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『ねこラジオ』全作解説+目次

【ごあいさつ】

 シリーズ百字劇場『ありふれた金庫』『納戸のスナイパー』に続いての『ねこラジオ』です。タイトル通り、「猫」でまとめました。
 じつは『100文字SF』に続いて出そうとしていたのは、これでした。  
 私としては『100文字SF』の第二弾を出したかったのですが、出せるかどうかの返事が編集者からなかなかもらえず、ずっと保留の状態で、それでただ待っていても仕方がないので、第二弾を出すとすればどんなまとめかたをすればいいかをあれこれ考えて、もとになっている【ほぼ百字小説】の中に、猫の話がけっこうあるということに気がついた。あ、猫を飼ってはいません。うちの近所を猫がよくうろうろしていて、それをネタにして書いた話が多いんですね。
 あんなふうに好き勝手に町なかをうろうろしている獣は、猫以外にいません。狸のように虚構としてではなく、現実の側に足をおいている、ということで、つまりこれはそういうリアリティの上に乗っかったものでまとめています。『納戸のスナイパー』の狸的リアリティに対する猫的リアリティ世界、です。

 毎日書いている【ほぼ百字小説】は、日記みたいなところが多分にあります。そして、そういう日常の中で観測しているようなものの中に、自分の「世界」とか「現実」とか「日常」とか「虚構」の捉えかたみたいなものがかなり色濃く反映されているように思います。観測するための座標軸みたいなものですね。その中のひとつが「猫」。まあそんな感じ。
 それを選んで配列したのがこれです。
 そういうふうに自分の中に座標軸というか座標系みたいなものがいくつかあって、どうやら私から見た現実というものは(虚構も、ですが)、そういう別々の座標軸で観測した世界の重ね合わせになっているらしい。そんなことを考えるようになったのは、『100文字SF』の続きを早川から出せないあいだにあれこれまとめかたを考えていたおかげで、そういう意味でも『100文字SF』は、助走です。そしてこの三冊が、踏切板の手前から最初のジャンプまで、という感じでしょうか。バーを越えられたかどうかは、読んで想像してください。私のイメージの中では越えてるんですけどね。
 私としては、この【百字劇場】をこの先まだまだ続けていきたい、できれば死ぬまで、とか思ってるのですが、とりあえずこの三冊をこの形で出せた、ということが自分の中ではかなり大きいです。おかげさまで、いちばんやりたかった形で、やりたかったことがやれました。ネコノスに感謝です。ネコノスから『ねこラジオ』を出す、というのもなんだかいいですね。まあ前置きはこのへんで。楽しんでいただけたら嬉しいです。あ、これまで同様、ネタバレはしてますからね。『ねこラジオ』をひと通り読んでからお楽しみください。

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P5 二階の物干しのすぐ前に

 これを最初に置きました。こういうトーンの本です、という宣言みたいなものですね。いや、どういうトーンだ、と言われそうですが、まあこんなのですよ。猫の道、というのは実際にある。このブロック塀はもうないんですが、今はブロック塀のあった家と家の隙間をやっぱり猫が歩いてます。猫には猫の地図があって、更新もされているんでしょう。猫の道、というのがおもしろくて、でもそういうなんとも奇妙ででも地味なヘンテコ感を書きたかった。そしてこういう短さだとただそれだけを書けるんですね。サゲは、猫には猫のマナー、みたいなことかな。四足歩行だとすれ違えない道幅ですからね。猫又とか、そういう怪談っぽいところも。ぱっと見にはおもしろい風景だけど、考えたらちょっと怖い。あ、「サゲ」というのは「オチ」みたいな意味の言葉です。落語なんかで使われる言葉。まあ意味としては「オチ」と同じなんですけど、「オチ」というとどんでん返しみたいに受けとられがちなので、私はこっちの言葉を使ってます。べつにどんでん返ってなくても、謎は解けてなくても、これを言えばお話を閉じて舞台を降りられる、くらいの感じ。曲の終止感、みたいなものですね。

P6 なあああお、と猫

 ミステリですね。いや、ミステリじゃないけど、いちおう謎解きですから。「日常の謎」ミステリ。一人二役トリックとかミステリではけっこうありますが、はたしてあんなことできるのか、というのはよく思ってました。でもまあ猫ならいけるんじゃないか、とか。できたとして、その動機がよくわからないけど。

P7 なあああお、と猫

 ということで、その続き、というかペア。実際うちの近所には猫が多いので、猫の恋の時期なんかにはよく猫のこういう声が聞こえます。で、それを聞いていて、オーケストラのチューニングみたいだな、と。音程に厳しいとなかなか曲の練習にまでいけない、というのは吹奏楽とかビッグバンドあるあるなんじゃないでしょうか。このペアは朗読のライブでけっこうよく使う。百字小説ってこんなのです、というツカミにするのにわりといいんです。こんなアホらしい話ですよ、ということもわかってもらえるし。

P8 あの路地を通るのを 

 実話です。こういうことを小説にするには、ショートショートでも他にいろんな要素を入れないとなかなか成立しにくいものですが、でも百字だと本当にこれだけで書ける。マイクロノベルという形式の、それはかなりの利点で、そして、かなり大事なことだと思う。私はどちらかと言えば、小説としての体裁よりそっちのほうをやりたいんですね。なんにも解決しないちょっとした違和感、みたいなこと、ただそれだけ。怖いんだかなんだかよくわからない感じの、まあ怪談かな。これはその代表みたいなやつ。あ、結局教えてくれないままですよ。そんなこと言ったことも忘れた、とか言うし。

P9 屋根の上に猫の道がある 

 そして、本当にあったことをただそのまんま書く、ということにおいては、怪談とかじゃなくても同じで、だからこれも同じですね。日常の中に覗くちょっと違う世界、自分の所属する世界とはほんのちょっとだけズレてる世界、というかそういう風景。自由に外を歩き回っている猫というのは、その接点になってるのかも。同じ世界の上に人間が認識しているのとはべつのレイヤーが重なってる、みたいな。

P10 ぱらりるぱりぱらり 

 このトタン屋根はしょっちゅう出てきます。この音も。『納戸のスナイパー』にも出てくる。つまり猫的リアリティと狸的リアリティが重なってるところでもあって、私にとっては「日常音」なんですよ。そんな言葉あるかどうか知らないけど。
 擬音というかオノマトペというか、まあそういうのが好きなのは、たぶん落語の影響。影響というより刷り込みみたいなもんかな。落語にはいい擬音がたくさんでてきます。べりばりぼりばり、というのは魚の鱗をとる音。じょんじょろりんじょんじょろりん、じゃじゃーじゃーじゃー、それに続いて、ぱらぱらぱーらぱーら。これは立小便をしていて、その音が大きいのでばらまこうとしたら、そこにあった竹の皮に当たった音。他にもいろんな擬音が出てきて、そういうのはすっかり憶えて子供の頃から普通に口について出てました。だから小説にもごく普通にそういうのを使ってます。そしてこれは、聞こえた音そのまんま。実際、こういう音がするんですよ。それはすっかりお馴染みで、でもそこから聞いたことのない音に変わったら、とかそういう妄想。あ、ぱりりると鳴ってた物干しの屋根のほうは、いつぞやの台風で吹き飛んで、今はありません。

P11 みあおおお

 台所のすぐ外が猫の通路になってるんで、部屋にいて猫が歩いてるのが見える。しばらくは親子で歩くんですね。すぐに独り立ちしますけど。そんな時期にこういうことがありました。好き勝手にうろうろしてて、それが人間のエリアとも普通に重なってる、というのはおもしろいなあとつくづく思う。そんな動物、他にいないですからね。

P12 朝夕に台所の横の

 そしてこれは、そういう猫の通路で見かけた風景のスケッチ。そのまんまです。こんなのを観察できるというのはなかなか贅沢なことではないか、と思います。

P13 小学校前の道路が

 怪談なんだかなんだかよくわからないような話。この話の教訓は? とか言われても困るような話。そういう教訓とか因果みたいなところにきれいに回収できないようなもやもやした話が好きなんですよ。
 切ったら祟りがある、ということで、ずっとそのままになってる木、というのは子供の頃、実際にありました。わりと「あるある」みたいで、あちこちで見かけますね。道路の真ん中に島みたいに立ってるやつとか。東京も大阪も最近はやたらと木を伐ってますが、ちょっとは気をつかったほうが身のためなんじゃないか、とは思う。

P14 離陸直前、娘の手から

 実際にあった話をそのまんま。熊本に行ったときかな。プラスチックのケースを手に持ったまますんなり乗れたんで、なんだ、いいんだな、とか思ってたら、離陸直前に没収された。リュックにでも入れとけばよかったのに、いつまでも見てるからだ。これがなぜ猫的なのか、というのは自分でもよくわかりません。でも、猫なんだな。

P15 物干しから見える

 動物の不可解な動き、というのはおもしろいですね。そして、猫とか犬、それに子供にだけ見えているらしい何か、というのは怪談の定番でもある。それが見えるようになるためには、猫か犬か子供になるしかないんでしょうね。まあ見たいかどうかはべつとして。

