も同じようなものではないか、というところから。まあ身につけるのにそのくらいかかるものって普通にあるし、むしろそっちのほうが多いですからね。子供の頃、手品のタネを買ったけど難しくて諦めた、というのは苦い経験です。いまだに憶えてる。

P175 地図を見つけた

 地図を描くのが好きな子供でした。ありもしない川やら洞窟やら崖やらがある嘘の地図。宝の地図、みたいなやつですね。ずっと前に描いたそんなものが出てきて、自分で見てもなんだかよくわからなかったり。もうそれを描いた自分じゃないですからね。あと、迷路を描くのが好きだったなあ。考えたら今こんなことしているのは、その延長のような気がする。

P176 東京に来たのだが

 P173の京都の話とペアですね。東京もめったに行かないんですが、行くと、なるほど東京みたいだなあ、と思う。それが京都に似ていて、そして東京と京都って、音も字も似ていて、だからちょっとバラしたら京都を東京に作り替えたりできるんじゃないか、というか、ひとつしかないものをそんなふうに使いまわしてるんじゃないか、とか。

P177 公園の池から

 バラバラ死体、というのは、現実の事件はともかくお話としてはとてもおもしろい。ぜんぶが同一人物のものなのかどうか、いったいなぜ犯人はバラバラにしたのか、 とか、いろんなことが考えられる。ミステリのバラバラ死体はまず間違いなく別人で、そうじゃないとバラバラ死体にした意味がない。そういう先入観を逆手にとる、というのもありますが。そしてこれは、バラバラのそのパーツを組み立てたらどうやらヒトじゃないものが、というやつで、ミステリとは違う方向に振ったやつ。

P178 夜店かあ

 子供の頃、夜店には本当にわくわくしてました。なぜあんなにわくわくしたのかなあ。そして、実際にこういうことがあった。夜店の光の下ではすごいものに見えたんですけど、家の蛍光灯の下ではこんな感じ。P174と同じ、というか、あれはこの体験が元になってると思う。

P179 井戸端で幽霊たちが

 惨劇の場面の再現、というのがよく行われますね。いや、実際の幽霊のことは知らないけど、フィクションの幽霊とかではよくあります。その場所であった同じシーンが何度も何度も繰り返されたり。あれって、演劇の公演っぽいなと思う。しかしずっと同じシーン同じ役ばっかりだと演ってるほうも飽きてくるんじゃないか、とか。そして演ってるほうがそのおもしろさに目覚めて、もともとの目的から逸脱したものに。まあそういうのは「あるある」ですよね。

P180 帰宅した娘が

 こういうことがありました。そして、前にもあったことも。前にそれがあったときのことは、『100文字SF』に入ってます(P204)。

P181 たくさんの欠片の中から

 これですね。狸で一冊まとめてみよう、と思って【ほぼ百字小説】から拾い出して並べているときそのまんま。小さいのが集まって大きなそれになる、というのは、怪獣ものの定番でもありますね。

P182 そもそもそういう存在で

 これは、「狸的なるもの、狸的リアリティ」を紹介する口上、みたいなつもりで書いた。だから、たんたん、たかたか、たたんたん、みたいなリズムは、音読を前提にしてます。たまにこういうことをやりたくなる。この『納戸のスナイパー』という綱渡り芸の口上だと思ってください。文芸、というくらいだから、小説の芸の一種だろうし。

P183 にわかに川が

 にわかに川が、というフレーズは、上方落語の『七度狐』から。麦畑だったはずなのに川がある。天気のいい昼間の畑で化かされる、というそのシーンが子供の頃から大好きでした。それを見て、これは上の方で大雨が降ってできた川に違いない、みたいなことを言ったりもするんですが、最近の気象の激変では、化かされることよりもこっちを心配しないといけなくなってる。

P184 土砂降りと晴れ間が

 こういう天気、ありますよね。そしてやっぱり何かに化かされるみたいな気がする、というのは「狐の嫁入り」なんて言葉があるくらいだから、あるあるなんでしょう。化かしている側がちょっと間違えたりする、というのはお約束で、それはちょっと舞台っぽくて、狸っぽい。そして、これまでも何度も出てきたおなじみのトタン屋根の音。鳴るところで鳴らなかったり、鳴らないところで鳴ったり。

