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慢性疼痛に対する患者教育の可能性と臨床応用


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イントロダクション

慢性疼痛は、医療費の増大や障害による就労困難などにより多大な社会的損失を招くため現代社会にとって非常に切実な問題であり、早急に解決すべき事項となっています。

我が国の慢性疼痛患者数の推定は約2300万人であり、成人の約22.5%(約4〜5人に1人)と非常に多くの人が痛みに苦しめられている事が推測できます[Ref]。

そして、慢性痛は我が国においてのみならず地球上の大きな問題あることは明白です。

米国の試算では,慢性痛の医療費と経済的損失額は合計で年間640億ドルと算出され、これは心臓病の2.1倍、がんの2.6倍という数字になっています[Ref]。

このような背景的問題は古くからあり、2000年にアメリカ議会は2001年からの10年間を“the Decade of Pain Control and Research”『痛みの10年』とすることを採択し、それを発端として今日に至るまでに多くの痛み研究が進んできました。

これらの流れもあり2000年以降、痛みに関する我々の知識は飛躍的に進歩し全貌は捉えきれていないにしろ痛みの一部を理解できるようになりました。

さらに、2020年7月16日、国際疼痛学会(International Association for the Study of Pain:IASP)は1979年来、実に41年ぶりとなる「痛みの定義」の改訂版を発表しました[Ref]。

今回の記事では「痛み」に関することを主に取り扱っていくので、多少の前提知識が必要です。

ですので、まず初めにIASPの痛みの定義について触れていこうと思います。

1979年のIASPの定義では、以下のように記載されています[Ref]。

痛みは、実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表わす言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である

[原文:An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage.]

また、痛みの定義のみでは理解が容易くないため付記を利用するのも有効です。

1979年の痛みの定義に関する付記は以下のとおりです。

痛みはいつも主観的である。各個人は、生涯の早い時期の損傷に関連した経験を通じて、この言葉をどんなふうに使うかを学習している。生物学者は、痛みを引き起こす刺激はしばしば組織を損傷することを認識している。それ故、痛みはわれわれが実質的あるいは潜在的な組織損傷と関連づけた体験である。痛みは身体の一カ所あるいは複数箇所の感覚であることは疑う余地がないが、痛みはいつも不快であり、情動体験でもある。痛みに似ているが不快でない体験、たとえばチクチクした感覚は、痛みと呼ぶべきではない。不快な異常体験(異常感覚)も痛みかもしれないが、主観的には、痛みの通常の感覚特性を持たないかもしれないので、必ずしも痛みとは言い切れない。多くの人々は、組織損傷あるいは、それに相応した病態生理学的原因がないのに痛みがあると報告するが、これは通常心理的な理由で生じる。主観的な報告しか受けることができないので、このような体験と組織損傷による体験とを通常区別することはできない。 もし彼らが、自分の体験を痛みと思い、組織損傷によって生じる痛みと同じように報告するなら、それを痛みと受け入れるべきである。この定義は痛みを刺激に結びつけることに避けている。痛みを引き起こす主な原因がしばしば身体にあることを受け入れるにしても、侵害刺激によって引き起こされる、侵害受容器および侵害受容経路における活動は痛みではなく、痛みはいつも心理学状態である。

[原文:Pain is always subjective. Each individual learns the application of the word through experiences related to injury in early life. Biologists recognize that those stimuli which cause pain are liable to damage tissue. Accordingly, pain is that experience we associate with actual or potential tissue damage. It is unquestionably a sensation in a part or parts of the body, but it is also always unpleasant and therefore also an emotional experience. Experiences which resemble pain but are not unpleasant, e.g., pricking, should not be called pain. Unpleasant abnormal experiences (dysesthesias) may also be pain but are not necessarily so because, subjectively, they may not have the usual sensory qualities of pain. Many people report pain in the absence of tissue damage or any likely pathophysiological cause; usually this happens for psychological reasons. There is usually no way to distinguish their experience from that due to tissue damage if we take the subjective report. If they regard their experience as pain, and if they report it in the same ways as pain caused by tissue damage, it should be accepted as pain. This definition avoids tying pain to the stimulus. Activity induced in the nociceptor and nociceptive pathways by a noxious stimulus is not pain, which is always a psychological state, even though we may well appreciate that pain most often has a proximate physical cause.]