P16 家の前の道に

 これも一種の怪談。猫には怪談がよく似合う。狸だとこうはいかない。ということで、ちょっと怪談色のあるものは、この『ねこラジオ』に入れてます。音だけの怪談、声だけの怪談、というのはけっこう書いてます。そういうのが好きなんですね。家の前に線路が描いてあったのを見て書いた。線路は延々描きたくなりますよね。

P17 工業高校の塀の上を 

 道順小説とでも言うべきでしょうか、とにかくそういう道順だけを書いてるみたいな話が好きです。なんか「世界」を感じる。そんなふうに世界がだんだん見えてくる感じ、というのはSFの原点でもあると思います。子供が世界を理解していく過程とかも。いろんなものの位置関係とか配置のおもしろさ。そして、人間の町に重ねられた猫の地図。人間の道と猫の道が交差する感じ。それと、商店街の屋根の上ですね。屋根の横にキャットウォークみたいな細い通路があって、あそこを歩いてみたいなあ、という願望も。

P18 爬虫類型怪獣

 なんとか型、というのは好きなんです。UFOの葉巻型とかね。アダムスキー型はアダムスキーの形をしてるわけじゃないですね。で、怪獣も。怪獣はやっぱりゴジラがそうだったのが大きいのか、ほとんどが爬虫類型というか恐竜型というか、そういう形のものが多くて、だからそうでない形のやつはなかなか新鮮で、私はそっちのほうが好きでした。昆虫とか軟体動物って、そのまんま怪獣っぽい、というか「怪」ですよね。異形感が増します。昔は、着ぐるみの関係もあって、あんまり変な形のものは無理だったんでしょうが、今はかなり自由度も上がってます。でも、哺乳類はいまだにあんまりないですね。哺乳類になると、なんか違う、という感じになるんでしょうね。キングコングとかも、私は正直、なんか違うよな、と思ってます。キングコングは怪獣か否か、というのはかなり意見が分かれるところでしょうね。

P19 近所の古い家が

 なんか古い家の中庭っていろんなものが封じ込められてそうでいいですよね。何の影響なのかはわかりませんが、子供の頃からよく思ってました。小宇宙っぽい。苔に覆われたような古い庭をみると、社とか石碑みたいなものを探してしまう。これは実際に取り壊されている大きな家があって、隙間から庭を覗いて思ったこと。社とか、なかなか壊しにくいだろうし。

P20 隣家との境のブロック塀と 

 これは本当に見た光景そのまんま。よく見えるところに猫の通路がある。そんなものを見ることができるなんて、なかなか贅沢なことです。それにしても、猫ってすぐに大きくなるなあ。

P21 広い空き地に

 これまた実際に見た風景。猫ものはほとんどがそうです。
 いつもの空き地の前を通りかかったとき、猫と猫とが家を隔てて向き合ってるみたいに見えた。あいだにある家を無視すれば。猫にとってはその家が存在してないみたいで。もしかしたら家を透かして見えてるのかなあ、とか。それが不思議におもしろくて、そのまんまを書きました。猫はおもしろい。

P22 まずは猫を描く

 猫永久機関とか無限猫連鎖とでも言うようなもの。いや、誰も言ってないですけどね。猫ものを集めて一冊にしよう、みたいなことを思いついて、でもちょっと数が足りないかな、とか思ってたときに書いたもので、うまく猫を増やす方法はないものか、とか。そんなことを考えてるとこういう妄想も浮かびます。最後はお願いとかしてるし。困ったときの猫頼みですね。

P23 ねこだけどねこじゃなかった

 もちろん『となりのトトロ』の中のあの名台詞(だと私は思ってる)「夢だけど夢じゃなかった」から。あれ台詞は、フィクションというものの在り方みたいなものをものすごく的確に表現していると思います。たぶん私は、夢だけど夢じゃないもの、というのが作りたいんですよ。まあそれはそれとして、猫だけど猫じゃないものとは? とかそんな話。

P24 おおああおお、

 今はもう平気ですが、子供の頃はあの声がかなり怖かった。赤ん坊の声みたいでもあるし、ちょっと妖怪っぽいですよね。ほんとに猫なのかよ、とかよく思った。怖いから確かめなかったですけどね。

P25 わあ、全部忘れていきやがった

 これは実話。もうだいぶ昔の話になってしまいました。大人だけだとあんまりわからないんですが、子供を見ると時の流れを感じますね。忘れ物の話ですが、こういう感じもまた忘れてしまうので、こうやって百字にしておいてよかったと思う。

P26 動物園でまた猫を

 動物園で猫が歩いていたのは本当。動物園の中を好き勝手に歩き回れるのは人間と猫と鷺くらいかな。アシカのプールとかに魚を狙って鷺が飛んできてたりします。動物園の檻の中にも鷺はいるんですけどね。それはそれとして、猫は子連れで歩くのがおもしろいですね。馴染みの猫が子連れになってたりする。どのくらいの期間あんなことするのかなあ。

P27 やっぱりチャイムが

 少子化で小学校がどんどん廃校になっていってます。娘が通っていた小学校もそうなってしまいました。娘が小学生のあいだ、私にとってもすっかりお馴染みの場所だったので、ちょっと寂しい。残してほしい、という意見もけっこうあったみたいですが、しかし残してどうなるものでもないしなあ。

P28 縦長の黒い板で

 もちろんあれです。『2001年宇宙の旅』のモノリス。この本の元になっているツイッターの【ほぼ百字小説】には、モノリスらしきものがけっこう出てきます。『ソラリス』の生きている海と同じくらい出てくる。そのくらい影響を受けている。それどころか、自分の中の歴史のひとつになってる。モノリスがときどきいろんなところに出現している、というのは。摂取してきた小説とか映画が作ったもうひとつの記憶、みたいな感じですね。これは映画で最初に登場するシーンのヒトザルの代わりに猫を配置したやつ。アフリカの荒野じゃなくて近所の空き地ですけどね。

P29 空き地に立つあの

 ということで、猫にもその影響が。猫が次の段階に進む。たぶん人間はすでに失格してるんでしょうね。試されてるのかどうかはわかりませんが。

P30 いつも歩いている道から

 あるんですよ、実際にこういう路地が。いつ通りかかっても猫がいる、というのはなかなか贅沢なことです。で、猫に囲まれて、いつのまにやら自分も猫のような行動をとっている、というサゲ。猫になっている、という解釈もあるかな。そうなるとこの路地の猫は、とか。

P31 また家が取り壊されて

 これも実際に見た風景。そこからの妄想。犬は人に、猫は家につく、なんてこと昔から言いますよね。たしかにそんな感じはする。猫ってだいたい定位置にいますよね。

P32 雨が降っているせいか

 猫みたいなんだけど、もしかしたら猫じゃないのかも、みたいな話。集会らしきことをやってるところは猫。干してある服を着たりするところは、ちょっと『グレムリン』っぽくもある。あの映画、好きなんですよ。

P33 なるほど、商店街の

 路地に猫はよく似合う。そして、カレー屋もよく似合う。ということで、うちの近所の路地にあるカレー屋に行ったときに猫を見かけて、それで書いたやつ。残念ながらそのカレーは屋は、もうない。そして、銭湯もない。こうして今読み返すと、なんか古い写真でも見てるような気分になる。

P34 けん玉に娘は夢中

 娘観測もの。一時そういう時期がありました。そして、猫って、けん玉とか得意そうじゃないですか。どうやって持つのかわからないけど。そして猫と言えば、『いなかっぺ大将』のニャンコ先生。ということで、猫が先生、ということにしました。まあ実際に猫が教えてくれるんじゃなくて、猫の動きにヒントを得る、みたいな解釈でもいいですが。


P35 今日はいつもの参観日と違う

 これも実話。こんな頃があったなあ。これまた、百字で残しておいてよかった、です。【ほぼ百字小説】というのをツイッターでやり始めて、8年目(2023年現在)なんですが、大人にとっての8年はぼんやりしてるだけで過ぎてしまいますが、子供の場合は小学生が高校生ですからね。なんかもう遠い昔です。そら、年もとるわな。

P36 急須を買った

 いや、それだけなんですけどね。地口、というか口合いというか、つまり駄洒落。落語の枕でやるような小噺、というのをやりたくて書きました。駄洒落、という言い方はあんまり好きじゃない。実際、洒落というのは、その言葉のとおり洒落たもので、使い方によってそれがそうじゃなくなったりするだけで、だから「駄」でぜんぶ括るのはちょっとなあと思います。「口合いは粋(すい)の水上(みなかみ)」なんて言葉があるくらいですから。

P37 猫が亀を枕に

 夏場の亀はひんやりして気持ちいい。アパートに住んでて、部屋の中を勝手に歩かせてた頃、よくそう思ってました。寝てると首のところに潜り込んできたりする。これ、亀を飼ってる人には「あるある」だと思うんですが、あんまり信じてもらえない。でも亀ってちょっと驚くくらい人に慣れて、向こうから近づいてくるんです。熱源を求めてるだけなのかもしれませんが。

