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ヌード撮影の現場で聴く告白。メイキングof【静寂に耳を澄ますということ】

テイク #1


いや、実際にはその時が何度目のテイクだったのか正直覚えていません。
それほどの回数を重ねるとは、本当のところ思っていませんでした。


「なるほどなー」

以前は俳優をして、稽古の際に数えきれないほどのダメ出しをくらい、映像作品でも何度もリテイクとなり、最後には「もう時間ねぇや」と諦めのような捨て台詞で終了した撮影も経験し、そうした経験から自分が演出家に転向してからはテイク数の少ないタイプになっていました。
が、やはり自分という役者を前にすると「まだまだ」という気がしてきて、何度もテイクを繰り返してしまいます。


自分で録音したナレーション音声を聴き直してみると、自分の活舌の悪さや言い回しの悪さが気になってしまいます。
また相手は「自分」な訳ですから、好きなだけテイクを繰り返すことができる。
自分はSっ気があると自覚していましたが、それは自分に対してもだと思うと苦笑いが浮かんでしまいます。


Podcast番組『静寂に耳を澄ますということ』の録音中の一コマです。

もともとラジオが好きで、以前FM番組を担当していたときもずっと好きだった『ジェットストリーム』を意識してまるで旅をしているような心地のいい言葉と音の抒情的なものにしたいとやってきました。


とはいえ自分の要求するクオリティを「出来ない」と言うスタッフに対して不信感を抱き、降板。
自分で演出も語りもやっていこうと企画したのがこのPodcast。
ほんの少しのサウンドにこだわり、構成にこだわりしていく内に時間だけが過ぎていました。
試行錯誤していた僕の方向を変えたのは、僕が写真家として撮影していた被写体の女性との談笑からでした。その方は僕が苦し紛れにやっていた(まったく見る人の無い)YouTubeのファンだというとても奇特な方でした。


ここではSさんとしておきましょう。


その日の撮影内容はヌード。
プロのモデルさんではないので(プロでも大切にしますが)とにかく現場の空気を和やかにするのが演出家、写真家の務めですのでまったりとした雰囲気でお話をしながらの撮影となりました。


50歳の記念でのヌード撮影でSさんは自然とこれまでの事を話されました。
結婚していた時代のこと。
ご主人の暴力的なセックスから必死に逃げたことなど。
僕はそのすべてに耳を傾けました。


Sさんはこの撮影の直前に子宮の手術をしていました。
病名は癌。


女性性の象徴を失ったことが、却って自分が女性であることの表現を必要として写真家である僕の元へご連絡をいただきました。
それまでの人生を振り返りながら、節目ごとに一枚脱いでいく。
それは3月の撮影でした。Sさんは寒がりだったので少し厚着。
エアコンを効かせたスタジオで、彼女の人生語りストリップはとても長い公演となりました。


その話の中で、性をもっと感じていたかったとの言葉。
ご主人のセックスの影響からか、離婚後もあまり積極的になれなかったこと、でも興味はあるので、僕のホスト時代の事を書いたコラムを読んでいたことなどをポツポツと。


僕は若いころに初プロデュースした映画が製作直前のトラブルで中止になり、違約金などで多額の負債を抱えたまま事務所を追われ、早朝からカフェで働き、夜はホストをして返済していました。
ホストというのはご指名を頂かない限りとても生活していけるような給料はもらえません。
バイトとしては最悪なものです。
もちろん、そんなことを知らなかった僕ですが、始めたからにはと努力を重ねました。
しかし世間は甘くない。
当時、僕は30歳になったばかり。
お店のマスターと同い年の最年長で、そこからスタートです。
源氏名は「ヒデキ」
でも、そう呼ばれることはありません。
「おい、おやじ」
これがデフォルトの僕の呼び名です。


イケメンでもなく、繁華街が苦手な僕は遊びに行ったこともありません。
田舎のショーパブでバーテンダーのようなことはしていましたが、それで中州では通用しません。若い子に合わせてにぎやかなノリで頑張ってみても「無理してる感」は半端なく、イタい奴の雰囲気を醸し出していました。
さすがに働き口を間違えたかなと、転職を考えていましたが、返済は待ったなしです。
どうすればいい?


そんな時に、僕は自分の適性について考えました。
僕は演出家です。何作か舞台作品を演出していました駆け出しですが、それでも自分のスキルはここだと思い「自分」という存在をどのように演出すれば受け入れられるのか考えました。


それが転機となりました。


【つづく】


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