しかし、この過去の定義にはいくつかの問題点があり、長い間議論が交わされてきました。

それらには、心と身体の相互作用の多様性が含まれていない(ルネ・デカルトの心身二元論に基づいているとよく説明されます)ことや痛みの倫理的次元を無視しており、新生児や高齢者のように権限を奪われ無視されている人々の痛みが十分に考慮されていないということが含まれていました[Ref][Ref][Ref][Ref]。

そこで、それらを考慮に入れるため2020年の痛みの定義の改訂版が発表されました。

改訂版の痛みの定義は下記のとおりです[Ref][Ref]。

実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験

[原文:An unpleasant sensory and emotional experience associated with, or resembling that associated with, actual or potential tissue damage.]

2020年版の定義には下記の6つのkey pointsが付記として記載されています。

①痛みは常に個人的な経験であり、生物学的、心理的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます。

②痛みと侵害受容は異なる現象です。感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することはできません。

③個人は人生での経験を通じて、痛みの概念を学びます。

④痛みを経験しているという人の訴えは重んじられるべきです。

⑤痛みは,通常,適応的な役割を果たしますが,その一方で,身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります。

⑥言葉による表出は、痛みを表すいくつかの行動の1つにすぎません。コミュニケーションが不可能であることは,ヒトあるいはヒト以外の動物が痛みを経験している可能性を否定するものではありません。

[原文:
Six key notes and etymology:
・Pain is always a personal experience that is influenced to varying degrees by biological, psychological, and social factors.

・Pain and nociception are different phenomena. Pain cannot be inferred solely from activity in sensory neurons.

・Through their life experiences, individuals learn the concept of pain.

・A person’s report of an experience as pain should be respected.

・Although pain usually serves an adaptive role, it may have adverse effects on function and social and psychological well-being.

・Verbal description is only one of several behaviors to express pain; inability to communicate does not negate the possibility that a human or a nonhuman animal experiences pain.]

このように痛みの定義の改定が行われることによって、議論されてきた内容を適切に表現することができています。

そして、新しい定義のポイントは観察しても内省しても、組織損傷と痛みの対応が見出されない点と、健康な人は不快感を伴わない純粋な痛みを経験せず、最初に純粋な感覚があるべきで、その次に純粋な感覚に不快感のような情動的価値を付与する精神的価値判断が続くとされている点になります。

そして、定義のみを臨床応用することは少し困難ですが、付記の内容は臨床で活かすことが十分できるものになっています。

①の「痛みは常に個人的な経験であり、生物学的、心理的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます」は痛みは常に個人的、つまりは主観的な体験であり、患者が痛いというのであれば痛みは確かに現実に存在するものであり、我々が外部から評価することは難しいことを意味しています。

さらに、痛みを考える上で世界的に主流になりつつあるBPS modelについても触れています。

痛みは生物、心理、社会的要因によって様々な影響を受けるというのは明らかにBPS modelに基づいた考え方です。

②の「痛みと侵害受容は異なる現象です。感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することはできません。」というのは、痛みと侵害受容刺激はイコールの関係ではなく、侵害受容刺激があっても痛みがない場合がありうるし、逆に侵害受容刺激がなくても痛みがある場合もあるということを表しています。

実際、肩関節[Ref]、肘関節[Ref]、頚椎[Ref]、腰椎[Ref]、股関節[Ref]、膝関節[Ref]などの非常に多くの関節で痛みがないにもかかわらずMRIなどの画像所見の異常が見られることが報告されています。

③の「個人は人生での経験を通じて、痛みの概念を学びます」は次章で少し解説を加えています。

④の「痛みを経験しているという人の訴えは重んじられるべきです」は①の解説と重複しますが、その人が痛みを感じているのかどうかを外部から判断するのは非常に困難です。

故に、痛みの訴えがあった場合、それらの発言は重んじられるべきであり尊重されるべきです。

⑤の「痛みは,通常,適応的な役割を果たしますが,その一方で,身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります」は、通常の痛みでは、痛みを感じることによって行動の適応的変化などを起こし、生体を守るように働きますが、慢性疼痛などの異常な状態にある場合はその限りではなく、様々な次元で障害を生じさせます。

⑥の「言葉による表出は、痛みを表すいくつかの行動の1つにすぎません。コミュニケーションが不可能であることは,ヒトあるいはヒト以外の動物が痛みを経験している可能性を否定するものではありません」は、過去の定義に対する批判によって新たに付け加えられた内容です。

今回のnoteの目的からそれていってしまうため、これ以上、定義についての解説は本記事内では行いませんが、更に知り詳しく知りたいという方はタム先生の記事で詳しく解説されているので御覧ください。

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