P38 長屋と町工場の隙間に

 猫は出てこないんですが、これはなんとなく猫っぽい話だと思う。そういうのも入ってます。ちょっと不思議で、もしかしたらちょっと怖い話なのかも? みたいなラインを私は「猫っぽい」と思うようです。つまり、こんな話。

P39 最近、隣家のエアコンの

 よくいますよね、室外機の上。高さとか広さとか、猫にとってちょうどいいのかも。いろんな室外機の上で猫を見かける。ということで、そういう妄想。

40 行列は好きではないが

 P33のカレー屋の続き、というか同じ路地。これはカレーを食べに行ったとき本当に白い猫がいて、そこからの妄想ですね。猫の額が狭い、というのはなかなかの発見だし表現としてもすごいよなあとつくづく思います。昔の人はえらい。

P41 最近いちばん嬉しかったのは

 娘観測ものですね。こんな話をしたそのまんま。子供には子供の社会がある、というのは当たり前で、そしておもしろい。もちろん自分にもそんな頃はあったわけですが、もうそんなのは忘れてしまっていて、子供を見ているとそういう忘れてしまった自分の子供の頃を追体験できる。ありがたいことです。

P42 巨大な波が 

 なにかそういう目に見えない波、みたいなものがあるんじゃないかと思います。動物には感じられるんだけど、人間にはもう感じられなくなってしまったもの。季節の変わり目なんかによくそんなことを思う。水曜にしたのは、波映画の決定版『ビッグウエンズデー』から。

P43 その土地では

 鉄輪(かんなわ)という大分の温泉地での風景。大阪からは夜のフェリーに乗って早朝に着くのでなかなか便利です。温泉の上に載ってるみたいな土地で、ほんとに地面から湯気が出ていて、そこで日向ぼっこでもしてるみたいに猫が温まってたりする。そういう湯煙の中の猫とアリスのチェシャ猫のイメージの合成。

P44 ごろごろしゅっしゅと

 前のの続き、というか同じ風景からの連想。蒸気の猫、からのシュレディンガーの猫。そういう謎の蒸気猫のことを歌った童歌、あるいは口上、まあそんな感じにしてみました。

P45 ねこまちこまちの

 これも童歌ですね。猫に童歌はよく似合う。猫町、小町娘からの小町猫、人待ち顔からの猫待ち顔、とか。最後のフレーズは、P34でも書きましたが、私の世代ならたぶんお馴染み、アニメの『いなかっぺ大将』に登場するにゃんこ先生。猫が柔道の先生、というあの設定は、たぶん姿三四郎からでしょうね。セロ弾きのゴーシュも入ってるのかな。子供の頃はそんなこと考えず、単純に、猫の先生っておもしろい、としか思わなかったけど。

P46 あれも猫、これも猫

 そしてこれも童歌じゃないけど、歌ネタ。松坂慶子の「愛の水中花」それに続いてアニメのキャプテン・フューチャーの主題歌「夢の船乗り」です。いや、わからなくて当たり前。昔の歌です。まあそういう懐かしの歌ネタ、というのは私の子供の頃もよくあって、子供にはなんのことやらわからなかったけど、だいぶ後になってもわかったりしました。だからべつにいいんです。そしてわからなくてもべつにいい。ネタなんかそういうもんです。そのくらいのおおらかさが欲しい。どっちを向いても宇宙だし、どっちも名調子ですから。

P47 家と家との狭い隙間を

 猫じゃないけど猫っぽい、というのはこういう感じ。怪談だかどうか、怖いんだかなんだか、よくわからないちょっと不思議な話。空き地小説でもありますね。実際、こういうちょっと奥まった空き地が近所にあって、そこに雪が積もってるのを見たときに書いた。うっすらとしか積もってなかったですけどね。関西生まれの人間としては、かまくらにはすごく憧れがあるんです。

P48 猫はコタツで

 存在論みたいな話かな。鶏が先か卵が先か、とはちょっと違うか。コタツで寝ている猫を見ていると、この宇宙はじつはぜんぶ猫の見ている夢、みたいな気になりますよね。ということは、あのコタツも猫の見ている夢で、そして、とかそんな夢うつつの話。

P49 なんとか年は越したが 

 あやめが咲いているところに埋めた、というのは知り合いから本当に聞いた話。犬や猫がいなくなって、でもその気配だけが残ってる、というのはあるあるですよね。

P50 台所の端のカーテンが

 あったことそのまんま。カーテンって紫外線のせいなのか、いつのまにかぼろぼろになってたりするんですね。見た目はなんともないのに、ちょっと引っ張ったら破けて、それでぼろぼろになってることに気がついた。しかし何がどうぴったりになるかなんて、わからないもんですね。おかげで今も猫の通過を楽しませてもらってます。

P51 猫の集会ではなく

 猫って本当に集会を開きますね。気づかずにそこに入り込んで、あ、集会中でしたか、すまんすまん、と出て行ったことがあります。いったいどういう目的なのかよくわからないけど。

P52 道端にいつも

 こういう猫がいたのです。本当にぺたんと身体を地面に貼り付けているみたいに見える。夏でコンクリートが冷たくて気持ちよかったのかな。猫に聞いてみないとわかりませんが。そこからの妄想。猫の額が狭い、ということから、面積への妄想が広がったのかも。

P53 人が猫を演じる芝居の

 これも実際にあったこと。猫に関しては、実際に何かを見てそのまんま書くことが多いですね。それが猫的リアリティなのでしょう。さすがに、いつも聞こえてくる、なんてことはないのですが、猫の芝居の猫の役をやってるときに、外から猫の声が聞こえてくる、というのはなかなかいいなと思って、稽古の途中に台本の隅にメモして、家に帰ってきてから書いたやつ。超人予備校という劇団の『ねこすもす』という芝居で、私は「吾輩」という役でした。もちろんあの猫です。

P54 照明機材を調節するための 

 ということで、これもその芝居のときに書いたやつですね。キャットウォークを本当に猫が歩いていたら、というだけの話。いちおう劇場の怪談でもあるのかな。物の怪が猫の姿をしている、というのはありそうだし、招き猫は劇場に縁がある。

P55 飛び猫は 

 ムササビみたいな感じ。飛びトカゲとか飛びヘビなんてのもいますから、猫がそっちに行ってもおかしくない。というか、哺乳類の中でそっちに行ったのがムササビなのか。みんな滑空ですけどね。そういえば、バランという怪獣はムササビっぽいんですが、どういう理屈なのか地上から離陸していました。まあそこは怪獣だから仕方がない。

P56 運送用ドローンの

 ということで、滑空しているのならどうやって初期高度を得ているのか問題、について考えたのがこれ。運搬用のドローンが普及しているという設定なのでSFですね。そういう新しいテクノロジーが、新しい環境として機能している。そして、そういう設定の都市における都市伝説も加えときました。

P57 もちろん猫にもいろいろ

 これも猫の芝居で猫の役をやってたときに書いた。そのせいもあってか、ちょっと演劇論風。自分の中にあるものを変形して近づいていく、みたいなことかな。そして自分の中にあるからといって、自分のコントロール下にあるわけではない、というのも。それはまあ演劇に限らず表現全般の「あるある」かも。

P58 猫耳と尻尾を付ける芝居に

 これも猫役の話。猫役あるある。尻尾はともかく、屈まないと通れない狭いところでは耳はけっこう引っかかったりします。引っかかって落として見失うと大変。本番中の舞台袖とか舞台裏は暗いのでとくに注意。猫役をやるときのために憶えておきましょう。まあ自動車の運転の車幅感覚みたいなもんですね。

P59 いつもの空き地に

 見た光景そのまんま。いつもそこで寝ているあいつにもあんな野獣の顔があったとは。なんかいいものを見た気がした。

P60 最近よく物干しで

 これもあったことそのまんま。まさに「日常の謎」ミステリですね。そんなに慌てて逃げなくてもいいのにな。

P61 いつも歩く道に

 更地「あるある」。更地の前に立ち止まってぼんやりしているとき、私はだいたいこんなことを思っています。あ、更地の前に立ち止まってぼんやりする、というのも「あるある」ですよね。更地写真集とか、出ないかな。

P62 猫の地図を手に入れた 

 猫の通路というのはおもしろいですよね。人間の地図に重なってそういうものがある。猫の地図が欲しい。人間以外が描いた地図のことはよく考えます。そう言えば、『かめくん』というのは、亀が描いた地図みたいな小説にしよう、とか思って書いたんだった。

P63 いいかげんに炬燵は

 ほとんど日記。毎年こんな感じです。まあこれもひとつの日常の謎ではあるか。

P64 洗濯物を抱えて

 これもあったことそのまんま。猫が物干しに来る、というのはなかなか幸せなことだと思います。日向ぼっこに来る生き物と水中で冬眠する生き物が並んでるというのもいい風景ですよね。それにしても、そんなに慌てて逃げなくてもいいのにな。

P65 夜、走っていて

 これも猫の集会もの。だいたい走るのは夜なんですが、たしか走っててほんとに出くわして、帰って来てから書いた。猫の集会に出くわすと嬉しくて、でも邪魔したみたいでちょっと申し訳ない。