P185 雨が激しくなって

 大災害とか事故で大量に死者が出たときに、その中にかなりの率でヒトじゃないものが混じってる、ということが初めてわかる、というのは、何かのオープニングとしてなかなかいいんじゃないかと思います。そして、そういうときはヒトもヒトじゃないものに見える。スピルバーグ版の『宇宙戦争』で、死体がたくさん川を流れていくシーンがあって、あのイメージも入ってるかな。あの映画はすごいです。ヒトがヒトじゃないみたいに消されていく。

P186 泥沼化した狸との戦争

 ヒト型兵器があるんなら、狸型兵器もあるか、とか。そして狸の化かす力を科学の力で実装する。というようなことをプレゼンするのも一種の化かしですね。それを頼りにしていればしているほど、化かされてなんかいない、と信じたくなる。そして昔話のあれは、メカ生物っぽい。

P187 こんな雨の夜には

 化けられる、そして化かすことができる、というのは、つまり自分を化かすこともできるわけで、そして優秀な詐欺師がそうであるように、まず自分自身を騙して自分にそう信じ込ませる。で、そういうことをやってるとどこが嘘の起点だったか自分でもわからなくなってしまう。これもあるあるですね。狸に限らず。

P188 猫には猫の世界

 まあそういう世界観、そしてSF観の表明みたいなものだと思ってください。『ありふれた金庫』の全作解説で、私は「SF」というイメージでまとめた、というようなことを書きましたが、私にとっては結局のところ、狸も猫もSFなのです。世界の捉え方を切り替えるスイッチ。もちろんごく個人的で私的なSF観ですが。

P189 妻と娘、ふたりで

 これはもう普通に日記。観察日記です。おもしろいなあと思います。亀を見てるのと同じくらいおもしろい。

P190 妻と娘が連れ立って

 ということで、ひとりの夜の話。そして、なりすましものの定番というか、変身ヒーローのお約束みたいな話。どう考えても正体はそいつだろ、とか。そういえば、雪女なんかも、ちゃんと子供を作ったりしてますね。

P191 狸の穴を抜けていく

 狸穴なんて地名があって、聞くたびに行ってみたいなあと思います。「まみあな」という読み方もいいですよね。狸穴に住んでるなんて、それだけでうらやましいじゃないですか。それをうらやましいと思うことがもう、化かされてるとしか思えないけど。

P192 見えてきたときから

 「山笑う」という季語があって、春になって草木が芽吹いて山が明るくなる様子を表現したもの、らしいですが、おもしろいですね。言われてみると確かに、新緑というのは笑ってる感じがする。そして、実際に山が笑ってるところを想像すると、狸が化けた大入道とか、そういう感じがして。まあそういうイメージを書きました。

P193 多数の狸がそれぞれ

 いろんな狸の化けかた、というのを考えます。ものすごく大きなもの、複雑なもの、の場合、こういう化け方をするのではないか、とか。まあ化かしてるんだから、幻覚だと考えればいい、とも言えますが、それではなんでもありになってしまっておもしろくない。ちょっと理屈っぽい、というか、そこに理屈みたいなものがあるほうがおもしろいと思う。まあそこらへんが、SFに惹かれたところなんでしょうね。組体操みたいに各部に化けてそれが組み合わさって巨大な構造になる、というのはなかなかわくわくするじゃないですか。そしてそこから逆に考えて、というサゲ。ナノマシン、とかマイクロマシンのイメージも入ってるかな。

P194 工場のように見えるが

 ということで、そんな化けかたで狸が作った工場の話。そして工場となると、何を作っているか、ですね。

P195 やっているうちに

 これですね。【ほぼ百字小説】から狸ものを抜き出してあれこれやっているこの作業。じつは、この本の次に出る『ねこラジオ』のほうがまとめたのは先で、だからこんな感じです。なにしろこの本、狸ですからね。今どき、狸小説なんか出してもらえるとは思えない。というか、よく出せたなあ。なんだか化かされてる気が今もしています。 

