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すべてを脱ぐ、その後のこと。メイキングof【静寂に耳を澄ますということ】Ⅲ

僕にとって、夜の静謐は特別なもののように感じます。
体質的には朝型人間なので、執筆などは午前中の方が捗りますが、夜は「想い」を大切にしたくなる時間帯です。
シン・・・と静かな時は、その無音の奥から話しかけられているような気になります。


その静寂からの声は、時に相談者様の心から漏れている叫びなのかと思う事もあります。


静寂、それは静謐とは異なりそこに美しさを感じることは出来ません。
黙らざる得なかったこと、そうした環境などを考えてしまいます。


そんなわけで、僕が何故ポッドキャスト『静寂に耳を澄ますということ』を創るまでについて語るエピソード#0の完結編です。

どうぞ。


ヌード撮影を終えても、Sさんの言葉は途切れることはありませんでした。
それまで黙らざる得なかったこと、誰にも話せなかったこと。
それらの想いの重さと、それを解放させられることの喜びが対話から感じられました。


Sさんは、ご主人を信じていたからこそ、身をゆだね、傷つけられてもそれが「当たり前のこと」として耐え続けてきました。ある時、命の危険を感じ子供を抱えて家を飛び出しました。それは「生きたい」という、ごく当然の、最小限の「願い」
その最小限の願いは叶いました。でも、そこから先を願う事は許されないのでは?そんな想いから、それ以上を願うことなく月日は過ぎていきました。


子供さんが自立をして、ひとりの時間を迎えたころに考えることは「自分の人生」について想うようになりました。
そのきっかけは病気であることを知ってから。
「命」のリミットと向き合う事で、自身の人生を、幸せを考えるようになったそうです。


またその過程で「自分の人生」を物語として語り継ぐ存在が必要になった。
そこで出逢ったのが劇作家としていくつかの作品を送り出して、写真や映像作品、時にはジャンルを超え様々な表現に着手し「人を描くこと」と言うテーマを追求していた僕と言う訳です。


Sさんの「物語」を語るうえで外すことの出来ないのは「性」
ガンで子宮を失ったからこそ熱望する「女性であること」を、彼女の言葉をひとつも聞き漏らすことなく向き合い「作品」として昇華させました。


実際、セックスの話はその多くが「好奇心」でくるまれることが多く、真摯とは違う聞かれ方をしてしまいます。それでもまだ聞く耳を持ってもらうだけマシなのかもしれません。


時代によっては、環境によっては、
沈黙すべし、のようなことも、女性にはあります。


ある相談者の方はいわゆるLGBTの問題を抱えていらっしゃる方ですが、周りに相談をすることもできないで間もなく40歳の誕生日を迎える女性でした。
僕はたまたま知り合いで、抱えていることに気づくことができましたのでそれ以来ご相談にのっていました。
彼女は同性に対して恋愛の情を持っていらっしゃる方ですが、ご家族が教育者や閣僚を輩出した家柄で、少々古風な考え方で育った来られました。
なので、そうした性の悩みを誰かに相談するという「概念」がそもそもありません。
常に「自分は間違っている」という認識で生きてこられました。
子供のころから植え付けられている「概念」に「そんなことないよ」と言ったところで、知識としては理解していても、それを行動に移すことなどとても厳しい事です。


好きな方ができても、告白することもできないで苦しみ、ただその方が別の異性と結ばれていくのを観ていくしかない苦しみは大変なものだったと思います。


また「結婚適齢期」という、世間的にはハラスメントなことも「常識」として押し付けられ、無理に男性をあてがわれ、しがらみの中で生きている以上それを断ることも出来ずに、望まない交際、望まない性交渉を彼女には拒むことも出来ません。
望まない相手とのセックス、ましてや「性」も違うのであれば想像することも辛くなります。
でも、それを当たり前として受け止めるしかない。そう思って今に至るという訳です。


「そんなの逃げればいい」


その通りです。
それが正論なのです。
それをしないのは勇気が無い、行動力が無い、やる気が無い。
そう思われます。
そうした「自分ならこうするのにな」という事に対しての「なぜ、出来ないでいるのか?」の考慮が不足していると僕は思います。


ある国では、女性は「子供を産むだけ」
もっとひどい場合は男性の性処理のためだけに生存を許された方々がいらっしゃいます。



この話をすることは僕にとって、とても辛い事ですが
このように「発信することを生業としている」僕でさえ辛く、何度も何度も躊躇するのです。


僕の母は、そうした無理強いの中で性を強要され、その結果生まれたのが僕です。
僕は父を知りません。
名前はもちろん、何も知りません。
何も語らぬまま、母はひとりで逝きました。


田舎の暮らしでは、人々は簡単に「人の話」をします。
母の自死を身勝手なものだと、表面では痛ましいような顔をしながら「娯楽」のように噂話を酒のつまみにしています。
僕はそうした「雑音」に耳をふさぎました。


いえ、塞ぐことのできない無遠慮の声に苦しみました。


僕にはもうその時に僕がやるべきことが視えました。
もう、母のように誰かの犠牲になる人を出すことは嫌だと。
環境を超えて、誰もが幸せになれるような場所へといざなう事。
シンデレラをお城の舞踏会まで連れて行ったカボチャの馬車を創ろうと。僕に魔法は使えませんが、僕が持っているスキルでそれを実現しようと。


Sさんの言葉を聴き、彼女の「性」を通して「LIFE」を語ることで、それは形を見せていきました。Sさんとの共同作業で生まれたのが30分の短編映画『りーん』
彼女の人生、現実の自分が憧れ続けた「理想の自分との出逢い」を通して、死の向こう側までも貫くという意思で撮られた短編は、とても好評をいただきました。
実はこの作品には「私家版」と呼ばれるSさんの為だけのロングバージョンが存在します。
90分のその「私家版」は、現実から羽ばたいていく様をとても官能的に描いています。


Sさんはその作品を誇りに思ってくれました。
その映像の中に「本当になりたかった自分」を描き「理想の人生」を創造していきました。
Sさんは、その作品を一緒に創りあげた感謝の言葉を最後に、この世を去りました。


僕がやるべきこと。
それは、対話を通して「あなた」と真摯に向き合い「理想の人生を描く物語」を演出すること。
Sさんが遺してくれた「作品」は、僕に使命を思い出させてくれました。
また導かれているように、アイデアを具現化するために欠かせない仲間もいてくれます。
多くの作品を共同で創ってくれる大切な仲間とともに、新たな、次のフィールドに行くことができる。


絆は受け継がれて、創作の旅は続きます。


誰もが「幸せ」を追求でき、自分の人生を送ることができると証明する。
あなたの人生という「作品」を創造する。


それは「旅」のように過ぎていきつつも、思い出として心を豊かにするものなのかもしれません。
なので制作しているこのPodcastの全体のモチーフは「旅」


聴いてくださる人の心を、心地のいい旅へとお連れします。


自然の中で録音された音響と、列車や飛行機の音、語られる物語はあなたの心を浄化させα派を脳内に生み出し最高の癒しと官能の時を提供します。



あなたの心に語り掛けます。


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