P66 妻と娘がいない家の中は

 音というのは不思議で、ほんと、どの方向から聞こえてるのかわからないことがある。足音なんかは、共鳴とかもあるんでしょうね。隣の家からの音が変なところから聞こえたり。いや、たぶんそうだと思うんですけどね。引っ越してきたばかりのころは、ぜったい霊現象だと思ってたけど。家賃が安かった、というのもふくめて。

P67 出ていたはずの月が

 夜走ってて、月を見るのにちょっと高いところを行ったりします。これは、上町台地から見下ろした感じ。猫の形の影は妄想ですが。

P68 月蝕でもないはずなのに

 ということで、影つながり。大きな影と言えば月蝕、地球の影ですね。そのくらいの大きさの影が月に落ちる。そして、その形が。

P69 猫の卵を買いに 

 猫って、丸まってる姿が卵みたいで、毛の色そのままの卵みたいに見えますよね。そのあたりから。生まれてくる猫の模様がそのまま表面に出てる卵。じゃ、いちばん猫らしくない卵は? とか、そんなところから。


P70 膝の上にもぴったりの

 これが表題作。ごろごろごろです。いいですよね、あの音。どうやって鳴らしてるのかよくわからない。意図的に鳴らしているのか、鳴ってしまうのか。ちょっとラジオのノイズに似ている、とよく思います。猫って情報を伝達しそうだし。そして、猫だけに、なのか、猫なのに、なのか、チューニング。なあああお、のところ(P7)でも使ってますが、チューニング、という言葉、好きなんですよ。その行為も言葉の持ってる音も。文章をあれこれいじるのも、チューニングみたいなものかも。

P71 妻と娘が朝から動物園

 これはこのまんま。そういう会話があって、そこを切り抜いた。閉園前の三十分の感じ、といのは、吉田拓郎の「祭りのあと」みたいなやつかな。あの歌、子供の頃から好きなんですよ。ああ、わかるわかる、と思ったなあ、小六くらいの頃。

P72 ほどよい風の吹く夕方で

 実際こういう風景を見て、夕方の光と風と人がいない路地にイタチと猫がいて、夢の中にいるみたいなヘンテコな感じがした。最後の一行は、ちょっと『夢十夜』を意識したのかも。第一夜ですね、たぶん。子供の頃に読んだとき、あの第一夜はよくわからなかった(いちばん好きだったのは第三夜で、まああれは怖くてわかりやすい怪談ですからね。最後がぐにゃっと歪むけど)んですが、大人になってからは第一夜がいちばん好きかも。まあそのときによって好きなのは違うんですけどね。あ、そういえば、夢十夜もやっぱりマイクロノベルに似てますね。結局自分は昔からそういうものが好きだったんだなと思います。「そういうもの」というのがどういうもののなのかは、今も探っているところ。

P73 妻と娘が朝から

 これはいちおうP71ともペアになってるかな。娘観測もの、で、必然的に妻と娘観測ものになってる。ふたりでよく遊びに行くようになって、そうなるとなんかちょっと仲間外れ感があるんですよ、父親は。それは仕方ないとは思うんですけどね。まあそんな感じを。

P74 猫に小判がついている 

 架空博物誌みたいなやつ。ある架空の生き物とか架空の行事とか風習、まあそういうものを思いついて、その解説だけを書く、みたいなやつ。だから文章そのものは小説っぽくはない。でも起点が小説ですから、まあ小説だろう、と思う。短編とかでこれをやると、他にいろいろ付け足して小説みたいに体裁を整えないといけなかったりするんですが、マイクロノベルだとこれだけでひとつ書ける。書きたいことだけで成立する(まあ私だけが成立してる、と思ってるだけかもしれませんが)、というのはマイクロノベルのいいところ。

P75 空き地に見たことのない

 P28の空き地の話の続きかも。猫にいろんなものを与えて何かしている存在がある、みたいな裏設定の話かな。空き地に変な機械が落ちててその側にいる猫を見た、というだけでもありますが。どうやらこれは猫のために与えれたものらしい、ということがわかったらおもしろいかな、とかそんな妄想から。

P76 娘は恒例の校庭キャンプ

 ほとんど日記。こんなことがありました。もうすっかり忘れてて、これを書いてたおかげで思い出した。書いといてよかった。しかし宇宙ステーションを小学校の校庭から見るって、なかなかの未来だと思いません? SF映画や漫画で見てきたあのドーナツ型のじゃないにしても。

P77 郵便局からの帰り道

 P72とつながっているかな。急いでいる猫、というのはなんだか不思議で、そしてちょっと不穏な感じがする。人間の気づいてないところで何か大変なことが起きている、みたいな。ましてそれが続くと。

P78 路地裏にずらり並んだ

 ありますよね、あのペットボトル。うちの近所の路地にはやたらとある。そして猫よけの効果があるとは思えない。最初のうちはあったのかもしれませんけど、今は平気で猫が日向ぼっこしてたりする。ということで、それが猫に利用されている、という設定。ソーラシステムは、もちろんガンダムのあれ。まあソーラシステムというのは英語だと太陽系を指しているらしいですが、それでもいいですね。猫の太陽系。

P79 物干しに出ると猫がいて

 そして、その続き。ガンダムのあれは兵器ですから、その秘密を知ってしまった者は、当然こういうことになります。猫機密ですからね。うかつにそんなものを書いたりしてはいけない。もし見かけても見て見ぬふりをするのが吉。


P80 見覚えのない猫だが

 触らせてくれる猫は、ほんとに珍しいのです。道端をうろうろしているような猫は、それだけ用心深くないと生きていけないのでしょうね。だから向こうから近づいてきてくれたりすると、ありがとうございます、という気になります。誰でも手に取れる、という点では、ちょっと図書館の本みたいな感じがする、とか言うと猫は怒るかな。

P81 鎌を研いだような月

 鎌を研いだような月、というフレーズは、子供の頃から大好きでした。上方落語の『皿屋敷』で聴いた。ほんとにそんな感じの月がありますよね。落語の中では、これから皆で幽霊を見に行こう、と家から出てぞろぞろ歩いていくシーンで出てきます。すごくいい。これは実際にそんな月を見たときに書いた。そのときは、あべのハルカスの斜め上あたりに出てました。

P82 ツチノコと呼ばれる 

 ツチノコブームというのがありました。私が子供の頃にあって、それから思い出したように何度かありましたが、あのときほどではない。あのときは、少年マガジンとかで特集してたり、ドラえもんにもツチノコを捕まえようとする話がありましたからね。藤子不二雄の描くツチノコはすごくかわいい。なかなかあんなふうにツチノコを描けないと思う。それにしてもツチノコって、ただの変な形の蛇ですからね。なんであれが、ネッシーとか雪男とかと同等に扱われてたのか(当時はほんとにそんな感じだった。)今となってはさっぱりわからない。ツチノコ程度のヘンテコな形の蛇とか亀とか、実際いくらでもいますからね。

P83 シンクロナイズドスイミングの

 これも、娘観測もの、になるのかな。こんなこと言って学校から帰ってきたのは本当ですが、たんなる駄洒落。駄洒落にもなってないかも。「まあこういうもんはちょっと無理があるくらいのほうがおもしろい」というのは、落語の『口合小町』の中の台詞。

P84 うちの小学校には

 何かよさそうなネタないか? とか、よく娘に聞いてました。学校の怪談、ないのか? ないよ。いや、なんかあるだろ。ないよ。作ったらいいのに。とかそんなの会話から。

P85 せっかくいい空き地が 

 最近の(いや、もうだいぶ昔からか)空き地はフェンスで囲まれてて、ドラえもんなんかに出てくるような空き地なんてのはないですね。昔はたしかにああいうのがあったんですが、今の子供はあれを一種のファンタジーのお約束みたいなものとして見ているのかも。そしてこれは、実際に見た風景。よく見かける。ちょっと新しい空き地の風景かも。

P86 フェンスに囲まれた空き地に

 これも見た景色そのまんま。猫はそういうのが多い。まあ実際に猫を見て書くことが多いから、当然そうなります。それが猫的リアリティ世界。そして空き地です。空き地ばっかり見ている。それが猫的日常。それはともかく、猫はよくどこかを見つめてますよね。動かないその姿が、なんだか魔除けみたいで、実際そんな仕事をしているのかも。こっちは大事なことしてるんだから邪魔すんなよ、とか言われたみたいな感じ。

P87 とつ、とつ、とつ、と

「とつとつとつ」は、猫の足音としてよく使ってます。アスファルトの上とかブロック塀の上を歩いてるときがそんな感じ。それがメトロノームみたいに聞こえて、そしてメトロノームだとすれば尻尾はどうなるか、というやつ。そんな形のメトロノーム、すでにありそうですね。

P88 雨上がりに

 ほとんど日記。こういうことがありました。このお城は、大阪城。近くにお城がある、というのは、よく考えるとちょっとおもしろい。お城ですからね。大阪城のお堀には、ヌートリアがいるらしい。もしかしたら河童と見間違えられるかも。