P196 なんだか娘の様子が

 まあこういうのも一種の「あるある」でしょうね。さすがに尻尾は見せないにしても。そして自分の正体のほうはもう忘れている、という点も。

P197 猫用の茶碗が割れて

 落語の『猫の茶碗』を聴いて、それで書いたんだったかな。落語と内容は関係ないですが。猫用の茶碗、というのがおもしろい。そこから、猫用の茶碗を売る店。そうなると、猫用だけじゃないだろう。そして、人より猫のようが位が上。これは、あるあるですね。

P198 狸に雇われて

 化かしかたもいろいろで、このくらい手の込んだことをやって、責任の所在を不明にしてしまう狸だっているでしょう。もちろん狐かもしれませんが。まあそういうやりかたがいちばん得意なのは、人間だろうとは思いますが。

P199 風呂に入っていると

 本当にこういうことがあった。どこか遠くから聞こえてくる木魚の音。狸囃子、なんてのもあるくらいだから、いかにも狸ですが、なんのことはない洗濯機の水道の栓がしっかり閉まってなくて、その水滴が落ちる音でした。般若心経は、金縛りになったときに唱える、と知り合いが言ってたの思い出して。そして、唱えているうちにお経が気持ちよくなる、というのは「あるある」ですよね。

P200 ショーウインドウに

 こういうものを見た。フィギュアといっしょに狸があって、そうか、たしかに信楽焼の狸というのはフィギュアには違いない、とちょっと新鮮でした。それにしてもなぜ、というところから、じつは狸が化けた信楽焼の狸、というサゲ。狸が狸の信楽焼に化ける、というのはなかなかいいんじゃないかと思う。しかしあのショーウインドウの店、何の店なのか、いまだにわからない。狸の店かも。

P201 ずっと地蔵だと思っていたのに

 ほぼ毎日通る路地にお地蔵さまがあるんですが、小さなお堂のその中をちゃんとみたことはないので、もしかしたら、とかそういう妄想。

P202 ずっと地蔵だと思っていたのに

 ということで、その続き。よこしまな人間がそういう悪さをしようとして、そして懲らしめられる、というのは民話なんかの定番で、そして、赤ん坊が重い地蔵に変わる、というのも化かされ話の定番で、その逆で重い地蔵が中空の信楽焼の狸に変わる、という展開。

P203 いたるところで信楽焼の狸を

 うちの近所には信楽焼の狸がたくさんある。もしかしたらうちの近所だけじゃなくて、どこにでもあるのか。でもこんなに狸を目にするようになったのは、ここで暮らすようになってからだなあ。ということで、狸の偏在。そういう妄想ですね。

P204 それが銀杏の葉だと

 最後にこれを置きました。この全作解説の中で何度か言及してきた上方落語の『まめだ』(豆狸)が、元になってます。『まめだ』という噺はいわば、人間と狸ゆえにコミュニケーションがうまくとれなくて、そこから発生した悲劇なんですが、子供の頃からその結末が悲しくて、なんとかならないのか、とかよく思っていました。今でもそれは思っていて、それでこういうのを書いたんでしょうね。あんなことは起こらず、あの豆狸は無事に成長して、酒が好きな大人の狸になっている、という話。こうだったらよかったのになあ、とか思って書きました。一種の狸パラレルワールドですね。
 ここに入っている「狸もの」は、「演劇もの」でもあることが多くて、それはもちろん狸にそういう要素があるからなんですが、そういえばこの『まめだ』という落語の主人公も、まだ名前のついた役をもらえてないような役者で、そのことがお話の大きな要素になっています。やっぱり狸とは芝居とは結びついているんでしょうね。
 そしてここに並んでるのは、狸のマイクロノベルたち、つまり豆狸の群れ、とも言えるかな。

 ということで、これにて『納戸のスナイパー』全作解説、終了です。おつきあいありがとうございました。狸的リアリティを楽しんでいただけてたら嬉しいです。たまに豆狸たちと遊んでやってください。声に出して読んでやると喜びます。
 このつぎの岩、猫的リアリティでまとめた『ねこラジオ』へとつづきます。

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