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離婚したことを母の墓前に報告したときのこと【言の葉Cafe深夜営業】

とにかく慌ただしい日々、その慌ただしさに救われた日々でした。
ただ、確実に疲れが酷く、最後の舞台の為に熊本に通っていた時期は居眠り運転になりそうで、何日も車中泊をしていました。

それらの日々から抜け出して、ようやく落ち着いたある日、僕は母の墓参りに行こうと急に思い立ちました。
何故、そんな風に思い立ったのか当時は分かりませんでした。
ただ、今思うに「大人」でいることに少し疲れたのかもしれません。
少しの間でもいい、気持ちの事だけでいいから「子供」に戻りたかったのかなと、いまは思います。

子供の視点について考えることがあります。
普段、僕は演出家として脚本にある「想い」を
演出家コンサルタントとしてクライアントの「想い」を
とても客観的に考える仕事なので、実はそこに自分の主観的な気持ちが介在することは少ないです(まったく無いわけではありません)
子供でいるという事は、そうした自分の主観を誰かに分かってもらおうとする世代なのかとも考えます。
それは成長していないという意味ではなく、成長しているからこそ、視て知らないといけないことなのではと思います。

ふと、こうして自分のことを語る時に、いま僕は振り返り自分の心情を語ることで子供の気持ちになって成長する時間を得ているのだと思います。
昔よく「日記をつけろ」と言われた意味がやっと分かりました。

今もそうですけど、気ままにドライブするのが好きです。
時間に追われることなく、気分のままに運転する。
その地方のFMを聴きながら、変わる天気を楽しみながら。

その時の墓参りもまたそんな時間になりました。

いまの僕には、楽しみがたくさんあります。
そんなドライブ。
読書する時間。
ジャズや古い映画を楽しむ時間。
こうして執筆する時間。

ゆっくりと珈琲を淹れる時間。

ある珈琲関連で人気のエッセイストが書いていました。
珈琲が好きなのではなく、珈琲を淹れる余裕のある時間が好きなのだと。
子育てが大変だった時期に、珈琲を淹れる時間で心を落ち着かせたりしたそうです。
そう思うと珈琲って「禅」なのかと思ってしまいますね(笑)

母には、そんな時間があったのだろうかと思います。
記憶にある限り、母はずっと働いていました。
朝、早くに起きて僕の鍛錬(剣道をやっていました)に付き合い、
掃除はもちろん、家事も完璧でした。
学校行事にも参加し、僕に負担をかけることなど一切ありませんでした。
独身のまま。

大人になってみると、考えずにはいられません。
どうしていたの?

子供の頃は当たり前に感じていた、いや考える事すらなかったこと。
でも、いま自分が同じように出来るかと思うと・・・

経済的にもキつかったと思います。
夜の仕事をしていて、毎晩遅くにお酒の匂いをさせて帰ってきていました。きっとたくさん飲んだのだと思います。
僕がその気質を引き継いでいますが、コミュニケーションとか得意ではないと思います。
僕の印象からでも人見知りなの分かります。

どんなに辛かったのかと思います。

またコミュニケーションが得意ではなく、近所との付き合うことも大変だったと。

昭和の地方の話です。偏見に満ちた目で見られていたと思います。
「誰の子か知れない子供を育てている。水商売の陰気な女」
声が大きすぎるご近所さんには参ります。
僕の耳にまで、それは入ります。

以前、僕が結婚してすぐに伯母と墓参りに来た時に、伯母が墓を磨きながら言った言葉をまだ覚えています。

「孫を見れなかったから残念だろぅ。早まったな、ざまぁみろ」

伯母は笑いながら母に(伯母にとっては妹に)
そう言っていました。

それから、こうして離婚の報告に来るのは何となく気が引けたのですが、正直に言わないと叱られるので行きました。
母の墓は、熊本県の天草の観光地から少し入った丘のうえ。
眺めのいい場所です。
墓の前で手を合わせ、離婚したことを報告。
母は妻を見ていないので、さらりと経過報告だけ(笑)

母のことを想いだす時に、まるでセットになっているように
あの日に乗ったパトカーの座席の感触を思い出します。

つづく

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