P89 梅雨の合間に日が射した

 メトロノームの続き、というか同じ連想。そして、雨上がりに路地のいろんなところから、猫のあの声が聞こえてきて、そこからの連想。曲はもちろん「on the sunny side of the street」。

P90 どこかの山の上に

 娘観測もの、そして妻と娘もの。二人で山に行ったりしてた頃。まあ十日ほど見なかったりするとこんな感じでした。しばらく旅行していて家に帰ってくるとちょっと変な感じがする、あれに似ているかもしれない。

P91 二階の北の窓に

 猫の不可解行動。いつも歩いている散歩コースみたいなのを急に変えたりしているときがあって、でも何日かするともとのコースに戻ってたりして、まあ猫には猫の事情があるんでしょうね。猫日常ミステリ。

P92 裏の家との境の

 実際にこういう猫がいた。そして、私が勝手にそう呼んでいたのも本当。P89からの連想もあるかな。いかにもあの歌を歌いそうですから。

P93 朝から雨

 これも猫ヴォーカルの続きみたいなやつ。こっちはたぶんブルースとかを歌ってるんですね。陰にこもって、なあああああああお。

P94 猫に選ばせましょう

 これは最初にこの台詞をなんとなく思いついたのかな。ちょっと気取った映画ごっこみたいに続けて、そしてそんなこと言われなくてもそもそも猫は猫で勝手にやる、というサゲ。やっぱり足音はクールに、とつとつ、でしょうね。

P95 いつもの空き地を通りかかると

 P77にも出てくる「急いでいる猫」の話。というか、こういう場面を見たんですよ。けっこう連続して。そうなると、猫たちのあいだに何かがあったんじゃないか、とか。

P96 人には人の道

 蛇の道は蛇、という言葉からかな。『蛇の道』という映画が好きなんですよ。で、そこからの猫の道。猫の道の話はもうけっこう出てきてますが、猫には猫の通路がある。人間の認識している地図に重なって、猫の地図がある。そして、そんなことを言っているのは、そんな猫の道を利用している人、というサゲ。

P97 猫に取り付けたカメラ

 猫にカメラを取り付ける、というのは今ではけっこう行われていると思います。小さくて軽いカメラが安くなったから、もう誰でもそんなことができますね。猫の行動を猫の視点で見るのはおもしろいでしょうね。そしてそんなのを見てたら、意外な行動が、というのはホラーの定番ですね。そっちじゃないほうに着地ましたが。

P98 夏日というだけあって

 そういう形の入道雲を見て。姿勢よく座ってる猫みたいなやつ。あれがそのまんま猫の動きをしたら、そして、形だけでなく音も、という妄想から。あ、いちおうこの本全体で季節の流れをだいたい合わせてます。これは夏ものの代表。

P99 殺人事件があった

 これも見たこと、あったこと、そのまんま。そのスケッチみたいなもの。猫も含めて。

P100 あの猫がいつも

 たしかこういう話を誰かから聞いたんですよ。それをそのまんま。猫バスっぽい、というか、猫バスの解釈としてもおもしろい。

P101 また猫が来た

 猫の手も借りたい、という言葉だけで書いたような話。猫の手、というフレーズはおもしろいので、けっこう使ってます。いいですよね、猫の手。まあ私はそういう形で、けっこう猫の手を借りている、ということになるかも。使用料の請求が来たら怖い。

P102 日向を歩くには

 真夏の昼間の怪異。夜じゃなくて、太陽が照り付けてる昼間に変なことが起こる、というのは好きなシチュエーション。狸だと暗くするんですが、そうじゃないところが猫っぽい。猫は出てきませんが、陰から猫が覗いてそうな気がする。周りが見えなくなって、そして、というのは遊びに夢中になってたりするときのあるあるですね。山菜を採ってて遭難する、というのもこんな感じでは。

P103 ブロック塀を登ろうと

 蝉の抜け殻を見て、つくづく変なものだなあ、と思って。ブロック塀なんかでよく見かける。空っぽで、形だけがそのまんま残っている、というのはなんというか、ちょっと現実っぽくない。そして、ブロック塀は猫の道なので。猫の抜け殻、というのはなかなか絵的にもいいと思う。

P104 ごろごろごろと

 球電現象というのは、話には聞くんですがもちろん見たことはなくて、子供の頃からずっと見たいものだなあと思っています。小松左京の短編『ヴォミーサ』にも出てくる。これはそこからの妄想。子供の頃はよくこんなこと考えてて、実際にこういうものを見たような気さえする。記憶を捏造してるんでしょうね。まあ子供の頃だけじゃなく、今もそんな感じですが。

P105 近所の馴染みの猫

 P113の猫の抜け殻の続編。蝉の幼虫が蝉になるなら、猫はいったい何になるのか、という問いの答えは、まあこれしかないんじゃないかと思う。 

P106 朝から空はトンボだらけで

 トンボだらけの空は、旅行先で実際に見た風景。宮崎で夏の終わりでした。季節が変わるのがこんなふうに見えるというのがすごい。

P107 猫に空気を入れて

 これはつまりこういうことをやってるのかな、とか猫の百字(もちろん『ねこラジオ』です。)をまとめながら思って、それで書いたような気がする。そして、ここでも猫の手を借りています。

P108 今日も猫を

 これもそうですね。『100文字SF』というのを早川書房から出して、でもその第二弾がなかなか出せなくて、それでいろいろやってたときに書いたやつ。こんどは「猫」でまとめてみるのはどうか、とか思ってあれこれやってたんですよ。あの頃にこんなことを考えて、そして毎日ああでもないこうでもないとやってみたけど、結局は早川書房からは出してもらえなくて、でもなんとかこうやって出すことができた、というより、いちばんいい形になったと思います。ネコノスだしね。猫の百字をネコノスから、というのは、猫づくしのとどめの一撃みたいになりました。ネコノスさんに感謝。

P109 授業参観は理科室で

 娘が小六のときかな。もうはるか昔だ。ほとんどこのままの感じ。さすがに最後みたいなことにはなりませんでしたが、コントにしたらこうなるかな、とかそんなことを思いながら授業参観してました。

P110 ころころころがっている猫

 そういう猫を見た。空き地で、何かにじゃれてるんだか追いかけてるんだか、ちょっと遠いし、なにより動きが速い。何をやってるんだかわからない。ということで、それをちゃんと見るためには、たぶんそうやってこっちも同じ方向に回転して相対速度をゼロにするのがいちばんいいはず。『2001年宇宙の旅』の宇宙ステーションにシャトルが入っていくところみたいな感じで。  

P111 妻と娘は怪獣映画へ

 こういうことがあった。はい、『シンゴジラ』です。この頃はけっこう娘と映画に行ってたなあ。『貞子VS伽椰子』とか。しかし娘といっしょにゴジラを観る、というのはちょっと体験したかったなあ。

P112 地面に突き立った杭

 猫はこういうことをしますよね。何かのてっぺんにちょこんと座ってる。なかなかかっこいい。それと、映画『帝都大戦』で、魔人加藤が電柱の上に立ってた、あのシーンとの合成かな。猫は魔物ですから。

P113 音の伝わりかたが

 昔住んでたアパートではそうだった。雨の夜は世間が静かになるからなのか、とにかく、雨の日には聞こえてくる。たぶんあそこかな、というのはあったんですが、結局確かめないまま引っ越した。音だけの怪談、というのは好きです。まあこれは怪談でもないですが。

P114 雨が降ると

 ということで、音つながり。雨でトタンが鳴るのは本当で、いつも聞いてます。それはもう何度も出てきてますね。うちの通奏低音みたいなもの。雨の日限定ですが。だから、こういう幻聴みたいなことも起こる。あるいは音の妖怪、「小豆あらい」みたいなやつ。狸的でもあるけど、屋根の上は猫世界でもある。このトタンの音は、別々の世界観の交点もになってる気がする。

P115 開くなどと思ってもいなかったのに

 ハコガメがいるんだからハコネコも、みたいな感じですが、いつも通る道に黒い金属の立方体のゴミ箱があって、その上の部分に三角の突起がついてて、それが猫耳みたいに見えた。そこからの連想。そして、猫と箱、と言えば、もちろんシュレディンガーの猫ですね。

P116 猫が開いて

 これはその続き、というか、猫と箱、からの連想。中身がわからない箱状のもの、といえば雀のお宿の大きなつづら、ですね。そして箱があったら入りたい。

P117 みみのあるはこ

 マザーグースみたいなのをやってみたかったのかな。はこねこ、という言葉と音をいろいろ転がして遊んだ。ちょっと聞くとなんだかわからない呪文みたいで、でも文章の意味は通ってる、というのをひらがなで。

P118 耳のある箱

 で、それを漢字を入れて書いてみた、というそのまんま。まあいちおう説明というか謎解きというか注釈、みたいなもの。それにしても、漢字というのは便利なものですね。漢字自体が、ちょっと箱っぽい。形も機能も。

P119 なああああお

 そういうヒーロー。猫まんま、猫マン、というのから書いたんだったかな。まあ「猫マン」というのは、その音もリズムも間が抜けてていい。猫マンは、もちろん猫まんまよりチュールが好きなはず。

P120 なああああお

 そして「猫マン・リターンズ」。続編なので新しいキャラも登場。

P121 いつしか運動会という名の

 このまんま。娘の運動会のとき、つくづく思った。そっちにどう対処するか、ということのほうが運動会そのものより大変だったりする、というのも「あるある」でしょうね。

P122 風。彼は言った。

 ヒトじゃないいろんなものからいろんなことを教わる、というのは、『セロ弾きのゴーシュ』がかなり入ってるかな。知らないうちに教わってて身についてる、というのは映画『ベスト・キッド』の車磨き。そして、猫の先生、といえば『いなかっぺ大将』のにゃんこ先生。にゃんこ先生、何回も出てきますね。やっぱり子供の頃に好きだったもの、というのは大きいです。ということで、いろんな創作物からもいろんなことを教わってます。

P123 頭さえ通れば

 頭さえ通れば、というのは、猫のすごいところ。本当にそうなのかどうか確かめたわけじゃないですが、子供の頃からそういう話はよく聞いてました。誰が言い出したのかな。でもまあ、逆に言えば、頭が通らなければ通れない、ということで。それにまあ不器用な猫もいるだろうし、というか、こういう困り方をしている猫を本当に見た。もしかしたら遊んでたのかもしれませんが。

P124 明け方、いつもそれで

 実際にそういう時期がありました。目が覚めて、物干しに出て遠くを見た。まだ星が光ってた。もともとよく寝るほうなので、そういうのはすごく不思議。もう今はない。あの一時期だけ。あれは何だったのかなあ。


P125 何年か前に旅先で 

 シアトルに行ったときに買ったスペースニードルのスノードーム。道端の屋台みたいなところで買った。それがこんな感じになっている。
 いろんな偶然が重なって、シアトルで芝居をした、というのも狸的な思い出。まさかそんなことをすることがあるなんて考えたこともなかった。生きてると不思議なことがある。古い市民劇場で、楽屋が昔の映画に出てくる楽屋みたいでした。

P126 月の明るい夜に

 風呂上がりにバスタオルを干しに出たときに、月が出てたりするとこんな感じ。瓦屋根が月の光で不思議な色になる。そしてそこは猫が歩く道だったりする。

P127 同じことを同じように

 芝居の稽古は、区民センターの会議室なんかを借りてやることが多い。これは、そんな区民センターの下に古いオルゴールが展示してあって、それを見て思ったこと。同じことを繰り返しているようでじつは違う、というのは芝居の稽古そのもので、まあそれも入ってるでしょうね。生きているオルゴール、というのはなかなかいいと思う。

P128 寝る前、灯りを消した途端、

 一時期、毎晩のように鼠が走る音が聞こえてたのは本当。いや、鼠なのかな、みたいなところからの想像というか、妄想ですね。鼠の音みたいにしか聞こえないけど、でも鼠じゃないだろうと思えるのはどういう音の聞こえ方だろう、とか。

P129 月の明るい夜に

 P126の続き。月の光の下でだけ屋根瓦が波になっていて、そこを泳いでいく何か。猫、シュレディンガーの猫、確率の波、という連想も入ってるか。

P130 路地の奥のこの借家に

 前半はそのまんま。越してきてしばらくしたころに物干しから虹を観たときはなかなか感動した。でもまあ虹というのはいつまでも見えるものじゃないし、そこがいいところでもあるから仕方がないですね。今も、欠片くらいは見えるし。

P131 首に手紙を付けて

 P130の続き。甍の波を泳いで渡る猫がいるなら、ということで。量子化猫、というのは『大怪獣記』なんかにも出てきます。まあ猫と言えばあれですからね。化という漢字は「か」でもあるし「ばけ」でもある、というのも量子っぽいですね。

P132 路面電車の幽霊が

 夜、路面電車が走っているのは、なんだか電車の幽霊みたいで好きです。旅先で夜ぶらぶらしていて角を曲がったところでいきなり出くわしたりすると、さらに現実感がない。これはたしか熊本に行ったときに書いたやつ。

P133 土星と木星と月が一直線

 星が並んでいるのはいいですよね。『2001年宇宙の旅』を思い出す。夜、空き地のあたりを歩いていて見かけた風景そのまんま。猫も。

P134 土星と木星と月が一直線

 というわけで、これも同じ頃、というか、たぶん翌日。彗星はネオワイズ彗星だったと思う。探したけど雲で見えなかった。見た風景そのまんまです。猫も。肉眼で見える彗星ってなかなかないですよね。子供の頃にすごく楽しみにしていたハレー彗星は、かなり期待外れでした。これまででわりとちゃんと見えた彗星は、銭湯からの帰り道での百武彗星かな。二十世紀の終わり頃。

P135 この季節には

 この話をするとすごくうらやましがられることが多いんですが、千里の万博公園にある民俗学博物館のメンテナンスのアルバイトをやってたときがあった。年にいちど、二月頃だったかな。一ヶ月くらいかけて展示物の点検をやるんです。だから、展示物をものすごく近くで見ることができるし、必要があれば触ることだってある。まあこんなことはなかったですが、いかにもありそうな気がする。不思議なものがいっぱいありますからね。「アフリカの呪いの人形」とか。いや、ほんとにあるんです。展示のプレートに実際そう書いてあるんだから。
 おもしろいアルバイトだったなあ。
小春日に呪いの面を修理する
 なんて俳句を作ったり。

P136 よく猫がいる屋根の上に

 そしてこれもP133からの流れですね。屋根の上に猫がいる。それがちょっと人間が座ってるみたいに見えたりもする。そして、流星群を屋根の上で見物、というのはやったことないけど憧れますね。

P137 よく花が供えてあるのは

 ありますよね、こういう交差点。そこから因果律の逆転、というか、そういう呪術装置としての交差点。

P138 平面の映像でしかない

 ありましたよね、こういう映像。ビルの外壁に付いてるテレビでやってたやつ。なかなかよくできてた。実際にその場に立って見上げたらなかなかすごそう。そしてそういうのを拡張していくうちに、世界そのものが作られてしまう、という世界の始まりは、わりとありそう。これからの神話として。

P139 ブロック塀と台所との

 実際にある猫の通路。おかげで、猫が通るのをよく見かける。同じ通路をたまにイタチも。そのへんから書いた。そしてこれも、猫が急いでいる、というやつかも。それと、因果律なのかなんなのかよくわからないシンクロ。これを偶然と見るかそうでないと見るか、みたいな。

P140 檻の中に何かがいる

 こういう夢は昔から見てました。書いてあるんだけど読めない、というのがなかなか夢っぽい夢ですね。たぶんもうずっとわからないままなんだろうなあ。

P141 火星探査機が送ってきた

 生乾きのコンクリートに足跡が、というのは、あるあるですね。まだ水分があるからそういうことになるわけで、そして、水があるかないか、といえば火星探査です。生乾きのコンクリートみたいな地表の写真なんか送られてきたら、それはもう一大事ですよね。液体の水があるかもしれないんだから。ということで、それを合わせて、こうなりました。

P142 冬になると

 もちろんハインラインの『夏への扉』。この冒頭のツカミが絶妙ですね。そして、年老いた猫といえば、猫又。襖を自分で開けてるうちはともかく、閉じるようになるとあぶない、というのはなんかで聞いたことがある。たしかに襖を閉じる、というのは知性を感じさせますね。賢い猫、というのを超えてしまっている感じはする。昔の人はうまいことを言うなあ。

P143 前から茶色い

 細い路地の両側に溝があって、なんかボーリングのレーンみたいだな、とか思いながら歩いてたら、向こうから猫が歩いてきた。それだけで書いたやつ。ボーリングのボールって、ちょっと不思議な色と模様ですよね。

P144 見る度に大きさの変わる猫

 これも一種の化け猫、というか量子化猫の話ですね。P100に出てくる化け猫(?)の物理学的解釈かも。

P145 物干しから見える

 猫はよくどこかをじっと見てますよね。散歩していて、窓辺に座ってこっちをじっと見ている猫と目が合うと、いや、怪しいもんじゃありません、という気になる。魔除けっぽい。実際、何かを見張ってるのかもしれないし。物干しは、亀世界と猫世界との交差しているところでもある。

P146 日当たりのいい物干しで

 猫がたまに物干しに入り込んでくる。枇杷の木を梯子代わりに使ってるらしい。猫の身体能力すごい。亀、大丈夫かな、とか最初の頃はけっこう心配だったんですが、べつに襲われたりはしてない。まあ甲羅あるしね。ということで、そこからの妄想。

P147 静かな夜、遠くから

 静かなときに遠くから聞こえる音、というのは他にもいくつかあって、P113の踏切の音とか。これもそのひとつかな。いや、冷蔵庫からじゃなくて、実際に遠くから聞こえる。夜中の冷蔵庫の、ぶうん、というあの音は、冷蔵庫のつぶやきっぽくてちょっといいですね。

P148 あの路地にある廃屋

 なぜかこんな気がするところがあったんです。もう取り壊されてなくなったけど。ずうっとそこにあるように見えるんだけど、じつは落下してて遠ざかり続けている、というイメージにはなかなか心惹かれる。と、こう書いても、いったいどういう状態なのかよくわからないですが。

P149 雨カモシレズ

 まあちょっとこういうことをやりたくなった。猫になりたい、というのは「あるある」ですよね。

P150 今は駐車場だが

 こういうところがうちの近所にあるんです。いや、幽霊は出ませんけどね。あそこ、昔は映画館だった、という話を聞いて。じゃあ、あの壁は映画館の壁だったのかも、とか。映画館のホラーとしては、クライブ・バーカーの『セルロイドの息子』が好きです。

P151 ブロック塀の上で

 猫がぴたっと止まっているのを見ることがあって、まあそれに関する解釈、というか、妄想ですね。それにしてもなんであんなところで止まるのか。

P152 長く住んではいるが

 はい、例によってお馴染みのや。雨が降るとトタンが鳴る。私にとってそれはすっかり日常なんですが、それがいつもと違っていて、という非日常。そして、そこからもう一歩、みたいなやつ。

P153 頭は猫だが胴体は

 架空生物の博物誌みたいなやつですが、博物誌とまではいかなくて、ただそういうものを見かけて、あれ、なんだっただろう? くらいの感じ。頭が猫で胴体が蛇、というのは、ラリイ・ニーブンのSFに出てきます。キャットテールという名の生き物。新井素子氏がそのぬいぐるみを持ち歩いて一部で有名になりました。私もそれで知った。

P154 昨夜の雨と風で

 桜は散った後もいいですね。大抵は雨で大量に散るので、雨上がりに歩くと、花びらでいろんな形が見える。水たまりが乾いたあとに、花びらが水たまりの縁の形を作ってたり。桜は水の足跡をよく残してくれる。

P155 なあああお、なあああお、

 P6、P7、の続きというか、シリーズかな。やっぱり猫と言えばあの声ですから。そしてつい真似したくなる、というのは「あるある」でしょうね。「あるある」だけにこういうこともある。

P156 猫の集会に参加する

 猫の集会、というのはやっぱりおもしろい。いちどは参加してみたい、と思う。というまあそれだけで書いたようなやつ。いくらくらいまでなら出すかな。まあ猫に小判という言葉もありますが。

P157 銭湯の名前には

 うちの近所にそういう銭湯があって、でも残念ながらもう閉店してしまいました。入口の暖簾のかかってる前に小さな石の橋があるんですよ、川はもうないのに。そういうのが残ってるくらいだから、きっと他にもいろんなものが、という話。

P158 いつも通る路地の

 P155と同様、なああおと言えばなああおと応える、のバリエーション。やたらとなああおが聞こえる、そういう時期に書いたんだと思う。

P159 白壁に緑の蔦が

 だいたい毎日同じ道を通っていると、蔦が発展していくところを観察することになって、季節によって色まで変わりますから、なかなかおもしろい。そして、実際、文字みたいに見えるのがある。日常の中にあるちょっとしたヘンテコ。そして、そんな日常化したヘンテコに変化が、というサゲ。

P160 なああああああ

 なあああお、のバリエーション。こういう長いなあああおが聞こえてたんでしょうね。そこからの妄想。なあああああおは、体を表わす。

P161 近所でよく見かける猫の額に

 額じゃなかったんですが、髪飾りみたいなのをつけてる猫を見て。それが花を連想させて、猫に咲く花、そして、唐突に取り付けたみたいに場違いに咲いてる鮮やかな花、としてのサボテン、そうなるとたぶん全身の毛も、という連想の流れ。そうやすやすと撫でさせてはくれない、というところも猫はサボテンっぽいし。

P162 空き地に花壇が

 ということで、その続き。猫に寄生する花、みたいな感じ。そして、それがちょっとうらやましかったりする。流行、というのは、病気も連想させますね。そう言えばこれを書いたのは、コロナで外出自粛とかのときでした。天気が良くて人の姿がなくて、というところに額に花を咲かせた猫がたくさんいる、というのはなかなか世界の終わりっぽい。  

P163 猫の声がやけにうるさい

 これも、なあああお、のバリエーション、かな。それと選挙の時期で、うるさくて書いたんでしょうね。普段は猫の集会場だったところが猫の演説会場になってる、という話。

P164 これまで掘り出した

 このことですね。これまでの【ほぼ百字小説】の中から、猫ものを選んでまとめてみよう、と思って、こういうことをやってるときに書いたもの。そのまんまです。本物と本物じゃないもの、という問題(?)も入ってるかな。

P165 いつもよりきつく

 ほとんど日記。小六の頃かな。もう遠い昔になってしまったなあ。でもこうやって書いといたから、かなり鮮明の思い出せる。書いといてよかった。そうところは、小説というのは、とくにマイクロノベルはほんとに便利。メモとは違う。メモだと書くだけで終わってしまいますからね。

P166 たくさんの猫を

 これはですね、早川から『100文字SF』の第二弾として猫でまとめたもの(つまりこれの原型ですね)を出したくて、でもどうもなかなか話が進まなくて、他に引き取り手を探すしかないかなあ、とか思いながら、猫でまとめる作業だけは勝手に続けていて、というときに書いたやつ。そしておかげさまで、こうして『ねこラジオ』として出せました。ネコノスさん、ありがとう。あのとき、浅生鴨さんがツイッターで声をかけてくれなかったら、たぶんあのままお蔵入りだったでしょうね、私もいっしょに。

P167 子供の頃から大好きだった

 ということでこれも日記です。娘観測もの。中学になって吹奏楽部に入って、それで近所の商店街で演奏するイベントとかけっこうあった。どうやら顧問の先生がそんなの好きな人で、選曲にかなり趣味が入ってました。これは、『怪獣大戦争マーチ』。『ゴジラのテーマ』くらいならけっこう演奏されてると思いますが、ちょっと珍しいと思う。まして、それを中学生が演奏しながら商店街を行進する、なんてことは。それ自体が映画のワンシーンみたいでした。

P168 死んだ猫を撮るために

 この映画の撮影のために動物を傷つけてはいません、みたいなテロップが入るようになったのはいつからだったのかな。私が子供の頃は、まだそんなのなかった。で、そういう動物の恨みによって作られている映画、というか、化け猫が作っている化け猫映画、という設定。屋根の上の猫が人間の監督を操るところなんかは、なかなか画になると思う。

P169 妻と娘は今日からまた

 妻と娘もの、そして蛙のフィギュア。ということで、これも妻と娘観察もので、謎の妻と娘。家庭内他者、とかそんな感じですね。そんな言葉ないけど。

P170 フェンスで囲まれた空き地の

 これもまあ一種の風景もの。行きつけの歯医者の窓から見下ろせる空き地があって、その中に一本道みたいなのがある。待ち時間なんかによく眺めてます。フェンスで囲まれてて誰も歩いたりしないのに、あれはいったい何なのか。みたいなところから、あれが何かの滑走路だとして、という妄想に。

P171 あの空き地の中の一本道に

 そしてその続き。同じ空き地で猫を見たので、そこに猫を配置したらどうなるか。猫だからたぶんこういうことになると思う。日常の中のよくわからない風景。

P172 旅先で買ったスノードーム

 P125のその後。スノードームの水がだんだん減っていく、というのもたぶん「あるある」ですよね。実際、こんな感じになってしまってて、そしてその風景がじつは、というサゲ。思いがけないところに予言があって、それが現実化する、みたいな話かな。もちろんその部分はフィクションです。いや、まだわからないけどね。

P173 確率の波の中から

 もう何度も登場してもらってるしこれからも登場してもらうであろうシュレディンガーの猫。猫界のスーパースターですね。そして、猫を観測する者は猫に観測されているのだ、という話。

P174 すたとんてんとたんととんとん

 これももう何度も出てくるトタン屋根の刻むリズム。それが今回はトタンに聞こえて、それをこんなふうに書いてみたくて書いた。トタンの上で小さいものたちがタップを踏んでるみたいな感じ。実際、そんなふうに聞こえる。たまにすごく複雑で気持ちいいリズムを刻むことがある。

P175 空き地に猫が

 空き地といえば猫ですが、泥でもある。そして「泥」というのは、私の小説の中でかなり出現頻度が高くて、「泥SF」と自分で呼んでいる一連のシリーズがあります。まあこれもそんな泥SFの一環かな。『カメリ』に出てくるヒトデナシは泥人間。そしてここには泥棒猫、じゃなくて泥猫ですね。

P176 アスファルトの上に

 けっこうありますよね、道路に。数字とか矢印とか図形とか。なんとなくわかりそうでわからないところがよくて、つい見入ってしまいます。たまにすごくいい線があったりする。そこにちょっとした謎を足してみました、みたいな感じ。

P177 砂猫がいる

 P175の泥猫から。泥があれば砂だろう、ということで。そういう変化はお天気次第ですね。更地とかをいつも見ているからこんなことを考えるのかも。

P178 世界中で猫型のUFOが

 これもお馴染み、何々型ネタ。猫型UFOは、かなり人気が出ると思いますけどね。でも、世間は飽きっぽいのでなかなかそれを維持するのは大変。

P179 娘が幼い頃に

 P8の続き、というか後日譚。とくに続いてはないですけどね。これはわりとほんとの話。でもそれが関係あるのかどうかはわからない。そのわからなさ具合がおもしろいので。現実というのは、そういうところがおもしろいですね。

P180 外出自粛の要請にも拘わらず

 そういう時期に書きました。そして、大阪はこんな感じでしたよ。あの時期の気分はけっこう反映されてると思います。

P181 猫なら助かると聞いて

 ということで、その続き。とにかく選択肢が少ない、というか、ない。

P182 いつも通る路地の更地に

 空き地とか更地に猫はつきもので、そして、土の上にじっとしていると、なんとなくそこに生えてきた植物みたいに見える。まあそこからのけっこうストレートな妄想。

P183 猫が行くぞ

 謎の脅し文句。どういうことなのかわからないけど、でも周囲のおびえてる様子をみて、なんだかわからないままにびびる。そういうのはけっこうありそうな気がする。そして、実際、なんだかわからないままのほうが効果があるのかも。「猫が行くぞ」は、言われたらちょっと怖いと思う。

P184 猫というのは一種の結晶で

 バラードの『結晶世界』とか、まあそのへんのイメージから。P182の更地に座ってる猫が、土から顔を出してる水晶とか、そんなふうにも見えた、というのもあるか。結晶も植物みたいに成長していきますからね。そして、割っても割っても猫の形。

P185 猫は一種の結晶であるから

 ということで、その続き。結晶生命としての猫がいる世界の話。そして、お宝を探しに行って帰ってこれなくなる、というあるある。結晶取りが結晶になる、とか。
 この『ねこラジオ』、最初のあたりはわりとリアルな猫に近い猫なんですが、グラデーションみたいに段々リアルから遠ざかっていってます。自然にそうなっていったように思いますが、このあたりになるともうほとんど猫だかなんだかわからないですね。自分で書いといてそんなこと言うのもなんですが。

P186 まず空き地。

 世界の構造の話。だから神話でもある。SFの原点というのはそういうところにあるんじゃないかと思います。その仮説とか推論に使う道具として科学がいちばん使い勝手がいいんでしょうね。そしてそれは、ちょっと無理がある、というか、アホらしいくらいのほうがおもしろい、というのは私の考えです。これは路地とかブロック塀みたいな構造が延々続いている世界で、つまりゲーム内の世界みたいな感じ。それをゲーム内の存在があれこれ推論している、みたいなところもありますね。まあそれは現実でも同じですが。そんな猫生成神話。

P187 誰にも話せないことも

 ひとつ前のサゲである「猫型である理由」をもうひとつ。〇〇が猫型である理由、というのをサゲにする、という縛りはけっこういける気がする。たとえば、ドラえもんが猫型である理由、ってなんでしょうね。ファミレスのあの配膳ロボットが猫型である理由はなんとなくわかるけど。

P188 まねき猫ではなく猫まねき

 シオマネキという蟹がいますが、まあそれと「まねき猫」をひっくり返して「猫まねき」。その言葉から、いったいどういうものなのかを。で、次々に猫がきて海猫までも、というのがサゲ。  関係ないですが、シオマネキといえばシオマネキングという怪人の名前が好きです。イソギンチャックもなかなかいいですが。  

P189 猿の手に願いを

『猿の手』をひさしぶりに読み直したときに書いたんだったか。ちょっと気になるところがあって、読み返したんですが、いやほんと、よくできてますよ。同じアイデアで書かれた小説はたくさんあるんですが、とにかくそこに持って行く段取りとかがものすごく丁寧なんですね。あ、確認したかったのは、あの最後の願いは具体的に文章でどう記述されてたのか。ちょっと考えたんですが、小説内でどんなふうに言えばうまく読者に伝わって、穴のない形であの願いを表現できるのか、がわからなかったんです。読んで、確認しました。なるほど、そうだったか。うまいもんだなあ。

P190 見つけた猫を組み合わせて

 これも、猫の百字をたくさん集めてひとつ作ろう、とあれこれやってるときことですね。そして、それを編集者に見せてもなかなかいい返事がもらえなくて、ずっと待ってる状態。そんなときに書いたもの。だから最後は、負け惜しみというか、自分をなぐさめてるところがありますね。結局、早川書房から出すのは諦めたそれが、こうしてネコノスから出せることになって、その全作解説をこうして書いてる、というのはなかなか感慨深い。

P191 巨大な船が降りてきて

 ファーストコンタクトもののハイライトですね、宇宙船の扉が開いて異星人が出現するシーン。クラークの『幼年期の終わり』とか。あれのバリエーションかな。「こんな異星人は嫌だ」大喜利でもある。これは、嫌だけど嫌じゃない、みたいな感じですが。

P192 今年も目に見えない巨大な

『幼年期の終わり』つながりかも。空を覆うほどの巨大宇宙船、そして、世界中が空を見上げる、というイメージは、ものすごく魅力的でSFの元型というか原風景みたいなところがあります。まあこれは宇宙船ではないけど。とにかく巨大な何か。そして、目には見えない。そういうものが通り過ぎていく。あ、高浜虚子の句「去年今年貫く棒の如きもの 」も入ってるかも。それのSF的解釈、とか。

P193 おかげでこの閉じられた

 ということで、俳句つながり、でもないか。閉鎖系の中で温度差を作り出す方法、という思考実験が「マックスウェルの悪魔」ですが、まあそういう仕組みで作り出された温度差、そしてそれによって季節が変わる世界、というハードSFなんだかバカSFなんだかわからない設定の世界。そんな世界に俳句があるとしたら、という話。この世界においても、これっていつの季語だっけ、というのはけっこうあるし。

P194 猫が流れていく

 うちの台所の横に猫の通路があるというのは、もう何度か書いてますが、これはそこを次々に通過していく猫を見て書いたやつ。猫の流れみたいに見えて、そしてその猫の流れの先には、という話。もうここまで来ると完全にリアルな猫から離れて、猫だけど猫じゃないが激しくなってます。

P195 生きているのかどうか

 これまた何度も登場している猫界のスーパースター「シュレディンガーの猫」。これがもし「シュレディンガーの犬」だったらここまで有名にはなってないのかも。そもそも、あの思考実験が猫っぽい。猫なら生と死が確定できないまま行ったり来たりできそうな感じがしますからね。いや、みんながそう思うかどうかは、知らんけど。個人的な感想ですよ。

P196 それをやれば生存率が

 たとえばある治療を選択した場合の生存率、の話。そういう話をしなければならないことがあった。生存率をパーセントで言われても、死んだら百パーセント死んでるんだからなあ、とかそんなことを思ったり。そして、生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせのあの猫のことをも。

P197 押入れの中には

 もちろん未来から来たあの猫型ロボットのこと。何度か最終回はあったんですけどね。そしてあの未来はもうあの頃の未来でしかなくて、今の未来とは違うんだろうな、とか今になって思う。

P198 月と星と空き地と

 だいたい毎日、【ほぼ百字小説】という形でツイートし続けてきて、たぶんこういうことを書こうとしているんだろう、と思った。そのことを書いた日記みたいなもの。ちょっと俳句っぽいな、とか思う。

P199 つい猫を作ってしまったので

 これもP190と同じ。なんとかしたいんだけど、なかなか出してくれそうなところがない。どうしたもんかなあ、というのをそのまま。そしてそんなことには関係なく猫は猫で何か作っている。

P200 猫たちを集めて

 その続き。大勢の猫を引き連れて、あてもなくうろうろしている気分でした。でも猫にはそんなの関係ない、というのも。そして、そんなときでも関係なく猫は変わらず猫である、ということに励まされたり。

P201 正面から猫が

 猫って、こんな感じですね。こういう態度は、生者に対しても幽霊に対してもたぶん同じで、そこが猫のいいところ。たまに何もいないところをじっと見つめてたりしてて、猫には何かが見えてるんじゃないかと思うことはよくあります。

P202 その猫は

 これも猫を集めて猫を作る話。だから百字の話でもありますが、これはちょっとアンソロジーっぽいかな。大勢の手でずっと作り続けられている、というところからサクラダ・ファミリアを連想したり。

P203 猫が星を見る

 夜走りに行くと、たまにそういう猫を見かける。星とか月を見上げてるみたいに見える猫。星と言えば羅針盤。そして、見る者と見られるものの関係。見えている、ということは、照らされている、ということですね。

P204 またあの猫がいる

 そして、これを最後に置きました。マイルストーンならぬマイルキャット。道標としての猫。なかなか出版にまで持って行けなくていっしょにうろうろさせてしまった猫たちの最後には、これを置くのがふさわしいと思いました。
 そんなわけで、ここまで来れたことを猫たちに感謝して、この先も続けていけるよう猫たちにお願いして、ここで『ねこラジオ』全作解説を終わります。

 おつきあいありがとうございました。つぎの猫を目指します。






























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https://note.com/yuusakukitano/n/n2f6e1e490526





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